あなたと【母親】との関係は? 1位は「まぁまぁ良好」で39%

あなたと【母親】との関係は? 1位は「まぁまぁ良好」で39%

あなたと【母親】との関係は? 1位は「まぁまぁ良好」で39%

総計で最も多かったのは「まぁまぁ良好」で39%、次いで「ふつう」で33%、「非常に良好」で18%でした。

■父親よりも、母親との関係の方が良好?
レポート2のデータと比較すると、「非常に良好」「まぁまぁ良好」と答えた【良好派】は【父親】の時は40%だったのに対し、【母親】では57%と大きく上回る結果に。

父親のときよりも母親のときの方が良好派が多い結果に…! お父さんがんばって下さい…!(´;ω;`)

アンケート実施日時:2013年6月21日〜2013年6月27日/有効回答数:4,085

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子供のころから親子関係は悪くなかった。社会人になり、自分が親の立場になってからは親の有難味がよくわかった。世間一般では十分おじさんと言われる年となった現在でも自分を心配してくれているのがよくわかる。感謝の気持ちが自然と湧いてきたことと年老いていく親を心配する気持ちからか、最近は優しくなれたように思います。昨年父が亡くなり、もっと話をしておくべきだったと激しく後悔したので、母には定期的に連絡を取るようにしています。
44才 愛知県 既婚 男性

親の立場になると、親のありがたみがわかるって言いますよね…! 私も今日電話してみようかなぁ(´;ω;`)
調査団編集部: カワンヌ副団長

父には、子供のころからおいしいお店に連れて行ってもらっていて、テーブルマナーなども教えてもらっていた。3人兄弟のなかで、私だけが父に優遇されていると思っていたのだけど、単に、食べっぷりがよかっただけらしい。
45才 京都府 既婚 女性

おいしそうに食べる子にはいっぱいいろんなものを食べさせてあげたくなりますよね(*´∀`*) 私は自分が好き嫌いが多くておいしく食べることができなかったので、いつも外食時は申し訳ないな〜って思ってました。。
調査団編集部: マリカナ団長

他の親子と比べた事は無いのでよく判りませんが、朝食だけは必ず家族全部が顔を揃える(家を出る時間の一番早い人に合わせていました)あとは、家族全部が読書が趣味だったので、親兄弟皆で本を共有していたりしたことでしょうかね…?
47才 北海道 既婚 女性

うちは朝食も夕食も皆バラバラだったなぁ…でも、たまーに家族そろったときは嬉しかったです! 一緒にご飯を食べるのって、大切な時間ですよね(≧▽≦)
調査団編集部: カワンヌ副団長

母親との関係ですが(父親は私が18歳のときに他界しましたので親子関係がよくわかりません)糖尿病と戦いながら私達を育ててくれた母親が、親戚に電話中、突然調子が悪くなり、抱えた事がありました。30年程前の出来事で、私が働き始めた頃です。高血圧でした。その姿を見たとき、「私が家のことを手助けしなければ」と思いました。ですから、母親との関係は良好にするしかありませんでした。と言うか、自然に良好になりました。その母も、今は他界し居ません。
51才 愛知県 既婚 男性

父が早世し、母が頑張って私と弟を育ててくれた。「感謝」、その言葉につきる。父親がそうならなかったら、今の関係は無いだろう。母には持病があり、仕事は大変だったことはよくわかっていた。早く仕事について楽をさせてあげたかったが、なかなか上手くいかず、最初は金銭面で苦労した。その後、仕事も順調になり、家を買って母に喜んでもらえたのが一番の幸せだ。お互い尊重するが、自分がしたいことはするという考えでいる。母には長生きしてほしい。(現在80代半ばだから十分かもしれないが)
54才 千葉県 未婚 男性

母親はよく褒めて育ててくれました。父親は口数少なく厳格でしたが、子供のころから信頼されていると思っていました。いじめは社会問題になっていますが、私の小学生時代はいじめられっ子、未だに思い出したくもない時代でした。いじけもせず、曲がりもせずに今自分が在るのは、当時の母が膝にわたしを載せて「お天道さまはいい子をちゃ〜んと見てなさる」と繰り返し云い聞かせてくれた故と思っています。親子の関係は双方の信頼が基本と信じています。
75才 東京都 既婚 女性

