ゼーット!の水木一郎は、二代目“うたのおにいさん”だった!? 「未だにアニソンが好きな人はびっくりしますね」

ゼーット!の水木一郎は、二代目“うたのおにいさん”だった!? 「未だにアニソンが好きな人はびっくりしますね」

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 ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんが番組ホストを、声優の中村繪里子さんがアシスタントを務める、ニコニコ生放送番組「吉田尚記 dスタジオ」。

 今回は、今年歌手デビュー50周年を迎え、持ち曲は1200曲を超えるという“アニメソング界の帝王”水木一郎さんがゲストで登場。歌手デビュー前に音楽と落語で慰問をしていた話や、NKHの「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんを経験、トータルセールス700万枚超えを達成した1960年代〜80年代を、年表とともに振り返りました。

左から水木一郎さん、吉田尚記さん、中村繪里子さん。

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中村:
 まずは1960年代から。

吉田:
 まず『鉄腕アトム』が一番初めのアニメソング史として出てきます。水木さんは1948年にお生まれになっていらっしゃいますね。元々レコード屋さんだったんですね。

水木:
 そうですね。親父がレコード屋をやっていまして。世田谷に引っ越してクリーニング屋さんをやっていました。

吉田:
 小倉智昭さんと同級生でいらっしゃったんですか。

小倉智昭さん。
(画像は株式会社オールラウンド公式サイトより)

水木:
 中学時代に。小倉くんは金持ちで、俺は全然お金がなかったから、小倉くんのギターを借りて毎日近くの山で練習していた。

吉田:
 山!?

水木:
 羽根木公園。昔はちょっと小山だったの。そこで発声練習をしていました。ギターを持って老人ホームとかに行って。「寿限無」とか「平林」とか古典落語を覚えて、帯も買って。

 柳家小さんに電話を入れたの。

柳家小さんさん。
(画像はAmazonより。)

一同:
 え!?

吉田:
 あの人間国宝の?

水木:
 ちゃんと電話に出るんだよ。「うちは中学生は弟子に取らないんだね、高校卒業したらもう一回電話しておいで」って言われて「わかりました」と。でもそのうち16歳でステージデビューしちゃったので。

中村:
 そのデビューというのがジャズ喫茶。

水木:
 すごい有名な人がたくさん出てますよ。『僕のマシュマロちゃん』という歌を歌った。「ボンボボンボボボボン、マシュマロ〜、僕のマシュマロ〜」って。

『僕のマシュマロちゃん』を歌う水木さん。

 この歌で優勝して、初めてその週にラジオに流れたの。これですぐデビューだと思ったら、ちょっとそれが時間かかって、アニソンに繋がるというか、僕は映画の主題歌を歌いたかった。

 『シェナンドー』っていう歌を日本語と英語と一緒にレコーディングをして。そうしたらこれが発売にならないと。非売品のソノシートっていう薄いもので、本当のレコード盤じゃなかったということで、これは本当の僕のデビューではないんです。

 1968年に歌謡曲の日本コロムビアから『君に捧げる僕の歌』というアニメチックなファンタジックな歌。その当時からそういうのが好きだったんだね。もう一曲候補で『くちづけ』っていう歌があったの。これを歌えば大スター、テープが飛ぶ、みんなが「キャー!」って言う歌があったの。

 どっちを選ぶというときに、僕はファンタジックなほうを選んだ。「君に捧げる〜」っていう、男の子と女の子がいて、恋愛をして男は鳥になって彼女に会いにいきたい、女の子は女の子で会いたい。鳥になって会いに行ったら、その女の子は待ちきれなくて花になってたと。いいでしょう?

吉田:
 確かにちょっと詩的というか、アニメっぽい要素がありますね。子供の頃からアニメをやっていらっしゃる時代。15歳のときに初めての日本のアニメ『鉄腕アトム』が放送されているのですが、アニメはご覧にはなっていたんですか。

水木:
 『月光仮面』とかがすごかった。「どこの誰かは知らないけれど〜」っていうやつ。早く次に行こう(笑)。

『月光仮面は誰でしょう』を歌う水木さん。

吉田:
 これは持ち歌じゃないから(笑)。

当時は自分のキャラを出してはいけなかった

中村:
 続きまして1970年代にいきたいと思います。

吉田:
 今にも生き残るアニメばかりが放送開始になっていますね。

水木:
 『原始少年リュウが行く』は僕のデビュー曲です。作詞は石ノ森章太郎先生。これがアニソンの第1曲目。

 あの、『ルパン三世のテーマ』。『ルパン三世愛のテーマ』は僕が歌っているんですけれど、これもレコーディングしました。テレビ放送を楽しみにして見たら、ビート・マック・ジュニアっていう人が歌っていました。

一同:
 え〜!

吉田:
 連絡ないんですか。

水木:
 ないです。テレビでは流れないけれど、僕の『ルパン三世のテーマ』はちゃんとCDになっています。

中村:
 次の年。

水木:
 『マジンガーZ』ですね。やっぱり最高でした。これがなかったら、きょうの出演はもしかしてなかったかもしれない(笑)。

吉田:
 こんな小さなところですけれど(笑)。それもそうですけれど、先ほど小さん師匠が「いいよ、弟子になれ」って言っていたら、91カ国のWikipediaとか、なかったはずなんですよね。

中村:
 年表が全部変わっちゃっていますからね。

水木:
 そういうことになりますね。

 『バビル2世』『キャプテンハーロック』もありました。『キャンディ・キャンディ』とか、この歌はミリオンですから。『宇宙戦艦ヤマト』ささきいさおさん、ミリオン。『キャンディ・キャンディ』、ミリオン。水木一郎は70万枚。子門真人さんは『およげたいやきくん』で大ミリオン。

