「ごちそう」と聞いて、約6割が思い浮かべるのは「高級な食事」

「ごちそう」と聞いて、約6割が思い浮かべるのは「高級な食事」

「ごちそう」と聞いて、約6割が思い浮かべるのは「高級な食事」

総計で見ると、1位は「高級な食事」で59%、2位は「自分の大好物」で47%、3位は「来客などをもてなすための料理」で40%、4位は「旬の食材が使われた料理」で39%、5位は「手間のかかった料理」で38%でした。

■男性より女性の方が、手間がかかった高級な料理を好むよう
男女別で見ると、「高級な食事」「来客などをもてなすための料理」「手間のかかった料理」「コース・会席料理(一品ずつ出てくる)」「行事食(おせちなど)」の5つは、女性が男性よりも10%以上高くなっていました。男性より女性の方が、なかなか家で食べられない手間がかかった高級な料理を好む傾向にあるようです。

男女で差が出ていて面白いですね。女性の方が、ごちそう=お高い食事ってイメージが強いのかな。私はごちそうというと、まっさきに大好物の「丸○屋のとり釜めしの素」でつくったご飯が浮かびます…あんまり高級じゃなかった(笑)

アンケート実施日時:2014年8月29日〜2014年9月4日/有効回答数:4,514

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月並みですが、子供の頃のごちそうと言えば、母が作ったカレーライスです。ルーは市販のもの(米国の某州の名前がついたカレーです。)でしたが、何か足しているらしく、大人になってから再現しようとしても全然再現できません。母に聞いても、「それは企業秘密よ。」とか言われていまだに教えてもらえません。具は、根菜を中心に大きめのものがごろごろ。ご飯もきちんと固めに炊かれていて、まずいと思った記憶は全くありません。親を心配させるほど食が細かった私でしたが、母のカレーには食いつきが良かったらしく、大体週一で作ってもらっていたはずです。週一でごちそうだなんて、ちょっと贅沢でしたかねぇ。
52才 千葉県 既婚 男性

うんうん、私もごちそうは今でも母の料理です(*´▽`*) カレーも、本当におっしゃる通りで、市販のルーなのにそれと同じルーでも家のとは違うんですよね。母は偉大です♪
調査団編集部: マリカナ団長

母の実家に行く途中、繁華街の食堂で家族4人で食べた鍋き焼うどん。吹雪の寒い日に、あったかくて優しい美味しさでした。でもね、幼い私の分は母とふたりで一個。子供心に沢山食べたら母のが無くなってしまうと思った記憶があります。戦後の貧しい時代に田舎の農家に嫁いで随分苦労した母。実家に帰るのは年にお正月とお盆の2回だけ。その楽しみな実家に帰る途中のごちそうでした。
58才 東京都 既婚 女性

吹雪の日の鍋焼きうどん…! 絶対おいしいやつだー!(;▽;)子どもながらの気遣い、いいエピソードだなぁ…と感動しちゃいました。
調査団編集部: カワンヌ副団長

デパートのレストランで食べるお子様ランチ。オーダーするときの電子端末の普及やグルメブーム、嗜好の多様化などが原因で、すっかり見なくなった「大型食堂・食券」のスタイル。その食券購入も今では自動販売機が当たり前だが、その頃は駅の窓口のように店の入口で買った。店内もフロアが広くて、厨房から料理を持って出てくるウェイターを観察しながら、「今度はうちのところかな?」「あっ、あの料理はうちじゃない」などと順番を待っていたのを懐かしく思い出す。
44才 北海道 未婚 男性

デパートのレストランって子どもの頃は特別な場所でしたよね〜! ワクワクして、いつも食べないようなものが出てきて、楽しかったな〜(´▽`)
調査団編集部: マリカナ団長

もともと鶏肉が大好物だった子ども時代。クリスマスや誕生日といえば、骨つき鶏のもも焼きがごちそうナンバー1だったのですが、ある日、グルメの叔母が『ポージョ・アルバロ』なる若鶏の蒸し焼き(塩釜焼きに近い土で包んで焼いた鶏の丸焼き)を買ってきました。それ以来、それがごちそうの最高位になりました。今でも、もしも死ぬ前になにか一食といわれたら絶対『ポージョ・アルバロ』。
53才 東京都 既婚 女性

子供の頃のごちそうと言えば、まず思い浮かぶのはお花見の弁当です。この日だけは重箱の中に巻きずしはもちろん、卵焼き、りんご、かまぼこなど日ごろは食べられない料理が並んでいました。後はヒョウタンの形をしたガラス瓶に赤や緑の色をしたニッケ水を買って貰えました。その瓶が空になっても捨てきれず、また水を入れて飲んでいた哀しくも恥ずかしい時代でした。(^_^;)

