小学校のころにしていた習い事、最も多かったのは「そろばん」

小学校のころにしていた習い事、最も多かったのは「そろばん」

小学校のころにしていた習い事、最も多かったのは「そろばん」

総計で見ると、1位「そろばん」で40%、2位は「習字・硬筆」で35%、3位は「学習塾」で19%、4位は「ピアノ・エレクトーン」で15%、5位は「水泳」で9%でした。

■「水泳」は若い世代ほど多く習っている
年代別で比較すると、「そろばん」は60代以上が37%に対し、30代以下が25%と17%も減少する結果に。一方、「習字・硬筆」は、60代以上が23%に対し、50代以下ではすべて4割超え。30代以下の習い事2位にランクインした「水泳」は、30代以下で33%に対し60代以上ではわずか2%と、若い世代ほど多く習っているという結果になりました。

私は水泳とピアノとそろばんをやってました! そろばんを習う人が減っているのは寂しいですね(;ω;) 私は、手首の骨折を機にそろばんをやめてしまったのですが…(汗)

アンケート実施日時:2015年4月3日〜2015年4月9日/有効回答数:3,584

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小学校の時、友達に誘われてそろばん塾に通うことにしました。もともと、そろばんには何の興味もなく、ただただ行き帰りの友達との雑談や買い食いが楽しくて塾通いを続けていたようなもの。上達するはずもなく、塾の中では落ちこぼれ。しかし、小さい頃に学んだものは潜在的に体の奥底で覚えているものだと分かったのは、大学を出て会社勤めをしたときです。入社した会社の配属は、経理部。当時はコンピューターはまだ普及していませんでした。会社の方針で、電卓の利用も許されず、そろばんだけが計算できるツールでした。伝票の集計などの計算のをまかされた時、最初はぎこちなくそろばんを弾いていましたが、勝手に指がそろばんの珠を動かしているという状態になるまでそんなに時間を要しませんでした。人間の秘められた能力ってすごいと感じました。
55才 京都府 既婚 男性

一度覚えたことって意外と忘れないものなんですよね、人間ってスゴイ! 私ももっと小さいときにいろんなことしておけばよかったです>−<
調査団編集部: カワンヌ副団長

今ほど多くの小学生が英語を習っていなかった当時、6年生のときに英語を習い始めた。中学1年生の教科書を丸々1年早く予習したことになり、中学入学後は当然ながら英語の成績が良かった。お陰で英語が好きになり、以来、社会人になって数十年経つ今も英会話だけは休むことなく続けている。大好きなスポーツ関係の仕事に就くことができたのも英語を身に付けていたからこそ。「勉強はできなくてもいいけど(?)英語だけはしっかりやっておけ」と言ってくれた、今は亡き父に感謝している。
48才 埼玉県 既婚 女性

小学生のころの習い事が今にもつながって生きているなんて、素晴らしいです〜! お父様は先見の明があったのですね、ステキです〜。
調査団編集部: マリカナ団長

マンガからバレエにあこがれ、どうしても習いたいと自分で電話帳を調べ、それまで習っていた習字もやめると泣いて頼んで行かせてもらった舞踊教室。なぜかバレエではありませんでしたが、楽しくてうれしくて、そこは大人になって辞めてしまいましたが、別のところでまた始め、もう30年を超えました。
57才 東京都 未婚 女性

自分で電話帳を調べてまで! そこまでされたら親も断れませんね! そんなにもやりたい、と思わせたマンガも気になります^▽^
調査団編集部: カワンヌ副団長

落ち着きがないということで、祖母の知り合いのところへ裏千家の茶道を小3から高校受験まで習っていました。ある年の初釜の時に大雪の中着物を着て長ぐつでお茶の先生のところに向かう途中に知り合いの犬に飛びつかれて転び、着物は汚れ着替えるよりなく、その年の初釜の写真は祖母にはこっぴどく叱られ泣きべそかいて写真の中で一人だけ洋服の私が着物の中で浮いて写っていました。
62才 埼玉県 未婚 女性

