子どもが生まれて「うた」が生まれた。ろうの写真家追ったドキュメンタリー「うたのはじまり」 <映画を通して「社会」を切り取る11>

子どもが生まれて「うた」が生まれた。ろうの写真家追ったドキュメンタリー「うたのはじまり」 <映画を通して「社会」を切り取る11>

?2020 hiroki kawai SPACE SHOWER FILMS

◆ろうの写真家が「うた」に出会うまで

 “ろう”の写真家・齋藤陽道さんを追ったドキュメンタリー映画『うたのはじまり』が今月22日から渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開されます。

 1983年生まれの齋藤さんは、聴者の家庭で育ち、小中学校は一般学級に進学、音声で日本語を覚えた後、高校進学のタイミングでろう学校へ入学し手話を取得しました。そして「見る」ことのプロになると決意し、20歳で補聴器を捨てカメラを手に取ります。

 2010年に第33回キヤノン写真新世紀優秀賞受賞、翌年、障害者やLGBTの人たちを被写体とした写真集『感動』(赤々舎)で本格的に写真家としてデビュー。以後自身の個展や写真集を発表する傍ら、Mr.Childrenやクラムボン、窪田正孝さんなどのアーティストの写真撮影を手掛け、昨年は自身の体験を綴った『声めぐり』(晶文社)『異なり記念日』(医学書院)を同時刊行するなど幅広い分野で活躍しています。

 本作は、同じくろうの写真家である妻の盛山麻奈美さんとの間に生まれた聴者の樹(いつき)君への子守歌がきっかけで、苦手だった「歌」に対する変化が齋藤さんに訪れる様子を描きます。監督は七尾旅人さんのライブドキュメンタリー『兵士A』(16)など音をテーマにした作品作りをして来た河合宏樹さん。今回は被写体となった齋藤さんに「声」に対する思い、そして樹君が生まれてからのご自身の変化などについて筆談でお話を聞きました。

◆音声も手話も筆談もしっくりこない

――齊藤さんは映画の中で「手話」「音声」「筆談」の3つともしっくりこないので「写真」を撮っているとおっしゃっていましたが、現在4歳の樹君、そして、映画の撮影後生まれた1歳の畔(ほとり)君と月日を過ごして、その思いに変化はありましたか?

齋藤:僕は生まれつき、耳が聴こえません。補聴器を付けても聞こえるのは、ノイズのような音でした。聴者の家庭に育ったこともあり、まず母と一緒に発声訓練をし、学校に通いながら音声の日本語を身に付けて、その後に手話、成人して社会に出てから筆談という流れで言葉を身に付けました。でも、そのどれもが自分の思いや考えを伝える上でしっくり来ないという思いがありました。全てを伝えきれないというか。その思いは変わりないです。

 ただ、子どもと過ごしていると、たとえば、抱きしめることで体温を通して関わったりできること、まなざしで欲求を探ることができること、などといった関わりができることを知りました。そうした中で、新しいコミュニケーション方法を身に付けた、という思いです。

――齊藤さんの作品は、『感動』などの他に『写訳 春と修羅』『それでもそれでもそれでも』(ナナロク社)を読みましたが、写真とテキスト一体となってメッセージが伝わって来る感じがしました。

齋藤:嬉しいですね。写真から言葉を貰いながら書いているからかもしれません。

――写真を撮り始める前の学生時代から詩や小説などの文章は書いていたのでしょうか?

齋藤:ちょうど高校生のとき、J-Phoneの2,000文字のロングメールサービスが始まりました。何を書いていたかは覚えていませんが、小説や本からたくさん引用して日記やメモのように、自分に宛てて書いていました。

 とはいえ、その時も文章を書くことが自分の表現手段だとは思えていませんでした。何かがしっくり来ませんでした。手話が自分の言葉となったと思えた20歳ぐらいから、やっと言葉と自分が結びついたように感じられ、そこから、写真を撮るようになります。その写真から言葉を引き出すうちに、だんだん、自分でも納得できる言葉が出て来るようになったという感じですね。

――齋藤さんは、音声日本語で言葉を身に付けたとのことですが、音声が意味を持つものという感覚はあったのでしょうか。

齋藤:音声はわけのわからないノイズでしかないものですが、テキストは明確に理解ができるので馴染みのあるもの、という認識です。音声日本語と、書き文字の日本語とは、まったく別物ですね。映画でも言いましたが、僕にとっての音声は、振動でありノイズでしかなかったです。

 長いこと、音楽は、僕にとってただの振動でした。

◆「まなざし」も「たたずまい」も「声」である

――ご自身の著書『声めぐり』では「手話、抱擁、格闘技、沈黙…。ひとつひとつ向き合えばすべてが声になる」とし、映画の中では道路に芽吹く植物を見て「声っぽいよね」と言っていますが、齋藤さんにとっての「声」はコミュニケーションの手段に留まらず、生命を感じる、本能を感じるものの象徴という印象を受けます。その点についてはどのようにお感じになっていますか?

