道具を使わない屋内の遊び、50%超えで人気はしりとりと指相撲

道具を使わない屋内の遊び、50%超えで人気はしりとりと指相撲

道具を使わない屋内の遊び、50%超えで人気はしりとりと指相撲

総計で見ると、1位は「しりとり」で54%、2位は「指相撲」で50%とココまでが50%超え。次いで3位は「腕相撲」で38%、4位は「あっち向いてホイ」で35%、5位は「にらめっこ」で34%でした。

■約6割の40代が「あっち向いてホイ」で遊んでいた
年代別で見ると、「あっち向いてホイ」は40代で約6割と断トツの人気。「アルプスいちまんじゃく」や「軍艦じゃんけん」「ビームフラッシュ!」は30代以下と40代に、「いっせーのイチ」や「ブルドッグ」「マジカルバナナ」は30代以下で人気など、全体的に30代以下と40代は屋内で道具を使わないで行う遊びをいろいろ体験したようです。

男女別だと「腕相撲」以外は全部女性の方が高かったです。そういえば教室で男子が腕相撲してたなー。でもクラスの中で1番強いのは女子だったんですよ。笑>▽<

アンケート実施日時:2014年10月3日〜2014年10月9日/有効回答数:5,194

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私の親戚たちは集まるのが大好きで、イベントごとに集まってはお酒飲んだりごはん食べたりするんですが、ごはん後いつもトランプ大会が始まります。大人も子供も一緒になってババ抜きやらやるんですが、負けると罰ゲームでシッペ(一抜けが叩く人、以下二抜け三抜けと手を重ねていく。除けるのも可)されるんです。それも結構なガチな力でw 私一番年少+鈍いのでいっつもシッペされたもんです。ちなみに今もやられっぱなしですorz
40才 兵庫県 未婚 女性

あぁあ、痛い…(T▽T) シッペ上手い人いますよねー、なんでそんないい音なるのか!っていうくらいの。もう少し手加減してくれてもいいんですよー(涙)。
調査団編集部: カワンヌ副団長

小学校高学年で男子なのにリリアンで紐を編んで遊んでいた。クラスで流行ったのだろうと思う。何人もの男子が机のまわりに集まって編んでいる写真が残っているので間違いない。作った紐を何に使ったのだろう、今思うと気色悪い。
68才 埼玉県 既婚 男性

リリアン! すごく懐かしいです〜! 私もよくわからない紐を延々と編んでいましたが、確かにあの編みあがったものはその後どうなったのかな〜(・▽・)
調査団編集部: マリカナ団長

小学校の時に、お手玉が流行り、みんな自家製のお手玉を持ってきてました。様々な布を自慢しあったりしてましたが、おじいちゃんのステテコで作られたものも… でも、一番の出来事は、友人の中身が砂利のお手玉(自分で作ったらしい)。重いし痛いし…しかも、布が耐えきらずに敗れてしまって、砂利が散乱し、先生に叱られて大掃除させられました。
55才 福岡県 既婚 女性

おじいちゃんのステテコで作ったお手玉。笑(^▽^)いろんな布にいろんなものを入れて作るんですね。そういえば小豆とか入れたお手玉を持ってたかも!わー、懐かしい!
調査団編集部: カワンヌ副団長

靴下隠しは友達の家を丸々使う遊びで、各々10分以内に自分の靴下を隠し、自分以外の靴下を両方数多く見つけたものが勝者となる遊びです。ただ絶対ルール「捜した直後に元に戻す」があり、今の整理整頓の基礎になっています。
47才 栃木県 既婚 男性

中学1年の頃、毎日昼休みに探偵ごっこ(けいどろ?)をやっていた。ルールは校舎から出ないこと。僕はいつも階段を上っていき一番上のどん詰まりのところにある程度の時間隠れることにしていた。ある日もそこに隠れていると、だれかがだれかを追いかけている足音がだんだん近づいてくるのが分かった。ああ、探偵がこっちに来る〜やばい〜、よしこうなったらギリギリまで引き付けて急に姿を現し探偵が驚いている隙に逃げ出そう、と思って、タイミングをはかって急に姿を現し、ついでに大声で大笑いしてやったら、全く知らない人たちだった(爆死)。その人たちはあまりに驚いて階段横に積み上げられていたベニヤ板などの上に吹っ飛んでいた。僕は「やっちまった〜」と思いつつも、恥ずかしいのでそのまま大笑いしながら逃げるように階段を降りて行き、探偵にすぐ捕まった(苦笑)。
46才 埼玉県 未婚 男性