細かいことに口出しされたことがいやだったのかな、と思う。レストランなどで外食するときに、頼んだメニューが母の思惑(鶏料理よりは牛肉のほうがいいと思っているとか、とろろそばより天ぷらそばのほうがごちそうだからそっちにしろとか)と違うと、こっちにしたらといわれるとか。些末なことのようですが、一時が万事というかんじ。この歳になったも、ときどきこれは親の気に入るだろうか?と気にしている自分がいることに気づくと愕然とすることがあります。
52才 東京都 既婚 女性

両親ともに自営業だったため、家族で旅行とかイベントとかあまりなくて、金銭的に不自由はしなかったけれど、少し淋しかったですね。なので、私は、サラリーマンと結婚したいと思っていました。高校を出ると同時に田舎も出て、それ以来、頻繁に連絡を取るわけでもなく正月くらいしか帰らないので、自立はできている方でしょうか。とはいえ、親が高齢になって(自分も親の年齢になって)、親の気持ちがわかるようになって、少し距離が近づいた気がします。
53才 東京都 既婚 女性

今から思えば進学でも就職でも、うちの両親は全く干渉しませんでした。当時はよその両親との比較などしたことなく、こんなものだと思って成長してきましたが、考えればいい意味では子供まかせ、別な意味では、放任主義だったようです。これは私も継承し子供に対してはどちらかと云うと放任主義でしたが、今はそれぞれ遠隔地で世間並みに勤めています。子供には、親には一切構うなその分貯金せよと厳しく云っています。
82才 北海道 既婚 男性

親の思いとしては、子供はいつまで経っても子供なのだろう。父は、自身の考えを押し通す嫌いがあった。それが影響してか、進学もベストとは言い難い状況に追い込まれたことがある。後に、自身に非があったとしても面と向かって謝罪することは出来ないと言われたことがあった。自分にとっては、馬が合わない大正生まれの頑固親父だったが、母は上手くコントロールしていたなぁ。
59才 福岡県 既婚 男性

会話、かなあ。普段から、何気なく会話ができて、独立してからも、相談ができたのは母親。父親とは、勤務の関係(交通機関)であまり会話がなく育ってしまったからか、普通に話すけど、心情的なこととか、趣向的なこととか、話す気にはならないし、話しても、理解してもらえると思えないですね。これは、自分が、母親と同じ性であるから、というのもあると思う。
51才 東京都 未婚 女性

期待が大きかった長男と、大ケガをしたことがある弟との間の女の子で、余り手をかけてもらえなかったと思う。女の子の方が喋るのが早いのに、「まんま」や「ぶうぶ」といった幼児語は全く発せず、口がきけないかと心配したそうだが、それは兄と弟に手がかかって、私に話しかけなかったからでは?!と、今では思っている。お金に不自由はしなかったので、可もなく不可もなくという感じである。
47才 神奈川県 既婚 女性

小さい時からお母さんと一緒に行動することがおおかったからお母さんとの方が仲が良い。よく怒られたけど、いつも私が困っていたときや落ち込んだ時は強い見方になってくれて支えてくれた。病気、怪我をしたときは人一倍心配して看病してくれた。本当に信頼できる人だから。
29才 東京都 未婚 女性

私は父母のかなり遅い子供です。もう亡くなりましたが、いろいろな意味で強い父親でした。いちばん偉大と思うエピソードは…。現場監督だった父、下請けさんにやくざさんと関係のある方がいました。その方は『あしをあらいたい』と切望していて、父が話をつけに行きました。出かける時に「お父さんは帰ってきたらなくなっている指があるかもしれない。」と私たちにも心構えを促してから出かけていきました。(オトシマエ。の時代でした。)かなり遅い時間になるまで帰ってこなかった父。やっと帰ってきたらお酒くさい。お酒は好きじゃなかった父。顛末は…にらみ合いが続いた後、気に入られてしまい一杯やってきたようです。少し心臓が弱っていてお酒を飲んではだめだった父。飲んできたのは自分のためではなく…。古き時代のイイ男だったのでは。と今も思います。
44才 東京都 未婚 女性

