少年はなぜ殺人に手を染めたのか? 歪んだ絆で結ばれた母子を描く『MOTHER マザー』 大森立嗣監督<映画を通して「社会」を切り取る21>

少年はなぜ殺人に手を染めたのか? 歪んだ絆で結ばれた母子を描く『MOTHER マザー』 大森立嗣監督<映画を通して「社会」を切り取る21>

?2020「MOTHER」製作委員会

 実際に起きた17歳の少年の祖父母殺害事件に着想を得た映画『MOTHE マザー』が、7月3日からTOHOシネマズ日比谷他全国の劇場で公開されています。

 男たちとゆきずりの関係をもち、その場しのぎで生きてきた秋子。シングルマザーの彼女は、息子の周平に奇妙な執着を見せ、忠実であることを強いる。そんな母からの歪んだ愛の形しか知らず、翻弄されながらも応えようとする周平。

 彼の小さな世界には、母親しか頼るものはなかった。やがて身内からも絶縁され、次第に社会から孤立していく中で、母と息子の間に生まれた“絆”。それは17歳に成長した周平をひとつの殺害事件へ向かわせる……。

何が周平を追い込んだのか?彼が罪を犯してまで守ろうとしたものとは???

 社会との関わりを閉ざされ、築かれていく母と息子の歪んだ絆が、ひとつの殺害事件を引き起こす真相を描く。

 母親役に長澤まさみ、息子役に新人・奥平大兼、内縁の夫役に阿部サダヲを迎え、昨年国内の映画賞レースを賑わせた『新聞記者』(19)『宮本から君へ』(19)の映画会社スターサンズと『日日是好日』(18)の大森立嗣監督がタッグを組んで送る、新たな物語。

 今回は、同作の監督である大森立嗣さんに、制作の背景や過程などについてお話を聞きました。

◆裁判では語られない真実

――『MOTHER マザー』は、2014年に起きた17歳の少年による祖父母殺害事件に着想を得た作品ですが、母親(秋子)はまともに働くこともせず、周平にたかり行為をさせるなどとてもヒドい「毒親」にみえます。しかし映画では、秋子は、糾弾の対象としてだけ描かれているわけではありません。大森監督は脚本作りにも参加していますが、どのようなことを意識したのでしょうか。

大森:事件については、概要しか知りませんでしたが、ニュース報道や事件について書かれた本を読む中でこの母親が酷いということはよく分かりました。

 でも、この親子には裁判で明らかになった事実とは別の何か、映画にできるだけの何かがあると思ったんですね。これだけ酷い母親なのにずっと離れなかったのは、この親子の間に奇妙な愛のようなものが純粋培養されていたのではないか、社会の外側に暮らしている分、他者が入り込む余地のない程に純度の高い何かが育まれたのではないかと。脚本作りや撮影にあたってはそんなことを意識していましたね。

◆人間そのものを見つめて

――登場する男性たちは女性的な魅力を持つ秋子に引き寄せられるように関係を持っていきます。そして、秋子は意図せずに遼との間に冬華も授かりますが、善悪では判断できない、人間の業も描かれていると感じました。

大森:秋子は周平が身近にいながらも次々と男性と関係を持ちますが、彼らは皆、彼女の女性的な魅力に抗えない。彼女は、日本人の僕たちが「母親」と聞いて想像する女性像とは異なっています。

 この映画はいわゆる普通の人に許容されていない、認識されていない人間の側面を踏み込んで描いています。僕らの共通認識を超えた、でも確実に存在している人物像を映画の中で出したかったんですね。法律的な物差しとは別に人間そのものを見つめたいという気持ちがありました。

――児童相談所の職員の亜矢の他にも、秋子の元夫や周平が勤務する会社の社長など、周平に秋子から離れるよう促す人々が現われます。でも、秋子も周平を離そうとしませんし、周平も秋子から離れようとはしません。

大森:実際の事件でも、母子の元には児童相談所の職員が訪れています。社会的な保護が必要な二人だったのですが、結果的に母子は離れていません。

 社会から隔絶された母親が子どもにどのようにして愛を注ぐのか。そして、子どもの方はそれをどう感じるのか。その母子の密着、触れ合う感触に善悪を超えた何かがあったのではないかと仮説を立てるところからこの映画の制作は始まっています。