 持ってないのは水木一郎だけという。僕、ミリオンないの。ミリオンがないから聞いている人は、俺のイメージが焼き付かなかった。

吉田:
 確かに子門真人さんというと、ものすごいアフロの人が歌っているっていうイメージがありますけれど、水木さんに関しては歌は知っているけれど、どういう方が歌っているかというイメージはちょっと弱かったかもしれないですね。

子門真人さん。
(画像は日本コロムビアオフィシャルサイト公式サイトより)

水木:
 ミリオンじゃなかったおかげで、いろいろな歌をどんどんどんどん……。

吉田:
 むしろ匿名性があったからこそ、ヒーローが出てくるとき、一番近くで力づける歌を歌わせるには、ヒーローより目立ち過ぎちゃいけなかったのかもしれないです。当時は。

水木:
 そうですね。当時は自分を出しちゃいけなかった。

NHKのうたのおにいさんも経験。曲によって歌い方を全部変えていた

中村:
 それで違う形でご自身が。

水木:
 おかあさんといっしょのうたのおにいさん。

中村:
 アニソンの人ではなく、うたのおにいさんに。

吉田:
 ここで初めてアニキ的要素が出てきましたね。

『水木一郎 キッズ ソング・ベスト!』
(画像はAmazonより)

水木:
 面白いのは、子供たちはうたのおにいさんを見ているからわかるけれど、『マジンガーZ』を歌っている人とは思わない。

吉田:
 このときは言ってなかったんですか。

水木:
 言ってないです。だってNHKで番組名言えないじゃないですか。『ちょんまげマーチ』とか。

 「ちょんまげちょんまげちょんまげマーチ、ござるでござるでござるでござる、ぼくのあたまにちょんまげがあったら、あさのあいさつ、オハヨウでござる!」

『ちょんまげマーチ』を歌う水木さん。

中村:
 うわ〜! 懐かしい!

吉田:
 家にテープあった!

中村:
 私も!

水木:
 だから変な話、営業のときに『マジンガーZ』とおかあさんといっしょの両方のテープを持っていくわけ。きょうのお客さんは子供が多いなら、おかあさんといっしょの曲を多くしよう。ちょっと高校生が多いな、じゃあ『マジンガーZ』にしようってやっていたんです。

 未だにアニソンが好きな人は、「おかあさんといっしょをやっていたの!?」ってびっくりしますね。

中村:
 そして70年代にたくさんの賞を獲得されました。

水木:
 事務所と自宅に置いてありますけれど、1枚目はすごく嬉しかった。2枚目、3枚目も嬉しかった。そのうち毎年どんどん貰ううちに、嬉しいんだけど……ダメだよね人間って。貰うことに慣れてしまって。

 最初の頃は大切にしてる。今は探せばあるよ。冗談だけど、それくらい賞をたくさん貰っちゃったということですね。

中村:
 ここらへんで転換期などあったんですか。歌い方が変わったりとか、主人公的な歌を70年代に入って歌われるようになるじゃないですか。

水木:
 『原始少年リュウが行く』も『ルパン三世愛のテーマ』も『マジンガーZ』も『バビル2世』も、全部歌い方を変えています。

中村:
 キャラソンの元祖ですよね。

吉田:
 ネットもない時代ですから、わざわざ調べて「同じ人だ!」とたどり着くのも難しい時代で。

水木:
 そう。たとえば『がんばれ!!ロボコン』なんかは、がんばれロボコン、デンガラガッタ、デンガラガッタ〜みたいな声を出したりとか、 『キャプテンハーロック』だったら、宇宙の海は〜って歌ったりとか、いろいろな声を出して。

中村:
 ちょんまげマーチは?

水木:
 さっきやったじゃん!

一同:
 (笑)

水木:
 あれも全然違う声でしょう。

中村:
 全然違う人みたい。すごい!

トータルセールスが700万枚を突破! 雄叫びブームが到来した80年代

吉田:
 そして1980年代に入ります。この辺から僕はほとんど音源を持っています。

中村:
 私、ここで生まれました。80年代になって。

吉田:
 この頃の水木先生はこんな感じですよ。

中村:
 先生になって。

水木:
 後輩を育ててデビューさせようかと思って。何人か育ちましたけれど。まだ続けていますけれどね。

吉田: 
 ちなみにお弟子さんにはどんな方が。

水木:
 コーラスグループのアップルパイとか、松原剛志くんという戦隊モノの歌を歌っています。彼は優等生。

松原剛志さん。
(画像は公式Twitterより)

吉田:
 この頃になると水木さんのトータルセールスが700万を超えているぞみたいな。

中村:
 ギネス級になってもいいんじゃないかというふうになったり。あとは役もやられたり。

水木:
 そうですね。自分が歌うと「出演どうだ?」って言われるので「じゃ是非」と言って。これ、海外で放送するんですよ。『時空戦士スピルバン』はフランスでも放送されていて、ある日、フランス人が俺のところにわ〜! ってきて、「なんで知っているの」って聞いたら「フランスで放送していましたから」って。

中村:
 そして雄叫びブームというのがやってきます。

水木:
 雄叫びという言葉も、最初は擬音と言っていたんですけれど、「もう雄叫びにしよう」と。CDにも……。

中村:
 「雄叫び」という文言を使って。

水木:
 そう。いろいろな雄叫びの歌を入れて。『超人バロム・1』が意外と人気になって、ほとんど擬音。ほとんど雄叫び。マッハロットでブロロロロー!

中村:
 びっくりした(笑)!

吉田:
 他の人もやっていましたけれど、とりあえず雄叫びといえば水木一郎じゃないかとなりました。

中村:
 濃い80年代(笑)!

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ゲスト:水木一郎、駒形友梨、fh?na 「吉田尚記dスタジオ」第46回

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