親元を離れ、自分で働くようになった事がきっかけだったと思います。小さい頃からお母さん子だった私。中学の時、母が出て行き、父と祖母との生活になりました。ちょうど高校受験で、たまにしか母と会えないのが辛く、父が嫌いでした。高校2年の時、家事をやってくれていた祖母が亡くなり、その時から、父親が朝早く起きて私の朝ご飯やお弁当を用意してくれるようになりました。でもその時は思春期という事もあり、まだ父親を好きにはなれませんでした。親元を離れてやっとで親の大切さに気付き始めました。二十歳を過ぎてたまに帰省すると、お酒を飲んで二人で一緒に話すようになりました。これから親孝行しようと思い始めた矢先、父は他界しました。孝行出来ず後悔する事ばかりですが、働いている姿を見せることが出来て良かったと思います。
25才 宮城県 未婚 女性

私は商家の長男で、それほど成績も良くなく、父は家を継ぐものと思っていたらしい。ところが、突然、自分の好きだった別な専門性の強い仕事に転じて、一筋に安定した生活を得ることができた。幸い仕事の跡を託せる人はいたが、父は、かなり落ち込んで、私は事実上の勘当状態、田舎の家には数年は入れなかった。その後20数年たって、「商売は難しい」と一言、跡を継がないでよかった、とまで言い出した。その時、父の気持ちがわかって、感謝の気持ちを持つようになった。死んだ後も供養を欠かさないでいる。
69才 東京都 既婚 男性

父親は物心ついた時から「別に住んでいるもの」と思っていました。大人になってからようやく両親の離婚が成立しました。結婚する時に戸籍を取り寄せたら、世帯主の父は再婚して戸籍から抜けており、私一人が残されていました。結婚式に招待しませんでしたが居所は連絡しました。しかしそのまま何の音さたもなく最後まで行きました。その時も連絡もありませんでしたので、「私は捨てられたのだ」と思っています。
57才 兵庫県 既婚 女性

子供の頃、父親は海外航路の船員で家に帰って来るのは年に1〜2度位でした。帰ってきても、いつも酔っ払っていて、しょっちゅう殴られていたので父親のことは大嫌いでした。大人になってからも最後まで父親とは深く付き合う事はなかったけど、あの怖かった父が母に全く頭が上がらない姿を見て、なんとなく親しみを感じてました。母親は子供の頃から大好きだったので最後まで関係は良好だったと思います。
54才 新潟県 未婚 男性

父親は少年時家の都合で里子に出され、又私が子供の頃は兵役召集、シベリアで長期抑留等で、復員してきてからも経済的に苦難の連続で家庭を作り楽しむ余裕がなかったためか、最後まで子供と溶け合う時期が無く、父子間の心の交流が無く、話し合った記憶が全くない親子だった。対し母は父の不在時子供たちを守り、自身幼児教育者だったため、筋の通った人生を教え込まれて、父との関係を越えて私は人生を踏み外さなくて済んだ。唯、最後まで母親は父親の暴力的支配に悩まされていて、子として母親にあまり援助をしてやれなかったことは両親がしんで0年以上経った今でも心残り。
76才 千葉県 既婚 男性

最も大切なことは親子とは唯一無二のかけがえのない存在であるという自覚を持ち合うこと。どんな時も守り助け合う一番信頼できる存在が親子であると認識することで、互いに尊敬や思いやりなど温かな心が生まれる。方策としては同じ時間を共有する、互の意見を尊重し合う民主的な関係を構築することが良好な人間関係を持てる最大の要因だと思う。小さい頃は、休日は必ず家族で旅行をしたり、遊園地、動物園、映画、観劇、音楽会など、可能な限り同じ時間と経験を共有することができたし、中学生になってからは、ひとりの別の人格として意見を尊重してくれた親にとても感謝している。
56才 東京都 未婚 女性

