子供の頃 就きたかった職業 男性1位は運転手、女性1位は先生・保育士

子供の頃 就きたかった職業 男性1位は運転手、女性1位は先生・保育士

子供の頃 就きたかった職業 男性1位は運転手、女性1位は先生・保育士

総計では「特になし」の21%を除くと、1位は同率「運転手(バス、電車など)」と「パイロット・キャビンアテンダント」で13%、3位は「学校の先生、保育士」で12%、4位は「プロスポーツ選手(サッカー、野球など)」で11%、「医師、獣医師、看護師、介護師」で10%でした。

■「パイロット・キャビンアテンダント」は男女ともに憧れの職業
男女別で比較すると、男女ともに人気だったのは「パイロット・キャビンアテンダント」で男性2位、女性3位にランクイン。逆に、大きく順位に差が出たのは「運転手(バス、電車など)」で男性が1位なのに対し女性はなんと最下位でした。

私は、パン屋さんになりたかったなー! 焼きたてのパンがいつでも食べられるのに憧れてたっけ(>ω<)ちなみに、「パン屋、ケーキ屋」は総計では11位ですが、30代以下では5位と若い世代に人気の職業みたいです。

アンケート実施日時:2014年10月17日〜2014年10月23日/有効回答数:4,336

掲載情報の利用についてお問い合わせの方はこちら
https://inquiry.nifty.com/webeq/pub/news/editing

幼いころは、電車に乗ると必ず運転席の横の窓から進行方向の景色を見ていました。背丈が小さくてなかなか覗けなかったので、両親に抱っこしてもらいながら外を見ていた記憶があります。「大きくなったら電車の運転士になって、お父さんを乗せて会社にお仕事へ連れて行きたい」と親父によく言っていたそうです(笑)
46才 埼玉県 既婚 男性

それは、お父さんうれしかっただろうなー(≧▽≦)そんなこと言われたら、仕事がんばるぞ! って気合入りそうです★
調査団編集部: カワンヌ副団長

幼稚園に入園した頃は「チューリップが好きだから」というだけで、お花屋さんになるのが夢だった(早起きしなければいけない、という理由だけで早々に諦めました)。その次がサスペンスドラマの見過ぎで探偵になるのが夢になったが、小学生の時に見た特番で探偵の主な仕事が素行調査だと知りショックを受けた。
35才 秋田県 未婚 女性

ドラマの探偵と実際の探偵のイメージはちょっと違いますよね。汗w そして私もお花が好きだっていう理由だけでお花屋さんになりたかったので、親近感が(*´▽`*)
調査団編集部: マリカナ団長

ケーキが大好きなのはもちろんのこと、ショーケースに並んでるケーキの魅力に子供ごころに単純に毎日食べられると思った。
49才 大阪府 既婚 女性

わかるー! ケーキ屋さんになればケーキ食べ放題だし、パン屋さんならパン食べ放題だし、って小さいときは思いますよね(^H^)私もそうでした!笑
調査団編集部: カワンヌ副団長

筑波山、霞ヶ浦の地にあった生家には庭があり、盆栽好きの祖父が牡丹、芍薬、イチハツなどの花も丹精していました。その祖父の傍で育ち、見よう見まねで花好きになりました。ところ、中学生のころ、顔見知りの町の花屋のおじさんが「花屋は水商売だよ」と話すのを聞いて、心変わりしました。
77才 東京都 既婚 女性

親戚に船大工の人がいて、夏休みに作ってくれた船模型!荷物を入れられる精巧な作品が忘れられません。
85才 兵庫県 既婚 男性

郵便局の人は、私の好きなこと(シールを貼る、スタンプを押す、ミシン目を切る)ばかりしていると思っていたので。
35才 東京都 未婚 女性

理容師(美容師)になりたかったです。実家が床屋で仕事も幼いころから見てたし、友達の髪を結ってあげたり、少しならカットも中学の頃からしてて、「ありがとう!上手だね!」って言ってもらえるのが嬉しかった。
49才 愛知県 既婚 女性