濃い目のカルピス。小学校低学年のころ、うちの母が作るカルピスが一番濃いと評判になり、学校帰りに我が家の玄関前に級友の行列が出来ていて驚いた記憶がある。担任の先生まで飲みに来たのには、もっと驚いた。
52才 千葉県 既婚 男性

終戦後、物がない時代に卵を食べたくてもなかなか手に入らなかったが、卵焼きを母が作ってくれた時はこんなに美味しいものがあるのかと感激して食べた思い出があります。
73才 神奈川県 既婚 女性

子供の頃は紀州和歌山で育った。当時のごちそうといえば秋のお祭りの時しか食べられなかった「なれ寿司」(さばを笹によく似た「あせ」で包んだ腐れ寿司)が想い浮かぶ。家内も紀州の隣町出身なので「なれ寿司」が大好物という点では一致している。名古屋に住む様になって50年近くになるが、この近辺では「なれ寿司」が手に入らないので、毎年秋のお祭りの時期になると2人で近くの知多半島まで出かけ「あせ」を刈って来て家内手作りの「なれ寿司」をいただいている。食事中はいつも、子供の頃はどうだった、という様な話で2人で盛りあがっている。
72才 愛知県 既婚 男性

おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、裏山で自然薯を掘りました。何時間かかけて大人の身長くらいの長いのを掘り出し(大人3人がかり)、とろろご飯を食べました。濃いとろろに、チャボの生みたて卵の黄身だけいくつも入れ、刻みのりもたっぷり。炊き立てごはんに、とろろ汁をかけて、醤油をさっと回しがけて…美味しかったです!あの時、みんなで一緒に掘って食べて笑ったすべてが、美味しい思い出です。
37才 茨城県 既婚 女性

北陸では、冬のブリが何よりのご馳走だった。日本海あまり魚種は多くなく、紅ズワイ蟹は取れすぎて肥料にされるほど。(本ズワイは高かったよ)。今でも塩の道の途中にある家々では、ブリ正月としてブリのお頭を神棚に祭る風習が残っているほど。一匹数千円からするのでお正月しか食べられなかったのです。養殖ものが手に入るようになってからは少し安くなったのですが、まだ技術が劣っていて、あまり美味くなく、ブリのご馳走としての評価が急落したのが印象的でした。
70才 東京都 既婚 男性

幼稚園に行く前ですから、もう20年以上前ですが、私の家の近くの宅配ピザ屋がオリジナルで出していた「ミートソーススパゲッティピザ」が子供のころはごちそうでした。ピザの上にミートソーススパゲッティがぐるぐる乗っているそのままな代物でしたが私も母も大好物で、まさにごちそうの名にふさわしいものでした。チェーン店が台頭してきてその店も閉まってしまいましたが、どこかのチェーン店で再現してくれないかな……。
24才 神奈川県 既婚 女性

極端な云い方をすれば、我々の子供の時代は、今普通に食べているものが、全てご馳走だったと思います。普段はご飯に味噌汁と漬物だけの「一汁一菜」で、ライスカレーがたまに出れば、これがご馳走でした。今子供達に誕生日に何食べたいと聞いても、普段食べているものばっかりで、特に食べたいものはすぐには浮かばないようです。滅多に食べられなかったお寿司など、住宅街近くの回転寿司(これが最近はけっこう高級なネタが置いてあり、マグロの解体ショーをやったりで、本職の寿司職人が握っています)に普通に行っていますし、何をもってご馳走なのかイメージの湧かない贅沢な時代になったような気がします。
83才 北海道 既婚 男性

私が子供の頃、家族と一緒に出掛けたデパートの大食堂で食べる「お子様ランチ」が最高のごちそうでした。一つのプレートに彩りよく盛られたお子様ランチは、母の手作りの料理とは一味違った、子供のハートをわくわくさせるぬくもりと楽しさがありました。今は亡き両親の思い出も重なり、想い出すたびに懐かしさで胸がいっぱいになります。ごちそうというものは、高級食材を使っていることとは必ずしもイコールではなく、いつ、誰と、どんなシチュエーションで食べたかということも重要な要素になっているような気がします。胃袋以上に「こころ」が満足してこそ「ごちそう」なのだと思います。
52才 神奈川県 既婚 男性

