61年間で完全に声が出なかったことが3回ある 清元節・浄瑠璃方の清元美寿太夫

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(11月24日放送)に清元節・浄瑠璃方の清元美寿太夫が出演。これまでの苦悩について語った。

清元美寿太夫

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。11月15日(月)〜11月19日(金)のゲストは清元節・浄瑠璃方の清元美寿太夫。3日目は、大夫を演じることの苦悩について—

黒木)浄瑠璃の1つの流派である清元節の太夫として長年にわたって活躍をされています。これまでも数々の舞台に出演されていらっしゃると思いますけれども、例えばどういったような苦しいことがあったのですか?

清元)若い遊びたい盛りのころ、他の人が「きょうは遊びに行こう」と言っても、自分は常に喉のことを考えていますので、早く寝なくてはいけない。食べ物も辛いもの、刺激の強いもの、あくの強いものは、明日大事な舞台があれば、それは控えます。具合が悪いと結局自分が恥をかくことですから。

黒木)声が出なくなったなんてことはありますか?

清元)この61年間で、ギブアップはなるべく自分ではしたくないのです。悪いなりに何とか歌おうとするのですが、完全に出なくなったのは3回あります。

黒木)それはどういったときでした?

清元)歌いすぎです。段数というのが1日にお芝居ですと1段、舞踊会といったおさらい会、勉強会になりますと1日に多いと7~8段になるのです。1日歌っているわけです。それが1日で済めばいいですけれども、そういう舞踊公演は長いと1日6~7番を1週間歌うような状態になりますと、よっぽど自分でコントロールしながら、節制しながらいかないといくら自分で鍛えていても潰れます。

黒木)それで出なくなったときはどうなさいました?

清元)耳鼻科のいい先生にみていただくしかないです。やはり声帯というのはある程度傷んでしまうというのがまれにあります。私たちは修行をしていても、人間の身体ですから。本当に傷んだときはどうしようもないです。そうならないように少しずつ自分でコントロールしていますけれども。いちばん怖いのが風邪ですね。風邪をひいたら自分の喉がわからなくなってしまうのです。痛めた状態の声帯と風邪をひいたときの声帯は全然わからなくなります。

黒木)代わりがいらっしゃらないから、本当に体調管理というのは。まったくでなかったときに休演なさったことというのはあるのですか?

清元)脇と言いまして、隣に並ぶ立場のときは代わってくださいと頼めるのですけれども、自分がトップというか頭、芯になったら、代わりの人はいないのです。自分が指名されているわけだから、どんなことがあっても舞台に乗っていなくてはならない。そういうときは本当に精神的にかなり辛いです。

黒木)そうですよね。声だけで歌ったり、語ったりなさるわけですものね。

清元)三味線弾きさんもそれなりに力のある人は、そういうときにカバーしてくれるような三味線を弾いてくれるのです。

黒木)そうなのですね。

清元)わからないように。そこがやっぱり、コンビというのが必要ですよね。助かっています。

黒木)そうですね。三味線だけではなくて、お三味線と太夫が語るというのが一体にならなくてはいけないのですね。

清元)そうです。

黒木)やはり小さいときからやらないとだめなのですか?

清元)それは小さいときに覚えた特に邦楽の感覚、これは絶対です。サラリーマンのお家に生まれた方や商人の方の息子さんと比べると、そういう環境に育っている人というのは、お母さんのおなかのなかで聴いているという人もいるわけですから、この部分は敵わないなというのもあります。あとは成長していってどれだけ自分が感覚を高めていって、そういう人たちと並べていくか、その人たちを追い越せるかという問題になってきます。

黒木)でもそれが好きだから原動力になっていかれたのですね。

清元美寿太夫

清元美寿太夫(きよもと・よしじゅだゆう)/ 清元節・浄瑠璃方

■1943年・昭和18年、東京都生まれ。
■父は清元若寿太夫。母は清元延若福。兄は初代清元榮三(人間国宝:故人)。
■1956年、六代目清元延寿太夫、三代目清元栄次郎(後の初代清元栄寿郎)に師事。
■1959年、美寿太夫の名を許される。新橋演舞場「西川流鯉風会」の「梅川」他で初舞台。歌舞伎座「昔噺桃太郎」で歌舞伎の初舞台。
■1977年、京都南座「夕顔棚」で初めて歌舞伎の立語りを勤める。
■1986年、LPアルバム「清元榮三・(・)清元美寿太夫花吟集」を発表。
■2014年、文化庁芸術祭賞(音楽部門)大賞を受賞。2014年、重要無形文化財清元節保持者として認定。清元協会理事に就任。2014年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
■この他、1969年ごろから宮薗節を宮薗千之に師事、宮薗千弘太夫を名乗る。1983年ごろから地唄を富崎冨美代に師事、富柳美寿を名乗る。
■2021年、「第51回ENEOS音楽賞・邦楽部門」を受賞。

 

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