頭が男性器になった男、性器切断、獄卒…! タイ「地獄寺」のオススメスポットを”地獄麻痺”した女子大生が解説!

頭が男性器になった男、性器切断、獄卒…! タイ「地獄寺」のオススメスポットを”地獄麻痺”した女子大生が解説!

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 野犬と睨み合い、アシナガバチに刺されながらも、持ち前の《地獄愛》で83カ所以上の地獄巡りを達成した椋橋彩香氏。かつてないほど地獄寺に精通したその目から、オススメの地獄寺を解説してもらうことに。

【その他の画像はコチラ→ https://tocana.jp/2019/04/post_84668_entry.html】

「普通に観光で行くならバンコクから行けるお寺がいいですね。『ワット・パイローンウア』はタイでも人気があります。めちゃくちゃ広いお寺ですし、最初はここに行くのが一番いいですかね」

 ひとつだけ行くのならここといった地獄寺の代名詞的存在。『タイの地獄寺』の表紙を飾る巨大な立像の写真もこちらである。

 次に、ジャンル別でオススメの地獄寺を挙げてもらった。まずは《アトラクション部門》。

「音楽や照明がよかったのは『ワット・メーゲッドノーイ』ですね。タイの地獄寺の中でも、圧倒的に表現がグロテスクなお寺です。自動の『出産マシーン』があって、お金を入れるとキラキラなピンクの照明が出てきたりします。さすがに赤ちゃんが出てくるギミックまではないですけれど(笑)。他のお寺も動くものはあるんですけれど、だいたい壊れてしまっているんです。ここはまだ新しいので、どれも動きます。『ワット・メーゲッドノーイ』はチェンマイまで行けば近いので、ぜひ行ってみることをオススメします」

 次に、《地獄絵》部門。

「これは版権的に言っていいのかわからないんですが、ドラえもんの描かれたものがある『ワット・サムパシウ』ですかね。全面に壁画があって、ちょっとしたところに『隠れドラえもん』がいっぱいいるんですよ。タイの人たちも、みんなドラえもんが好きなんじゃないでしょうか。どうやら、パクリという意識ではなく、子供たちが親しみを持ちやすいようにしているらしいです。『ワット・サムパシウ』は『ワット・パイローンウア』と同じ県にあるので、それなりに行きやすいと思います。壁画はどこも魅力的なんですけど、あとは『ワット・タースン』(ウタイターニー県)ですかね、クレヨンで描いたような壁画が全面にあるんです」

――タイの地獄絵の壁画の画風は、日本のマンガに近いというか、どこか馴染みのある感じですよね。

「そうですね、これはタイの伝統的な画風なんですが、最近は西洋っぽいものも出てきていますね。おもしろいのは、地獄に堕ちた人たちは基本的に苦しそうな表情ではないんですよね。どこか、キョロキョロしてるというか。タイの伝統的な絵は、元々表情がないというか豊かではないんです。だからみんな同じような目が丸い顔なんですよね。新しいところはまた違うのでおもしろいです」

 最後に、椋橋氏の《最もオススメの地獄寺》を訊いた。

「個人的には『スワン・パーブリラットナージャーン』ですね。スリン県という田舎にあるんですけど、森の中にいきなりあるんです。大きい立像も合わせて、10体近くあるんですが、ここはそもそもお寺というよりは、《瞑想場》のような場所なんです。僧侶の方はいらっしゃいますが。オススメのポイントはなんといっても、森の中にあることですね。あと、経典に忠実に作ってあるので再現性も高いことと、オリジナル性も高いところがいいですね。胴体部に人の顔が付いている『無頭人』と呼んでいるものとか。伝統とオリジナルを持ち合わせているところが素晴らしいです。でもここへ行くのはとにかく大変ですね……」

――行くとしたらどんなルートになりますか?

「まずスリン県に行くんですけど、バンコクからバスで7〜8時間近くかかりますね。スリン県の真ん中あたりに着いたら、タクシーでも行けますが、森の中なのでわかりづらいです。付近でタクシーを降りて森の中を歩いていくと、地獄空間が出てくるんです。そこからさらに奥に歩いていく感じですね。普通に、1人だと見つけられない可能性もありますね……。私も地獄に着いたら僧侶の方に案内してもらいました」

 聞くだに、かなり難易度の高い場所のようである。みなさんも、くれぐれも迷わないように。急ぎすぎず、時間をかけて通うのが地獄巡り的には賢明なのかもしれない。

「地獄寺の像は塗り直されていたり変わっていたりもするので何回行ってもいいですし、“それが今行かないと!”って感じる部分ですね。地獄寺の特徴は、世界遺産のように伝統的なものを守るというよりは、常に新しく変わっていくのが《タイの地獄寺》の特徴のひとつでもありますね」

 最後に、もう少し細かく地獄寺と地獄観について訊いてみた。

――地獄寺の立像などは、専門の職人さんが作るのですか?