 秋子の「この子を舐めるようにして育てた」というセリフや冒頭の膝を舐めるシーンは、秋子と周平の間で育まれたであろう純度の高い何かを表現しました。

――秋子が女性として魅力的であることがきちんと描かれているからこそ、単なる「毒親」というような印象は受けません。

大森:彼女を「圧倒的な悪だ」と排除するのは違うと感じています。母一人、子一人で生きていくのは大変なことです。その中で実在の事件の少年も、母親の涙や頼るものもなく生きていかなくてはならないという過酷さを目の当たりにしたのではないかと。

 この映画に限らず、実際に起きた事件をモチーフにした映画は、実際に起きた出来事を追うというストーリーテリング的なところもあります。でも、それだけでは映画にする意味がありません。

 この親子の間には「本当は何があったのだろう」と考え直すことが、事実をベースにした裁判とは違う事件の掘り下げ方なんです。過酷な状況下にあった母子の間には離れ難くなる何かが生まれたのではないか。そして、周平は秋子に女性的な魅力も含めて強く惹きつけられていたのではないか。僕はそう考えています。

◆根本的なところで人を知りたい

――大森監督はパンフレットで「この映画を受けとめてください」と言っていますね。

大森:最近の社会は、「生産性」や「道徳」、過剰な「コンプライアンス」に捉われて、人を見る目をどんどん狭めていっていると感じます。それでいいのかという気持ちがありますね。

 この物語の秋子は息子にたかり行為をさせて、お金を稼がせては使い込んでいます。でも、不景気が続くこの社会では、誰しも一歩間違えばそういうことをせざるを得ない状況になるかもしれません。この社会が生み出しているかもしれない秋子のような人たちを、私たちとは「関係ない」と切り捨てられるのか。

 そして、そういう人たちを突き放すのではなく、なぜそのように自分は思うのだろうか、また彼女たちをそこまで追い込むものは何なのかと考えた方が面白いんです。人を肩書きや収入とは関係のない根本的なところで知りたいし、信頼したいという欲求がありますね。

 一般的な女性像、母親像の外にある秋子の人間性をどのように見つめるのか。それを問われているのは僕たちなのではないでしょうか。彼女のような人を単なる「モンスター」として排除してはいけないと思いますね。

――秋子はモンスターではないという気持ちを込めたシーンはありますか?

大森:児童相談所に保護されそうになった時に周平と秋子が寄り添うシーンや周平が殺人を犯した後、秋子と周平、妹の冬華が3人で寝ているシーンなどですね。

 僕たちは彼女たちに「ホームレス母子」「たかりを息子に強いる毒母とそれに応じる息子」というイメージを抱いてしまいがちですが、そのシーンを見て、実は彼女たちの間に絆が存在すると気が付いてハッとする。そういうことをこの映画で表現したかったんですね。

◆社会の外にいる人へのまなざし

――秋子はなぜあのような人物になったのか。そのことを探るヒントとして、秋子と両親、妹との関係も描かれています。

大森:秋子は母親に冬華の妊娠を継げても喜んではもらえません。また、「妹ばかり可愛がって」とも言っています。彼女自身が愛されたい気持ちがあるんですね。どんなに追い詰められても、自分は絶対にお金を稼がない。男性や子どもに稼がせる、というのはそういう気持ちの裏返しとも取れます。

――遼が周平に言った「お母さん、いい女だったよ」というセリフが印象的でした。

大森:遼の立場だったらそう思うだろうなと。社会から疎外された彼らの生活の中にもドラマがある、心の動きがあるんですね。

――人間そのものを見つめるという姿勢は、やはり人間の本質を描いた作品として名高い荒戸源次郎監督『赤目四十八瀧心中未遂』(03)で助監督として出発し、映画人としてのキャリアを積んだ経験から来ているのでしょうか。

大森:あの頃はまだ猥雑さを残す(『赤目四十八瀧心中未遂』の舞台になった)尼崎のドヤ街があって、漠然と「この世にはよくわからない、怖い場所が存在している」という感覚があったと思います。それは、今の世の中にはない、合理性のないものも許容する感覚、言い換えれば世の中に余裕のあることの表れだったと思うんですね。

