ガラス工芸を芸術にまで昇華させたエミール・ガレの探究心に片桐仁も感動

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30〜)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。7月10日(土)の放送では「みらい美術館」で、ガラス工芸を芸術へと押し上げたエミール・ガレの試行錯誤とその半生に迫りました。



◆エミール・ガレ「ガラス工芸を芸術に!」

舞台は神奈川県・横浜市にある「みらい美術館」。2016年に開館し、19世紀後半〜20世紀初頭にかけての作品を中心に美しいガラス工芸の名品を数多く所蔵しています。

今回、片桐は同館で開催されていたエミール・ガレを中心とした企画展へ。ガレは自然豊かなフランス北東部の街・ナンシーで陶器やガラス製品を作る工房の息子として誕生。美しく姿を変えるガラスに魅了され、30代で工房を継ぐと、ガラス工芸を芸術にしたいと独自の作品を次々と生み出します。

みらい美術館の学芸員・野依良之さんの案内で、片桐は同館を巡ります。そして、ガレの作品群を目にすると「すごいですね……宝物殿みたい」と感動。まずは彼の初期作品「秋草蝶文花器」(1978年頃)を鑑賞し、「わりとシンプルで使いやすそうな花瓶という感じ。透明であまりゴテゴテしていない」と感想を述べます。

事実、工房を引き継いだ30代のときは絵付けがシンプルで、技術的にも「エナメル彩」という伝統的な技法を用いていたなか、ガレはこの作品で大きな注目を集めます。その秘密はガラス自体の色。

片桐が「うっすら青っぽい……」と語るガラスは金属酸化物を混ぜ、淡く青色に発色させた「月光色」なる色合いで、水辺を表現するため独自で制作。そして、この作品は大きな話題を呼び、1878年に行われた「パリ万博」に初出品にし、ガラス部門で銅メダルを獲得します。

続いて紹介するのは「水辺の生物文酒器」(1880年頃)。ヤゴやゲンゴロウ、メダカなどいろいろな水辺の生物が描かれたこの作品を前に、片桐は「繊細な絵付けがされていますね」とその緻密さに舌を巻きます。

これは本体にそのまま色をつけるのではなく、生物の立体感を表現するために別のガラス顔料をまず焼き付け、盛り上がった部分に色をつける技法「盛り上げ彩色」が施され、より立体的な仕上がりに。

また、ガレは自然を愛した作家で、身近な生物をモチーフとし曲線的なフォルムを強調。当時ヨーロッパで大流行した芸術運動「アール・ヌーヴォー」で、彼はガラス工芸における第一人者としても知られています。さらにこの頃のガレは、葛飾北斎の「北斎漫画」に感銘を受けていたとも言われており、片桐も「なるほど……西洋的ではないですね。どこか襖絵のよう」と関心を示します。

さまざまな技法で多くの作品を残したガレですが、実は自分で作品を制作していたわけではなかったと野依さんは解説。周りにとても高い技術を持った職人を集め、アートディレクターという立場でガレ指導のもと作品が作られていたそうで、これには片桐も「そうなんですね!」とビックリ。

◆パリ万博でグランプリを獲得しても歩みは止めず

1878年の「パリ万博」で銅メダルを獲得したガレは、1889年に再び開催されることになった「パリ万博」で最高の栄誉・グランプリを目指すことに。その頃の作品「昆虫文彫刻花器」(1889年頃)の色合いは、墨のような淡い感じですが、それは当時流行していた「ジャポニスム」の一端、日本の墨絵から着想を得たとか。

しかも、このガラスの色合いが二度目の「パリ万博」に向けて苦心した点で、結果的にガレは水墨画のような墨色のガラスを独自に開発し、この作品で念願のガラス部門グランプリを獲得。

その後もさらなる表現を求め、さまざまな技法に挑戦。蘭をテーマにした3作品「蘭(ヴァンダ)文花器」(1900年頃)、「蘭(ラングレカム)と茸文花器」(1890年頃)、「蘭(シプリペディウム)文花器」(1890年頃)はそれぞれ別の品種をモチーフに、それぞれ別の技法を用いて制作しています。

「蘭(ヴァンダ)文花器」は色の違うガラスを重ねる技法「被せガラス」と酸に溶けるガラスの性質を利用し、硫酸などの混合液で腐食させ掘り込む技法「エッチング」を使用。ちなみにエッチングで使われる硫酸は劇薬で、当然危険を伴いますが、それを承知の上で美しさを追求すべくこの技法を好んで使ったそうです。