「美術家さんの場合もありますけど、村の職人さんの場合が多いです。専門性のない方がほとんどですね……そのへんのおばちゃんとか(笑)。最近、私の友達で元々地獄寺の像をモチーフに作品を作っている美術家がいて『ワット・パイローンウア』に立像を作りに行ったんですよ。でも、色々と注文が多かったみたいですね、完全に自由ではなかったらしくて、すり合わせるのが大変だったみたいです」

――この責めている人は黒人みたいですが、地獄の中に人種の概念はあるのでしょうか?

「これは地獄寺の《獄卒》なんですが、これはこのお寺のオリジナルですね。獄卒はどういう人、どういう姿形というものはどこかに書かれているものではないので……。基本的に獄卒は服は着ている場合が多いですね。おそらく皮を剥がされる亡者と区別するためではないかと思います」

――けっこうグロテスクな表現も多いですが、地獄寺の表現に関して、タイで規制はありませんか?

「多分ないと思いますね。場所も田舎ですし、写真に撮る人もいないですしね。性的な表現も規制されてるとは思えないです」

――性的な表現といえば、どのようなものがありますか?

「人の頭が男性器になっている像ですかね。これは本の中では特に触れることがなかったのですが、“性器が切断されてる”っていう絵や像は多いんです」

――下半身に顔があるのは、やはり処罰的な意味合いなんでしょうか?

「そうですね、あれは基本的には浮気とかそういった罪を犯した人らしいですね。別のパターンは首を切ったというものもあります。これは憶測ですけれど、《頭じゃなくて体で考えてしまった》的な様子を表わしているのだと思うんです」

――タイ人たちの、実際の倫理観は、どのように感じていますか?

「グロテスクなものに全然抵抗がないっていうのは確かですね。それは仏教と結びついてるところもあるんだろうなと思うんです。今私はタイの友達とFacebook上で繋がっているんですけれど、よく、ただの手術動画とか虫が湧いた動画をシェアしてきたりするんです。いきなりそういったものがタイムライン上に出てくるんですよね。あと、個人的にそういうものを送ってきたりもします。それは、若者がおもしろがってやっているというようなものではなくて、おばちゃんたちでもやるんですよね。仏教的に考えると、死体を見て“人間は不浄なんだよ”みたいな感覚があるようです。それと単純に可哀想という感覚で、そこから“可哀想だから見て”というようになるんです」

――日本だとその真逆で、“可哀想だから見ない”って感覚の方が強いかもしれませんね。

「そうですね、その感覚は正反対ですね」

――男女の「浮気」というものへの倫理観についてはどうなんでしょうか? タイは女性が男性の性器を切断する事件が多いですよね。

「多いですね。“タイ人の男は浮気性”っていうのがまず共通認識であるんです。でも、自分の周りにいるタイ人の友だちをみると、10何年もお付き合いしているってカップルが多くて、あんまりコロコロと相手を変えたりはしないんですよ。絆や束縛といった面が強いのかもしれません」

――あとおもしろいのは、地獄寺が《表現の場》になっているんですね。

「先ほどタイに作りに行った日本人作家もメッセージを込めた立像を作ってきたようなのですが、そういう面も強いですね。たとえばこの『ワット・メーゲッドノーイ』には政治批判像がたくさんあるんです。タイ国内の政治的な対立を色で分けているんですが、これには“政治対立を超えて仲良くしようぜ!”みたいなメッセージが込められています」

 自らの考える地獄を通じて、メッセージを伝える。なんとも素敵な国である。

――では実際のところ、タイでの《地獄寺教育》はどれくらい普及していると思いますか? タイの男性にはけっこう享楽的なイメージがありますが。

「正直、全然普及はしていないと思います。有名なお寺はさすがにタイ人でも知っていますが、他のお寺だと1つ2つが限度ですね。だから地獄寺は、タイ人にとって“誰もが行ったことがある”という場所ではないんです。あるのは知っているけど、行ったことがない人がほとんどだと思います」

 地獄の作り手と受け手では、だいぶその熱量は違うのだろう。

「そうですね、立体像が表わしているもの、壁画などに描かれていることは《教義》としては一般に知られていますけれど、地獄寺があろうがなかろうが関係はないです」

――研究対象にもなってはいないという感じなんでしょうか?

「そうですね、研究しようという価値観がないですね。だから、(私のように)他の国の人が取り上げることで逆輸入的なことになればいいかなと」

――タイの国外で、地獄寺に注目している日本以外の国はありますか?

「ベネディクト・アンダーソンっていうアメリカの政治学者が、地獄寺の本『The Fate of Rural Hell: Asceticism and Desire in Buddhist Thailand』を出してるんです。この本で『ワット・パイローンウア』の記録みたいなものを書いているんです。日本だと取り寄せないとないような本なんですけれど、地獄寺を扱った本はこれが世界初じゃないですかね」

――『タイの地獄寺』を出版されて、周囲の反響はありましたか?

