「自分の親」の介護をしたことがある人は28%で約3割

「自分の親」の介護をしたことがある人は28%で約3割

「自分の親」の介護をしたことがある人は28%で約3割

総計で見ると、「介護をしたことはない」の59%を除き、最も多かったのは「自分の親」で28%と断トツ。次いで「義理の親」で7%、「自分の祖父母」で4%でした。

■14%の女性が「義理の親」の介護をした経験あり
男女別で見ると、「介護をしたことはない」と答えた人は男性が62%に対し女性が50%と、女性のほうが介護をしているようです。また、「義理の親」と答えた人は男性が5%に対し女性が14%で9%の差がありました。

専業主婦の人はココでも「義理の親」の介護を約3割が経験しており、ほかの職業の人が1割以下なので、圧倒的な数字でした。お疲れ様です><

アンケート実施日時:2015年8月14日〜2015年8月20日/有効回答数:3,248

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https://inquiry.nifty.com/webeq/pub/news/editing

本業以外に、週に2時間だけ訪問介護をしています。掃除、おむつ交換、食事の支度、口腔ケアと清拭など、12年前から継続しているので、ほとんどの介護サービスは経験しています。最初は、下痢便を見て「うぇっ〜」と吐きそうになりましたが、それも慣れですね。今は全然平気。ただ、私はほかのヘルパーさんと感覚が違うと感じています。多くのヘルパーさんは「私のほうが元気をもらっています」と答えるのですが、「それ本心?」と私は感じています。私は、要介護度の高い利用者さんのサービスに行くと、「あ〜、これが私の末路だ…」と将来の自分に直面するようで暗い気持ちに。もちろん笑顔で接しますけどね。介護職って、あまり考え込まず、割り切れる人が向くのかもしれません。それと、ベッドから車イスに移乗させるときなど、転倒させて骨折でもさせたらどうしようと緊張します。一時間のサービスでも、すごく気疲れしてしまってぐったり。みなさん、よく気持ちがもつものだなぁと感心してしまいます。
59才 東京都 未婚 女性

介護を職にする方々のことは想像だけでもすごいなと思うのですが、実際自分が介護をしたらそれをもっともっと実感しそうですね。暗い気持ちにならず、笑顔でいられるのか…今から不安です><
調査団編集部: カワンヌ副団長

実父…東京で独り暮らし・視覚障害・足腰若干不自由。そんな状態の父が弱ってきた時、何かにつけ電話して来るのは私…。でも私は関西在住。関東に居る弟に実務的な事をお願いしつつ、介護&看護を依頼して毎日誰かが訪問する体制を作り…。私も必要に応じて上京していました。年々その回数も増え、実家のご近所さんで長い間付き合いのある皆さんまで巻き込んでの介護状態が4年位続きました。引き取っての同居も考えましたが、老人にとっての引っ越しは認知症の悪化にも繋がりかねない事や、本人が実家を離れたくないとの意思が固く、その思いを大事にしたいと考え、最後まで自宅においての…私は『遠距離介護』でした。
57才 奈良県 既婚 女性

住居の問題は難しいですよね。なかなか自分も相手も簡単には引っ越せない…家が離れている上での介護はとても大変だったかと思います…遠距離介護、お疲れ様でした(´;ω;`)
調査団編集部: マリカナ団長

義母は足が悪く、杖を使っていたので、以前から病院に行く日には、車で送り迎えをしていた。やがて杖が歩行器になり、更に室内で歩けなくなると、食事は妻が運び、朝の起床、トイレ、夜の就寝には、私も出かけて行くようになった。義母は1階で、我々は2階に住んでいて、インターホンでつながっていた。一般住宅でのトイレの世話は非常につらかった。腰痛が悪化し、整形外科に通院することになった。週に1、2日はデイホームを利用して、入浴してもらった。この日は、朝出かければ、夕方まで帰って来ないし、インターホンで呼ばれる心配もないので、外出することが多かった。
64才 東京都 既婚 男性

別のレポートでも「入浴」や「トイレの介助」は介護サービスを利用したい、という声が多くありましたが、本当に体への負担が大きいんですね>< 介護する側も元気でいないと介護できませんし、必要に応じてちゃんとサービスを利用しなければ、と実感しました!
調査団編集部: カワンヌ副団長

