「ファッションの目覚めは人を感動させたかった」ファッションデザイナー・ドン小西が生まれた幼少期の思い出

1月6日(木)、Click Holdings株式会社・代表取締役社? 半沢龍之介が編集長、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが副編集長を務めるラジオ番組「ラジオマガジン・登龍門」(ニッポン放送・毎週木曜20時30分〜21時)が放送。ファッションデザイナーのドン小西が出演。自身がデザイナーとしてブレイクするまでの秘話を語った。

半沢龍之介・ドン小西・前島花音

毎週様々な分野で活躍するゲストを迎えてトークする同番組。今回のゲストはファッションデザイナーのドン小西。幼少期からデザイナーとして成り上がるまでのエピソードを聞いた。

小西:デザイナーとして多くの色を使ったり、複雑な刺繍を入れたりして、当時は独特だったんですよね。自分の特徴だと思っていたんだけどルーツを考えたら家柄だと思った。

半沢:家柄ですか!

小西:僕は呉服屋のせがれだったから、周りの子が外で泥んこになって遊んでいる時に蔵や店の中で帯や着物の柄をずっと見て育ってきたの。それは体に沁み込んで来ちゃうよね。自分の感性に入り込んで来るんじゃないかな。色彩とかね。今ならファッションを勉強しにいくけど、学ぶものじゃない。理屈じゃないのよ。

半沢:感性ですよね。

小西:そう!感性なんだよ。体で覚えてなきゃいけないわけで、そのことに気がついたのは60歳手前だったね。それが僕のルーツですね。

半沢:実際ファッションに目覚めて、その道に進もうと思ったきっかけは?

小西:幼い頃から人を感動させたくて。クリエイターっていうのかな。なんでもいいのよ。映画監督、画家、彫刻家みたいなものが好きだったね。

半沢:クリエイターになりたかったんですね。

小西:そういう意識が強かったですね。ただ親父は医者の系統だったから「国立大学に行け」とか言われて(笑)一方、母親は呉服屋だからいいでしょう。カラフルな着物や帯に囲まれて、いらっしゃるお客さんも華やかで。お客さんが鏡の前でニコッと笑うわけ。これはすごい世界だなと思ったね。

半沢:自分がデザインしたものを着せて、ニコッと笑ってくれたらいいなと思ってデザインに目覚めたわけですね。

小西:そういうことですよ。

毎日ファッション大賞を受賞して意識が変わった

半沢:FICCE UOMOというブランドをされていた時の人生の登竜門はなんでしたか?

小西:日本一の賞である毎日ファッション大賞を受賞した時ですね。あそこから考え方が変わりました。若造がやりたい放題でメジャー意識を一切持っていなかったの。ただ色んなアーティストが付いてくれてそれが支えだったんだけどね。ところが日本一の賞をいただいた時に「世の中が僕を期待してくれているんだから裏切っちゃいけない」って思ったね。日本を代表するデザイナーという自覚が芽生えて、五輪選手の気持ちが分かりましたね。日々の言動も控え、アカデミックなものを作らなければいけないと思い、アウトローじゃなくなりました(笑)

半沢:それまでは自分がやりたいことをやり切ると思って仕事をしてきて、メジャーと思われなくてもいいと考えていたわけですよね。それが毎日ファッション大賞を受賞してから意識が変わったと。

小西:責任感だよね。働き方が変わって、世の中を裏切っちゃいけない、世の中のためにならなくちゃいけないと思って意識が変わりましたね。そのあたりから成田の税関職員、大和証券、岡三証券の制服をデザインしました。「証券会社がなんで俺にデザインを依頼してくるんだよ」と思ったわけ(笑)だって僕はシンプルな衣装を作らないから。それでも長野五輪の日本選手団の衣装とかメジャーな仕事が入ってきました。

半沢:東武鉄道の制服もデザインされましたよね。

小西:東武鉄道の制服は前代未聞の全部オレンジにしたの。頭から足の先まで全部オレンジ。

半沢:あれは目立ちましたよね。

小西:受け入れてくれたんですよねー。そうやって使ってくれるのは嬉しいですよね。

ファッションの世界への目覚めから自身のブランドを大きくするにいたった経緯を語ったドン小西。その他、独学で学んだというファッションの極意も述べた。

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