印象に残っているW杯 1位は「1994年」で30%という結果

印象に残っているW杯 1位は「1994年」で30%という結果

印象に残っているW杯 1位は「1994年」で30%という結果

「どの試合も特に記憶に残っていない」を除くと、総計の1位は「1994年(アメリカ開催/ドーハの悲劇により予選敗退、W杯初出場を逃す)」で30%、次いで「2002年(日韓共同開催/トルシエ監督/決勝トーナメント初戦でトルコに負け、敗退)」で24%、3位は「2010年(南アフリカ共和国開催/岡田監督/決勝トーナメント初戦 PKでパラグアイに負け、敗退)」で21%でした。

■40代、50代はドーハの悲劇がとても印象に残っている?
年代別で見ると、30代以下の1位は「1994年」ではなく「2002年」、一方60代以上は2位が「2002年」ではなく「2010年」と年代によって差が見えました。また、40代、50代は「1994年」を30%以上が選択しており、ドーハの悲劇がとても印象に残っているようです。

私は「2002年」だなー。学校の最寄駅が青いユニフォームの人であふれかえって、通学がすごく大変だったのを覚えてます(´Д`;)

アンケート実施日時:2014年5月30日〜2014年6月5日/有効回答数:4,694

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日韓共催の年、日本のユニホームを着ている友人と駅のホームにいると、向かい側のホームにいた似たような格好のグループから「ニッポン!ニッポン!」とエール(?)を求められたため、友人はノリノリで「ニッポン!」と返したけれど、どちらも引っ込みをつけられなかったようで、かつそんなときに限って次の電車が来ないので数回「ニッポン!」をやりとりしたあとどちらも黙って目を反らしてなかったことにしようとしていました。
44才 東京都 既婚 女性

う、うぅ…これは気まずい…(^∀^;)笑 W杯みたいなイベントって、すっごくテンション上がるけど、ふと我に返るときありますよね…。。
調査団編集部: カワンヌ副団長

1994年のW杯決勝の日は、仕事でサンパウロにいました。試合は夜でしたが、昼からは外出禁止令が出ていました。ホテルの部屋にいて、テレビを観ていなくても、ロビーから試合の盛り上がりは察しられ、ブラジルの優勝が決まった瞬間は、ホテル内外から怒涛のような歓声!危険回避のため、高層階に滞在していましたが、眼下の住宅街のそこここから打ち上げ花火が上がり、火災にならないか心配でした。一晩中、町中が大騒ぎしていました。翌日は、サッカーの話さえしていればみんなニコニコで、負けたらどんな空気だったかを想像するに、全然違う観点から、勝ってよかったと思いました。
52才 東京都 既婚 女性

確かに勝った時の盛り上がりは、逆を返せば負けた時…ぞぞっとしちゃいました。本当に勝ってよかったですね ( ;▽;)
調査団編集部: マリカナ団長

ドイツ大会のときだったか、娘に日本代表のユニフォームを買ってもらったのが、今は宝物です。
67才 千葉県 既婚 男性

ひゃ〜素敵なエピソードです(≧▽≦)4年に1回、そのときのことを思い出せますね♪
調査団編集部: カワンヌ副団長

確か2002年。当時フランス系企業で働いていました。フランス本社から所属部署の長(つまり上司)が出張で来て「1人でホテルで観るのは寂しい。皆でフランス対ブラジル戦が観たい」と言うのでスポーツバーに。フランスのいい場面で「おー!」と喜んだ私達一行(4名)に店中から白い視線が!!なんと私達以外は店内全ブラジル応援団。超・アウェー!!フランス人上司にとってはすごく印象的な出来事だったらしく、後々まで「あのアウェー感はすごかったよね」とその夜の事を楽しそうに話してました。
47才 東京都 未婚 女性