齋藤:中学校までは、ろう学校でなく、一般学級の小、中学校に通っていたので、音声だけがコミュニケーションのすべてだという思い込みが長くありました。その、コミュニケーションのすべてであるはずの音声が「わからない」ということは辛いことでした。ところが、中学卒業後の進路先として、ろう学校を選んだことで、手話に出会い「眼できく声」もあることを知りました。コミュニケーションの形は一つではないと知った瞬間でした。

――ろう学校に入ったことが転機だったんですね。

齋藤:そうですねえ。そこから筆談も始めました。そして、20歳を過ぎて補聴器を外して写真を撮り始めて様々な人と出会うようになるのですが、その人達は、様々に違う体を持った人たちでした。体が違えば、当然、関わり方も変わって来ます。

 そして、様々な体を持つ人と出会うにつれて、「待つ」ことも「まなざし」も「たたずまい」も「表情のゆらぎ」も、すべて「声」として受け止めることができるんだと知りました。音声だけではあまりにも頼りなかったものが、そうしたものを声として受け止めることで、確信をもって写真を撮れるようになりました。それが、ぼくにとっての「声」で、とても魅力的なものです。

――今、おっしゃったようなことが「声」だと感じたきっかけはあったのでしょうか。

齋藤:そう思うようになったきっかけは、障害者プロレスですね。ドッグレッグスという団体に所属し「陽ノ道」というリングネームで活動しています。

 脳性まひや知的障害、聴覚障害など様々な体の人がそれぞれの体を活かしてリングにいる。その姿に痺れたのが、自分も選手として活動してみようと思った大きなきっかけです。

ドッグレッグスも僕にとってはコミュニケーションです。

――様々なタイプの人と体を通してコミュニケーションすることで、感じることが増えたんですね。

齋藤:ドッグレッグスに出会う前の自分にとっての音声は、ただのノイズのようなネガティブなものでした。それが「音」ではなく、「声」になって。「声」はもっと幅広く、もっと根源的なものだと知ってからは、楽になったし、受ける情報量が圧倒的に増えました。

 音声が「声」になったから、写真を撮ることができたと思っています。

◆「子守歌」を歌えるようになるまで

――学校の音楽の授業などで周りとリズムを合わせるのが苦手だったことから音楽が苦手になったとのことでしたが、映画の中で「アートも音楽も絵も写真もあらゆる表現方法の根本にあるものは生存本能の発露である」と述べています。その本能が音楽が苦手だった齋藤さんから樹君への「子守歌」を引き出したのだと思いますが、その点についてはどのようにお感じになっていますか?

齋藤:命を受け継いでいくことは、人間の本能に備わっているプログラムだと思います。そういう意味で、子守歌は、聞こえる人にとっては、人と人をつなぐ大切なものだろうなという思いはありました。なので「ぼくも、子守歌を子どもに届けたい」という願いは少なからずありました。

 でも、幼少の頃からの音声に対する苦手意識がそれを邪魔していて。

 ところが、樹さんと肌を通した会話を重ねるにつれて、そうした自分の過去の思い煩いよりも「目の前のこの子に届けたい」という気持ちが強くなりました。それが、子守歌が生まれることにつながったのだと思っています。

――子守歌は樹君を抱っこするうちに自然に出てきたんですね。

齋藤:子どもと日々をすごすうちに、聴こえなかったことでしんどい思いをした過去がほぐれていくのを感じます。いや、もっと根源的なところで確かにあった記憶を思い出すようになっている、という感じかな。そのことは2人目の畔さんを迎えてより強く感じます。

 聴こえないからといって、声を出すことが気持ち悪い、ということにはならないですよね。聞こえる聞こえないに関わらず、人間の本能として、ただただ声を出すことへの喜びは確実にあります。

 僕の声をそのままにうけとめてくれる子どもがやってきたから、自分の声を楽しく生み出していく喜びに気づくことができました。そういう意味で、とても素朴で根源的なところに戻って来ている気がします。

 子どもたちが、人間に備わっている大切なものに僕が戻っていくのを手伝ってくれていますね。

――『異なり記念日』でドラッグストアで一緒にいた樹君が店内に流れている音楽に喜ぶのを見て「異なることが嬉しい」と述べています。その日を「異なり記念日」としていますが、耳が聴こえる樹君と過ごす中で他に「異なることが嬉しい」と実感したことがありましたらお聞かせください。

齋藤:「異なり記念日」は、大切な出来事が起きた日に限るので、最近ではとくにないです。でも、今、樹さんは保育園に行っていて、音声の言葉がとても増えているんですね。

 彼は手話をまだ使ってやりとりできていますが、やがては手話よりも音声でコミュニケーションしたくなるときがくるはずです。それは小学校に上がった頃からかな、とも思っています。つまりあと2年。2年後に、大きな「異なり記念日」がやってくるんじゃないかなぁと、今から予感しています。

※後半では河合宏樹監督に『うたのはじまり』の制作経緯や作品に込めたメッセージなどについてお話を聞きます。

http://youtu.be/ySJDfQ9tExg

<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。

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