“かわいい”の元祖! 竹久夢二のセンス抜群のデザインに俳優・片桐仁も感嘆

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30〜)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。5月8日(土)の放送では、「竹久夢二美術館」に伺いました。



◆今に通じる"かわいい”の元祖

大正ロマンを代表する画家・竹久夢二。東京都文京区にある竹久夢二美術館には、当時一世を風靡した美人画の他、彼がデザインした日用品や図案など約3,300点が所蔵されています。そんな夢二について片桐は「女性に人気が高く、美人画というか、かわいらしい女の子の絵を描く、イラストレーターの走りのような印象」と語り、関心を寄せます。

同館学芸員・石川桂子さんの案内のもと、まず訪れたのは「絵葉書・便箋」のコーナー。1884(明治17)年、岡山県に生まれた夢二は16歳で上京。20歳のとき、雑誌に投稿した絵葉書の図案で賞を受賞します。そして、夢二の絵葉書は女学生を中心に人気を博し、「月刊 夢二カード」(1910〜1911年)、「月刊 夢二エハガキ」(1911〜1929年)と自身の名前を冠したシリーズを刊行。

その背景には1人の女性の存在があったとか。それは"岸たまきさん”と言い、「月刊 夢二エハガキ」は彼女のお兄さんの会社から出版。その後2人は結婚し、夢二はたまきをモデルに作品を生み出していきます。その1つが「さくら湯」(1910年代)で、目が大きく黒目がちでつぶらな瞳、さらには面長な瓜実(うりざね)顔で色白、たまきさんの顔の特徴が捉えられた作品となっています。

片桐は「まさにこの表情ですよね……」と夢二ならではの作品に見惚れ、「江戸時代までの浮世絵と違い、女の子がかわいいと思う女の人。ちょっと等身大で漫画っぽくも見える」と指摘。さらには、「夢香洲夏夕幻影」(1914年)を観て「この目の描き方とか少女漫画に繋がっている感じがある」と言います。石川さん曰く、まさにその流れの元祖。しかも夢二は日本画の美術学校に行くことなく独学で学び、前夫が日本画家のたまきから教えを受けたとも伝えられているとか。

しかし、2人の結婚生活は長くは続かず2年4ヵ月で破局するも、その後約10年間は同棲と別居を繰り返していたそうです。そんななか、2人は1914年に「港屋絵草紙店」をオープン。そこは千代紙に絵本、風呂敷など夢二がデザインした作品を販売する、いわばファンシーショップの走りのようなお店だそうです。

そんな港屋絵草紙店の挨拶文には、「下街の歩道にも秋がまいりました。港屋は、いきな木版絵や、かあいい石版画や、カードや、絵本や、詩集や、その他、日本の娘さんたちに向きさうな……」とあり、これを見た片桐は「"かあいい(かわいい)”という言葉は、もしかして夢二が?」と疑問を呈します。これは不正解で、それまでも赤ちゃんや小動物を形容するときに使われていました。しかし、小物などに使われることはなかったそうで、それを聞いた片桐は「今、女性はなんでもかわいいと言うけれど、それだけ広く使われる言葉のもとは夢二かもしれない」と思いを馳せます。

◆夢二の前に次々と現れる女性たち

その後、夢二は港屋絵草紙店で、画家を目指し、夢二に憧れる"笠井彦乃さん”と出会い、恋仲に。そして、彼女もまた夢二の創作の源となります。そんな彦乃さんが描かれているのが「夏姿」(1915年頃)で、これを観た片桐は「これが一番かわいいと思いました」とうっとり。

柔らかな表情をした絵を前に「いいですね〜。手の小指と人差し指が輪郭しかなくて、あとは瞳ですよね」と感嘆。さらには、「瞳の筆もスピード感があるけど、これは(夢二の)愛情だったんですね。モデルだけど恋人という感じが絵に出ている」と絶賛。彦乃と過ごしていた当時の夢二は、少女雑誌「新少女」などの表紙や誌面も手がけ、読者の間でカリスマ的な人気を誇りました。