音楽の混声合唱の時間には先生はコーラスの指導や指揮をするため、ピアノを習っている生徒が順番にコーラスの伴奏をさせられたが、私はピアノを習い始めて日が浅く、他の子のように上手に弾けないのが恥ずかしく気が重かった。ピアノの先生の所でその事を言うと先生は納得出来ない様子で、(教師用の)伴奏楽譜を借りて持っていらっしゃいと言い、私に伴奏の集中レッスンを施し、完璧に弾けるようにしてくれた。
62才 東京都 既婚 女性

ピアノを習っていましたが家ではまったく練習しない生徒でした。家にオルガンしか無かったので先生の家で練習していたようなもので、当然上達が遅かったのですが、先生が結婚で遠くへ行くことがわかってから急に練習をはじめ、急に上達したのを見た親が生ピアノを買ってくれました。その後音楽大学へ進学できたのはダメな生徒を見捨てないでくれた先生のおかげだと思っています。
54才 北海道 未婚 女性

「義太夫」は、小学生が興味を持った訳ではなく、お弟子さんが年配の方で「お小遣いが貰えた」ので行っていたが、親にバレて禁止となった。「お琴」は師匠の孫の中学生のお姉さんに会いたくて行ったが、全寮制の高校に入りあえなくなったので行かなくなった。「日舞」はきれいなお姉さんがいっぱい来ていたので行っていたが、筋が良いとおだてられ2年間続いた。
68才 北海道 既婚 男性

家の近くに警察署があって、そこで剣道を教わっていた。いつもは若い警察官がかわるがわる教えていたが、高段者の年寄りの警察官が来て、めった打ちにされた。一瞬をねらって打った押さえコテが命中して竹刀を打ち落とした。この噂が署内に広まって、「あの人の竹刀を打ち落とした小学生はだれだ?」と何人もの警察官が見に来た。
60才 岡山県 既婚 男性

サッカークラブの仲間と新宿伊勢丹の屋上にマラドーナを見に行った。質問コーナーで友達が髪の毛が欲しいとお願いするとブチっと抜いてくれたが、マネをした他の参加者には禿げるからと断っていた。
44才 東京都 未婚 男性

私にとってと言うより、私の母にとって印象的だったようで、私が大人になってからぽつりと言ったエピソードを一つ。私が小学校3年くらいの頃(およそ45年前)、今のような電卓なんてまだ影も形もなかった頃、私が住んでいた(当時としては大きめの)団地では、そろばんが小学生の間で流行っていた時期があります。どれくらい流行っていたかというと、授業参観の帰り、母と一緒に校門を出るときに、私がクラスメートとする別れの挨拶が、「バイバイ」とか、「また明日」とかではなく、揃いも揃って、「またあとで。」「じゃあ、塾で。」と言い合っていることに母が気付いたくらいです。そのとき、「読み書きそろばん」は日本人の基礎教養と考えている父母は私もそろばん塾に通わせていましたが、挨拶を聞いて驚いた母は私に「クラスで何人くらいそろばん塾に行っているの?」と訊いたそうです。私の答えは、「ほとんどみんな」だったそうで、偶然とは言え、乗り遅れなくてよかったと安堵したと言っていました。今ではそろばんを見ることすらなくなりましたが、私が今でも暗算が大体の若い人より得意なのは、このそろばん塾のおかげと思っています。
52才 千葉県 既婚 男性

小学2年の頃、地元でたちの悪い中学1年グループ(空手部)に友達が財布を取られ殴られているのを見て、その後泣きながら自分を押さえている友達に気づいたときにはすでに遅く、指が折れた手で血まみれの中学生4人を殴っていた。結局、親には怒られ病院に行き、ベットの上に居る中学生4人に対して謝罪させられ、四人の親と町内で空手を教えていた講師からは謝罪があった。結局、自分は左手指先骨折の肋骨2本折れで休まず登校させられた。その頃の小学校の教頭の兄が興味があったらしく「力の使い方を教えてやる」といきなり吹き飛ばされ昼休みに学校隣の教頭宅に引きずられていったのは周りも今でも覚えている。家庭用電話がどこの家にもある時代に呼び出したい時には一日前に速達が届きあけても何が書いてるのかさっぱりの漢字・筆字でとりあえず教頭宅に行く、そこで形のない技を教えられたり、感情について教えられたり、剣道とは違う剣術を教えられたり。でも大半は町内清掃だとか、掃除、運搬、畑、山菜摘みがほとんどで友達に話しても笑い話にしかならなかった。
26才 高知県 未婚 男性

