台風15号の被災地・千葉を歩く【みんなの防災】

「報道部畑中デスクの独り言」(第150回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、9月9日に関東を直撃した台風15号により、甚大な被害を受けた千葉県の状況について—

南房総市役所の目の前にある富浦中学校 授業は再開していたが、体育館は損傷が激しく、避難所としては使えなかったという(9月19日撮影)

昨年(2018年)のこの時期、西日本豪雨や近畿を襲った台風21号、北海道胆振東部地震という大きな災害が相次ぎました。小欄でもときに【みんなの防災】とサブタイトルを冠したコラムを掲載していますが、今年(2019年)もまた大きな災害の取材記として、お伝えしなければならないのは心が痛みます。

9月9日、台風15号が関東を直撃しました。首都圏でも朝から主要な鉄道が、計画停電などでほぼストップ。私は当初、東京駅からレポートしていましたが、駅員が現地から届いた画像を見て「これはひどい。駅の屋根が吹き飛んでいる」とつぶやいていたことを思い出します。

計画停電だけでなく、倒木や駅舎の損壊で運転再開が大幅に遅れ、主要駅には多くの利用客がごった返すという混乱が午後まで続きました。在来線のホームに上る階段には「立入禁止」のテープが張られ、長い行列ができていました。それだけでも、大きなつめ跡を残した台風であったことは間違いありません。

鴨川市 斜面から樹木が崩落 丸太で補強しながらの復旧作業だ(9月20日撮影)

しかし、千葉県の房総地域ではそれ以上の甚大な被害となりました。東京電力によると、24日にようやく停電はほぼ解消されましたが(家庭への引込線の損傷などで電気がつかない場合もあり、東電では個別に対応するとしています)、飛ばされた屋根の応急処置が不十分なところもあり、多くの住民がいまも不便な生活を強いられています。

今回の台風への対応については私どもメディアにとりましても、反省、検証が必要です。ニッポン放送もAMラジオの電波を送信している木更津送信所が一時、送信を停止しました。

停電の影響で非常用発電機による放送を続けていましたが、その発電機が故障したことが原因でした。その間、東京・足立の予備送信所で「減力放送」を行いましたが、お聴きのみなさまには大変なご迷惑をおかけいたしました。

甚大な被害を受けた地域の1つ、鋸南町役場(9月20日撮影)

また、ニッポン放送でも台風への影響については随時お伝えして来ましたが、千葉の甚大な被害につきましては実態の把握に時間がかかりました。この間、内閣改造などのニュースもあるなか、被災地の方々に役立つ情報をお伝えできたのか、いまも自問自答しています。

私も19日と20日の2日間、南房総市を中心に鋸南町、鴨川市へと足を運びました。海沿いから山あいに至るまで、本当に広範囲に甚大な被害をもたらした台風であったということを、改めて感じました。

南房総市内 跡形もなくビニールハウスが倒壊していた(9月19日撮影)

「音がバリバリといったと思ったら、屋根が飛んで庭じゅうにがれきが…」

「最初に気が付いたのは雨漏り。何か冷たいなと思ったら…表に出ると瓦が飛んでた」

「周りの木、笹の音が…ドンドンドンと太鼓をたたいてるようなすごい音だった」

「部屋にいたら物が飛んで来て、ガラスが割れて手を切った。深くて10何針縫った」

「今回いちばんひどい! 総なめだもん」…当時を振り返る住民の声です。

富浦駅周辺の様子 屋根全体がブルーシートで覆われていた(9月19日撮影)

鋸南町で甚大な被害を受けた1つ、海岸沿いの岩井袋地区。住民によれば、9割以上の住宅で屋根が吹き飛ばされたということです。ほとんどの家にはブルーシートがかけられていましたが、それも間に合わず、残った瓦に地の部分がむき出しになっているお宅もありました。

現場では屋根に上っての応急作業、高所作業車による電線工事など、多くの人が私より高い所にいました。雨や風で窓ガラスが割れて室内が水に浸かったところもあり、道端には水浸しになったふとんや家具などが積まれていました。いわば仮置きという状態で、作業員が解体作業を行っていました。

同じ鋸南町でも山あいの市井原地区では、神社の直径1.5mほどある大木が、ほぼ根元から折れていました。樹木がなぎ倒されたままになっている場所も多くありました。さらに東に進んだ鋸南町と鴨川市をつなぐ山あいの道路も、斜面が崩れて木が根こそぎ落ちて来たところがありました。道路の反対側のガードレールがひしゃげ、衝撃の大きさを物語っていました。