父親は半身不随。母親は鬱状態がひどく何もできなくなり、入院。父親は入院を嫌ったので、実家に通って毎日介護。病院の先生から、あなた方が先に倒れるから、公的な介護を申請しなさいと助言を受けてとりあえず母親一人を預かって頂けるようお願いした。今の制度ができる前だったので面倒を見て頂けたが、現制度を当てはめるとどちらも簡単に特別養護老人ホームなどには入れなかったと思われる。そうなると、自宅介護になるが、現実には無理であることを公的機関や、政治家達は理解してたいただきたい。無駄使いして謝っているぐらいなら、そんなところにお金を使っていただきたいものだ。
68才 大阪府 既婚 男性

家族の介護は、92歳の義母。気持ちはしっかりしていたが、肺の機能が次第に落ち一挙手一投足ゆっくりゆっくりの生活だった。最期まで、トイレに立ち上がって行った。その介助に一番気を遣った。自力ではもう立てず歩けず、介助して行くがトイレに座るまでもたず、毎日朝晩の毎回毎にその処理をする。紙おむつや携帯トイレなどを利用すれば介護はもう少し簡単だっただろうが、本人の意思は固く、家族もそれに従った。寝たっきりにならず、本人は尊厳を保って逝った。
67才 神奈川県 既婚 女性

徘徊者の捜索、排泄処理、風呂、買い物、聞き手、移動の補佐、ストレッチ。特にボケて徘徊するのが一番大変だと思いますね。関係ない人を巻き込む可能性もあり施設での追い出しも多く常に誰かが見張らないといけない。その上、すぐに人の顔を忘れてパニック状態になるか被害妄想にかられて叫びだしたり、自宅や自分の部屋すら認識できないのに携帯で警察に電話をしたのには驚きました。なんで警察覚えているのに数軒先に住む人を覚えてないんだ?って
26才 高知県 未婚 男性

連れ合い[義母]を亡くして、惚けてしまった主人の父親を病院が見つかるまで私が住み込むことになりました。結婚(再婚)したばかりで、余り気心のわかっていない相手だったのが却ってよかったのでしょう、私が誰かも解らないままに楽しそうにしてました。今では痴呆老人の接し方が理解されるようになりましたが、その頃は何もなく、解らず、ただ、逆らわずに義父の世界に一緒に入り、そうね、そうね、あの頃は良かったわね等と会話をしてましたら、たまたま来た主人の弟が‘親をバカにするな!’とすごい剣幕で怒鳴り、唖然としました。弟にとっては父親は厳格であり、功成り名遂げた尊敬する人。それをバカにされているように思ったのです。結局、私達の方に引き取りましたが、マンションは狭いため2時間半かかる病院に入院させました。週3回通い、洗濯場の取り合いなど苦労もありました。今ではその頃の義父の穏やかな写真が救いです。葬儀の時、弟が、ありがとうございましたと礼を言いました。弟の嫁は介護などしなかったのです。介護をすれば、人柄が解り、また、自分自身の精神も高まります。
58才 東京都 既婚 女性

身体的には不自由はないが、痴呆なので物忘れがひどいうえに、自分で判断したり決断したりもできない。そのため、ディサービスや通院などに着ていく服や持ち物など、すべてセッティングしないといけない。電化製品も使い方がわからなくなったので、私が留守の時は、昼はそのまま食べてもおいしいパン、スティックコーヒー、個別包装のチーズと決めてある。夜遅くなるときは、火を通さなくても食べられるものを一人分ちゃんと皿にもってラップをしておく。口約束や口頭での伝言ができないので、帰る時刻やどこに何があるからとか食べておくようにと、すべて事細かに指示をホワイトボードに書かねばならない。とにかく融通性がないので、少しでもその時刻より遅くなると、玄関先まで出ていたりするので、いつも時間を気にして生活しなくてはならず、それがストレスになっている。毎日、何度も同じことを訊かれるうえに、耳が遠く、近くによって言わないといけないので、手間がかかるし、精神的に落ち着かなくてとても疲れてしまう。料理中でも仕事中でも、おかまいなしに質問してくるので、自分のことに集中できなくてイライラする。
53才 大阪府 未婚 女性