いちごミルク:誕生日が6月のため、子供のころはいちごが出盛りで(60年前)どんなごちそうよりうれしかったものです。だんだんハウス栽培が主流になって6月にはもうお店に出ることがなくなりました。同時に、値段もどんどん高くなって、家族全員がいちごミルクを食べると、ほかの兄弟が目当てにしていたステーキどころか、チキンの丸焼きも買えなくなってしまい、以後哀れ私の誕生日に私の大好物は食卓に上がらなくなりました。なんたる悲劇!
73才 東京都 既婚 女性

出前の握り寿司!ボクの小学生の頃は、回転寿司はもちろん持ち帰り寿司もありませんでした。ある日、大きな桶?に数人分の寿司を注文。ボクは良い気になって次から次へと食べまくりました。翌朝、お腹からプロパンガスのような変な臭い(気のせいか?)が逆流すると共に激しい腹痛。近所の人の車で掛かりつけの医院へ搬送してもらいました。ただの食べ過ぎだと言われましたが、あの苦しさは今でも忘れられません。でも握り寿司は今でも大好きなごちそうです!!
56才 埼玉県 未婚 男性

池上線沿線に住んでいましたが、子供のころのごちそうは、父のボーナスが入った時に家族で蒲田や五反田に行って、カウンターで握りずしを食べることでした。父が働いているからこそ食べられる、母の家族への思いやりがあるから食べられる、本当に「ごちそう」でした。もちろんウニやイクラや数の子や「時価」と書かれた高いものを食べましたが。そういう意味でも、「ごちそう」は「真心のこもったもの」との気持ちが強いです。
63才 千葉県 既婚 男性

今では考えられない事だと思われるが、数十年前の田舎町では牛肉がとても高価だった。我が家は三世代同居ということもあり、和食中心でそもそも肉類が食卓に上る事はほとんどなく、年に1、2度食べられる、牛肉と野菜を牛乳で煮たシチューのようなものや、豚肉を使ったすき焼きはぜいたくなごちそうだと思って育った。安価で手軽に入手できるようになった今でも、牛肉を使用した料理はごちそうだと思っている。
45才 京都府 既婚 女性

故郷は割合海に近く、何か神社の祭りなどがあると、具だくさんの祭り寿司が出た。父はそれを何よりもご馳走だと言っていた。しかし、自分はその中の酢魚がどうしても好きにはなれず、それよりもまるまる一尾の鯛の塩焼がありがたかった。また、母の実家は山で、行くと伯父は、よくすき焼きしてくれた。これは、なかなか家では肉が出ないので、このうえないご馳走だった。
54才 京都府 既婚 男性

普段のお味噌汁は具が3〜4種類ぐらいだけど、秋になると旬の野菜やイモ類が沢山入ってとても甘くて(野菜の甘みです)美味しかったのを覚えています。今は普通に一年中野菜がありますが当時はその季節しか食べれなくてイモの入ったお味噌汁は本当に甘くて美味しかったな〜…お味噌汁として食べてたけど今思えば鍋の様な感じで、家族みんながおかわりをするので大きな鍋で作ってましたよ!
48才 愛知県 既婚 女性

母の手作りシュウマイと手作りケーキ。シュウマイは天才的においしかった。今はお肉が食べられなくなってしまったので作ってもらうことはないけれど、母のシュウマイは日本一おいしいと今でも思う。何個でも食べられた。お肉のチューリップも見た目が豪華で必ず誕生日やクリスマスには出てきたし、ごちそうとは言えなかったけれど、グラタンが私の大好物でした。あぁ懐かしい。
39才 東京都 未婚 女性

小学生の頃、初めて親戚のおばさんに連れられてデパートのお好み食堂に行きました。注文を聞かれ、「かつ丼」と答えましたが、おばさんは「にぎり(特上)」の方が高級だと思っているらしく、しきりに変更を促してきました。しかし、私は「かつ丼」に固執しました。50数年後の今でも、ごちそうは「かつ丼」です。
63才 東京都 既婚 男性

昭和の後半…お正月に、母が作ってくれた『茶碗蒸し』が想い出の一品です。家内工業的に仕事をしながら、三人の子を育てていた母は、いつも忙しくしていましたまだ我が家には洗濯機が無かったので、家族の洗濯だけでも時間がかかって大変だったはず…お正月だけは時間があったのでしょう、手作りの茶碗蒸しは私にとって何よりのご馳走でした
56才 奈良県 既婚 女性

母が卵白で作ってくれた「あわゆき」というお菓子です。おまつりや誕生日など我が家のイベントの際に最後に出てくるデザートです。それが食べたさに嫌いなものがあっても食事を残さずに食べた記憶がいまでもよみがえります。
72才 広島県 既婚 男性