小さいころ、よく解ってないのに親の真似をして、囲碁や将棋をしていた。将棋は、単なる駒の動きを覚えるとそれだけに集中し、王様の事など忘れて、笑われてたのをおぼえてる。囲碁も、ただ碁石を並べるだけすぐに囲まれて負けるのに、又しようと言ってた。
77才 大阪府 既婚 女性

アルプスいちまんじゃくをどれだけ早く出来るかを争うのが小学校低学年時代に女子の間でブームになり、夢中にやっていた女子の1人が息を吸うのを忘れてしまったのか、ひきつけを起こし呼吸困難になり遊びは禁止になりました。
42才 青森県 既婚 男性

1960年代生まれですが、子供の頃に野球盤やサッカーゲーム、魚雷船ゲーム、ボウリングゲームなど、室内でするゲーム機器が出た頃で、友達がみんな違うゲームを持っていて、色々な友達の家に行って遊んでいました。
54才 北海道 未婚 男性

メンコ(僕らの間では「パッタ」でしたが)は無敵を誇っていました。なんと隣の小学校から遠征してきて挑まれるほど。もし受験科目にパッタがあったなら、私はMITやハーバードにでも入学できたでしょう。惜しかったです。
43才 神奈川県 未婚 男性

基本、おもちゃは最小限でしか買ってもらえなかったので、自作した。鉄道模型もパワーパックが無かったので、ゴミ捨て場の家電から部品をとって直流電源装置をつくって走らせていた。ときどきショートして火を噴いたが、修理もできたので問題なかった。
46才 北海道 未婚 男性

遊び相手もおもちゃもないので、父親が帰ってくるまで百科事典を意味がわからなくても最初から読んでいった。父親が帰ってくるまで小学1年生からアナログ回路、小学5年生からデジタル回路の勉強と設計をしていた。父親が帰ってきたら、半田付けをした。大学を出てコンピューターメーカーに就職したら、新人なのに一番パソコンについて詳しくて、Windows以前のパソコンで基本設計をした。
50才 東京都 未婚 男性

小学校5〜6年頃、体育の授業で、男女分けずの相撲を時々したが、その年代は女児の方が大きく、女児に負けることも度々あった。今時は男児と女児が取っ組み合いをさせる事はないのだろうが、60年程前はおおらかであった。
69才 神奈川県 既婚 男性

小学生の頃になると、インベーダーや平安京エイリアンなどの単体で遊ぶゲーム機が登場し、それらに夢中になることが多かった。ゲーム機技術も発展途上で、まだゲーム上の「上限スコア」が存在していた時代。たまたまその日は絶好調で、MAX9999点の初到達が見えていた。ところが…あと少しというところで友達から電話が。この機を逃したら次があるかどうか分からないと感じていたので、母に「今忙しいから後で」と叫んだが、結局無理やり電話口まで引きづられ、最高点はお預けになった。今思うと、後から折り返してかけ直す事も可能だったはずで、ただゲームを止めさせるために引きずり出されたのではないかと思っている。
44才 北海道 未婚 男性

妹と2人兄弟なので、夜は2人で遊んでいました。ちょっとしたことがおもしろくて、おしゃべりや食事時のできごとに良く笑いころげて椅子から落ちていました。今から思うと何がそんなに楽しかったのか、懐かしいですね。
56才 千葉県 既婚 女性

ある時クラスでベーゴマが流行った。生徒の技術は拮抗しており、ゲームはいつも白熱していた。その流行を聞きつけた担任の先生が「禁止」でなく「混ぜて」と言ってきた。先生は「大人」で「達人」。あっという間に我々を撃破、いつしか戦局は「先生」対「生徒」の図式に、しかし先生は我々に技術を伝授してくれたので、先生に勝つ生徒も出現。女子まで参加し、ついに授業をつぶしで大会を開くまでになった。いつも厳しい先生が、この時だけはベーゴマに夢中。その姿を見て私たちは、先生との絆が深まったと感じたのであった…。
49才 東京都 既婚 男性

屋内遊びというかその時流行っていたのは牛せんめくり(牛乳のフタを重ねてめくる遊び)その日の給食でみんな1枚は持っていて、強い子はクラスの半分くらいの牛せんを勝ち取りフタを積み上げて自慢気でした。その為に爪を少し伸ばしてる子もいましたよ!
48才 愛知県 既婚 女性

低学年位のまだ、男女関係なく遊んでいた時、女の子の家では女子主導の遊びをしていました。おままごとは、父・兄弟役にあぶれた男子はだいたい犬か猫。着せ替え人形は、女子が着せて、男子が脱がす…いつもケンカが勃発していました。
53才 東京都 既婚 女性