入院中の母を見舞って声をかける。手を握る。好きな歌手の曲をダウンロードしてMP3プレイヤーで聞かせる。介護施設を見つける。少し元気だったころは車いすを押して散歩する。アパートの2階に住んでいたころは、杖と手すりと補助で部屋まで移動する手助けをする。家を新築するときになるべく母が自活できるように、スロープを付けたり、廊下を広くとって、見切板の代わりに床から50cm高さまでコルク板をはってもらう、母の部屋の照明スイッチは身障者用プレートにする、1階のフロアは風呂を含めて段差なしとして車いすでの移動を楽にする、母の部屋の天井に将来用として、リフト用の鉄骨補強を入れる、風呂の出入り口は3枚引き戸として車いすでの出入りを楽にする 等々工夫をハウスメーカーの方と話し込みしました。現在では、標準装備になっているものもありますが、当時はそこまでやるか?と言われました。
55才 鹿児島県 既婚 男性

中学2年生の時に初めて祖父の介護をしました。主に遊びに行った時に、ベットから起こして食事の世話やトイレに連れて行き、お尻を拭いてあげたりしました。その時は流石に、大便をした後のお尻を拭くのには抵抗を感じました…。
37才 新潟県 未婚 女性

両親の介護を始めて15年以上たちます。その間、父を自宅で送りました。現在100歳の母を看ています。介護するのではなく一緒に住んでいて、出来なくなった所を補ってあげる。出来るところは自力でやる。それを貫いています。
69才 宮城県 未婚 女性

最初の介護は義母が70歳でアルツハイマーの認知症になり、特老入所に入るのに3年を要し、それまで体に異常はなかったので徘徊がひどく大変でした、やっと入所し、11年、その後1年もたたずに実母が脳梗塞で倒れ半身不随となり、一人住まいでしたので有料の老人ホームにお世話になりこちらも11年で他界しました、どちらの場合も兄弟との、間では問題がおき、未だに私は弟夫婦とは、しっくりしていません、義母は認知症ですが体は元気、実母は頭はしっかりしていましたが、右半身不随、どちらも介護は本当大変でした。生前二人とも(死ぬ時はぽっくりいきたいわね)と言っていましたが、なかなかそう上手くはいかないものだとつくずく感じております。
68才 東京都 既婚 女性

先ず認知症、徘徊から始まりそれが3か月位続いてから寝たきりになった。当時介護認定制度が始まったばかりだったが、区役所へ通い認定を受け、デイサービス的な医療介護士の支援を受けながら、おむつ替えから床ずれ対策まで一通りの介護を自宅で妻と二人でやった。一番苦労したのは食べ物を受け付けなかった事。色々やってみたが最後まで殆んど食を取らず寝たきりになってから3カ月程で亡くなった。今思うに、母は我々に負担を掛けないようにする為に、自ら食を絶ったとしか思えない様な気がする。
78才 千葉県 既婚 男性

祖母が市内の介護施設に入所。認知症で20年苦労した同居の叔母も楽になるかと思いきや、昼食の介助に毎日来て下さいとのこと。要は姥捨て防止なんですけど、毎日となるとね。親族でローテーションを組み、孫の私も水曜日担当。ミキサー食をスプーンで口に運ぶのですが、嫌いな食材を混ぜると横を向いてしまいます。頑として口を開きません。臭いが解るようで、、。半分食べて貰うのに1時間かかる。誰がやっても同じ。意思を失っても五感は残るんだなぁ。
55才 埼玉県 既婚 男性

実家の家事を一手に担っていた母が癌になり、抗がん剤治療のため、吐き気と下痢の副作用でほとんど家事ができなくなった。自分の食事の支度もままならないため、週に数回私が父と妹の分も一緒におかずを届けていた。また、仕事が終わった後実家に行き、家の片づけなどをしていた。身の回りのことはほとんど自分でできた為、労働としては介護というより家事手伝いだったが、家族の精神的なバックアップも必要だった。
49才 愛知県 既婚 女性

母の場合は、認知症で体が達者なだけに、妻の苦労も大変だったし、ご近所にも迷惑をかけた。妻の場合は、徐々に体の自由を奪われていくだけに、介助していても辛いものがある。私も難病認定を受けているが、今のところ、買い物や入浴、着替え程度の介助で済んでいるので、何とかやって行ける。最悪の場合は、隣に息子夫婦が居り、お嫁さんがとても良い人なので、なるようになるだろうと楽観することにしている。
85才 京都府 既婚 男性

身体は自分で動けたが、トイレが間に合わなかったり、風呂に入りたがらなかったり、咳をしながらタバコを吸い続けたりしていた。3度の食事も好みを考えながら毎日準備をするのは妻も大変だったと思う。私は土、日に伸びきったヒゲを剃ったり、喧嘩しながら風呂に入れるのが悲しくつらかった。
69才 東京都 既婚 男性