父親は、私が小学生の時、いわゆる「蒸発」して母親と私たち兄弟を残してどこかへいった。母は苦労して私たち兄弟を育ててくれた。父は私が社会人になって、再婚したいからと言って、離婚届を持って母のところへ来た。なんか小説のストーリーみたいですが…それでも、小1の時夏休みの宿題を一つ忘れたことに夏休み最終日に気づき、殴られて泣きながら宿題を仕上げたこと。その翌年?の誕生日に、グローブを買ってくれていて、朝起きたら枕元にあったことなど記憶はありますね。
53才 鹿児島県 既婚 男性

子供の頃から常に親の言いなりになってきた。思春期に反抗(不登校)したら「(こんなことをするのは)自分の子供ではない」と言われた。従う楽さに慣れて自己主張してこなかったことが要因だと思います。子供は親の所有物ではないと早い時期に分からせておくことが重要。痛みを伴っても闘わねばならないときがあるし、親だろうと嫌いになってもいい。と、知らなかったことも要因だと思います。
33才 山口県 未婚 女性

高校生までは考えが古い明治、大正生まれの両親とは合わないと思っていましたが、親元を離れて就職して困った時、嫌になった時には、常に両親に電話をして愚痴っていました。その度に帰ってこいと言ってくれる両親の言葉に、逆に反発して、帰ってたまるかと翌日から奮起してた思い出があります。両親は私の性格が分かっているから常に優しい言葉をかけて、逆に奮起させてくれていたものと、今から考えるると思います。そして今年が定年です、両親に感謝です。
60才 千葉県 未婚 男性

特別なエピソードはありませんが要因は、父は職工と米農家の兼業でした。兄二人は家を離れてそれぞれの道を選んでいました、だから私は必然的に幼い頃から百姓の手伝いをさせられました。小学、中学、高校と通い学びながら父母と共に農業に精を出しました。戦中戦後の農家の青年は皆同じだったと思います。幸い映画館に映写技師として就職、従業員の親は無料をいいことに、農閑期には両親が劇場に来て映画を楽しむ姿がありました。
78才 北海道 既婚 男性

父親は長生きは無理だと自己判断した時に同居を呼びかけて来て、私が応じました。父親は感謝しており、半年ほど同居して亡くなりました。母親はその後20年ほど生きましたが共働きの私たち夫婦を支え、子育ても手伝ってくれました。「三人共働きだ」と言う前提で、彼女が死の床に就くまで毎月5万円給料(お小遣い)を支払いました。喧嘩もありましたが、良好な関係の中で家族みんなに看取られつつ亡くなりました。
74才 京都府 既婚 男性

子供の時から、親からの自立、独立なんかありゃしない。親に育ててもらって、その親が生んだのが悪いのどうのという気にもなれない。何でも感謝、そうすれば、良好で当たり前。良くない方に理由があると思うんだけれど。(とは云ってもそうはいかない人もいるか。)私自身は、父親とも母親とも特にこれと行ったことが何もなかったことが良好の理由かな。けれど、やっぱり別人格、全く何もないという自信もないので、まぁまぁ良好ですね。
62才 群馬県 未婚 男性

自分は 小学校3年の時に母の連れ子として継父と生活が始まる。1年後女の子が生まれる。必然的に私は必要のない子になる。母も自分が可愛いので継父のする事には逆らわない。高校卒業までは我慢しようと決め、それからも色々あり 19才の時に家を出る事を申し出ると 今まで育てるのにどれだけ金が掛っているのか。と言われ、中学1年から 独立する為に色々とアルバイトをして隠し持っていた200万円(今から49年前)を叩きつけて それからは一切没交渉。
67才 兵庫県 既婚 男性

父親については、僕が子供の頃、仕事が非常に忙しく、平日は朝食時に顔を合わせるだけでしたが、休日には時々一緒に色々なことを経験しました。また母親については、学校の勉強についても「学校に行くのはあんた。あたしじゃないとよ」と言って、自力で調べ、考えるように仕向けてくれたことを通して、両親とのつきず離れずの距離感が培われてきたことが良かったのではないかと思っています。
51才 福岡県 未婚 男性