幼稚園〜小学校低学年のときにピアノを習っていた。もちろん、親にやらされていたのだが習うことになったのが声が小さいからという意味不明な理由を親から聞かされた。たしか、小学校1年生だったと思う。クリスマスにピアノの発表会で演奏することになった。発表会に向けてかなり練習したと思う。当日の朝、クリスマスなので欲しかったプレゼントが枕元に置いてあったがお預けになったこと、どこかから借りてきた服にネクタイを締めたことを覚えている。発表会では大勢の前でピアノを演奏したハズなのだがあまり記憶にないが、演奏後に先生から少し間違えたねと言われたことはよく覚えている。今はピアノを全く弾けないが、そのときの演奏がピアノが弾けた証拠?としてレコードになって残っている。そうそう、レコードプレーヤー捨ててしまったから、もう聴くことはないかも。
44才 埼玉県 未婚 男性

習字は始めた頃はとても勘が良かったようで、他の人が8級からはじめるところを俺は7級からはじめたが、それで甘く見てしまったようで後々伸び悩んでやめた。そろばんも同じで、他の人が9級からはじめるところを俺は8級からはじめ、やっぱり伸び悩んでやめた。俺は物事を始める時、最初は勘が良いがそれで甘く見て伸び悩むのだと思ったので、2回目の大学でインド哲学を専攻した時に先生から「もう1つ大学出てるんだから、2回目の大学は卒業しないで退学して来年大学院受けたら?」と言われたけど、かたくなにそれを拒み、学士入学だから2年で卒業できるのに3年かけて卒業し、その後大学院に入った。でも結局修士まで行ってやめたから、結局入門時にゆっくりじっくりやろうが、飛ばしてやろうが、途中でやめちゃうのね〜と自分のことをやっと悟った(笑)。
46才 埼玉県 未婚 男性

子供のころ、近所のお兄さんお姉さんにいじめられていて、その中の一人に習い事に一緒に通うように命令されて、習字とそろばんを習い始めました。命令した人は習字とそろばんと琴を習っていましたが、うちの親が習字とそろばんだけは将来役に立つからいいけど、琴はとりあえずはやめておこうとのことで、習字とそろばんだけ習い始めました。すると習字もそろばんも、命令されて習い始めた私の方が命令した人よりも出来るようになってしまったため、命令した人が「お願いだから、琴だけは習わないでくれ」と私に言ってきました。習字やそろばんよりも、この出来事が大人になってからもいろいろな面で役に立っていると思います。
36才 静岡県 未婚 女性

そろばんに脳内にそろばんをイメージして行う「暗算」って技術があるのですが、私はそろばん塾に通う以前から頭の中に数字と筆算の式をイメージすれば二けたの計算ぐらい楽勝だったのでそんなの覚えるの面倒くさくて塾でも自己流で答えを出していました。そのせいで最初は同じ時期に習い始めた中では暗算はTOPの成績で天狗になっていたのですが、徐々に問題のレベルが上がってきて3ケタ4ケタになると自己流ではとうてい追いつかず、地道に正しいそろばん流でがんばってきた子らに敵わなくなってふて腐れた私は塾を辞めてしまうハメに。やはり何事も正しいやり方で続けるのが大切だという教訓を得ました。
51才 神奈川県 未婚 男性

友達に頼まれ一緒に出した習字。何に出したか知らずにいたので賞をとったと学校の先生に言われたとき嬉しいよりも何を言ってるのかわからずとまどった。その後、近所の地区の文化祭の担当者からも賞をとったことを知られていて突然家に訪ねてこられて、その文化祭に何か書いて出してくれと頼まれたが、実際のところあまり実感なく賞状もまともに見てなかったので自分がどんな賞をとっていたのかわからず本当に困ってしまったことを覚えている。
45才 大阪府 既婚 女性