日韓大会の時、電話でもネットでも取れなかったチケットですが、ダメもとで応募した懸賞で当選しました。2枚しかないチケットに夫が行くのは決まりですがもう一人は誰が行くかで家族会議。長男がサッカーの試合を90分間飽きずに熱心に見るようになったので、当時小2だった長男が行くことになりました。サイドの4列目とピッチに近い席で、目の前を駆け上がるクラウディオ・ロペス選手の速さに大興奮だったそうです。長男は今も楽しくサッカーを続けています。私も見に行きたかったなー。
50才 茨城県 既婚 女性

2002年の日韓共催、横浜のプレスセンターでサポートの仕事をしてた時の事。中東のある国の記者から今日中に写真が欲しいとの要望が来て、著作権が面倒くさいので私が撮影して届けたら、当人もう宿泊先のホテルに帰った後だった。仕方なくホテルに届けに行ったら、今度は当人外出中。仕方なくフロントへ伝言と共に預けてきた。「外人相手は疲れるゼ」なンて思ってたら。次の日その記者からメールが。わ!クレームか?と思ったら「こんなに配慮してくれるのは日本人だけ、ワンダフル!」という内容でした。さらにこの記者、帰国後私宛に「ぜひ我が国にお越しください」という手紙と感謝のプレゼントまで贈ってくれた!結局訪問は丁重にお断りしたけど、このくらい日本人なら普通だと思いつつ、そこまで感謝するのはあなただけだと思いつつ、W杯と言うと、いつもこの事を思い出します。
48才 東京都 既婚 男性

日韓開催の時、ポーランドvs韓国戦を新大久保の焼肉屋で観戦(見たかった訳ではなくお店がテレビをつけていた)していました。 酔っぱらった友人が名札がどう見ても韓国人の店員さんに『韓国、負ければいいのにね。 ポーランドにはフィーゴがいるんだから韓国に負けるなんてありえないし。 奴ら汚いし』と言い出した時は冷や汗が出ました… それ以来、W杯の試合を飲み屋で見る事はしていません。 スポーツは気持ちよく観戦したいものです。
47才 東京都 未婚 女性

TVとかサッカー中継とかで番組変更しちゃうからうっとうしい!!渋谷の交差点でサッカーの応援の人たちがタクシーやなんかに上ったりして大騒ぎしたって前回のW杯でしょ。。。こういうのって正直ニュースなので見ても腹立たしい。またこういったことが起こるのではって思うと家で一人で盛り上がってればいいのに!って思う、、、。だって、あの時のタクシーの運転手とか客はそれはそれは恐ろしかったと思うし。やっているやつらは何とも思っていない。警察だってあの人数だとほとんど検挙とかしようとしない。あんなに人が大勢で奇声をあげているだけで恐怖すら感じるんじゃないの。。。
40才 東京都 既婚 男性

我々は一番ラッキーな世代なのかもしれない。なぜなら本大会出場は夢のまた夢→あと一歩で本大会出場→念願の初出場→本大会には出て当たり前、と言うあらゆるシーンを実体験できたから。後は、ベスト8の常連→(自他共に認める)優勝候補、そして初優勝、私の目の黒いうちに、こうあってほしいものだ。
61才 神奈川県 未婚 男性

日本のゴールシーン!! 近所の家からも一斉に歓声が上がる‥が‥地上波を見ている家と衛星放送を見ている家で時差が生じる
58才 埼玉県 既婚 男性

ベッカム人気絶頂で、Wカップ時にお披露目された新ベッカムヘアーが世界で大人気となったとき、当時のブラジルのスーパープレイヤー・ロナウドも新しい髪型でWカップに臨んでいましたね。あの「しとしとぴっちゃん」を彷彿とさせる髪型、全く人気にならずスルーされまくっていましたが、密かに大好きでした。(▼こんな髪です)
43才 神奈川県 未婚 男性

ドイツ大会開催時、購入したテレビゲームの特典でついてきたサムライブルーのバンダナと、その代表ユニフォーム姿がかわいくて衝動買いしてしまった熊のぬいぐるみ。この二つが、我が家で代表を応援する際の欠かせないグッズ。今年も人間と2匹の熊がテレビの前で応援します。
44才 北海道 未婚 男性

