平均で3.9歳からの記憶が残っているという結果に【記憶に関する調査】

平均で3.9歳からの記憶が残っているという結果に【記憶に関する調査】

平均で3.9歳からの記憶が残っているという結果に【記憶に関する調査】

幼少期の記憶で、最も古いものは何歳ごろ? という調査で、もっと多かったのは「3歳」で23.2、次いで「5歳」で21.6%、「4歳」で15.1%という順でした。

■男性の平均は4.0歳、女性の平均は3.4歳

平均年齢は総合では、3.9歳でした。男女別で平均を出すと、男性の4.0歳に対し、女性は3.4歳と、女性のほうが男性より幼いころからの記憶があることがわかりました。
※平均値は、「13歳以上」を13歳として算出しています。



私は、3歳です〜。出かけて家に帰ってきたとたん倒れて肺炎で入院したんですが、倒れた瞬間をいまでも覚えてるんですよね〜(´▽`)

「調査団員の声」では、覚えている最も古い記憶は、何歳のころのどんな記憶かを教えていただきました。

アンケート実施日時:2017年02月24日〜2017年03月02日/有効回答数:2,731

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弟が生まれた時の3歳半のときの記憶。正直お猿さんみたいで可愛くなかったが、母に悪いと思い「かわいい弟を生んでくれてありがとう」と言った。人に気を遣った最初の経験で、そのときのドギマギ感とともに今も状況を鮮明に覚えている。
53才 大阪府 未婚 女性

3歳半でそんなに気を遣ったことが言えるなんてすごい! いいお姉さんですね>▽< 私は全然覚えてないけど、たぶん3歳の頃はそんな気遣いできる子どもじゃなかったと思います。汗w
調査団編集部: カワンヌ副団長

幼稚園に行っていたころ、ブランコに乗っていて右手人差し指をブランコをつるしているチェーンに突っ込み指が抜けなくなり泣きわめいていたとき、近くのおばさんが駆けつけてくれて指にせっけんを塗りチェーンから引き抜いてくれたことを今でも覚えています。
67才 愛知県 既婚 男性

ブランコのチェーンに指を突っ込むのってみんなやっちゃうあるあるですよねw 私もやったことがあります(´▽`)えへ。幸い、指は抜けなくなってないですw
調査団編集部: マリカナ団長

5歳頃、近所の幼なじみの女の子が「大きくなったらお嫁さんになる!」と言ってきたこと。子供心にも当惑しました。先日久しぶりに再会してその話をすると、小3以前の記憶が全くないらしく「私にもそんなかわいい時期があったんだ〜」と感動していました。なんだかなー(笑)。
53才 京都府 既婚 男性

「大きくなったらお嫁さんに」なんて、よく漫画やドラマであるヤツじゃないですかー! それは忘れられませんね>▽< 相手の方は忘れすぎですよー。笑
調査団編集部: カワンヌ副団長

5〜6歳位の頃。父親が大事に育てていた菊の植木鉢を倒し割ってしまいました。木も駄目になり、怒った父親に開口のドブの上に逆さまに吊るされました。父親も疲れるので余り長い時間ではなかったと思いますが、暴れれば手から離れドブに頭から墜落ですから静かにして謝り続けました。
85才 神奈川県 既婚 男性

三才くらいの頃、家族で巨大温泉旅館に旅行に行ったことがあったはずです。その際、家族とはぐれて巨大な迷路みたいな複雑な構造の旅館の中を泣きながらさまよった覚えがあります。もちろん、大人から見たらなんでも無いのでしょうけど、その当時の私にとって全ての部屋のドア(引き戸でした)が同じに見えましたし、同じ場所(なぜか、噴水があったことをよく覚えています)に何度も来てしまっていましたし「どうしよう、どうしよう」と思い切り焦った印象をよく覚えています。数年に一度だと思いますが、いまだに廊下の両側にずらりと並ぶ旅館の部屋の引き戸の列と、廊下を抜けたところにある噴水と、そこを抜けたら引き戸が並ぶ廊下と言った具合に、長々と続く廊下を、誰か通らないかとふりかえりながら歩く夢を見ます。個人的には、まさに悪夢です。
54才 千葉県 既婚 男性

