『天気の子』は、児童福祉の視点で見ると、さらにリアルで面白い!

『天気の子』は、児童福祉の視点で見ると、さらにリアルで面白い!

映画『天気の子』のポスター。筆者はTOHOシネマズいちはら他で2度見た。

◆大ヒット中の『天気の子』。児童福祉視点で見てみると……

 興行通信社の発表によると、『君の名は。』の監督・新海誠さんの劇場用アニメ『天気の子』が、公開25日間で584万人を動員し、興行収入も78億円を突破するという。

 この記事では、『天気の子』をまだ観てない方も、一度しか観てない方も、知っておくとさらに面白く観られる要素を、児童福祉の点から紹介してみたい。多少のネタバレを含むので未見の人はご注意いただきたい。

 『天気の子』は、16歳の少年・帆高が離島から東京へ家出してきたところから物語が動きだす。彼が最初に寝場所にするのは、新宿のネット喫茶だ。

 その受付で帆高は2度もどしゃぶりで濡れた姿をアピールし、「シャワールームまでの床を掃除させる面倒な客」として店員に印象づける。

 そこまでやれば、店員は帆高が家出中の未成年であるかどうかという関心をすっ飛ばすかもしれない。

◆18歳未満は親の許可なしには働けず、宿泊もできない

 新海監督は小説版『天気の子』で「5日が経っていた」「ナイトパックが1泊二千円」と書いているが、現実のマンガ喫茶は18歳未満の客であることがバレれば、連泊どころか、1泊もできない場所だからだ。

 モデルとなったインターネットカフェ「MANBOO!」の公式サイトには、「ご入店のお断りやご退店のお願いをさせていただく場合」として、「午後6時以降の16歳未満のお客様、午後10時以降の18歳未満のお客様」と明記してある。

 これは、東京都青少年の健全な育成に関する条例に従ったもの。

 同条例には、「保護者の委託を受け、または同意を得た場合、その他正当な理由がある場合を除き、深夜(午後11時から翌日午前4時まで)に青少年(18歳未満の者)を連れ出し、同伴し、またはとどめてはならない」と書かれている。

 それどころか、カラオケやインターネットカフェ、映画館などの「施設を経営する者及びその代理人、使用人その他の従業者は、深夜においては、当該施設に青少年を立ち入らせてはならない」とも書かれているのだ。

 もちろん、子どもだけの深夜徘徊も認められず、大人には子どもを帰宅へ導く義務が課せられている。

 つまり、18歳未満だと、まともな宿泊施設には泊まれない。だから、帆高と、彼と出会った少女・陽菜、その弟・凪の3人でホテルに泊まりたくても、どのホテルでも断られ、カネさえ払えば事情は聞かないラブホテルに泊まる以外に選択肢はなかった。

 大人なら当たり前にできる行動も、18歳未満は保護者の許可がなければできない。

 大人が一方的に決めたそんな社会のルールに対して、あまりに無知・無関心であるがゆえに無力な帆高は、アルバイトひとつありつけない。

 労働基準法の第五十七条に、こうあるからだ。

「使用者は、満十八才に満たない者について、その年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならない。使用者は、使用する児童については、修学に差し支えないことを証明する学校長の証明書及び親権者または後見人の同意書を事業場に備え付けなければならない」

◆判断も選択も法的に許されない子どもたちのジレンマ

 戸籍証明書も親権者の同意書もない帆高にとって、いくらスマホで求人情報を探しても、雇われるのは無理。

 田舎なら地元の顔なじみとして漁師の仕事を手伝ってバイトできたかもしれないが、こうした「法外」の作法で乗り切る生存戦略は都会では基本的にありえない。

 だから、マクドナルドでバイトしていた陽菜が、「17歳」と年齢詐称していたためにクビになったのも当然。おそらく陽菜は、年齢詐称をしてはバレて短期間に失職するという綱渡りのような経験をくり返してきたのだろう。(こういう少年少女は、現実の日本社会にも少なからず存在する)

 ひとり親の母が死に、小学生の弟と二人だけの生活を守ろうとするなら、同じ職場では法定上、最大で週40時間しか働けず、深夜勤務もできないことから、学校に行くことはあきらめるしかない。

 もちろん、児童相談所を経由して児童養護施設で生活する道もあるが、それしか選択肢がないと迫られることは、思春期の陽菜と凪の兄弟にとって、「おまえらは何もできない」と大人たちに強引に認めさせられるようで、何より悔しいことだろう。

 他方、親権者がいない子どもを雇う側は、労基法違反のリスクを負う。

◆中年フリーライター、須賀が覚悟していた「リスク」

 帆高が出会った中年のフリーライター・須賀は、帆高が家出少年と知りつつ、自分の事務所に寝泊まりさせ、仕事を手伝わせる。月給は3000円だが、食事つきで無料宿泊できることは、10代で家出経験のある須賀にとっては必要十分な配慮だろう。

 家出した未成年を親権者の許可なく泊まらせれば、誘拐罪で逮捕されるリスクがあることは、須賀自身が最初から覚悟していたことだからだ。(実際、未成年を家に泊めたことで警察に逮捕される事件は、ときどきニュースになる)

 そんな須賀にも、喘息持ちの愛娘を義母にとられ、娘に会う権利を主張したくても、喫煙の過去だけで嫌がられる始末。そこで誘拐罪まで問われれば、家裁の心証が悪くなり、会うことさえ叶わなくなってしまうかもしれない。

 だから、帆高が警察に追われていると知るや、「家に帰れよ」と言い出す。そして、そんな自分を嘲笑する。

「人間歳取るとさあ、大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよね」

 こうして家出少年の将来より娘との平穏な暮らしを選んだ須賀だが、彼も帆高や陽菜と同様に、社会のルール(法律)の前で不自由を強いられている一人であることを自覚し、悶々としている。

◆銃を2度も発砲した帆高は、なぜ保護観察処分で済んだ?