父は私が5歳の時に妻と五人の子を捨てて浮気相手と出奔し行方不明になりました。それがもとで母は病に倒れ亡くなり残された私たち子供は離散し、家庭は崩壊しました。父の消息が判ったのは、それから五十年以上経って東京の区役所から届いた死亡のお知らせ」に依ってでした。区が立て替えた「火葬料の十数万円を持って遺骨と遺品を取に来るように、とのことでした。私にとって「父」というものがどういう存在なのか感覚的に全く理解できないので、死んだ事を知らされても何の感情も動きませんでした。あれから三年経ちますが涙の一滴もこぼれてきません。それで改めて分かったのは、私は父に対して恩讐の欠片さえ持たずに生きてきた…ということです
60才 埼玉県 既婚 女性

私と弟が子供だった頃は今の私たち家族と比べて生活レベルは超貧しかったことを覚えています。そんな中で両親は子供たちには世間並までは届かなくてもと考えてくれて三輪車、自転車、野球グローブなどを買ってくれました。(中には中古品も含みますが)限られた少ない収入の中で自分たちは後回しに考えてくれた両親に感謝しております。
62才 東京都 既婚 男性

父は、私が高校3年の時に、脳溢血で入院しその後退院しましたが、後遺症が残った為、亡くなるまでまともな話が出来ずじまいでした。その分母とは励ましあい頑張ってきましたが、母も痴呆症になり亡くなりました。しかし私の両親は立派に私を育ててくれたため、今私があるのだと感謝をしております。もっと若い時代に楽しい思いを作ってあげられたらと常に反省する次第です。
63才 奈良県 既婚 男性

正直な話、昔は良好ではありませんでした。私には勉強のできる姉がおり、私もエリート校へ行かせる考えが強かったのか、試験の点数が悪いとかなり怒られました。叩かれたり、物を投げつけられたり…。今でも自分の考えは言えないので良好かどうかわかりません。でも、親孝行したいとか家族旅行したいとか考えている私がいるので、まぁまぁ良好にしました。
25才 長野県 未婚 女性

父親に育ててもらった記憶がないから。自分は外で働いて養ってやったと思っているかもしれませんが、我が家は父の収入が少なく、祖父母が農業をしていたり母も外で働いたりしたおかげで食べてこられたのだから、父の稼ぎだけで大人になれたわけではない。むしろ祖父母になら育ててもらった覚えがある。父の休日(母は月に3日、それも平日のみしか仕事が休みの日がなかった)にどこかに連れて行ってもらった思い出もない。誕生日を祝ってもらった覚えもない。父は朝食をとらずに出勤するギリギリまで寝ていて、夜は夕食の時間までに帰ってこないので、親子のコミュニケーションがなかった。貧乏で、クラスのみんなの家にはあって、うちにはないものが多かったため、いじめられた記憶はある。父の不注意で危うく死にそうになったことはある。父親と関係が悪い原因は2000文字では言い切れないくらい沢山あります。
34才 静岡県 未婚 女性

私は、中学を出てから、専門学校に入学して寮生活になり、就職も両親に相談もしなかった。 その会社も、社員寮にはいり、本当に盆と正月に帰るだけになり少し距離ができたのかも? あまり意識は意識はしていなかったが。 ましてや、結婚も相談はしていないからね(苦笑い) 決定打はこれだと思います(少しは反省しているよ)。 しかし、人生は私のものだからね、仕方がないね。
51才 千葉県 既婚 男性

中学時代から親元を離れていたこともあって密な関係ではなかった気がする。父親は「進学して自活していけ」とだけ言い黙って見守ってくれていた印象が強い。ありがたかった反面もっと意見や考えを言ってほしかったとの思いを抱いていた。その思いから自分の子供に対しては進学や就職など重要なことには積極的に意見をいいサゼッションしてきた。母親の晩年は近くにいて頻繁に行き来をしていたが考え方の違いもあって意に沿えないことも多かった。
73才 北海道 既婚 男性