正直…サッカーはルールも良く知りません(よく走るな〜って印象です)でもスポーツ観戦は好きなのでテレビに向かって「今ゴールできたでしょう…」なんて生意気な事を言っています。ルールを知ってる家族からは「無理だし!」「翼(キャプテン翼)じゃないし…」って言われました。
48才 愛知県 既婚 女性

スペイン大会の時に、大学の先輩達から外出先なのでテレビ中継が見られないから家に行っていいかと電話があり…OKしたら…10人位来て我が家がスポーツバーのようになった
53才 東京都 既婚 女性

「スポーツ観戦のほとんどは野球」派です。サッカーもたまに見ますが、個人的には、サッカーはW杯に限ると思っています。たまにテレビでやっているときだけJリーグを見ますが、たいてい眠くなって、後半には寝てしまいます。しかし、W杯の決勝トーナメントの各試合は、だいぶ違います。負けてもあとがある場合があるグループリーグと異なり、一発勝負ですから、選手の気合いも違います。ただでさえレベルの高い選手たちがそれこそ全力を尽くしている試合ですから、おもしろくないはずがありません。だいたいは日本が絡んでいない試合ですから、中立の立場で冷静に見ることができます。今回も楽しみにしています。
51才 千葉県 既婚 男性

1994年のW杯に向けての予選で、最初は日本重視では無く外国代表の凄さ!と…そしてイケメン探しでもあり、見ていた!その時にまだ注目されていなかったベッカムを見つけて…「あの美青年は誰?」的に見始めたのが、きっかけ^^;)でも、日本はドーハの悲劇以来だんだんと力をつけていった!今は日本に優勝!してほしいけど、やはり外国選手との技術的な所やメンタリティ、スタミナ不足がまだまだ足りない!と思う。でも応援は、あったりまえにする〜!!ガンバレニッポン!
42才 東京都 未婚 女性

中国にいたが、ホテルなどでみなさんが日本を応援して下さった事を思い出す。
67才 東京都 既婚 女性

ドーハの悲劇のとき、小学生だった娘と、何かの用事で東京に出てきていた弟の3人で、我が家でテレビ観戦していました。敗退が決定した瞬間、3人とも大きな溜息。その弟も、今はいません。若くして亡くなりました。ワールドカップの時期になると、あのとき歓声をあげていた元気な弟を思い出します。
58才 東京都 未婚 女性

w杯を迎えてから、日本のおもてなしがみんなのものになった。勘違いしている人も多いけれど、ただ上手に接客することがおもてなしみたいに思わないで、電車の中で場所を譲るとか人が多いところでスマホをみないとか、基本的なことを学ぶ機会になるといい。世界のカップを見て。あの時のような。
48才 東京都 既婚 女性

思い出というか、いつも思うことなんだけれど、日本代表の盾をあしらったマークに違和感あり。西洋騎士じゃないんだからさ。ここは日本風に兜や「のぼり」をあしらって欲しいと思う。個人的には石田三成の「大一大万大吉」なんかが好きですけれど、負け組だし…いやいや、それどころか兜やのぼりをあしらった日本代表徽章なんて、少なくとも私が生きている間には実現しないだろうなぁ。
49才 大阪府 未婚 男性

TV観戦だけ50年、カメラワークも、画像も、音響も良くなり、まるでスタジアム、ビールとつまみでのTV観戦も熱く盛り上がります。
60才 千葉県 未婚 男性

2002年日韓大会の日本vsベルギー戦を観戦に友人の現役Jリーガー2人(久野智昭、寺田周平)と共に埼玉スタジアムへ行ったのですが、2人に気付いたのはスタジアムで中継していたテレビクルーだけでした。あの日、子供のように燥いでいた寺田選手が6年後日本代表に選出され、同じ埼玉スタジアムのピッチで代表のユニホームを着てプレーした時は感動しました。
53才 神奈川県 既婚 男性