今でこそスリムな体型ですが、小学生のころの私は超肥満体でした。それを心配した父親が、運動でもさせようと近くの剣道場に私を通わせようとしました。最初のうち、いやいやながらも毎週日曜日の朝には道場に足を運びましたが、もとより忍耐・根性といったものがきらいな性質でしたから、武道には全く馴染めず3か月ももたずに挫折。そのころの苦い思い出がいまだに強烈に残っており、武道には拒絶反応を起こしてしまいがちです。
53才 神奈川県 既婚 男性

母はあなたがやりたいというから習わせたと主張するのですが、ピアノのお稽古が大嫌いでした。家でもほとんど練習しなかったし、お稽古の日はなにか家に帰らなくてもいい理由はないものかと、毎回考えていて、、とにかくぎりぎりまで学校で遊んでいるのだけど、結局はいくことになるのでした。そのせいか音楽の授業も好きではありませんでした。大学に入って和楽器にめざめ、音楽の面白さを知りました。
53才 東京都 既婚 女性

ピアノの発表会がもうすぐあるのにも関わらず、ピアノの練習をサボりまくっていたら、普段優しく温厚な先生に「練習サボって困るのは自分やねんで!!」と怒られました。その先生が私に怒っている声を、教室の外にいた、友達のお母さんに聞かれ(笑)その翌日、その友達に私が怒られたことが伝わってしまっていたのでした…
21才 滋賀県 未婚 女性

近所の集会所でそろばん教室があったが、なかでは結構成績がよいほうだったので、検定試験などでの合格はいつも同学年でトップだった。が、実際はトップをとらなければという無用のプレッシャーを感じていて、ちっと楽しくなかったので、1級合格したらスッパリとやめてしまった。いまにしてみれば、段位をとってからやめてもよかったのかもと、少々後悔している。
49才 埼玉県 未婚 男性

算盤で妹に二級を先に取られてついに三級のまま。商売人になるには必要だといわれても、ならぬものはならぬものなのです。特に暗算が苦手でした。でも、そのトラウマからか、今は寝るときに、一から百までを足し算して眠りにつくようにしていえる。70を過ぎるとかなり難しくなるが、その分、睡魔が確実にやってきます。
71才 東京都 既婚 男性

昭和20年代後半の頃の田舎の小学生で習い事してた人っていたのかなぁ。中学生になって英語を習いに行ったけど、先生を退官したお年寄りが講師でした。皆、英語より揃って遊ぶ方に熱心で、その講師の家は旅館もやっていたので家には無かったテレビがあり、トンマ天狗やてなもんや三度笠を見るのに夢中でした。
68才 千葉県 既婚 男性

日本舞踊を習っていたのですが、そのお陰で小学校の体育でダンスの科目になった時、一人だけ踊り方に「しな」が作られていて浮きました(笑)。ダンスの音楽はポップなものなのに、どうしても快活に踊ることができず(踊っているつもりなのにそうは見えず)……クラスメイトには迷惑をかけました。。
25才 神奈川県 既婚 女性

親に無理を言って野球を始めたけど、基礎体力トレーニングがニガテで長続きせず。ユニフォームなどへの憧れと、とにかく楽しく試合をしていたかっただけだったと気づきました。勝ち負けや記録へのこだわりは持ってなかったんですね。今でも変わりませんが…。
45才 東京都 未婚 男性

少年団でサッカーをやっていましたが、当時全国を回っていたセルジオ越後さんの指導を一度受けたことがあり、すごく上手かったのが強烈に印象に残っています。だから今も、サッカー好きはみんな嫌がってますが(笑)セルジオさんは嫌いになれません。
49才 神奈川県 未婚 男性

経済的に余裕がなく、ヤマハの音楽教室に通いたくても通わせてもらえなかった。でも、ヤマハの音楽教室の歌は、今でも歌える。入ったら歌おうと通ってる友達に教えてもらったから。(笑)
54才 福島県 既婚 男性