幼稚園に入る前なので3歳くらいだと思うのですが、親戚のお姉ちゃんの結婚式で花束贈呈の大役を請け負った。花束を持ってお姉ちゃんのところまで歩くとわかっていたのに、たくさんの人の前に立って母が見えなくなって不安になって、思いっきり泣きじゃくった。そして母が「恥ずかしかった!」と鬼の形相で怒ったことが今でも忘れられない。
42才 東京都 未婚 女性

3歳になる前に両親が離婚して私と妹は母に引き取られ、一時、施設に預けられていたらしい。その後の協議で私を引き取ることになった父が施設に迎えに来て玄関で待っていた時のシーンが人生最古の記憶。後年、父は「あの時、お前は「まだ僕の赤ちゃん(妹)がいるよ」と言ったんだ」と、子どもを引き裂いて連れ帰った時の苦悩を吐露した。記憶になかった母と妹とは成人してから再会して、交流がある。
61才 東京都 既婚 男性

少し広く少年時代の記憶だが、いたずらやなにか悪い事をすると、当時家にあった蔵の中に入れられることが実に怖かった。電気もつかない真の闇になることより開いてもらえないかもしれないという恐れが増幅してしまう。今でもそれがトラウマになって閉所恐怖症気味である。でも最近知った宇宙飛行士の訓練では、真っ暗な箱の中で何時間も過ごす事があると聞いて、人によって大きな違いがあるものだと感じた。そういえば私は怖くて泣き叫んだが、同じようにされても弟はケロリとして出てくるので、罰の意味が無いからかあまり蔵に入れられなかったようだ。少年時代の暗く痛い記憶である。
73才 東京都 既婚 男性

もう50年も前で時効だから書きますが、僕が急に熱を出して苦しんでいるときのことです。パニックになった家族に間違って一升瓶に入っていた酒を飲ませられたことがあります。顔が赤くて酒臭くなっている僕に気が付いた家族は、更に慌てて同じく一升瓶に入った酢を飲ませてしまいました。なぜこんなことになったかといえば、近所に湧いていた地下水を一升瓶に汲んでおいた事と、当時、酒も酢も酒屋から一升瓶で購入していたためこういう事になったようです。今でも慌てている家族の様子と共に記憶に残っています。
52才 新潟県 未婚 男性

(閲覧注意)5歳の真冬の夜の銭湯での大事件。私、風呂場で足滑らせ蛇口で右瞼をバッサリ!血だらけの私と父を前に、銭湯側は救急車を呼ぶなら出てけという。脱衣室の隅で傷を抑える私を横目に、必死で公衆電話で病院を探す父。でも夜に診察してくれる病院はなかなか見つからず、しかも傷を抑えた私のタオルはすぐ血まみれ。でも迷惑そうな銭湯側はタオルは買えと冷たい。そのうちやっと見つけた病院に、父の自転車で飛ばすこと約一時間。着いた途端、手術室行き。数時間かかって処置と何針も縫う大手術。術後、先生が「よく頑張ったね、もう大丈夫だよ。目が潰れなくてよかったね」と優しく語りかけてくれたのが今でも耳に残っています。その後日談。私は失血でショック死寸前だったこと。あと私たちに損害賠償請求した銭湯側は、警察から逆に営業停止も視野に入れた厳重注意を受け、解決の為うちに謝罪にやって来た。右瞼の上に残る傷跡を見るたび思い出す、幼いころの忘れられない壮絶な出来事です。
51才 東京都 既婚 男性

60年前の5歳時、体調不良で保育園を早退した。帰宅してリンゴを食べたら元気になり、縁側で「お猿のかごや」を聴きながら踊っていたら、保育園バスが家の前を通過。園のみんなに見られてしまった。明日、保育園に行くとみんなに囃されると思い、それから一年近く全休してしまいました。私の人生最初の躓きの記憶です。
65才 東京都 既婚 男性