ここだけの話、僕のお袋は料理が上手じゃなかったけど、事あるごとに作ってくれた「いなり寿司」がご馳走でした。一般的に食べられている「いなり寿司」のように甘ったるい味ではなく、どちらかというと酢の利いた「しょっぱさ」を感じながら食べる「いなり寿司」です。大人になった今でも時々作ってもらうことがありますが、箸が止まらなくなる感覚は昔のご馳走のままです。
50才 長野県 既婚 男性

50年前の話で恐縮ですが、舶来物の菓子類。ビスケットやチョコレートなど。当時の日本人は海外旅行が禁じられ、特別な理由が無ければ日本から出られない時代。ラッキーな事に隣にアメリカ人が住んでいて、私の母親が、今でいう所のママ友となった為、アメリカ土産を色々と頂いたらしい。今でもイギリス製のクッキーの味は思い出す事が出来ます。
54才 埼玉県 既婚 男性

仕事を掛け持ちしていた忙しい母。なので料理は自分の作りなれた田舎料理ばかり。けれど年に1、2度、仕事先から雑誌のレシピベージを持ち帰り作ってくれた。印象に残っているのは、「お正月のご馳走」特集のエビ料理。海老大好きな母は、奮発して大きな海老で作った。海老があまり好きでない私だが、母の嬉しそうな顔と頑張りに応え、「美味しいっ!!!」と食べたっけ。
50才 千葉県 既婚 女性

母の実家に行くとお婆ちゃんがタッパーいっぱいに作ってあった寒天菓子。フルーツ入りで適度に甘くて家で母に言っても手間がかかるからと言って作ってもらえなかった。お婆ちゃんに会った時だけ食べられたご馳走でした。今は自分で作ります
46才 千葉県 既婚 男性

ボクらの世代はなんと言っても「メロン」でしたね。風邪を引くか骨折でもして入院しないと食べられないご馳走でした。次がウナギかな?親が外食が好きで良く連れて行ってもらいましたが、ウナギはお客さんが来た時とか、親類一同が集まった時など、大きなイベントがあった時に必ず食べる事ができたご馳走でした。
61才 愛知県 既婚 男性

おせち料理で母が作っていたリンゴ羹。リンゴのすりおろしで作る寒天ですが、半分は赤ワイン(赤玉ワイン?)で赤くして花型で抜きます。今思えば、たわいもないお菓子ですが、紅白できれいなのと、普段は絶対作ってくれなかったのとで、お正月気分が盛り上がりました。
50才 鹿児島県 既婚 女性

母手作りの「おでん」「すき焼き(それ程高級な肉でもなし、溶き卵などなし)」。特におでんは、我が家のお袋の味です。後日、成人してから作ったサークルの忘年会を我が家で開催し「おでん」の部「すき焼き」の部と母に面倒を掛けて楽しく過ごした事を思い出します。勿論、母も楽しみにしてました。
67才 東京都 既婚 男性

敗戦直後のことで、トンカツなどは高級料理。よく母親が作ってくれたのはクジラのカツでした。「今日かクジカツか!」とちょっとがっかりしながらも揚げものですから喜んでました。ところが年月が経つとトンカツとクジカツは見事に立場が入れ替わりましたなあ!
75才 京都府 既婚 男性

子どもの頃、母が作ってくれた卵スープ。昭和40年代、味噌汁が当たり前の食生活に、たまに卵スープが出てくると嬉しかった。ふんわりした絶妙な卵の舌触りと、スープの暖かさは、絶妙な塩加減。平凡だけど、私にとっては唯一無二の味でした。
53才 宮城県 未婚 男性

1960年代生まれなので、カレーに肉ではなく魚肉ソーセージが通常はいってましたが、肉(鶏、豚)が入るとごちそうでしたね。
54才 福島県 既婚 男性

信州生まれです。何てったって「おやき」が一番、それも母親の手作りがベスト。いつも帰省の度に作って待っていてくれました。その母親も亡くなって母のおやきの味を継いだ者はいません。今でも夢の中で味わうばかりです。
74才 埼玉県 既婚 男性

義母が時間をかけてじっくり炒めた「おから」です。味はすき焼きの後に残した汁で味付けします、義母亡きあと真似して作っていますが自分ではまだ追いつけない味だと思っています。
75才 東京都 既婚 女性

自宅に桜の木があり、桜の季節にはよく母に簡単なお弁当を作ってもらいお花見をした。そのお弁当、いま考えると普通のおかずばかりだったかもしれないが、当時の自分にとっては何よりのごちそうに感じた。
46才 埼玉県 未婚 男性