夢二と彦乃は相思相愛となるものの、彼女は23歳の若さで結核を患い、亡くなってしまいます。そして、失意に暮れる夢二の前にまたまたある女性が現れます。「これはどういう絵なんですか?」と片桐が関心を示したのは、「柳美人」(1910〜1920年代)で、そのモデルが3人目の女性"お葉さん”。彼女は夢二が再び絵を描く気力を取り戻すべく友人たちが紹介したモデルで、夢二はお葉の登場によって再び創作の火が灯ります。

お葉は秋田の貧しい家の生まれで母親とともに上京。工場で働いていたところ、美術学校の関係者にスカウトされモデルの道へ。彼女はモデルとしての才能があったそうで画学生や画家の間で人気となるなか、夢二と出会います。ただ、その歳の差は約20歳。そんな2人の関係について片桐は「(お葉は)お母さんと上京していてお父さんがいない。父性のある男性に惹かれたんじゃないか」と思いを巡らせます。

しかし、2人の間には行き違いが多く、結局結婚することなく、最後は別の女性の出現によって別れてしまったとか。ただ、この頃はお葉という素晴らしいモデルがいたことで傑作が多く、片桐も「かつては絵で立身出世してやるという思いや、独学で学んだ日本画に対する熱い思いとか自分の作品を作りたいというところから、ちょっと肩の力が抜けて、シンプルに自分の描きたいものを無駄なく描いている感じがする」と所感を語ります。

◆女性の美しさだけでなく、世の空気をも作品に封入

お葉と別れた後、晩年の夢二は文芸誌「若草」を手がけます。創刊号から約10年間表紙を担当していましたが、そのモチーフには夢二の心の変化が刻まれています。というのも、当初は女性のイラストだったものの、徐々に動植物、幾何学模様の図案に。夢二が亡くなる直前、入院先で描いたという最後の表紙絵のモチーフは折れた傘。夢二はこの作品を最後に49歳の生涯を閉じます。

片桐は夢二が手がけた若草を前に、「大正末から昭和、1926年から34年までの8年間、日本の空気が変わっている感じが雑誌の表紙にも出てくるんですね。穏やかな女性向けだった雑誌、かわいい表紙だったものが1930年、昭和5年には日本はイケイケ、その感じが雑誌にも見えて」と感想を述べ、さらには「亡くなる直前まで雑誌の表紙のデザインをしていたことは全く知らなかったので驚きだった」とも。

竹久夢二美術館を巡り、片桐は「僕らがイメージする竹久夢二の作品から、絵描きになりたかったということで日本画があり、女性との出会いが感じられたり。夢二の人生を作品とともに見ることができた」と大満足。そして、「あとはなんといっても"かわいい”。今の"かわいい”のもとを作ったのが夢二なんじゃないかと。デザイン、色、ポーズひとつとってもセンスがあって、かわいくまとめている。100年近くたった今でもそれがわかるというのはグラフィックデザインのセンスがあったんだなって思いますね」と脱帽し、竹久夢二美術館の作品が紡ぐ物語に盛大な拍手を贈っていました。

最後に片桐は館内併設のミュージアムショップへ。まず目に留まったのは千疋屋の包装紙のデザインのブックカバー。銀座千疋屋の包装紙は夢二がデザインしており、「これは普通に素敵ですけど、まさか(デザインしたのが)竹久夢二だとは思わないですよね」と片桐。また、数多くのポストカードを手に「こういうのを100年前の少女たちが集めたわけですからね……」と感慨に耽ります。その後も「夢二定期入れ」を見ては「渋いですね〜」と喜び、「やっぱりデザインですからね、テキスタイルとの相性がいい」とたくさんの夢二グッズに目移りする片桐でした。

※入館情報は竹久夢二美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30〜11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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