4歳で幼稚園の年少保育組に入りました。入園式の日に胸に下げたハンカチにサクラのシールを張ってもらったこと。母と離れて部屋に入るとき、心細くて母が着ていた着物の袖をしっかり掴んでぐずっていたことを覚えています。やがて先生に引き離されて部屋に入っても、背中に白く紋のある黒い羽織を目印に、何度も振り返って母を探した記憶があります。母は私が23歳のとき他界しましたが、その日の黒羽織は母の形見として私の手元に今でもあります。
79才 東京都 既婚 女性

3歳の初夏のころ、当時は戦時中で家族と田舎に疎開していた。昼寝の中で「ズシン、ズシン」という振動と地響きを感じて目を開けると、天井にぶら下がっている黒い布をかぶせた電球がゆらゆらと揺れていた。首をひねって庭の方に目をやると、縁側に立って心配そうに遠くを見つめる両親の姿があった。見ると地平線遠くに小さく見えた飛行機の機影が、地上近くに舞い降りては、直ちに上昇する。するとするとすぐに地上から黒煙があがり、すぐに家がゆらゆらと揺れ、ドーンという響きが伝わってきた。覚えているのはこれだけである。はるか後年になってから、これは昭和20年の終戦の数ヶ月前のことで、疎開先が岩手の盛岡の近郊だったと知った。私が目にしたのは盛岡の陸軍施設への、三陸沖の空母から発進した攻撃機による爆撃の一コマだったのである。
74才 神奈川県 既婚 男性

多分2〜3才のころ。妹が生まれ、私は母親の実家に預けられていた。そこで祖母とケンカし「お家に帰る!」と家出した。祖母等は「どうするか?」とトコトコ出ていくのを見ていたらしいが、2kmくらい先で捕まえられて連れ戻された。道は間違っていなかったらしいが、その年で自分の家に戻る道をわかっていたとは。そのまま育っていれば、天童になれたかな。
66才 群馬県 未婚 男性

六畳間に置かれていた火鉢に体当たりして胸やお腹が痛くて苦しくて泣いたこと。もしかしたらあばらが折れていたのかもしれないが、昔の親はわりとそのへん放置するもので、病院にもかからずに放っておかれて何日か苦しくて泣いたけど、やっぱり放置されていたこと。昔の家の記憶なので、たぶん二歳のとき。
61才 東京都 既婚 女性

末っ子の甘えん坊だったので、なかなか乳離れが出来ずにいたらしく、ある休日の朝、兄姉たちがニヤニヤコソコソしているなぁと思いながら、いつものように母のおっぱいを飲もうとしたら臭くて黒い膏薬がべったりと塗ってあり、その臭さと不気味さに大声で泣くと兄姉が大笑いしていたことを鮮烈に覚えている。「もうすぐ2歳になるのだからいいかげんにおっぱいは止めないと恥ずかしいよ」と言われた記憶があるので、2歳直前の記憶なのだと思う。
56才 兵庫県 既婚 女性

父の実家から母の実家に行ったときのこと。父の方は味が濃く、母の方は薄口で、母の実家の味噌汁がおいしかった時、自分の記憶では初めて大人の目を意識し「薄味なのね」と言い、自分でもその発言にびっくりしたことを鮮明にその情景とともに覚えています。
70才 千葉県 既婚 女性

5歳の頃です。眠かったのに親に連れ出されて、東京タワー開業3日目に行ったのを覚えています。エレベーターでもみくちゃにされて夜景よりも、大人たちの脚に囲まれていたことが記憶にありますね。
63才 埼玉県 既婚 男性

銭湯で湯船に浮かんだおもちゃを取ろうとして湯船に落ちたこと。『奥さん、お嬢ちゃんが沈んでいきよんしゃる(博多弁です)』その言葉と金魚のおもちゃ。今も覚えています。
68才 山梨県 既婚 女性

5歳の秋、法定伝染病のジフテリアにかかり、隔離病院に入院しました。入院準備のために母が自宅に戻ったので、かかりつけの病院から隔離病院に移るまで一人個室に残されたこと。隔離病院専用の救急車には父と乗ったこと。隔離病院入院中は母が付き添いで寝泊まりしていたこと。隔離病院で初めて食べたプリンが苦くて、その後、何年もプリンが食べられなかったことなどが記憶に残っています。
62才 東京都 既婚 女性