今回のアンケートの趣旨とはズレるかもしれませんが、『屋内での道具を使わない遊び』にラインナップされているのは、実はお風呂でよくやりました。小学校3年生くらいまで父親とお風呂に入っていましたが、湯船につかっている時だけでなく、体を洗っている間もしりとりやなぞなぞ、「わたしは誰でしょう?」(クイズの一種)など、ほとんど毎晩のようにやっていました。自分が大人になった今になって振り返ると、父は本当によく付き合ってくれたな〜と思います。
47才 神奈川県 未婚 女性

屋内で遊ぶのは雨の日くらいなもの。学校の廊下鬼ごっことか、教室にあった掃除用具で野球。ホウキのバットに雑巾のベース、ボールは誰かが必ず持っていた。ボールがない時は女子のお手玉借りていたが、さすがにお手玉ではキャッチボールしか出来なかった。先生に怒られたら、あきらめてノートに漫画描いて、それにあきたら鉛筆のさいころでノートに描いた双六。女子のゴムとびに付き合ったり、そのゴムでパチンコ作って射的。ホウキを利用して弾はチョーク。牛乳瓶のカミのふたで即席メンコもやった。器用な奴は消しゴムで怪獣を彫っていた。何体か借りてウルトラマンごっこもした。屋内で遊ぶのはどれも厭きやすくてわずかな休み時間で色々やっていた。こうして思い出してみると私の場合、屋内イコール教室。遊び相手に事欠かないので学校は好きだった。
59才 宮城県 既婚 男性

屋内での遊びというと「レゴ」につきます。同じマンションの友達も持っていて、お互いに持参して遊びました。遊んでいるときにパーツを貸し借りして、混ざって判らなくなりそうなものですが、お互いに自分のパーツは覚えていて、ちゃんと分けて帰っていました。
48才 東京都 既婚 男性

子供の頃は遊び道具が少なく、段ボールに絵を描いて遊んでました。今思うと、何だか「暗い子?」「おたく?」って思いますが、唯一屋内で遊ぶアイテムでした。そのDNAなのか、わが子はダンボールで何でも造ってしまいます。(汗)
49才 奈良県 既婚 男性

小学校の頃、なぜか「とんこめん(小さ〜いめんこ)」が教室内でブームとなり、お菓子の缶に、クラスのみんなで使える、とんこめんがクラスごとにありました。又、母親手作りのお手玉も一大ブームとなった時もあり、パッチワーク風の鮮やかな色とりどりのお手玉を母親に作ってもらった子がヒーロー、ヒロインでした。
53才 神奈川県 既婚 女性

家の中では一人で本を読むことが好きな子でした。長い廊下の突き当たりに、児童文学などを収めた本棚があり、その前が読書の定位置。そこにいると時間を忘れました。母が定期購読していた「主婦の友」も愛読書。今、思い出しましたが、近くの親戚宅では、自宅に従業員用の宿泊部屋があり、彼らが読んだ週刊誌用の本棚がありました。遊びに行くと、その本棚までこっそり行って大人の世界を覗き見。週刊誌の連載小説の「一糸まとわぬ」という表現にドキドキしてました。ませた子でしたね。
58才 東京都 未婚 女性

箪笥の隙間や足踏みミシンの板の下とか風呂敷やシーツをひっぱり出してきて、テント替わりにし、隠れ家を作って、そこに潜んでいました。本人は隠れたつもりだったのですが、実は当たり前に見えてます。子供ってバカですよね!
63才 大阪府 既婚 女性

幼稚園生くらいのとき、祖父母の家の中で従兄弟達とかくれんぼをして遊びました。私は隠れていたのですが、なかなか見つけてもらえず、そのうち従兄弟達は他の遊びを始めてしまいました。それで自分から出て行ったのですが、実は見つけていたのに、「どこに隠れているんだろう?見つからないね。」などと言いながら、けらけら笑っていたらしく、とっても悲しくなりました。人間社会の厳しさを知った瞬間でした。
49才 鹿児島県 未婚 女性

天気が悪い日など友達と遊べない日は、良く祖父母と遊んでいた。祖父からは将棋を教えてもらい、祖母からは遊びながら料理を教えてもらった。未だに玉子焼きの味は祖母の味そのままです。テレビゲームなどない時代、人と関わりながらの遊びや創作した遊びなど今思うと内容の濃い豊かな時代だったと思います。
50才 山形県 既婚 女性

マッチのラベル(?たぶん)を机の上に置いて、手のひらでパン!と返し、返したものを取るというような遊びがあったと思いますが、何という名前だったか覚えていません。雨降りの休み時間には必ずやっていました。いろいろなデザインのラベルを集めて悦に入っていました。
62才 神奈川県 既婚 女性