 『天気の子』がリアルなのは、空や都市などの風景描写だけではない。

 天気という自然現象を命がけで祈れば変えることができる力を持ち、東京湾沿いを水没させるぐらいに世界の姿を一変させることができても、社会のルールだけは変えられない。

 その無力ぶりの描写こそが極めてリアルで、せつないのだ。

 そこで議論を呼びそうなのが、帆高と陽菜の再会シーンだ。

 二人が別れさせられて2年半の間、帆高は実家に戻り、高校を卒業。その春、再び上京した。

 小説版によると、彼にかけられた嫌疑は、銃刀法違反(拳銃所持の禁止への違反)、刑法95条(公務執行妨害)、殺人未遂罪、鉄道営業法37条違反(線路を走った)。

 これだけ多くの罪の疑いをかけられても、家裁では「銃は故意の所持ではなかったということが認められ、一連の事件の重大性は低く、非行性も薄いと判断され」少年鑑別所に1か月ほど入れられた後、保護観察処分となり、離島の実家へ送り帰された。

 ここで「さすがにご都合主義だ」と考え、納得できない人もいるだろう。

 銃を2回も発砲し、1回は警察官たちに銃口を向けて構えた帆高の動機を、警察が事実をもとに理解しようと努めても、家出少年が言う「晴れ女を救いたいから」が通るわけがない。

 少年刑務所あるいは医療少年院に送られた帆高が、数年後に施設の門を出てきたとき、どしゃぶりの中、傘で顔が見えない若い女性が近づいてきて、帆高の涙顔のストップモーションで終わる。そんな結末も、ありえたかもしれない。

 もっとも、そうなると『幸せの黄色いハンカチ』と同じだ。

 そうした収まりの良い結末は、雨が延々と降り続ける「異常気象」という狂った世界を舞台にした作品にふさわしくない。

 それより、18歳になった帆高が、再び訪れた東京で、少年法では裁かれなかった自分の罪の重さに気づいていくだろう未来を観客に思わせた方が、少年少女の伸びしろを信じ、「生き抜いてくれ」「大丈夫だ」と願う本作のテーマに合致する。

 それに、須賀の兄は財務省の官僚。その権力を警察にちらつかせ、帆高の処分を意外なほど軽くさせたのかも…、と「大人」の想像をしてみるのも面白いかもしれない。

◆生活と社会という現実が、子どもを大人にする

 では、陽菜の方は2年半、どう暮らしていたのか?

 親権者がいないため、まともなバイトができなくなって「晴れ女ビジネス」を起業したものの、それはもう無理。

 15歳なら株式会社の社長になれる年齢だ。いまどきの中高生のようにべつのビジネスで起業したのか? スマホも中学生活もない彼女には、同世代の新しい動きを知って刺激を受けることはないだろう。

 それとも、年齢詐称を続けて、歌舞伎町の風俗で働いていたのか…?

 伏線は、須賀が公務執行妨害をしても帆高を鳥居まで上らせるという「改心」を見せ、凪と愛娘が一緒に遊んでいる画像を帆高に見せた点と、小説版で「弟との生活が再び許されるだろう」と書かれてある点だろう。

 これは、児童相談所に保護されず、子ども2人だけの暮らしが続けられたことを意味する。

 おそらく、須賀が親権者のいない陽菜の未成年後見人になったのだ。

 東京湾沿いが水没後、須賀の会社はオフィスビルの1室を借り、2人の常勤スタッフを雇えるほど繁盛しているので、陽菜へ生活費や学費を援助することもできる。それなら陽菜は堂々とバイトができ、高校へも通える。

 こう考えると、スマホのない陽菜が、帆高の唯一知っている手がかりである陽菜の家へ続く田端駅前の坂道で、毎日毎日ずっとずっと待ちわびていたせつなさの深さに泣けてくる。

 陽菜は、「晴れ女」という役割を失っても、帆高と一緒なら新たな役割を獲得できると信じられたから、いつまでも待ち続けられたのだろう。

 社会のからくりは「命がけで祈れば晴れる」という単純なものではないけれど、勇気を分かち合える誰かと一緒なら、その謎解きにワクワクする憧れを抱いたまま生きていける。

 ここまでリアルな設定を盛り込んでいる以上、もう、大傑作と呼ぶしかない。「こっちはそんなの全部わかっててエンタメを提供してんの」という須賀のセリフに、新海監督の自信が見え隠れする。

 狂っているのは、天気や世界だけじゃない。

 大人が作り出した社会のルールも、子どもを保護するつもりで支配し、子どもを「法外」へと追いつめているのだ。

 狂った社会を変えられるのは、この社会が狂っていることに気づいた人だけだろう。

 祈ることしかできなかった無力な子どもも、いつかは大人になる。

 狂ったルールに従い、ガマンだけで乗り切るなんて、人生や命がもったいない。

 筆者は、帆高や陽菜にそう言われた気がするよ。

<文/今一生>

【今一生】

フリーライター&書籍編集者。

1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。

その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。

著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。

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