2002年開催時には、フォリナーが多くいる研究所に勤務していたせいもあり、休憩スペースに置いてあるテレビをつけっぱなしにしていました。研究所長自らが試合の動向を気にしておられ、時には休憩スペースに足を運び歓声を挙げておられたので、みんなで楽しめていました。みんな大人なので、自国の勝敗はいろいろでしたが、ケンカはせずにすみました。
50才 京都府 未婚 女性

2002年の日韓共同開催の時の事です。地元で試合が開催されるという事でチケットを取ろうと頑張ったのですが抽選に外れたり、売り切れたりという事で結局手に入りませんでした。しかし、試合当日テレビで見たところ観客席はかなり空いた状態でビックリ。あんなに頑張ったのに何で手に入らなかったんだろうとすごくガッカリさせられました。
46才 宮城県 未婚 女性

子どものころ、キャプテン翼が大好きでした。翼くんのようにW杯に熱かった三浦カズさんが選ばれなかったことは、非常に残念でした。
39才 福島県 未婚 女性

2002年の日韓大会、私の街でも開催されました。スウェーデン対ナイジェリア戦のチケットが当選し見にいきました。信じられなかったです。何がというと、目の前でW杯の試合を観戦している自分がいるということです。私が高校生くらいまでサッカーはマイナーなスポーツでしたし、話題に上ってニュースになるのはイングランドの一部の暴力的なサポーターの事件でしたし。開催中は幸せでした。もう一度、日本で開催してもらいたいです。

高校生の時、「運動をやってもいいが、集団競技には入ってはいけない」という医師の診断書で、体育の授業に変則的なドクターストップがかけられました。ところが、時の体育教師はサッカー大好き人間で、サッカーは授業のメイン種目。私に回ってくる役割と云えば、「競技集団から離れていれば、走り回るのはいいんだよね」で、常任審判員。選手として競技に入れなく(つまらないという思い出)ても、やっぱりボールを追ってコートを走り回らなければいけないので、運動量だけは選手同様でやはりクタクタでしたけど。W杯等でサッカーが盛り上がってくると、なんとなくながら族でもTVのサッカー中継を見ていないと落ちつかないのは、この思い出なのか、トラウマなのか。
63才 群馬県 未婚 男性

マスコミが「ドーハの悲劇」といったネーミングをして話題にしたが、実際は、ひたすら守りのゲームをして終了間際に同点とされただけで、ラモス以外の選手は、大変なことになってしまった、とかいったポーズをして、悲しさのアピールをすることだけに時間を費やして、さらに点を入れて勝とうなどとは、一切しなかったことが印象にのこっている。
59才 大阪府 既婚 男性

2002日韓W杯の時、当時「死のグループ」と言われたF組のチケットをペアで入手出来たので、この際だ!と、飛行機代や宿代、その他諸々全部自分持ちで、親孝行よろしく、父を連れて行くことが出来たのが思い出に残っています。父は元々野球派なのですが、サッカーのこともある程度勉強していたようで、ワールドレベルのプレーを楽しんでくれました。

ある特定の期間のみ限定であったが、W杯の関連イベントとして3大テノール(ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス)のコンサートを行っていた時があった。90年代にオペラファンだったのでW杯が「日本に来たら、3大テノールが一同に会するところが見れるなあ」と思ったことがある。日韓共催の時、どっちでこのイベントを行ったのだろうか?「3大テノール」もパヴァロッティが亡くなり、ドミンゴ、カレーラスも高齢になってしまったので、今となっては無理な話というしかないのだが、1回、直に聴いてみたかった。
42才 静岡県 未婚 女性