2歳違いの姉が小学校で遠足へ。羨ましくて母からもらったバナナ1本を幼稚園バックに入れて一人近くの河原で食べて帰ってきたことが一番古い思い出。たぶん4歳だと思います。4歳の子供が一人で河原に行っても危険じゃない時代だったんだなぁと、ある意味思い出深いです。
54才 宮城県 未婚 女性

3歳の頃、妹が生まれ喜びと同時に寂しさを感じました。妹は大変危険な状態で生まれたため、すぐ大学病院へ搬送され私が6歳になるまで入院。妹も母も大学病院で、私は祖母の家に預けられることに。とても辛く寂しかったのを覚えています。
46才 北海道 既婚 女性

幼稚園に入園する前なので3歳のときに近所の友達と遊んだ際、少し離れたところにある当時珍しい3階建てくらいの高い家の窓から、誰かが手を振ってくれて振り返したが、その日以降に気になってその家を見ても、手を振ってくれることが無かったこと。決して怪談話ではなく、純粋に幼い時の失望の思い出です。
50才 兵庫県 既婚 男性

もうすぐ妹が生まれるという頃、入院していた母の病室に祖母と一緒に行き、病院食を味わったこと。小皿に少量盛られていたケチャップの色も鮮やかなスパゲッティだったと思う。そのあと、病院の廊下(子供のころなのでとてつもなく広く感じた)を走り回った。もうすぐ赤ちゃんが生まれるという嬉しさからだったのかもしれない。その病院も、廃業か移転かはわからないが今はもうない。
55才 神奈川県 既婚 男性

5歳の時に法定伝染病にかかり、50日間隔離され入院した。最初は40度を越える高熱から症状が始まり、当時地域で流行していた伝染病とわかるまでに一週間ほどかかった。最高42度越えの高熱の影響か、それ以前の記憶はほとんど飛んで(消えて)しまった。熱が下がってからの病院生活が記憶の再スタートとなりました。
57才 埼玉県 既婚 男性

母が夫婦喧嘩をすると、なぜか日頃連れて行ってもらえない喫茶店で、これも日頃絶対食べさせてくれないアイスクリーム(足付のステンレスの容器にウエハースと赤い缶詰のさくらんぼが添えてあるレトロな)を注文してくれる。3歳から5歳頃頻繁に。母の顔色をうかがいながら食べるアイスは美味しくはなかったな。
51才 福岡県 既婚 女性

6才の頃(現行年齢カウントで5才?)、お盆で親戚が集まった母の実家で、一歳年下の従兄弟と花火をしていた。彼の付けた花火の火が消えたようで、彼はフッフッ〜と自分に筒先を向けて息を吹いていた。突然、花火がブワ〜ッと火を噴き出し、彼は「ワ〜ッ!」と花火を投げ捨てたが、あとのまつり。まつげが燃えて無くなり、平安貴族の顔になっていた。その後数日間、彼は何だか分からないが、真っ白の薬をパックしていた。ず〜と年数が経ち「オペラ座の怪人」の映画を見たとき、突然に当時の彼のやけど治療中の白マスク姿が脳裏に浮かんだのだった。
77才 福岡県 既婚 男性

幼稚園の年中の時に、帰りの送迎バスに乗り遅れたともだちの女の子が、走り出したバスを泣きながら走って追ってくるのをバスのいちばん後部座席から目撃して、大声を上げて運転手さんに知らせてバスを止めてあげたこと。
29才 東京都 未婚 女性

祖父と祖母と一緒にブランコで遊んだこと。そのとき数を1から10まで数えて、ついでに50まで数えた(らしい)。亡くなった祖母は「神童かと思ったのだがね、その時は・・・」とずっと言っていた。
56才 鹿児島県 既婚 男性

祖父が仏壇からビニールに入った人形のようなものを取り出して、私に見せた記憶があります。成人してから、もしかしたらそれは私が2歳のときに流産した弟だったのではないかと思いました。祖父に尋ねると確かに弟を、一時的に仏壇に安置したそうです。故にそれが2歳のときの最古の記憶となっています。
48才 千葉県 既婚 男性