「“買ったよ!”っていう反応はあったんですけれど、読み終わったかどうかはわからないですね。あと取材の申込みがあったのと、連載などのお仕事の話をもらったりですかね。あとは本屋に行けなくなってしまいました。自分の本が置いてあるのが、どういった気持ちで見ればいいのかわからなくて……“悪口言われてたらどうしよう”とか」

――さすがに本読みながら悪口言う人いないと思いますが(笑)。どういう人に読んでもらいたいですか?

「タイの地獄寺の存在は知ってるけど、珍スポットとしか思っていない人に読んでもらいたいです。地獄寺の価値が珍スポットとというだけでも十分なんですけど、それ以上の価値があると伝えるのが自分の役目だと思ったんです。でも、そもそも地獄寺を知らない人にも伝えなきゃいけなくて。だからそういう人のためにも“キャッチーに伝えなきゃいけない”と思っていて、“こんなヤバイところがある!”“だけど意味があるんだよ!”と。でも、それは自分の意思には反しているんですよね……。今は公共の場で、グロテスクな表現などの《嫌なものを見せない文化》が主流だと思うんですけれど、《死》を身近に感じないと《生》も感じられないと思うんです。そんな話ばかりではないんでけども、自分は好きなものなので、嫌なものじゃないんですけどね」

 メジャーとマイナーの間で揺れる椋橋氏の地獄愛。

「でも、人間は“うわっ!”ってものも見ないといけないと思うんです。この『タイの地獄寺』にも書いていますが、地獄寺には現実を反映してる部分があるんです。だから、地獄寺も《自分の人生に影響を与えるもの》として捉えてもらえたらいいなと思います」

 昨年末には、自らがガイドを務めて地獄寺現地ツアーを成功させたという椋橋氏。さらなる今後の展望を訊いてみた。

「あと20〜30カ所の地獄寺を見に行って、100カ所くらい集まったら『地獄寺完全攻略本』みたいなものを出したいですね。かなり無茶な行き方をしているのでまだちゃんとは説明できないですね。研究としてやってましたけど、個人的には、“どうやって地獄寺のよさを知ってもらうか?”その伝え方がすごく難しいですね。“今まで珍スポットという認識だったけれど、そうじゃなかったんだ”っていう意見をもらった時に、人のものの見方を奪ってしまったんじゃないかとか思ってしまって。あくまで1つの視点なので軽い感じで知ってもらって、そのあとこの本からさらに地獄寺のことを深く知ってもらいながら“いいな”とって思ってもらう。さらには実際に地獄寺に行ってもらうってことが理想ですね」

 最後の最後、シンプルに《地獄観》を訊いてみた。

「“《地獄》って本当にあると思いますか?”って聞かれることがよくあるんですけれど、世界として実在してるかそうかといえばないとは思います。でも、地獄がおもしろいのは、世界中どこの国にもあるってことなんです。それくらい、人間の根源的な発想だと思うんですよ。あと、よく《天国》と比較されますけれど、天国はすごく《観念的》。でも地獄って、その時代の悪いこととか人間の気持ちとか、無茶苦茶《具体性》や《リアリティ》があって、そういった人間臭い面がいいなって思うんです。《人間に必要な観念》というか。みんな“怖い、嫌だ”と言うんですけれど、結局は見たいじゃないですか? みんな、本当は地獄が気になってしまうと思うんです。一般にも、言葉でもよく喩えたりしますしね。心の中にはみんな《地獄》があって、意識はしてるんです。もともとタイが好きというのもあるし、一方で地獄が好きなので『タイの地獄寺最高!!』と思います」

 ここまで愛を込めて地獄を語る20代女性というだけでもかなり珍しいのだが、彼女の目的はタイ人にもまだみえていないものを体系化することという、壮大な野望を抱いた女傑でもある。

「私はもう麻痺してしまってるのですが、地獄寺を見て怖いと思う人もいるんですよね。でも、その感覚はなくなってしまいました。むしろ“こんなに素敵な可愛いところがあるのに!”って思います。でも、その感覚は少し悩んだりしますね。たとえば、この『タイの地獄寺』のフライヤーを、“怖いから”って返されてしまったりすることもあるんです。そこで“ハッ”としますね。《グロい》ということはわかるんですけれど、《怖い》って感覚があるんだって……」

 これはなんの研究であっても同じことなのだが、あまりに没頭してしまうが故に他者や社会との共通感覚がズレてきてしまうことは多々ある。

「そういえば、表紙に(下半身が)丸出しの写真を使っているのですが、そのことには本ができてから他人に指摘されて初めて気づいたんですよね……。いろんなものを見たので、そのあたりの感覚が麻痺してるのかもしれないです」

 なんと、『タイの地獄寺』の表紙を飾る巨大立像が男性器丸出しであることも全然気付かなかったという椋橋氏。このコンプライアンス全盛の時代に表紙から下半身剥き出し。改めて、のめり込みすぎて周囲が見えなくなっている人の情熱だけが成し遂げられることは多いと感じた。

(聞き手・文=福田光睦)

※画像は、『タイの地獄寺』(青弓社)