フラ・パフォーマー キャロル・ハルヨ 〜人生を決定した「師匠との運命的な出会い」

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(1月4日放送)にフラ・パフォーマーのキャロル・ハルヨが出演。フラの恩師との出会いについて語った。

キャロル・ハルヨ

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。1月3日(月)〜1月7日(金)のゲストはフラ・パフォーマーのキャロル・ハルヨ。2日目は、師匠との運命的な出会いについて—

黒木)フラ界、世界最高の「メリー・モナーク・フラ・フェスティバル」で4年連続優勝を果たすなど、日本人のフラ第1人者として活躍されています。フラとの出会い、その恩師として慕うことになる、パレカ・レイナアラ・マトス氏との出会いがあったとのことですが。

ハルヨ)彼女と出会ったのは、実はハワイではなく、日本なのです。当時、私が25歳でフラを始めたころ、フラが若い子たちにも人気になって、フラブームが来るのです。そして、ハワイアン界の有名なミュージシャンであるケアリイ・レイシェルさんがコンサートで来日されたのです。

黒木)有名なハワイアンのミュージシャンの方が。

ハルヨ)その方と一緒に、いまは亡き恩師のパレカ・レイナアラ・マトスさんが日本に来られました。彼女が日本でワークショップをするということで、「ハルヨちゃん、行ってみない」と教室の方に誘われたのです。私はそのときはフラ教室に入って数ヵ月だったので、右も左もわからなくて、「何?」と聞いたら、「2時間で1曲、有名な先生が教えてくれるんだよ」と言われて、行ってみたのです。

黒木)そのワークショップに。

ハルヨ)そこに先生がいらっしゃって、お弟子さんがいて、先生自体はほとんど教えずにトークだけだったのですが、お弟子さんが教えてくれて1曲仕上がる。その1曲仕上がったあとに、私はそのとき、英語をまったく喋れなかったのですが、先生に“You”と言われたのです。“You come here.”と言われて、怒られるのかなと思って行ったら、「いまのをここで踊ってみろ」と言われたのです。私1人で。「ええ!」と思うではないですか。

黒木)そうですよね。

ハルヨ)生徒さんもたくさんいらっしゃるし。でも、これはやるしかないと思って、踊ったら、踊り終わったあとに先生も拍手して、「マイカイ」……ハワイ語で「素晴らしい」という意味なのですが、おっしゃっていただいたのです。

黒木)まだ数ヵ月しかレッスンなさっていないのに。それはなぜだったのですか?

ハルヨ)何だったのでしょう。そのあと、個人的に先生に、「もし、あなたがハワイに来て、フラを学びたいと思うことがあったら、必ず私のところに来なさい」と言われたのです。

黒木)そんなに運命的な出会いがあるのですか。

ハルヨ)これには電撃が走りました。五感に触れるフラを初めて日本で見て、その先生が自ら「いらっしゃい」と言ってくださったのです。

黒木)行くしかないですね。

ハルヨ)もう、これは行くしかない。目がハートで、「はい!」みたいな感じで。

黒木)それから何ヵ月後かに行かれたのですか?

ハルヨ)それからしばらくは行けませんでした。東京の教室に入ってすぐ「インストラクターをしてみない?」と声をかけていただいて、どうなのかなと思ったのですが、与えられたチャンスだったので、手にしようと、見様見真似でやりました。もちろん訓練はしたのですが。

黒木)バレエやジャズで体幹があるから、素質がおありだったのでしょうね。

ハルヨ)人の前に出て何かをするということは慣れていたので、人の前に立って教えるというのは、向いていたみたいです。インストラクターになって、生徒さんもいたし、クラスも見ていたので、ハワイに行きたくても責任感があって。すぐには行けませんでした。

黒木)何年後かに行かれたのですか?

ハルヨ)5年くらい経ちましたね。

黒木)お声をかけていただいてから5年後です。

ハルヨ)でも、その間に、個人的にハワイに通って、個人的にレッスンを受けていました。いつになるかわからないので、その間にいろいろなものが変わっていってしまいますよね。私は何とかして先生のところに行きたかったので、メールもない時代ですから、お手紙を書いて、お電話して、「ここからここまでハワイに行けるのでレッスンをして欲しい」と言って、贅沢でした。個人レッスンをずっと受けていました。

黒木)フラへの情熱というか、本当に最初にハワイに恋をしたときと同じような、電撃的な出会いが続くわけですね。

ハルヨ)仕事をして、お金を貯めて、それを持ってハワイに行ってレッスンを受けて。自己投資ですね。

キャロル・ハルヨ

キャロル・ハルヨ / フラ・パフォーマー

■東京都出身。カリフォルニア在住。日本・ハワイ・カリフォルニアを往復。
■1995年・フラを習い始め、教室で講師なども務め、ハワイでの大会にも参加。
■1999年・フラを学ぶためにハワイへ移住。
■恩師であるパレカ・レイナアラ・マトスさん率いる「フラ・ハラウ・オ・カムエラ」(ハワイ名門フラスタジオ)でレッスンを受ける日々を過ごす。
■2000年にはフラ界のワールドカップとも言われる最高峰「メリーモナーク」の 選抜チームの一員に選ばれ優勝。その後・2003年まで4年連続優勝を果たした。
■恩師が亡くなったこともあり、2003年の大会出場を最後に独立。「HPOWER Co.(エイチパワーコーポレーション」をハワイに設立し、本場ハワイをはじめ、ワールドワイドにフラ・パフォーマーとして活動。フラ・スタジオの

運営やイベント開催・出演など、多方面で活躍。ボディメイクや美容に関する活動も展開している。

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