科学者:漢字を覚え始めた小学校1年生頃からずっとSFを愛読し、ウルトラQやウルトラマンを見ていた私ですが、生来のひねくれた性格のせいか、その頃からなぜか万城目氏やハヤタ隊員になりたいと思ったことは一度もありませんでした。むしろ、なんでも魔法のように作ってしまう、なんでも知っている一ノ谷博士(ウルトラQ)や岩本博士(ウルトラマン)に大いにあこがれました。小学校3年生くらいから読み始めたホームズ物も、どういうわけか、ホームズにではなく、(数学者の)モリアティ教授にリスペクトしたりしていました。(ホームズ先生と対等に勝負できる存在としてあこがれていたんだと思います。)小学校6年の時には、決心がついていたみたいで、卒業文集の「将来の職業」欄に「化学者」と書いています。長じて無事無機化学で学位を取り、大学に職を得ることは出来ませんでしたが、企業に就職して物を作る(開発する)仕事について今に至っています。しかし、まだまだ一ノ谷博士や岩本博士のレベルには達していません。それが残念です。
52才 千葉県 既婚 男性

5歳から日本舞踊を習い、師匠の姿・形・すべてが憧れで、絶対 踊りの先生になるんだ!と小さい時より自然に当たり前に思い続けるうちに、師匠の身振りの真似からはじまり、次には、師匠の身振りに重なるように乗り移っり、最後には、自然に天から聞こえる曲に合わせて体が自由に舞うようになりました。小さい頃は、舞台に出る度に、歯が痛くなり、出番直前に歯医者に飛び込んだりして…今思うに、師匠や周りから、「上手」という期待が大きかっただけにストレス・緊張・失敗は出来ない等の重圧がかかっていたんだと思います。
65才 北海道 既婚 女性

祖父は和菓子の職人で自分の店も持っていましたが、当然自分も大人になれば何か食べ物を作って商売するものだと思い込んでいました。菓子屋を継ぐのではなく自分の好きなパン屋というところが何か子どもっぽいところですが、それでもパンは何が原料でどうやって作るものかというのは小学校に入るころには理解していました。10年前、祖父がなくなった時、職場の整理をしていたら当時の商品の包み紙が大量に出てきましたが、それを見て当時のことを思い出し、やはり私は祖父に憧れに近いものを持っていたんだと感じたのです。

「土木も建築家もダンプの運転手も女の子だからダメ」と親に言われて諦めたのが半世紀前のこと。今は女性も活躍しているので、早く生まれすぎたのだろうか。第一希望は、土木科に進んで架橋の仕事を。第二希望は、建築科を出て1級建築士になり広い屋敷を建てる。第三希望は、食物科に行って栄養士に。それでもだめなら、ダンプの運転手になる。この中で、親の許しが出たのは栄養士だけ。家政科卒で花嫁修業して親の選んだお見合い相手に嫁ぐのが親孝行の時代でした。今や「家政科」も「花嫁修業」も死語?
66才 神奈川県 既婚 女性

刑事もののドラマの影響か、幼い頃から「将来は刑事さんになる!」と言っていた私。幼稚園で「将来の夢」を先生が子どもに聞いて(保護者向けの会誌にまとめるため?)まわっていたとき、私は「刑事さん」と答えたのにも関わらず先生が「婦警さん」と書いたことに母親が大激怒!「うちの娘は交通安全課に行きたいワケじゃない!」と憤慨していました。さすがに先生へ文句を言ったりはしませんでしたが、母は未だに根に持っています。私は一連のエピソードのかけらも覚えてないですが(笑)。
24才 神奈川県 既婚 女性

戦後の復興期に小学校一年生の時の新卒の女先生がとても大きく見えました。又とても優しくて、教えるのも上手な先生でした。一方私は悪ガキ大将的な存在で喧嘩、大声、張り紙を破ったり等手をやかれていました。勉強はクラスで常に一番でした。夏休みに男女友達3人で女先生の家に泊まりに行ったり、キャンプに連れて行ってもらったり、とても良くしてもらいました。そんな先生を目のあたりにして子供心に将来は女先生のようになりたいと密かに思っていました。
68才 広島県 既婚 男性

私が子供の頃の昭和40年代は今のように自家用車が普及している時代ではなく、鉄道の最寄り駅のなかった我が家。病弱だった私は、月に一度、母親に連れられ某地方大学の医学部付属病院へ通院するための唯一の交通インフラがバスでした。乗車時間は1時間程だったと記憶していますが、川沿いのくねくね曲がる道を、大きな車体に沢山の人を乗せて、大きなハンドルを回して操るバスの運転手さんは憧れでした。
50才 埼玉県 既婚 男性