そして「蘭(ラングレカム)と茸文花器」は「エッチング」と「エナメル彩」で、エッチングで削った場所に顔料をつけ、より立体的な模様に。それを見た片桐は「立体感といい、蘭の陰影、蘭へのこだわりがすごい」と感嘆。そして、「蘭(シプリペディウム)文花器」は「被せガラス」と色の違うガラスを重ね職人が一つひとつ手で彫るという「手彫り」を採用。これには片桐も感嘆し「とうとう手で削らせましたか……」と声が漏れます。

グランプリを獲得しても歩みを止めず、ガラス芸術の可能性を追求するガレは1900年、3度目の「パリ万博」に向け、さらなる技法を編み出します。それはガラス本体に大きな薄型ガラスを貼り付ける「マルケットリー」。「紅葉文花器」(1900年頃)では、それが大いに用いられています。

ここで片桐にはある疑問が。それはガレに"ライバル”がいたのかということ。万博でグランプリを獲得したガレですが、その活躍に影響を受け、同郷の工芸家・ドーム兄弟も日用品の制作から芸術の領域へと移行し、華やかな作品で人気を獲得。ガラス芸術は次第に1つのカルチャーに。それを知った片桐は「ガレの影響ですよね。ライバルが出てきて群雄割拠になる」とシーンの発展を感慨深そうに語り、「そんななかでも新しい技法を引っ提げて」と貪欲なガレに驚きを隠せません。

そして、1900年の「パリ万博」ではマルケットリーを用いた作品を多数出品し、ガレは見事3回目の「パリ万博」でもグランプリを獲得。さらには工房の職人も銅メダルなどを受賞します。その結果に「ガレの人生のなかにコンテストがあってよかった。その度に技術を生み出し、ライバルが生まれ、切磋琢磨したんですね」と片桐。

◆誰もが知るガレの作品は彼の死後に生まれた!?

ガレは50代となり、自らの技術の集大成を作ろうと模索し始めます。その1つが"幻の作品”であり、代表作でもある「フランスの薔薇」(1902年)。これは代表作を作ると狙って作った作品とあって細部まで凝っており、造形的にもかなり難易度が高く、30年以上かけて手にしてきた技法の全てが詰まった最高傑作の1つです。

なぜ幻の作品なのかといえば、普通は制作過程で割れてしまうこともあるため、一度に数体作ることが多いのですが、これは1体しか発見されておらず、なおかつ長年ヨーロッパの個人コレクターが保管し、門外不出の作品だったため。

しかも、これまでの技術の集大成でありながら「アップリケ」という熱溶着の新たな技術も加味され、その上、ガラスとガラスのなかに酸化物を入れ青や黒、緑に発色させる「サリッシュール」と呼ばれる技法を取り入れるなど、あらゆる技法を駆使。なお、斬新な発想と華麗な色合い、後にアール・ヌーヴォーの巨匠と言われるガレの全てが詰まったこの貴重な作品は、今回日本で初公開されました。

一方、「いかにも僕らがイメージするガレという感じ」と片桐は話すのは、「アイリス文花器」(1918〜1931年)と「トランペットフラワー文花器」(1918〜1931年)。ただ、ガレ自身は1904年に58歳で逝去しており、これらは彼の死後に奥様がその意思を引き継ぎ、職人たちと一緒に制作したものだとか。つまり、艶やかなランプや花瓶など、今、多くの人が思い浮かべるガレの作品は、彼の死後に誕生。それを聞いた片桐は「言われてみれば、ちょっと女性的というか、多くの人に好まれる感じですね」と呟きます。

ガラスに魅せられ、ガラスを芸術の域へと押し上げたガレの半生を垣間見た片桐は、「ガレのガラス作品は知っていたし、アール・ヌーヴォーのガラスといえばガレという印象があったが、言っちゃえば工業製品、日用道具。コップや花瓶などをアートにまで昇華したという技術を絡めたお話は面白かった」と感想を語り、「ガラス工芸を芸術にまで昇華させたエミール・ガレのあくなき探究心、素晴らしい!」と盛大な拍手を贈っていました。

◆「片桐仁のもう1枚」は、「ハイビスカス文ランプ」

ストーリーに入らなかった作品から、片桐がもう一度どうしても紹介したい作品をチョイスする「片桐仁のもう1枚」。今回、片桐が選んだのは「ハイビスカス文ランプ」(1918〜1931年頃)。

「僕にとってのガレはまさにこれ」と語り、それが彼の死後に生まれたことを改めて驚きつつ、「いいですよね」とランプに対する憧れを吐露。「これを玄関や寝室における家に住みたい」と願望を口にしていました。

※開館状況は、みらい美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30〜11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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