昭和21年に小学校に入った私にとって、何も混ざっていない白米のごはんがごちそうでした。生卵を割って醤油をたっぷり加え、いわゆるたまごかけごはんなら、申し分なしのごちそうです。
74才 群馬県 既婚 男性

子供の頃、両親に川へ連れて行ってもらい、石を積んで流木を燃やし、丸ごとの「ハム」を焼いて食べたことが御馳走の想い出です。どこかの、ハムメーカーのCMにありましたよね?!
49才 奈良県 既婚 男性

その頃は何とも思ってなかったが今では御馳走と呼べそうなのが、古い座卓をくり抜いて七輪を嵌め込み庭先で食べたジンギスカン鍋の締めに、残り火で焼いた庭のとうきび。
66才 北海道 既婚 男性

幼馴染みの家庭と我が家で土曜日の夜に集まって、食事会をよくやってました。そのときは子供たち(4人)プラスワンコの好物を母親たちが作ってくれたので、土曜日はご馳走!という印象がいまだにあります。
44才 東京都 未婚 女性

食糧難時代の育ちです。鮨と言えば ”巻き寿司”と”いなり寿司”しか食べたことが無かった時に握り鮨を初めて食べる機会が有った。世の中にこんな贅沢な物が有るのかと思いその美味さは文字道理生まれて初めての御馳走だった。
70才 大阪府 既婚 男性

父が作ってくれたカレーライス。母が病弱でよく寝込むと父が作ってくれました。野菜など具が小さく切ってあって、丁寧に作ったんだなぁ…と子供心に思いました。おいしかったです。今は両親共は亡くなりましたが、手先が器用だった父らしい几帳面なカレーでしたね。
63才 大阪府 既婚 女性

御馳走と言えるかどうか判りませんが、子供の頃(半世紀以上前です)に今は亡き母親が作ってくれた”ミルク・バナナセーキ”の”サイダー”割りでした。風邪ひくと当時は問答無用で”ペニシリン注射”を打たれたものでした。そのご褒美として飲ませて貰えました。
62才 神奈川県 未婚 男性

給食にでる揚げパン。いつものでかいコッペパンは、冷たいしパサパサだし、パンの分量に対してマーガリン(バターではなかった)はちっとも足りてないしで、ほとんど残してましたが、揚げパンの日は、それだけでもパクパク食べることができて、いつも完食でした。
52才 大阪府 未婚 女性

まだ世の中は貧しさが残っていた時代、「外食」いうのは「ごちそう」に通じました。デパートの食堂で何か食べるのも「ごちそう」でしたが、特に、旅行に行った先の旅館で食べる夕食は「ごちそう」の極みでした。刺身や煮魚などが机に並んだ壮観は頭に焼きついています。ただ、味は良く覚えていないのです。
65才 大阪府 既婚 男性

たまに行くデパートの大食堂での食事がごちそうでした。きっぷのような食券買って、半分に切ったのを渡されるのが楽しみでした。食べ物は何食べたか覚えてないんですけど、毎回クリームソーダを頼んでは、帰り道気持ち悪くなって戻してたのは鮮明に覚えてるんですよね。
48才 大阪府 未婚 男性

クリスマスに食べる鶏の骨付きモモのオーブン焼。漬け置きするなど手間がかかるのでクリスマス以外には作ってもらえず、特別感が増したのだと思いますが、モモ肉の骨の部分を手で持ってかじりつくというお行儀の悪いことをしても許されるし、子供の頃の私にとっては「ごちそう」でした。
47才 大阪府 既婚 女性

豚肉入りカレー。きちんとカットできていないのか故意なのかわからないが、ビロ〜ンと長細い状態の肉がたまに混じっていたが、それが入っていたら、長い=大量ということでアタリの感覚だった。当時の自分の認識は、カレーは豚肉であって牛肉入りは「ボ●カレー」だった。
48才 愛知県 未婚 男性

子供の頃はハンバーグとエビフライが御馳走!外食先でお子様ランチ以外で、その2品が一皿に盛り付けられているのを初めて見た時は嬉しさを通り越して感動した。今でこそファミレス等でも普通にある組み合わせですが、25年以上前の田舎では皆無の組み合わせでした。
35才 秋田県 未婚 女性

カニですね。子供の頃、親がかに道楽に連れてってくれて、初めて食べるカニに兄弟3人夢中で食べた記憶がある。その光景を見ていた親に「子供達にとってのご馳走はカニ」とインプットされたらしく、未だに何かの行事にはカニが出てくる。
45才 神奈川県 未婚 男性