6年生で近くの元教師のおじいちゃんに英語を習いに行っていた。発音記号を一つずつ教えてもらったので、中学に入った時には発音記号を見て発音できた。でも、基本的に単語を覚えないので、英語は苦手教科になってしまった。今でも苦手だけど、何故だかフッと思い出す単語とかあるのは、どうしてだろうか?アムステルダムのホテルで、英語は全然わからないのに、相手の言っていることが想像出来ちゃったのは、何故だろうか?
58才 兵庫県 既婚 女性

昭和40年代なので、習い事も今のように当たり前のことではなかったが小1〜小3まで無理やりオルガン教室に行かされた。なぜピアノじゃなくて中途半端なオルガンだったのか? きっとピアノはお金がかかると思ったんだろう。自分ができなかったことを親は子どもにさせたかったのね。それが嫌で嫌でよくサボって怒られた。逆に今、趣味でピアノやってるけど。当時との関連はないと思いますけど。
52才 群馬県 既婚 男性

姉の習い事が気になり何の習い事かを確かめについて行ったらバイオリンだった。音楽はあまり好きでなかったがバイオリンの音色に魅かれて習う事になったが「きらきら星」を発表会で皆で弾くことになったが、後ろで「こんなもの弾きたくない、初歩のやつだし…」と聞こえたので、それ以来やる気が失せて辞めた。先生に何度も理由を聞かれたが、ナンヤカンヤと理由をつけて行かなかった。
65才 静岡県 既婚 男性

家に家庭教師が来ていて姉 兄 私3人を教えてくれて居ました 兄は中学入試 姉は高校入試の為必死でしたが 私は単なるおまけだと思います 只夏になるとその先生が必ず海水浴に連れて行ってくれるので 海に行きたいばっかりに 我慢して勉強していたのかな                                          
70才 大阪府 既婚 女性

できたての合唱団に友達に誘われて入っていたけど、宣伝のためかやたらとテレビやラジオに出ることが多く、そのために学校を早退したり、移動で車に乗せられたりが嫌でたまりませんでした。あまり歌もうまくならなかったので一年そこそこでやめましたが、やめた後、突然歌がうまいと褒められることが多くなり、少しは役にたったのかなと感じました。
59才 東京都 既婚 女性

泳ぎが苦手だったのでスイミングスクールに通い始めたが、先生から見てやる気がない思われたか、水への恐怖心を無理やり克服させるためかわからないが、ある日、何度も無理やり水の中に叩き込まれた。今では考えられないが昔はそういう指導法もあった。しかし子供心に腹が立って二度と通わなくなった。
48才 鳥取県 未婚 男性

長続きしなかった習い事も幾つかあるが、「ピアノ」「書道」は長続きして大学生になるまで続けていた。決して「上達した」と言えるレベルにはなっていないが、楽しんでやることと「細く長く」が長続きするコツかと思う。付けたしで、どちらも「先生」と良い関係が気付けたことが長く続けられた理由だと思う。
43才 静岡県 未婚 女性

子どものころから寝るのが得意だった私、家でバイオリンの練習をしながら寝ては、母を激怒させていました。ある日、いつものようにバイオリンを弾く体勢で寝てた私は、ゴッ!という鈍い音で目を覚ましました。目の前には、楽器に突き立って揺れる鉛筆。ど、どんな力で投げたの、お母さん!?
43才 神奈川県 未婚 女性

夏の間だけ開かれる「古武道」の水泳教室で、歩いて小一時間の山の中のゴルフ場近くにありました。今と違ってゴルフする人は市川歌右衛門など俳優などが多く、道中見物していたものです。失敗する人が出ると「下手糞〜!」などと叫んで走って逃げたものです。(60年以上も前の話)
76才 京都府 既婚 男性

バイオリンを習っていた先生のうちで、夏に休憩の時にジュース代わりに梅酒を薄めて出してくれたとき、友達の親に、濃い目の梅ジュースを作って出したら、友達が、それを飲んでしまい、お稽古の途中で眠たくなってしまったことがあった。(裏方として、お手伝いもしていたので)
75才 東京都 既婚 男性