母と縁日に行き、いつの間にかはぐれてしまいました。通りかかったよそのお姉さんを母と間違え、その後を追いかけ袖を引っ張って「お母さん」と呼びかけましたら全くの別人。その人は私をみて、連れの女性に「まあ、かわいい子。この子、どこの子?」といいました。びっくりした私はもと来た道を駆け戻り、買い物をしていた母を偶然見つけました。憶えているのはそこまでです。かわいい子と言われたことが印象に残っています。
86才 神奈川県 既婚 男性

4歳の頃。終戦を迎え家で遊んでいたとき、見知らぬおじさんが「荷物をここに置かしてね、須磨まで他の荷物を取りに行って来るから」と言って出ていった。奥で炊事をしていたおふくろに「変なおじさんが荷物を置きに来た」と告げると、荷物の名前を見て「今の人はあなたのお父さんだよ」と教えてくれた。父がいたなんて始めて知った。感激した。
75才 兵庫県 既婚 男性

親が家を建てた年(4歳ぐらい)に、とにかく昆虫類との同居が多い環境で、引き戸を開けると目の前に女郎蜘蛛がぶらり〜といたり、押し入れ開けたら横の壁に大人の手のひらぐらいのゲジゲジがいたりしていた記憶が鮮明です。お蔭で皆が嫌う昆虫類はケッコウ平気です。
57才 三重県 既婚 男性

おそらくは2歳の時。すぐ下の妹が生まれると言うので、病院に親戚などが集まっていたようで、ともかく薄暗い場所にたくさんのおとながいた、という記憶があるんです。「小さいのに、泣かずによう我慢しとるな」という褒め言葉も記憶に残っています(あんまり褒められない人ですから)。
50才 千葉県 未婚 女性

父と二人で田舎へ行った時のこと。駅に近い母の田舎へ先に寄りました。父は隣村の自分の実家へ行って泊まりたいと云うのだが、私は慣れている従兄弟もいるので母の実家に一人で泊まりました。しかし夜中に父がいないことに気づき泣き出してしまい、仕方なしにおじいちゃんがおんぶをして父の実家へ連れて行ってくれました。その時に、私をおんぶしたおじいちゃんが自転車を押しながら、近道の坂を登ったのを覚えています。約65年前の5才頃のことです。当然のことですが、おじいちゃんも父も彼岸の方です。
71才 神奈川県 既婚 男性

3歳頃、座敷で半分寝たきり状態になっていた祖父の御用聞きのようなことを担当させられていた。でも祖父がいて自分が3歳のときに亡くなったことは覚えているが、祖父のところに行ってあれこれ聞いていたことが本当に自分の記憶なのか、周囲に思い出話として聞かされた記憶なのかあやふや。
55才 神奈川県 既婚 女性

母の務めていた中学校は田舎の分校だったので、運動会は地域全体の運動会のようなものだった。それに連れて行ってもらった時に、仮装行列か盆踊りのような種目でお面をかぶったおじさん?が怖くて泣いたこと。
53才 鹿児島県 既婚 女性

田舎に住んでいたが母方のじいじやばぁばが好きで良く遊びに行った。バスを乗り継いで行かなければならない場所だった。乗るときは乗せてのもらい、降りる停留所に迎えに来てもらっていたのを覚えている。まだ車掌さんが乗っている時代だったのでできたのだろうと思う。4歳の頃だった。
75才 福島県 既婚 男性

2歳頃。フリフリの素敵なドレスをもらったが、肌にちくちくと刺さって甚だ着心地が悪く泣き叫んで着ることを拒んだ。母はそのドレスをプレゼントしてくれた人に私がドレスを着ているところを見せたいのだが、着せようとすると私が泣いて逃げるので困っていた。半世紀以上たった今も、あのちくちくする嫌な感触は記憶に残っている。
60才 神奈川県 未婚 女性

6歳のとき、動物の大便に爆竹を差し込んで火を付け、大便が身体に付着しなければ「勇者」として友達から見られる遊びがありました(ドラクエでいうロトの紋章みたいなもんです)。私も挑戦しましたが転んでしまい大便だらけになったのと、その後にお袋に思いっきりホースで水を掛けられた記憶ですね。
50才 栃木県 既婚 男性