自分は体が弱く、小学生時代はろくに学校に行けませんでした。原因は不明の病気でした。自分が辛かったので、その研究をして病気をなくしたかったのです。中学生の頃から登校を始め、勉強は面白いほど頭にしみこみ、気づいたらかなり優秀。いける!と思ったのですが、医学部に入るのにはかなりの学費がかかることがわかり、親子げんかの果てに諦めました。無医村で働き、一生独身でいる覚悟でした。
63才 大阪府 既婚 女性

父親と同じ職業に就き、跡を継ぐことがあたりまえのように考えられていた。農業、自営業の家の子は家業を継いだ。教師の子は教師になった。警察官は(身内で固めたいためか)特にその傾向が強かった。私の父は警察官で、私も当然そうなることもできたし、周りにもそう思われていたのだが、結局は自分のやりたいことを選んでしまい、ひんしゅくを買った珍しい例である。
54才 兵庫県 既婚 男性

子供の頃は活発で目立ちたがり屋の子供だったので、お笑いタレントや役者になりたかったです。学芸会があれば自ら手を上げて主役をもぎ取り、クラスのお楽しみ会では友達と組んで、タレントのものまねをして笑わせたりしてました。今はさすがに目立とうしはしてませんが(笑)、人を楽しませたり、笑わすことが基本的に好きです。
45才 東京都 未婚 女性

幼児の頃から絵を書いてひとり遊びしていたらしい。小学生の頃には自分で物語を書いて絵をつけていたくらい好きだった。正義感が強かったので、婦人警官か自衛官になりたかったし、通訳や書道家などは先生に勧められたりもしたが、「生きていくために必要な事を学ぶ」事自体を親に反対されて、中学卒業から生活費を稼がされた。
61才 愛知県 未婚 女性

小学生のころ、父に連れられて当時の湘南電車に乗り、窓から前方を見た時に丁度カーブで、長い電車が緩く曲がっていました。こんな長い電車を一人で動かしているんだ!と感動して、電車の運転士になると決めました。それからは、鉄道模型や、今で言う乗り鉄、撮り鉄に没頭しましたが、普通のサラリーマンで定年でした。(笑)
70才 群馬県 既婚 男性

生物学者:5歳の時に昆虫図鑑を買ってもらって以来、動植物の採集や飼育にはまった。天文学者:小3の夏に望遠鏡を買ってもらって以来、近所の友達と天体観測をしたりした。地質学者:小2の時に友達から化石をもらって以来、家族総出でピクニックを兼ねて化石採集に繰り出したりした。
52才 福岡県 未婚 男性

幼稚園の卒園アルバムで、皆に将来の夢を書かせているページがあって、自分にはお嫁さんも含め将来の構想が微塵もなかったので、非常に困って、誰も書いていない職業を調べてそれにしました。お花屋さんでした。しかしその時もそれ以降もお花さんになりたいとは思いませんでした。
37才 東京都 未婚 女性

スポーツ選手は 当時の王、長嶋に影響された。漫画家:漫画大好きで…でも絵の才能なしでした。学校の先生:人にものを教えるのは好きだったし、父親も祖父も教師。その他:機械設計技師はプラモデル好きで将来の夢でした。これは叶いました。
55才 神奈川県 既婚 男性

漫画家の家を何度も訪問し、クラブにも入った。高校で2年間漫画研究会の会長をした。将来は、漫画家になろうかとも考えたが、結局技術屋になってしまった。
63才 北海道 既婚 男性

鍵盤楽器が得意でした。それと一緒に習っていた歌(声楽)も先生が認めてくれていたので、オペラ歌手もいいな〜と。今考えるとませた子供だったんですねw
55才 福岡県 既婚 女性

中学・高校時代ずっと演劇部に所属し、俳優(?)と舞台監督を経験しました。その頃から将来は演劇関係の仕事をしたいと思っていました。
74才 神奈川県 既婚 男性

近所のパン屋さんから、いつもパンのいい香りがしていて、おやつによく食べました。いつか大人になったら自分で作ってみたいと思っていました。
57才 埼玉県 未婚 女性

