「オリエント急行」の超豪華客車がなぜ箱根に? 今でも“乗れる”鉄道界の伝説

「オリエント急行」の超豪華客車がなぜ箱根に? 今でも“乗れる”鉄道界の伝説

箱根ラリック美術館で特別展示されるプルマン車「No.4158 DE」(2022年6月7日、安藤昌季撮影)。

1883年に運行を開始した欧州の「オリエント急行」は、豪華列車で最も歴史と格式がある列車でしょう。そこに組み込まれた客車「プルマン No.4158 DE」が、日本の「箱根ラリック美術館」で保存されています。なぜでしょうか。

日本でも「プルマン式」というが…

 欧州の豪華列車として名高い「オリエント急行」。その中で「プルマン車」として活躍した「No.4158 DE」が、日本の「箱根ラリック美術館」で保存されていることをご存じでしょうか。

「プルマン車」とは、19世紀アメリカの発明家G・プルマンにちなみます。プルマンが最初に考案したのは寝台車でした。それまでは固い座席で一晩を過ごしていたので、寝台車の登場は画期的であり、そのためアメリカでは寝台車を「プルマン」と称するほどです。日本でも、向かい合わせ座席をつなげて寝台にする構造の開放形A寝台車や、夜行としても走る観光列車「WEST EXPRESS 銀河」のファーストシートを「プルマン式」と称することがあります。

 1867年、「プルマン車」の特許権を得たプルマンは、「より楽しい旅」を目指す豪華車両保有会社を設立。食堂車、テーブル付きのソファを備え飲料などを提供する客車「パーラーカー」などの車両を保有し、鉄道会社に「車両と車内サービス一式」を提供したのです。その結果、欧州では「パーラーカー」を「プルマン車」と呼ぶようになりました。

 日本で保存されている「No.4158 DE」は、「テーブル付きのソファを備え飲料などを提供する」客車なので「プルマン車」とされ、車体側面には「PULLMAN 1ERE CLASS」と書かれています。日本流にいうなら「食堂車兼サロンカー」といったところでしょう。

 なお、「オリエント急行」自体はプルマンのビジネスモデルを模範にして設立された「ワゴン・リ」社によって運営され、1883(明治16)年に運行開始したので、G・プルマンの運営ではありません。なお現在は、ベルモンド社とワゴン・リ社が別々に運行しています。

「オリエント急行」の運行開始当時、欧州は1か国の幹線ごとに別会社での運行が行われている状態でした。数か国を直通するけれど、1社がサービスを提供する「オリエント急行」は、利便性もサービスレベルも非常に高く、要人も多く利用したのです。小説家アガサ・クリスティや女優マレーネ・ディードリッヒなどの著名人も乗車したと伝えられています。

「プルマン車」はどのくらい豪華だったか

「No.4158 DE」が製造されたのは1929(昭和4)年のこと。移動手段として、鉄道がまだ航空機に脅かされていなかったころです。日本で同世代なのは、大井川鐡道で活躍するC10形蒸気機関車(1930年製造)ですから、かなりの古参客車といえそうです。「No.4158 DE」は製造後、パリ〜ヴァンティミーリア間を結ぶ「コート・ダジュール急行」として活躍し、その後1982(昭和57)年に復活した「オリエント急行」でも使われ、2001(平成13)年まで現役でした。

「No.4158 DE」の座席定員は、4人用個室2室を含み28名。寝台特急「トワイライトエクスプレス」で使われていたラウンジカー・オハ25形(定員24名)より少ないですが、「No.4158 DE」の全長は22.2mで日本の20m車両より長いこともあり、ゆったりしています。座り心地も極上なソファは、クッションに通気性をよくするための「藁」が使われているほか、鋼製の車体でありながら、車内には木材(マホガニー)を使用しており、豪奢なつくりです。

 テーブルは移動可能ですが、清掃時は側壁に固定できました。側窓は一部がハンドルを回すと下降するようになっており、別れを惜しむ見送り客にも配慮されていました。暖房は温水暖房ですが、温水ボイラーは石炭式です。なお「オリエント急行」はノスタルジーを大切にしているので、現代の車両でも変わっていないようです。

 そのような世界的な豪華車両が、箱根ラリック美術館に展示保存されている理由は、車内の装飾にあります。世界的なガラス工芸士ルネ・ラリックが手がけた156枚のガラスパネルが飾られているのです。

 ガラスパネルを詳しく見てみます。人物像と葡萄をかたどったパネルが3枚1組で、人物像は男性2種類、女性6種類。葡萄は3種類が左右対称となっています。パネルは、型の中にガラス素材を流す「型押し」という方法で作られ、表面には白く濁らせる「フロスト加工」が、裏面には水銀を縫って光を反射させる「鏡面加工」がなされています。

 天井のランプシェードもラリックの作品ですが、個室内のパネル「花束」は、ラリックの娘スザンヌの作品で、作風が異なります。

「オリエント急行’88」として日本国内を運行

 この「No.4158 DE」を含む「オリエント急行」は1988(昭和63)年、テレビ局の企画でパリ〜東京間を走る「オリエント急行’88」として、はるばる日本にやって来ました。

 もちろん海は渡れませんので、香港から船で運ばれ、日立製作所笠戸工場(山口県下松市)で台車変更などの改造を行っています。この際、日本国内の基準に対応するため、たれ流しだったトイレを改造するなどしています。

「No.4158 DE」の車体重量は空車重量で50トンあります。寝台特急に使われた電源車カニ24形500番台でも48.8トンですから、電源車より重かったことになります。また、車両間の連結面には「バッファー」と呼ばれる衝撃緩和装置が備わっているため、車両間の通路は長く、全長だと23.4mあります。車体幅は2.88mでJR車両と同等ですが、日本より線路幅が広い標準軌の車両であることを考えると、スリムな印象です。

 パリ〜東京間の走行距離は1万5494km。これはギネスブックに「世界最長距離列車」として記載されています。

「オリエント急行’88」はその後、3か月かけて日本全国をクルーズトレインとして走行し、翌1989(平成元)年、船で欧州に帰還しました。その後、「No.4158 DE」は2004(平成16)年に再来日し、箱根ラリック美術館の特別展示「ル・トラン」となって現在に至ります。

「ル・トラン」の見学ではケーキや飲料も提供されます。スイーツを楽しみながら欧州の超豪華客車に思いをはせてもよさそうです。

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