いつも近所の仲のいいお兄さんの家に遊びに行って、プロレスごっこの最中に高く重ねた布団の上に乗っかって、ロープ最上段からの空中技のマネゴトを楽しんでいた。そして、いつも誰かが技の痛みで泣かされていたことをおぼえている。
56才 福岡県 既婚 男性

その当時、仮面ライダー1号・2号の時代でカード付きスナック菓子がはやっていて集めたカードを友達と見せ合ったり、交換したりと楽しかった。その当時は、カードを手に入れるとスナック菓子を捨てることが多くて小学校で問題となった。
52才 北海道 既婚 男性

小学生のころ、一時的に「おはじき」が流行り、休み時間になると机の上でみんなで対戦をしていた。初めは10個くりのおはじきであったが、次々と対戦に勝ち、かなりの数を所有していた。あるとき、巨大なおはじきを持ってきた友人がいたが、相手のミスで机から落ち、自分のものになった。
52才 群馬県 既婚 男性

人形遊び。幼い頃起こすと目をあける大きな人形が怖かったが、成長とともに大好きなお友達になった。洋服を着替えさせたくて、母が私のために編んだセーターをはさみで人形のサイズに切って着せていたらものすごく怒られた。
54才 兵庫県 既婚 女性

学研の「科学」は本格的な実験キットが多く科学への興味を大いにそそられ、親に頼みこんで試験管とかフラスコとか本物の実験道具を買ってもらい、色んな実験(今にして思えばマネゴト)をして科学者になった気分を味わっていたのがいい思い出です。
51才 神奈川県 未婚 男性

紙の着せ替え人形は家族構成になっていて、家はお菓子の空箱を使いいかにうまく組み立てて台所、家族の部屋、両親、自分、兄弟、と作ったものです。人形は予め少し厚めの紙に切り抜くように印刷されており、洋服なども好みのものを買って着せかえたりして、友達と物語を好きなように作って遊んだものです、今考えるとあんな単純な遊びに良く夢中になれたなーと感心します。
68才 東京都 既婚 女性

クラスで、スーパーカー消しゴムをノック式ボールペンのノックで弾いてレースをしたり、一番机の端まで走らせたほうが勝つチキン・ランを流行らせました。愛車はプラモデル用塗料で細部まで丁寧に塗装していたので、勝負に負けて勝者に取られると悔しかったですね。
48才 岐阜県 既婚 男性

年上の従姉妹としりとりをした時、私が全部答えてしまうので悔しがったらしく、いつまでたってもおしまいにしてくれないので、すごく困ったことがあります。最後に気がついてわざと間違えた答えをしてやっと終わりになりました。
73才 東京都 既婚 女性

群馬県人は、小学生には「上毛かるた」が県大会まである大事な遊び、必死になって練習した。「いろは…」に託して県内の名所地勢、出身の偉人等を自然に覚える地域教育にもなっていた。(ついでに「いろは四十八文字」も覚えないとちゃんと整理も出来ない。)だから、子供時代を群馬で過ごした人には、染みついて、大人になってもそらんじている。「○○舞う形の群馬県」が「つる」と云えなければ群馬県人じゃないといってもいい位。同枚数の時には、これを取った方が勝ちの大事な札です。「力あわせる○○○」は唯一時代によって○○○が変わる札で、時の人口で、昭和22年に出来たときの百六十万から変わり、今は二百万でいいのかな、今の読み札にはやらなくなって自信がない。この札を聞いてみれば、どう云うかで年代もわかります。
63才 群馬県 未婚 男性

子供のころの自作のゲームで偶然性を生み出すために、そしてその偶然性を高めるためにたくさんのサイコロを使った。やがて大人になって当時流行りのコンピュータゲームをはじめてプレイした時にその演算能力のすごさに唖然とした。子供のころにコンピュータが身近にあったらなあ。
57才 埼玉県 既婚 男性

小学生のころ、いとこたち4人で、「禁断の言葉ゲーム」(私が勝手に命名)をした。右隣の人の「言ってはいけない言葉(禁断の言葉)」を決めて紙に書き、その人の額に貼る。4人それぞれが自分の禁断の言葉を知らない状態でゲームスタート。みんなで普通に会話をし、相手に禁断の言葉を言わせるようにさりげなく誘導する。言ってしまったら負けというルール。しかし、開始数分で一番最初に負けたのは私だった。額に貼られた紙を見てみると、「私」と書かれていた。一人称はずるいよ(泣)。お兄さんたちにハメられて悔しかった思い出。
22才 埼玉県 未婚 女性