4歳の頃でよそのサクランボを盗み食いした記憶がある。当時は幼稚園とは言わず「託児所」と言って、そこに何人かが一緒に通っていたが、その道中によその果樹園のサクランボを盗み食いした。古き良き時代で、果樹園の主も「幼子のやること」と言って笑いながら見ていたように思う。
66才 高知県 既婚 男性

保育園の入園式は、なぜかずーっと覚えている。花がいっぱい咲いた花壇の前で、着物の母親と園児服の自分を鮮明に覚えている(案外そんな写真を後でみたのかもしれないけど。。。)。それと入園後は1週間母親が迎えに来るまで泣いていたのだけど、泣いている自分の姿を今でも覚えている。それ以外にも保育園での記憶は山のように残っている。不思議なものです。
52才 茨城県 既婚 男性

幼稚園に行かないで自宅の門の階段でお弁当を食べて帰宅したが、幼児の浅知恵で食後直ぐ帰宅したためばれてしまった。大きくなってもその時の事が折に触れ話題になり今でも苦々しい思い出記憶に残っている。
71才 東京都 既婚 女性

1歳の時、握り挟で前髪を切ったら面白くなってどんどん切ってしまった迄は覚えている。それ以降の事は覚えてない。母親が見つけた時は虎狩り頭だったらしく、慌てて散髪屋さんに連れていったら「この位の子供によくあるんですよ」と言われたそうだ。丸刈りにするしかなくて男の子に間違えられてばかりだったとか。
53才 広島県 既婚 女性

昔のテレビは足が三本あってそれで立っていた、その足を寝転がって蹴っていたらテレビが倒れてきて顔面直撃。頭を触ると出血がひどいので、母親が慌てて姉のジャンパー(赤い色)を着せて病院へ連れて行ったら一応入院と言うことになり、なんと女性の病室に入院させられたこと。後で看護師さん(当時は看護婦さん)が「あら、男の子だったの?」と笑ってたけど、結局退院までそのままでしたとさ。
55才 神奈川県 未婚 男性

5歳ころ、観光地の高台に家族と登りました。降るとき、皆より先に降りて下で待つことに。下に着いたものの皆がなかなか降りてこなくて、また家族を探しに登ることに。これが運の尽き。途中で道を間違えて、本格的な迷子。どうやって再会できたかはよく覚えていませんが、一人で走り回って家族を探していたのを覚えています。
41才 北海道 既婚 男性

兄弟が多い私が5才の時の出来事です。姉がお見合いをした相手と初めてのデートに行くときに、母が危ないからと弟である私を連れて行けという事で、私も一緒に行くことになりました。ほとんど覚えていないのですが、駄菓子屋でガムのくじを引き、一等が当たりガムの詰め合わせをゲットした事だけ記憶にあります。朝起きてガムを食べようとしたところ、二歳年上の兄にほとんど食べられており大泣きをしたという記憶があります。やはり楽しかったことより、悪かった記憶の方をよく覚えているて言う事でしょうか。
53才 福岡県 既婚 男性

3〜4歳。兄の幼稚園のお迎えに行くとき、初めて「留守番する」といったものの、さみしくなって団地のベランダから母親を大声で呼び、慌てて母が戻ってきた。かなり迷惑だった記憶。
43才 東京都 既婚 女性

3歳の秋、七五三の記念写真を撮りに正装して写真スタジオに行ったこと。写真が残っているためか、良い服を着てちょっと大人になった気分とか前後の事を断片的に思い出せる。
50才 鳥取県 未婚 男性

小学校に上がる前だから、多分幼稚園行ってる頃だと思います。雑種の子犬を父がもらってきたのですが、すごく利口な犬で私と殆ど同じくらいの身長なのに抱っこで近所に公園に散歩に行って滑り台やブランコに乗ってたのに怒ってかんだり唸ったりしない優しい子だった記憶が・・・。でもほんの数年でフェラリア?で死んでしまったらしくその時は朝まで大泣きしたのを今でも鮮明に覚えてます。
47才 神奈川県 既婚 女性