ぎっくり腰をした母を手助けしました。力が入れづらかったので、起き上がったりや部屋からの移動、お風呂には一緒に入ったりしました。後は家事全般を1ケ月ほどしました。1ケ月位…と分かっていたから出来たんだと思います。
49才 愛知県 既婚 女性

父親は脳溢血で半身不随が25年続き、再発であっけなく。母親は徘徊から始まり、マダラボケ、認知症と進み、心筋梗塞後あっけ無く。どちらもあらゆることをやってきた。現システムがあればずっと楽できたとは思ってはいる。
70才 神奈川県 既婚 男性

40年以上前のこと、私がまだ高校生だった頃です。ほんの数日、認知症の祖父と半身麻痺の祖母の二人を我が家に預かったことが有ります。私一人でみていてちょっと台所に行った間に祖父が家から出かけてしまいました。もちろん、地理は全くわかっていません。祖母に「おじいちゃんは?」と聞くと「出ていかはった」と答えてくれました。「何で止めへんのん!」と言いつつ私は家を飛び出しました。適当に走り出すと、結構すぐに姿を見つけることが出来ました。必死で走って追い着くと、ちょっと後ろで息を整えてからそ知らぬふりをして、横に並んでから「おじいちゃん、どこ行くのん?」と声を掛けました。「ああ!そこにおじさんの家が有ってなあ」と答える祖父。「こっちかなあ」言いながら家まで一緒に歩いて連れて帰りました。無事に家に入ってくれた時は、本当にホッとしました。祖母には「今度出ていきそうになったら、教えてね」と声を掛けて、台所に行きました。40年以上前のことで、まだ認知症という言葉も無かった頃の事ですが、私にとっては祖父母との私だけの最大の思い出です。
59才 兵庫県 既婚 女性

認知だが、「要介護1」しかつかなかったので、自宅でのデイサービス利用。徘徊やそこらじゅうでうんちをしたりはなく、トイレが近いので失敗の処理くらいでまだいい方かもしれないが、体は元気だが「要介護1」しかつかないので、介護サービスがしれてる。特に今年4月から「要介護4」以上でないと施設利用が不可の所ばかりに翻弄した。 3月までは、週末デイのお泊まりサービスを利用して、娘にもプライベートを。私は家に帰った。これが、国の基準に合わないので終了になった為、次がなく大変だった。 重病でないと施設がない。「元気だが、一人にしておけれない」まさにここのラインが「グレーゾーン」になってしまった。 昔のように、兄弟がたくさん居て、親戚と懇意で、都会に出ていても何かあれば帰省できる、職がある状況ならいざ知らず、兄弟は2人、核家族。洗濯物なのに、それを又出して畳んで片付けようにしたり、尿取りパッドに慣れないというか、認知になってから使うようになったので覚えられないのか、使うのを嫌がり、トイレットペーパーを挟んだりするので、トイレ掃除に困った。

母の話し相手をしたり、歩く時に手を引いたりで、余り介護らしいことではないかもしれません。先日、所要で実家の父が数日出かけた時、実家で母を見ていたのですが、母は僕が役に立たないと思ったのか、急に元気になり、台所の食器の片づけや洗濯物の整理などを自分でやってました。その時は毎日午前と午後の2回、ヘルパーさんに来てもらったのですが、母は彼女との会話を楽しんでいました。ひょっとしたら普段、介護に手をかけ過ぎていたのかもしれません。
53才 福岡県 未婚 男性

自分の両親の介護は、自宅で介護サービス受ける、介護施設に入所させる、最終的には病院に入院させることで、終わった(亡くなった)ので、実際に自分の手で介護らしきことをして、苦労したことはありません。それでも、入所先(入院先)を探して手続きをし、週に1、2回様子を見に行き、話し相手になり、必要なものを届けたりはしました。また、医師と治療方針でやりとりし、辛い選択をしなければなりませんでした。
63才 神奈川県 既婚 女性

食事を食べさせること。母は嚥下機能が衰えてなかなか食事をのみ込むことができず。食事にも大変な時間がかかり、途中で本人も疲れてしまい十分に栄養がとれない状態になりました。施設の人も一生懸命にやってはくれるのですが、なにせ大勢の人を相手にしているので、とても手が回りません。時々、食事を食べさせる手伝いに行きましたが、十分にはできず、栄養不足の老衰でなくなりました。87歳でした。
66才 大阪府 既婚 男性