 ところが、インターネットが発達し情報化社会となった今の世の中では、そういう場所は見ようともしないし、消されていく傾向にあります。それ自体は悪いことではないですが、一方で、そういう場やそこに住む人たちを排除する雰囲気も感じます。そういう人たちも自分たちと変わらない人間であるという視点を持つことが大切なのではないかと。

◆俳優を信じて任せる

――秋子役の長澤まさみさん、遼役の阿部サダヲさん、周平役の奥平大兼さんに対して、細かな演技指導はしたのでしょうか。

大森:僕の撮影はテイクが少ないんです。テストを1回して、後は「よーい、スタート」で始めます。俳優さんたちは、その場一回限りで自分が何を感じるかを把握しないといけません。

 何度も練習すれば、「次はこういう顔をする」とシミュレーションできますが、練習はして欲しくないですね。その時相手が言った言葉を聞いて、それに対してその場でどう反応するか。そういうコミュニケーションの中での演技にリアリティが生まれると思っています。それには俳優を信用するしかありません。

 監督である僕は脚本を書いたり、演技指導ができても、カメラのこちら側に立っています。カメラの向こう側にいる俳優さんたちの感じる体温や言葉を交わした時の感覚はわかりません。俳優さんたちには、カメラの向こう側に立っている者だけが感じられる何か、それを大事にして演技して欲しいと伝えました。

――秋子演じる長澤まさみさんの演技は、鬼気迫るものを感じました。

大森:秋子の女性像は、普通は共感を持てないと思いますが、長澤さんもやはりそうでした。その点に彼女も最初は戸惑いや難しさを感じていましたが、演技について細かな注文はせず、信じて全面的に任せました。結果的にきちんと役に入ってくれたので良かったと思いますね。

 撮影はほぼストーリ―の順番に撮影していますが、体重の増減もお願いしました。果敢に新しいことに挑戦する、素晴らしい女優さんだと思います。

――日本映画には『MOTHER マザー』のような、児童虐待や貧困といった社会問題に切り込んだ作品が少ないように感じます。

大森:社会問題を扱った映画、尖った映画にお客さんが入るようになればもっと製作されるのではと思いますね。ただ、残念ながらそういう作風でない、わかりやすい、無難な映画にお客さんが入るという現実があるので、必然的にそちらの方が多く作られていく状況から抜け出せていません。

 それでも社会問題を扱った映画を撮りたければ、低予算かつ外部の資本の入らない自主映画という形を取れば実現できます。ただ、今回のように、長澤まさみさんのような人気のある俳優さんを起用して多くの人に見てもらえる作品にできるかというと難しい面もあります。その点は悩ましいと感じますね。

――次に取り組みたいテーマについてお聞かせください。

大森:歴史の中で人間が翻弄されていく姿を、数十年単位の長いスパンで描いてみたいという気持ちがあります。一方で、日常生活から浮かび上がる何かを扱ってみたいとも考えています。いずれにせよ、普通の人とは違う価値観を持った人を撮りたいですね。

◆誰も排除しない社会を作るために

――この映画で伝えたかったことをお聞かせください。

大森:明確なメッセージはありません。ただ、秋子と周平のような人たちをどのように捉えるか、それはやはり社会全体で考えないといけないと思います。

 法治国家である以上、裁判をして加害者に相当の罪を課するのは大切なことです。ただ一方で、なぜそういうことが起きてしまったのか、それを考えるのも人間として必要なことなのではないかと。

 ネット社会は加害者を裁きたがりますが、加害者の背後にも人生があります。彼ら彼女らは社会が生み出したのではないか、自分も社会から排除された人たちを生み出した社会の一員であれば、その点を考えないといけないのではないか。

 そして、それを描くことができるのはやはり映画なのではないかと感じます。事実の羅列では伝えられないことを、映画では表情やニュアンスで伝えることができるんですね。

 罪を犯したら刑務所に入れて、罪状が重ければ死刑にすればいいというのは、あまりに冷たい。思考停止して排除することはせずに、思い止まって加害者の生き方を想像する。そういう姿勢が、本当により良い社会を作るためには必要なのではないかと信じています。

<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。

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