鋸南町役場は天井が崩落し、正面入口が閉鎖されていた(9月20日撮影)

停電が解消しましたが、住民の方々は1週間以上も電気のない生活を強いられたわけです。

「LEDのつり下げ式ライトをつけていた」

「冷凍庫の物は全部捨てちゃった。怖いから」

この間、懐中電灯やろうそくで過ごした方もいます。母親が酸素ボンベを使っていたけれど、酸素吸入器が動かず、ボンベを送ってもらってしのいだお宅もありました。

鋸南町岩井袋地区 道端にはゴミが山積(9月20日撮影)

電気が通ってもアンテナが損傷してテレビが見られず、「テレビもつかず精神的に不安定になるようで心配だった」と住民は話します。車内のテレビで情報収集した人も。さらに、ガスは無事だったところが多かったものの、湯沸かしが電気仕掛けのために入浴できない人もいました。

「やっぱり電気ってありがたい。何となく暮らしているが、このときしみじみ感じる」

「電気が来て、やっぱり明るいのはいいなって」…切実な住民の声がありました。

復旧作業には最大1万6000人態勢であたったと言います。取材中には東京電力だけでなく、「東北電力」「中部電力」の車両も見ました。そのほか自衛隊員、消防の関係者も含め、いまも多くの人々が復旧に汗を流していることはお伝えしておきたいと思います。

鴨川市 これは藁ぶき屋根ではなく、トタン屋根が飛ばされたもの ブルーシートの設置も当時「100人待ち」だったという(9月20日撮影)

災害発生から10日で出て来た課題は“職人”の不足でした。ブルーシートの設置にはどの自治体も頭を悩ませていました。住民のなかには地元の大工さんに直接連絡しても、「100人待ち」と言われた人もいました。

だからと言って、屋根に上るというのは誰にでもできることではありません。ブルーシートを設置するには土のうでしっかり固定することが必要ですが、固定の甘いお宅も多くありました。

一方で、山間部の一部では、比較的しっかりブルーシートが張られている家が目立ちました。聞くと、住民たちがお互いで助け合って設置したということです。行政が後手後手という声もありますが、人手不足で行き渡らない所もあるのが正直なところです。防災は「自助・公助・共助」が基本ということを改めて感じました。

南房総市役所の駐車場は災害ゴミの仮置き場に 夥しい量の瓦が積まれていた(9月19撮影)

もう1つの課題は「災害ごみ」。南房総市役所の東側駐車場に設けられた災害ごみの仮置き場では、瓦、トタン屋根、コンクリートブロック、倒木による樹木、畳…いわゆる生活ごみでない、これらの災害ごみが分別されて積まれていました。

自治体では数ヵ所の仮置き場で、1ヵ所は搬出のために受け入れを停止し、効率よい搬出を目指していますが、飛躍的に増えて行くごみの量にどう対処するか…周辺自治体との協力が不可欠と感じます。

一方、被害が比較的軽いお宅もありました。鋸南町・市井原地区の男性は、「関東大震災前からある家。柱が太く、大きな骨組みは昔の大工さんのつくりだ。釘が使われていない。寺院などの建築に似ている」と話していました。そして「先祖が残してくれた家だから、絶やすわけにいかない」とも…。

鋸南町岩井袋地区 高所作業車にゴミ収集車 復旧作業が続く(9月20日撮影)

最新の災害対策も重要ですが、こうした「先人の知恵」に耳を傾けることも大切ではないかと思います。先人の知恵…以前小欄でもお伝えしましたが、例えば、お住まいの地域…開発ですっかり変わってしまった所もあるかもしれませんが、昔はどういう土地だったのか? この地名はなぜこういう地名がついているのか…そうした歴史のなかに、災害を防ぐための先人の知恵が隠されているかもしれません。今回の取材を通じて改めて感じたことです。

思えば、台風が上陸する前、気象庁では緊急の記者会見が行われました。取材メモを見ますと、「記録的な暴風になる恐れ」「関東直撃最大クラス」「夜になると一気に世界が変わる」「多くの樹木が倒れる、電柱が倒れるものもあるほどの風速」という言葉がありました。改めてこうした災害に関する言葉の意味、重さというものを、私たちメディアを含めて感じる必要がある…そんな被災地取材でもありました。

停電はほぼ解消しましたが、復旧はまだ「現在進行形」です。同時に災害については、まだまだ学ばなければいけないことがたくさんあります。(了)

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