現在実父を介護しています。デイサービスを辞めて食事を含め自室で一日過ごします。偏食に加え気分屋なので3食用意やおやつなど前回食べたからと出すと食べなかったりするので大変です。お風呂も一年通してシャワーで週一しか入ってくれないし転倒が怖いので出来ればサービス使って欲しいと思っていますが、父は、まだ必要ないと思っているようなので難しいです。
50才 群馬県 既婚 女性

妹が病気を理由に施設を追い出されて精神科病院の閉鎖病棟に入れられてしまった。急な環境の変化に混乱して泣き叫ぶ本人を安心させるため毎日のように病院に面会に行き歯磨きなどの世話や安心させるような話しかけをしていた。病状が安定して次の施設が見つかるまでそれが数年続いた。両親のときは毎日の買い出しや食事作り、移送や移乗など。
56才 福岡県 未婚 男性

義父病院の付添。看護は病院がやってくれたので付添のみ。夜になると動くので大変だった。実父母現在実行中、肩を骨折した母の介護と父の食事。ボケが出てきている母と身体が動かない父で毎日くたくた。子供が私しかいない為代わりを頼めない。家と離れているので家の中も上手く切り回せず困っている。行政を使いたいが、頭の固い人たちなので頼めずにいる。
56才 新潟県 既婚 女性

一人暮らしの老いた母親が暮らす自宅を増改築し、63年間のサラリーマン生活を終えて同居して1週間後、夜中に部屋で転んで右足大腿部頸部骨折、手術で人工関節。その1年後に今度は左足を同じく転んで骨折で又人工関節、認知症も進行し各退院後自宅でのリハビリーとデイケアー及びデイサービスを併用。母親中心の目が離せない自宅介護のこの頃です。
69才 広島県 既婚 男性

父親の時は自分が独身だったので3月ほど自分一人で病院に通う介護をしました。当時の病院は主に家族が付き添う時代でしたので。主人の親の時は家を動かない人たちだったため主人が早期退職し、昼間通い介護、夜は義弟がみてました認知症が出た義母がお嫁さんは悪い人と思い受け入れませんでしたから、ヘルパーもあまり頼めませんでした。
67才 宮城県 既婚 女性

家事のほとんどと見守りという感じです。簡単な事と思われがちですが、毎日なので大変です。特に父は軽度の認知症ではありますが、どこに行くのか予想がつかないのでなので家にいるときは目が離せません。実際に何度か警察に捜索願を出したことがあります。母もリウマチであまり思うように動けないので家事はほとんど私の役目です。
47才 宮城県 未婚 女性

母が脊椎の手術をするハメになって、クリスマスイブに泊まり込みで付き添った。手術終了後、一晩中痛がるのでエクストラベッドで寝床は確保してあったが寝ていられるものではなかった。深夜に寝返り一つさせるにも一人では無理なので看護師さんに手伝ってもらった。看護師さんも大変だなぁと思った。
59才 京都府 既婚 男性

父が脳梗塞で右半身が不自由になった時は着替えの手伝いやトイレの付き添い、病院やリハビリ施設への付き添いサポートなど。母親が認知症と体力低下により、支援1からドンドン悪化して寝たきりに近い状態になった現在は、排泄処理から着替え、食事の支度などありとあらゆるものをサポートしている。
50才 埼玉県 未婚 男性

母が特養でお世話になったので、できるだけ頻繁に訪問して会話をするようにしました。せっかく行ったのに昼寝中で待っていても目覚めないため、お土産をそっと置いて帰ることもしばしばでした(お土産をあまり持っていくと周りの方に羨ましがられるので気を付けるように言われましたが)。
69才 埼玉県 既婚 男性

現在84歳の父親が、記憶力・理解力ともに無くなってきているので、何度も同じ説明を繰り返しているが、すぐにまた同じ質問をする。お盆の用意もその父親と2人でしたが、同居している兄弟3人のうち妹が何も手伝うことをしないので、この先介護は私一人でするようになり、不安である。
58才 埼玉県 未婚 女性

基本的には妹が担当していたので、妹夫妻が旅行に行くときに代わりに泊り込んで、トイレ誘導、着替えの手伝い、その他見守りをした。最期の1ヶ月は病気で在宅医療となり、ヘルパーや訪問看護にも協力を得たが、24時間の見守りが必要で、オムツ交換、水分補給等を夜中も手伝った。
56才 神奈川県 既婚 女性