幼稚園に先生が来ていたので、卒園してからバレエを習ったが、運動はできなくて落ち着きもなかったので、うまくならず、発表会の写真もよそ見をしていたり体が曲がっていたり、へたくそでした。発表会の時にチュチュが着れるのと、お化粧をしてもらうのが楽しみでした。
57才 千葉県 既婚 女性

野球選手になりたくて野球をやっていたが、オルガンも始め自分でも何やっているのかわからないほど毎日が忙しくて大変だった。オルガン教室も何回も脱走して怒られたことも有る。その時の友人は音大出てから今は楽団の指揮者をやっている。私はただの老人になった。
65才 千葉県 既婚 男性

左利きだったので、母から強制的に習わされた。でも、教室で催される年末のお楽しみ会とかは好きだったなぁ。右で字が書けるようになって2年ぐらいで辞めたけど、それはそれで続けてりゃ良かったとも思う。パソコンの時代、手書きの機会はなくなったけど。
43才 香川県 未婚 女性

小学校の時スイミングスクールに通っていました。何とあの前畑さん(オリンピック選手の)に教えて貰っていたんです。当時はそんな凄い方だとは知らなくて優しくていつも褒めてくれるお婆ちゃん先生って思ってました。
49才 愛知県 既婚 女性

オルガンを習いに行きましたが、性に合わず長続きしませんでした。オルガンは母親の憧れだったようで、期待に応えられなかったわけです。しかし、学生時代のクラブ活動は、鼓笛隊・合唱部・ギター部・マンドリン部と音楽畑を進み、社会人になってからはフルートを習いました。母親も納得して応援してくれてました。
59才 大阪府 未婚 女性

高校時代にピアノを習っている友人から『○○は指が長いし手が大きいからピアノ等の鍵盤楽器に向いてる!』と言われた。実は小学生の頃バイエルを習う直前に教室をやめたので。友人曰く『手の小さい人は指が良く広がる様に付け根の健?を切る人も居るのだとか。(>_<)
56才 大阪府 未婚 男性

喘息にいいということで水泳をしていたが、苦しくて背泳ぎしかマスターしないでやめてしまった。大きくなってから、海やプールに行ったときにクロールをしてみるが息継ぎができなくて、あのときもう少し頑張っておけばよかったとよく思う。
41才 宮城県 既婚 男性

剣道の師範が、練習とはいえ防具無しであるにもかかわらず、面を打って来いと言うので、非常に躊躇しました。それは痛いでしょう、と。髪の毛が薄い師範でしたし。しかし本気で来いと言われ、遠慮なく打込んでいたら、嫌われてしまいました。なぜだ。
49才 北海道 既婚 男性

バイオリンを習っていたけどガンダム(初期)放送時間とレッスン時間が重なってしまい、初めはラジカセをTVの前に置いて録音してもらっていたけど当然物足りず、ガンダム見たさに辞めてしまった。DVDもビデオもない時代だった。
46才 千葉県 未婚 女性

小学校のころ水泳を習っていたが、その理由が体力づくりとかではなく、おじいちゃんが「もし将来船に乗って沈没しそうになっても泳げないと助からないから」と言って習わせたらしい。のちのち母からそう聞かせれました。
37才 北海道 未婚 女性

同じクラスの女友達に誘われて公民館で開かれていた英会話に通っていたけど、通い始めたころにいたやさしい先生が厳しい先生に代わってからだんだん嫌になってやめてしまったのが苦い思い出。
24才 静岡県 未婚 男性

夏休み自転車で1時間の道のりをソロバン塾に通う。狙いはその先にある海水浴場。ソロバンは海水浴に行くための大義名分。子供なりに悪知恵が働いていた。
74才 東京都 既婚 男性

出来ることを伸ばすのではなく、出来ないことを人並みにさせる、というのが親の方針で、嫌いなことばかり沢山やらされ、得意なことはやめろと言われ、最悪の教育方針だと今でも考えるとムッとします。
44才 千葉県 未婚 女性