「ドーハの悲劇」。。その瞬間を、ポータブルテレビ(古;)で観ていましたが、野外にも関わらず、思わず絶叫してしまいました(笑)
45才 埼玉県 既婚 男性

2010年南アフリカ大会、デンマーク対日本戦を、オーストラリア・ケアンズ・グレードバリアリーフ停泊中のダイビング用クルーザーで、3時前後に、南アフリカ出身のスタッフと二人でテレビでライブ観戦。本田と遠藤のフリーキック得点に歓喜。南アフリカスタッフより「デンマークは、自国出身の代表監督しか起用しないので、国内リーグ戦レベル止まりで、国際水準まで、中々進歩しない」とのコメントも有り、楽しい国際交流が出来ました。翌日のダイビングも楽しく、誇らしく、出来ました。
55才 神奈川県 未婚 男性

エジプトに住んでいた頃にフランス大会があって、時差が少ないので、テレビで予選・決勝の全試合を見た。フランスのアナウンサーに相馬が「そば」と呼ばれるくらい日本チームは無名だったが、中田の活躍で一躍注目を集め、中東やヨーロッパで日本人が皆「なかーた」と呼ばれるようになったことを覚えている。
55才 東京都 既婚 男性

昔、主人の同級生がサッカー選手でオリンピックに出たので大ファンなのです。でもW杯ではいつも残念の連続です。主人の夢は日本が世界の強豪を倒して、感激の万歳をすることです。夢が叶うまでは死ねないが口癖。 という訳で私としては 準優勝ぐらいでたくさんです。長生きしてもらわなくてはね。
71才 埼玉県 既婚 女性

浦和美園(2002スタジアム)で、しかも選手控え上のスタンド10列目あたりで観戦したベルギーとの初戦。鈴木選手の足先から放たれたボールがゴールに吸い込まれるシーンが、まるでスローモーションのように見えたこと。この日本が初めて勝利した試合は、今でも脳裏に焼き付いています。そして、私もテレビ中継に映ってました。
54才 東京都 未婚 女性

南アフリカW杯。遠藤選手のフリーキックが決まった瞬間、親でも兄弟でもないのに嬉し過ぎて泣いた。人生初めて、早朝の号泣だった。
50才 大阪府 未婚 女性

カズが最終的に代表から外れた時のいろいろな議論が印象的でした。でもいずれにしても、あれは間違いだったのではないでしょうか。サッカー人気にもう一段のブースターをかけるのに失敗したと思います。公式論にこだわる代表監督では競技の発展・盛り上がりは難しいのではないでしょうか。その点でザッケローニはやはりサッカー先進国の人ですね。
69才 兵庫県 既婚 男性

W杯の最高のプレーは何と言っても1970年イングランド対ブラジル戦のペレのヘディングシュートを防いだゴードン・バンクスのプレーだと思います。
57才 群馬県 既婚 男性

入場の際選手が子供達と手をつないで出場するが、好きな選手と手をつなぎたいと思ったので、なぜ大人が出場してはいけないかと疑問があり 周りに聞いたら笑われた。
72才 東京都 未婚 女性

W杯を初めて見たとき、日本のサッカーが子供のレベルに思えたこと。
60才 三重県 既婚 男性

フランス旅行中に、ニースでフランスが優勝し、メインストリートが、革命の様に騒々しかったこと。
61才 福岡県 既婚 男性

思い出やエピソードはありませんが、昔は遠い別世界と思ってテレビで見ていたサッカーが、20年ほどで飛躍的に普及して身近なスポーツとなり、日本人選手が海外の一流リーグで普通にプレーしていることに驚きます。
52才 大阪府 未婚 女性

私自身はサッカーに興味がないのですが日韓共催当時、オーナー社長の小さな会社に勤務していて、その社長がJリーグチームのサポーターになったりで熱心なサッカーファンでした。Wカップのチケットをなんとなく見せたり嬉しそうにしていたのに観戦後は感想もなにも「行った」とも言わないのがとても不思議でした。負けたんですかね。不機嫌とか気落ちというふうでもなかったです。その後その会社は消滅しましたがWカップと聞くとその時の社長の様子を思い出します。
65才 大阪府 未婚 女性

ストイコッビッチという素晴らしい選手を初めて知った。まさか日本に来て、さらには監督までやるとは想像だにしなかった。
52才 愛知県 未婚 男性