団地に住んでいたとき、隣が同級生だった。雨の日には、最上階だったのでお互いの玄関の間の場所にゴザを広げてよく遊んでいました。同じ階段の下の階にも同級生がいて、にぎやかで楽しかった。雨の日は、階段が遊び場でした。
53才 北海道 既婚 女性

お絵描き、塗り絵などもっぱら紙に何か描く一人遊びばかり好んでいましたが、小学三年で国語辞典を使うようになってからいわゆる「難読漢字」の欄に夢中になりチラシの裏に読みにくい言葉を何十回も書いて覚えるということをやっていました。しかし言葉のチョイスがしょせん子ども、食べ物ばかりなのですね。「饂飩」「饂飩」「饂飩」「蒟蒻」「蒟蒻」「蒟蒻」「大蒜」「大蒜」「大蒜」など大量に書かれたチラシを親はどういう気持ちで見ていたのでしょう…
45才 東京都 既婚 女性

小5のとき、他の児童に暴力をふるう腕白男子がいた。私も怖くて、なるべく近づかないようにしていた。しかし、どういう行きがかりか、彼と私で腕相撲をすることになってしまった。他の児童の見守る中で、私はねじ伏せられる屈辱を覚悟して臨んだ。必死とはこのようなことだと顔も青ざめつつ対戦して、不思議なことに勝負がつかなかった。と、それ以後彼は私に一目おくようになったのだった。他の子たちは相変わらず、いじめられていた。
74才 福岡県 既婚 男性

2人で握手をしてジャンケンをし、勝った方は相手の手を叩いて良く、負けた方は自分の手を防御しなければいけないゲームがありました。 私は条件反射だけは良かったようでジャンケンに勝ったら思い切り相手の手を叩き、負けても防御が早かったのか相手の手が真っ赤になって痛みのために終了になる事が多かったです… 加減を知らなかったとも言うのでしょうか…
47才 東京都 未婚 女性

友達の父親が百人一首が得意で、取り方など教えてもらい、何枚覚えるか競争をさせられ、100枚覚えた。大人になり、百人一首をする機会が減り、ほとんど忘れたけれど、好きな句や一枚札は今でも記憶をしている。
76才 滋賀県 既婚 女性

小学生の頃画びょうを独楽のように回すのが流行りました。画鋲の針の部分を下向きにして持ち、指をこすり合わせるように投げるとうまくまわるのです。普通の机だとすぐ床に落ちてしまうのでちょっと縁のある給食の配膳台が独楽回しの舞台でした。ところがその画びょうが床に落ちていたのか「危ない」ということで禁止されてしまいました(^^;;
46才 新潟県 既婚 女性

ローメン(ふちに?のついた丸いメンコ。直径約1・5センチ)。男子も女子も熱狂したのは、ひとり一枚ずつ出して重ね、爪を上から押しつけるようにしてひっかけてひっくり返す遊び。テコの原理でひっくり返し、くっついていなければゲット(ただし、片手の指で両方に同時に触れられなければダメ)。くっついていたら、爪ではじいて離してゲット。コツは、少しずらして重ねて下のローメンをひっかける。そうすると、複数枚がうまく表面にひっくり返る。銀行の硬貨みたいに棒状に?でコーティングされているので、買ってから一枚一枚、はがすのもドキドキ。写真やイラストなど、レアものを勝負でとったり、これとこれを何枚なら交換できるかと交渉したり。学校で禁止されるほど、夢中になっていたのを覚えています。
37才 茨城県 既婚 女性

いとこたちと祖母の家で、よく宝探しごっこなどをしていました。私は一人っ子だったので、たまにいとこたちと遊ぶのがとても楽しかったです。まあ、そのうち仲間割れしてケンカになるんですが…それも含めて思い出かなあ、と。
46才 広島県 既婚 女性

友達のおじいちゃんが将棋が好きなかたでした。子供心にはたかが将棋と思っていましたが 結構なお値段だったらしいです。何人かの友達で『回し将棋』『お金』などという遊びにどんどん内緒で使いました。おばさんに見つかり そっと子供用のおもちゃみたいな将棋盤と駒を出してくれました。叱られないでよかったです。
72才 埼玉県 既婚 女性

親戚が自宅へ集まると、いとこ達(中学1年から幼稚園まで、1歳違いでそろっていた)みんなで、家の2階で「肝試し」をしていました。おばけ役の人がベッドの下やふすまの陰、2段ベッドの上からおどかすのです。いとこのお兄ちゃんですごくおどかすのがうまい人がいて、怖いけどおもしろくて、いい想い出になっています。みんなは覚えているかなぁ?
44才 富山県 未婚 女性