地味にスゴい空母「蒼龍」の大貢献 日本空母の「標準型」はいかに完成へ至ったのか?

地味にスゴい空母「蒼龍」の大貢献 日本空母の「標準型」はいかに完成へ至ったのか?

1938年1月22日、千葉県館山沖で撮影された全力航行中の「蒼龍」。この時は34.9ノットを記録している(画像:アメリカ海軍)。

旧日本海軍の主力空母のなかで、「蒼龍」は若干地味な印象かもしれません。しかしその完成をもって、日本の空母は試行錯誤の黎明期から完全に脱したともいえる艦でもあります。加えてその完成度も、かなりのものだったといいます。

用兵側を満足させた日本空母の完成形「蒼龍」

 旧日本海軍の空母「蒼龍」は、用兵側から満足される空母として完成した最初の空母です。先輩艦の試行錯誤の研究結果から、制式化された航空艤装品を装備し高速力と艦載機の大きな搭載量と扱いやすさを評価され、緒戦でその能力を大いに発揮しました。ただ、ほかの主力級空母と比べると若干、地味かもしれません。

 太平洋戦争で日本を代表する空母と言えば「赤城」「加賀」が双璧をなします。また「翔鶴」「瑞鶴」は開戦直前に完成した大型空母です。やや小柄の「蒼龍」と姉妹艦「飛龍」は、その大型正規空母4艦に挟まるように居ます。

 運命のミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」と「飛龍」「蒼龍」は撃沈されてしまいますが、「飛龍」は最後まで生き残り、反撃の一矢を報いて勇名を馳せています。そうしたなか、姉妹艦の「蒼龍」は、空母列伝の中でも目立たない印象があります。

 とはいえ、以後、建造された中型の正規空母は、基本的には「蒼龍」の拡大改良型ともいえ、準同型艦としては「飛龍」「雲龍」「天城」「葛城」が完成しています。

空母の弱点「爆撃のリスク」を分散するには…?

 空母の弱点は、飛行甲板が爆撃で破壊されると、沈没しなくても戦闘力を失ってしまうことでした。1922(大正11)年に発効したワシントン海軍軍縮条約が遵守されていた当時、日本海軍はこのリスク回避の方法を模索します。そして1928(昭和3)年の海軍軍備研究において、軍縮条約の空母制限枠2万7000トン内で頑丈な大型艦を1隻造るより、中型艦を2隻造ってリスクを分散しようとの結論に至ります。

 日本空母は最初の実験艦的な「鳳翔」から始まり、「赤城」「加賀」が戦艦から転身しましたが大小の改装が繰り返され、またこの2隻は大きすぎて持て余しぎみでした。ワシントン海軍軍縮条約では、空母は基準排水量1万トン以上と規定されていたため、その規定外となるような小型空母の可能性も研究され「龍驤」が生まれます。

 大小空母のさまざまな試行錯誤が繰り返されていた時代でした。

艦載機の数は空母の戦闘力…「蒼龍」の場合は?

 1934(昭和9)年度に、空母制限枠内に収まるよう、1万トン級空母2隻の建造が基本計画番号G8案として計画されます。これが「蒼龍」のルーツです。ところが最初の要求は、基準排水量1万50トンという艦体に艦載機100機という相当、無茶なもので、「先輩空母の経験から何を学んだんだ!」とツッコミたくなる態でした。

 その後、「龍驤」で経験した二段階層格納庫が採用されて、艦載機は70機に落ち着きます。格納庫面積は5229.8平方メートルを確保し、倍以上に大きい「加賀」の4分の3程度の収容スペースを実現しました。

小柄な艦体になるべく多くの艦載機を

 空母の戦闘力は艦載機であり、艦載機数の多い方が有利です。日本の代表的な空母の基準排水量と艦載機数を羅列し、艦載機1機当りの排水量を比較してみます。

・「蒼龍」基準排水量1万5900トン、艦載機54(18:補用機)。基準排水量/艦載機数=221トン/機。
・「鳳翔」基準排水量7470トン、艦載機15(6)。355トン/機。
・「飛龍」基準排水量1万7300トン、艦載機57(16)。236トン/機。
・「雲龍」基準排水量1万7150トン、艦載機57(8)。263トン/機。
・「赤城」基準排水量3万6500トン、艦載機66(25)。401トン/機。
・「加賀」基準排水量3万8200トン、艦載機72(18)。424トン/機。
・「翔鶴」「瑞鶴」基準排水量2万5675トン、艦載機72(12)。305トン/機。
・「大鳳」基準排水量2万9300トン、艦載機52(1)。552トン/機。

 雑な単純比較になりますが、「蒼龍」は1機あたり排水量が最も少なく、効率良く艦載機を搭載できたことが分かります。重装甲空母だった「大鳳」が一番効率は悪く、戦艦から改造を繰り返した「赤城」「加賀」も大きさの割に効率が良くないのが分かります。ちなみにアメリカの「ヨークタウン」は基準排水量1万9800トン、艦載機90で、1機当りの排水量は220トンと、「蒼龍」とほぼ同じになっています。

完成度高い「蒼龍」のそれでもあった「艦橋」と「足の長さ」問題

 大きさの割に艦載機数も多く、用兵側も扱いやすいと評価した「蒼龍」でしたが、問題も残っていました。

 なかでも艦橋の形状や配置は空母設計の課題であり、姉妹艦でも「蒼龍」と「飛龍」では大きく異なっています。「蒼龍」の艦橋は右舷前方に最小限の大きさで設置されたのですが、駆逐艦と同程度の大きさしかなく使い勝手が悪く、指揮の取りにくさからか、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)の際、第二航空戦隊旗艦の任を「飛龍」に譲っています。

「飛龍」は艦橋を左舷に設け、「蒼龍」と簡単に見分けることができますが、艦載する単発エンジンのプロペラ機は、エンジンの回転方向=プロペラの回転方向によるトルクの関係などから左右いずれかに流れやすい特性があり、当時の日本機の場合は進行方向左に流れやすく、よって左舷艦橋は障害となり評判は悪かったようです。ちなみに日本空母で左舷艦橋なのは「飛龍」と「赤城」だけです。

 足が短いのも玉に瑕でした。「加賀」「翔鶴」は1万海里の航続距離がありましたが「蒼龍」は7000海里しかなく、戦闘速力で1日突っ走ると燃料タンクは空になってしまったといわれます。アメリカ海軍を日本近海で迎え撃つ漸減邀撃作戦構想の影響から、長い航続距離は要求されなかったのです。長駆となったハワイ作戦では山口司令官のごり押しで、燃料過積載で無理やり参加しましたが、大事故につながる危険な行為で、褒められたものではありません。

 運命のミッドウェー海戦で「蒼龍」は、爆弾3発を被弾し約10分後には航行不能、約15分後には総員退艦が発令されています。中型空母構想の爆撃リスク分散の被害を、図らずも引き受けてしまう皮肉でした。脆弱性とともに、被害を受けることを想定しながらそれに対するダメージコントロール能力の欠如も露呈させ、遅ればせながら本格的に対策に取り組む契機にもなっています。

 その後、日本海軍は「蒼龍」「飛龍」の基本設計を基に、中型空母の量産を計画します。しかし、これに基づき建造された「雲龍」「天城」「葛城」が完成するころには、搭載すべき航空部隊も払底し、目立った働きができぬまま敗戦を迎えています。

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