介護施設への経費支払いと、春夏秋冬に応じた下着、上着等の更衣準備。ときに衣類の洗濯入れ替え、話し相手に努めた。親戚の病院の経営する介護施設なので、安心して母を託することが出来た。また、施設からは適宜当方が必要な行動を指示してもらえた。
75才 福岡県 既婚 男性

義母と実母。義母は義理姉、実母は兄弟5人。どちらも手伝いの部類。認知症の義母のデイサービスの見送りお迎え、母は施設が変わる度の手伝い、面会。2人とも高齢だったので私自身仕事に余裕があり、パートだったけどやめずに済んでありがたかった。
66才 静岡県 既婚 女性

遠方に住む叔父だが独居だったので 普段は介護サーヴィスに頼っていたけれど、何かがあるたびに駆けつけて2週間くらいは身の回りのことをしていた。幻聴の症状もあったので周りの人とのいざこざなどの解決や公的な手続きなどの手助けもしていた。
57才 富山県 未婚 女性

母が脳動脈瘤の手術をし、直後に介護4の状態になったが、まだ入院中だった。今は回復している。その時期、私はほぼ毎日会社を定時で退勤して、見舞い時間内に間に合うように病院に行き、寝たままの母を見つめていた。それしかできなかった。
54才 北海道 未婚 男性

介護と言っても、自宅では、体調が良ければ自由にしていられる(トイレや入浴も自分でできる、座ってもいられるのでテレビを観ることもできる)ので、塩分・カロリー・カリウムなどの摂取量に十分に配慮した食事を作ることと、病院送迎など。
52才 京都府 未婚 女性

その当時は現役で仕事があるため、朝会社に行く前と帰ってきた時は必ず病院に立ち寄りました。休日になると子供たちを連れてお見舞いに行く日々が3カ月続きました。病院に行っても何も出来ず少しでも義母の癒しになればと思うだけでした。
65才 奈良県 既婚 男性

中心静脈栄養法で、常に点滴をしているので、その管理をするため、長時間そばを離れることができない状態だった。主にはその管理としもの世話、食事(ほとんど食べられないので気持ちだけ)、自分の身体的な負担はほとんどなかった。
58才 東京都 未婚 女性

今までやっていた、食事、洗濯などの家事ができなくなってしまったので、その仕事が私に、回ってきてしまいました。1日中家で居眠りをする毎日になってしまったので、夕方運動がてら、近くのスーパーに連れて行っています。
60才 東京都 既婚 男性

10年前母が転んで大腿骨骨折、手術で大分回復したけど、その後転倒上腕骨骨折→寝たきりになり在宅で全介護、勤めを辞めるはめになった。訪問のヘルパーは技術にむらがありすぎる?御座なりで、話にならなかった…・
66才 静岡県 未婚 男性

丈母が脳梗塞に倒れ、病院からそのまま介護施設に入った。施設は介護付であるが,洗濯や着るものの交換、ほぼ毎日の通院に同行する必要がある。その為、妻が実家(沖縄)に帰り、私も年20回程度東京から通った。丈母が介護施設に居る5年の間に、岳父も入院して亡くなった。しかし、認知症の丈母は理解できず、喪主であるが葬儀にも参加できなかった。それから3か月後には丈母も亡くなった。
56才 埼玉県 既婚 男性

介護施設が重荷を避けて病院に入院させられかかった。車椅子で病院まで連れて行った。残念、幸い?そこの医師が胃ろう対象者にならない歳だと冷たく断られた。故父の姉。独りぼっち、先に胃がんで亡くなった夫とは不仲、子無し、墓無し、家無し、最後の埋葬希望なし。亡くなったが、途方に暮れた。
66才 神奈川県 未婚 男性

きっかけは、母が転倒し、骨折して入院したことだが、放置しておくと、また同じことになりかねない危険を感じて、介護レベルを引き上げてもらうところから始まり、介護サービスの増加と毎週土日は私が訪問して、食事の世話や家事をすることにした。
59才 東京都 既婚 女性

末期がんを宣告された父の病院関係の実務全般、抗がん剤治療が嫌で途中で逃げ出されてからは病院と父の間に挟まれ、右往左往、肉体的よりも精神的にきつかった。半年程度で再入院を余儀なくされ、それから一か月で永眠しました。
56才 埼玉県 既婚 男性