通学時に利用していた鉄道の車掌さんと仲良くなり、自分も車掌さんになりたいと思って、密かに車内アナウンスの練習などをしていました。
48才 埼玉県 既婚 女性

昭和の初期ラジオの組み立てが好きでした、戦後の新制中学生の頃、夏休みの題材としてラジオを組み立てたが、音が出ない未完成品。母親に未完成でも自分が精一杯努力したものなら自信を持って提出しなさいと激励され提出し、先生に褒められたこと。
79才 北海道 既婚 男性

好きな男の子がいて、その子のお嫁さんになりたかった。今、もう彼は結婚した。でもすごく好きで好きでしょうがなかったのだ〜。
40才 東京都 未婚 女性

母親は考えなしに希望をいうものですから、当時犬飼道子さんという才媛がいらして、あのような人になりなさい、外交官に!と5、6歳の時に言われて希望を持ったのですが、中・高と行くうちに能力の限界を感じて、出版社に。当時は女性の能力を認めてくれない時でしたので、鬱々としていました。私は手先が器用で、姉たちの髪を結っていたら、貴女は器用だから美容師になればいいと、これまた思いつきで。真面目に受け取った私は丁度、高名な女性美容家が秘書を欲しがっているというので面接したら是非と言われ、その場で髪型を変えてくれました。しかし、家に帰って報告したら、髪結いさんなんて!と言われ、無責任に言わないでよ!と大喧嘩。親の言葉は子供には影響があることをお忘れなく。お子さんをお持ちの方に申し上げたい。
57才 東京都 既婚 女性

小さい頃、「花嫁さん」というのは、選ばれた人だけがなれるものだと思っていました。「おひめさま」みたいな。
47才 大阪府 未婚 女性

小学生の頃、大人になると、というか、小学生でなくなると、みんな次第に性格が変わり、何となくまじめになって、堅苦しくてどこか息がつまりそうな世界にいってしまいそうな印象を持っていて、自分もそうなるのがとても嫌だなという気持ちを結構明確に持っていたので、将来のことを考えたくないような気分でいたと思う。ボキャブラリーは今以上に少なく、正確に表現できなかったけれど、周囲の大人が想定するよりは、異なった視点から見たり感じたりしていたと思う。それは今も変わらないが、当然ながらと言うべきか、世間的にいう成功者とはなっていない。(笑)
56才 愛知県 既婚 男性

小学5年生の時の学習発表会で何故か主役に大抜擢され、当日参観に来たクラスメイトの父親が劇団の方でスカウトされました。中学の時はタレント事務所にスカウト。キレイでも無い私。個性最重視の時代だったのでしょう。。。1番なりたかったのは脚本家。文章だけは親にも周りにも褒められ幾度となく大きな賞を頂きました。
53才 神奈川県 既婚 女性

(ありふれていますが)小学校、中学校の先生方に恵まれて、良く叱られ良くほめられました。あんなふうな先生になりたいなと思っているうちに、家の都合で違う方向に進んで早やうん年。でも、違う方向に進んでも、環境について小学生に教える講師としても頑張っています。この間は、プロの先生に「うちの学校の先生にならん?」とスカウトされました。(会社に言い訳できないので泣く泣くお断りしましたが…)
54才 鹿児島県 既婚 男性

会社経営者の家庭だったので、休日になると家の応接間も居間もどちらも社員や関係者の社交場のようになっていました。一般家庭の家族水入らずという状況にとても憧れており、社長の奥さんではなく、妻であり母だけである「主婦」という存在になろうと強く思っていました。
47才 兵庫県 既婚 女性

幼稚園の参観日、なりたい仕事を聞かれて、皆がパイロットとか言ってる中で、「大工さんか漫画家」と答えてました。どうしてと先生に聞かれて、天才バカボンのパパと同じだからと答えて爆笑されました。母親は赤面してましたが。
52才 北海道 既婚 男性

家が借家で平屋だったのでアイドルの人が親に家を買っているのを雑誌で見て、アイドルになれば皆二階建ての家が買えるんだと子供の頃は思っていたから。
49才 京都府 未婚 女性

新幹線が大好き(現在も)新幹線の運転士になりたかった。 じゃなきゃJR・私鉄を問わず鉄道関係で働きたかった。子供の頃は本当に新幹線は夢の超特急だったなぁ〜!!
55才 和歌山県 既婚 男性

手先は器用で、木工で言えば大工さんの手伝いのバイトも結構させてもらって真剣に就職の勧誘も受けましたし、裁縫でも、使い古しのジーンズを貰っては、バラしてタイトスカートやバッグを縫って売ったりしてましたし、ギターも、自前でコンサートすれば何十人か程度ですが聴きに来てくれる人たちもいてくれたりしましたし、いくつかのプロ志向のバンドから誘われたりもしましたが、どれに関しても全て趣味としか考えませんでしたね。全く職業にしたいとは思いませんでした。むしろ、ぼんやりとではありますが、普通にサラリーマンというか営業職とか販売員とかというような普通の職業につきたいと考えていました。夢とか希望とかで語るような職業には逆に興味が無かったです。
58才 大阪府 既婚 男性

TVもまだ普及していないころのこと、ラジオから流れてくるスポーツといえば野球とか相撲ぐらいだった。その野球選手にあこがれる気持ちもあって、一日中野球に興じていた。ただ、グローブなどを買える経済環境になく、ご近所のお金持ちの息子さんたちが付き合って下さることが条件なのだけれど、好きもの同士、一日中付き合ってくれた。飯も食わないでやった時もあって、途中、腹が減って体が震えてくるのを根性でこらえて、夢中に興じることでその苦痛を乗り越えた。今でも腹が減った時など時々思い出し、野球選手になれなかったけど、これほど野球を堪能したやつはいなかっただろうと思う今日この頃です。
72才 東京都 既婚 男性

叔父が警察官でした。制服、制帽がカッコよく見えてあこがれました。手錠はさわらせてもらったことがありますが拳銃には絶対にさわらせてもらえませんでした。そこで拳銃をもちたいばかりに警察官になるのが夢でした。それからおなじように当時の国鉄の制服にもあこがれておりました。
73才 広島県 既婚 男性

今思えば、家族や母親が好きだったんだと思います。子どもも大好きですし。理想の家族をつくりたくてお嫁さんになりたかったです。結婚式のドレスも着たかったのかな。夢がかなってよかったねといわれますが、高い目標をかかげていた友人たちより、目標が低いと思いますが、大事な仕事だと思っています。
56才 千葉県 既婚 女性

小学生のころは国鉄の列車の運転士や車掌にあこがれた。優等列車の乗客専務車掌はとくに夢だった。高校生くらいになってくると、かなり現実的な進路目標になってきたが、やはり乗り物関係への関心は強かったのでパイロットを目指した。当時は非常に競争率の高い狭き門だった。
46才 北海道 未婚 男性

子供の頃父方の祖母が、大変な病で亡くなった。本当に優しい良い祖母だったので、大変悲しくて、絶対に大人になったら、お医者様になり祖母のような病気を治してやろうと思っていました。残念ながらその夢は夢でおわりました。
69才 大阪府 既婚 女性

幼児の頃は「おりがみ屋さん」。その頃から折り紙折るのが好きだったから。文房具屋とかでなくて、きっと折り方の講師とかになりたかったんだとある程度大きくなってから思った。
36才 北海道 未婚 女性

小学校1〜2年生ころは絵ばかり書いていました。地面に棒で書いて通りすがりの人に褒められたりしてうれしかったです。3年ころからは歌が好きで歌ってばかりいました、でも人前では恥ずかしくて歌手は無理そうと思っていました。
64才 新潟県 既婚 女性

小さい頃、ピンクレディーが好きで歌手に憧れたり、家が貧乏だったからたくさんのお金を扱う仕事をしてみたかったので、銀行員にあこがれた時もありました。
42才 神奈川県 未婚 女性

「作家(小説家)」:作文が好きで原稿用紙2、3枚はスラスラ書けたし先生によく褒められた。ただコンクールに出すほどではなかったらしい(笑)両親も読書好きで、子供の頃から本になじんでいたことも理由のひとつかな〜。
66才 大阪府 未婚 女性

婦人警察官に憧れて受験しようと思ったが親が大反対。なっていれば人生変わったのに。今でも後悔している。
67才 茨城県 既婚 女性

料理が好きだったし、作ったものを食べさせて喜んでもらえるのがどれほど嬉しいことか知っているから。しかも料理人がダメなら医者でもいいかぁ、、、 って普通と順序が違っていた。
41才 東京都 既婚 男性