世界三大テノールはなぜビッグビジネスになり得たのか? 映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』が紐解く舞台裏

世界三大テノールはなぜビッグビジネスになり得たのか? 映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』が紐解く舞台裏

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 世界三大テノールと呼ばれ、1990年から2003年まで続いたビッグコンサートの舞台裏を描いたドキュメンタリー『甦る三大テノール 永遠の歌声』が全国で公開中である。

 イタリアのモデナ出身のルチアーノ・パヴァロッティ、スペインのバルセロナ出身のプラシド・ドミンゴ、そして、同じくバルセロナ出身のホセ・カレーラス。ライバル関係だったオペラ歌手3人が集ったのは1990年7月7日のこと。サッカーワールドカップイタリア大会の決勝前夜、ローマのカラカラ浴場で開かれたコンサートだった。

 その日は3位決定戦でイタリアがイングランドに勝利しコンサートの熱気は最高潮に。万雷の拍手を送ったのは6000人。しかし、そのコンサートはテレビ中継され世界で8億人が視聴していた。三大テノールコンサートのレコードは3日間で50万枚、1ヶ月後に300万枚、最終的には1600万枚を記録し、クラシック界最大のベストセラーとなる。

 白血病で生死の淵を彷徨った後、奇跡的に復活したホセ・カレーラス。白血病の研究と白血病患者の財政的支援を行う「ホセ・カレーラス国際白血病財団」への寄附金集めとカレーラスの復活を祝うためにコンサートは開かれたのだった。そして当初、このコンサートがドル箱になるとは誰も予見していなかった……。

◆ビッグビジネスの舞台裏

 世界三大テノールのワールドカップ前夜祭でのコンサートは1990年イタリアのFIFAワールドカップを皮切りに、1994年ロサンゼルス、1998年パリ、2002年横浜と続く。そして、1996年からは、東京、ロンドン、ウィーン、ミュンヘン、ニューヨーク、ラスベガス、プレトリア(南アメリカ)などでのワールドツアーも敢行し8万人を動員した。

 ドキュメンタリーは2007年のパヴァロッティの死去までを追っている。物語の前半はライバル関係にあったパヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴの3人がなぜ一堂に会したのかについて描かれているが、その様子は実に心温まるもの。白血病と闘病したカレーラスの復帰を歓迎する同業者の仲間のパヴァロッティ、ドミンゴその他の関係者が白血病と闘う人に捧げたチャリティーコンサートを開くまでのエピソードだ。

 ところが、物語の後半はチャリティーコンサートが一転、4年ごとに確実にセールスが上がるビッグビジネスを巡る周囲の思惑を映し出す。1990年のコンサートの開催後、観客動員数やCDセールスでトップクラスの数字を叩き出したことにレコード会社や興行プロデューサーは色めき立った。4年後のロサンゼルスワールドカップで開催されるコンサートをドル箱ビジネスにしようと動き出すのだ。

 と同時に、当時のマネージャーが1990年当時のレコード会社との契約内容を後悔するシーンも登場する。出演料を低く抑え、売り上げのロイヤルティーを高くすることを指揮者のズービン・メータと3人に提案したデッカ・レコード社に対し、ドミンゴが反対。結局、ロイヤリティーを低く抑える代わりに高額な出演料を内容とする契約にサインしたのだった。

 ところが蓋を開けてみると、レコードセールスは出演料を遙かに上回る数字を叩き出した。売り上げ×数パーセントのロイヤルティーを徴収できる契約にしておけばどれだけ儲かったことか…。

 そして行われた1994年ドジャー・スタジアムでのロサンゼルス公演。各々の出演料は100万ドル。世界中の報道関係者が殺到し、客席にはフランク・シナトラ等の他、グレゴリー・ペック、ジーン・ケリー、ニコール・キッドマン、トム・ハンクス、ティッパー・ゴアなど錚々たるセレブの顔が。このコンサートがクラシック音楽のイベントでの過去最高売り上げを記録し、13億人が視聴。この成功をきっかけに三大テノールはワールドツアーを敢行。そして、ワールドカップ開催時に定期的に開かれるイベントへと大躍進を遂げる。

◆三大テノールヒットの背景

 ビックコンサート「三大テノール」がヒットした要因は何かと問われれば、やはりそのスタートがワールドカップ決勝戦の前夜祭として行われたということであろう。「すごいオペラの歌手が3人集まるコンサート」というだけではここまでのブームになることはあり得ない。観客にしてみれば自国でワールドカップが行われるのであれば、多少高額でもサッカーの試合以外に記念になるイベントに行ってみたいというのも一理ある。財布の紐も緩くなることは至極当然であろう。関係者の予想に反してチケットは500ユーロで闇取引されていたという。

 テレビ中継の効果も大きい。1990年の最初のコンサートは「ワールドカップの前夜祭に行われるイベント」という枕が付いて8億人が視聴。テレビ中継を見て曲を気に入った視聴者がCDを買ったことがブームのスタート地点であり、話題を聞きつけて買う人が出るという流れができていたに違いない。また、テレビ中継を担当した当時のオペラ、クラシックの専門のテレビディレクターのブライアン・ラージは「世界的に有名なモニュメントであるローマのカラカラ浴場が舞台ということを強調したかったので、木にも照明を当てた」と演出に工夫を凝らしたことを語っている。こうした演出の工夫も高視聴率の要因であり、ブームの一端を担ったのかもしれない。

 そして、三大テノールのヒット要因はやはり楽曲の幅の広さにあると言えよう。また、この楽曲を楽しめるのもこの映画の魅力となっている。1990年のワールドカップはどのチームが決勝に残るか予想できなかったので、全ての国の観客を満足させるため、世界各国のナンバーをオペラにアレンジして披露したのだという。1990年の公演のセットリストには、フランスの『アルルの女』『アフリカの女』、ドイツの『ほほえみの国』、アメリカの有名ミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』の劇中歌である『マリア』『トゥナイト』、メキシコ民謡の『シェリト・リンド』、ロシア民謡の『黒い瞳』、そしてタンゴの『カミニート』など各国の有名楽曲が並ぶ。

 楽曲のアレンジをしたのは、ハリウッドの映画音楽で活躍した編曲家、ジャズピアニスト、指揮者のラロ・シフレン。映画音楽で培ったノウハウはその後のワールドツアーでのアレンジにも活かされた。劇中でも流れる土地ごとにアレンジしたオペラは見事であり、ニューヨーク公演では『ニューヨーク・ニューヨーク』、ウエスト・サイド・ストーリーの『アメリカ』、そして『ムーン・リバー』なども披露。また、劇中には登場しないが東京公演では美空ひばりの『川の流れのように』も歌われている。「3人のハーモニーで聴かせるのではなく、別々にシンプルにメロディーラインを歌う」というアレンジがオペラをより聞きやすく、親しみやすくしたと言えるだろう。

 また、言わずもがなであるが、三大テノールの魅力は3人の歌手としての技量である。その歌声はリアルでなくとも聴き惚れてしまう。ちなみに劇中では『オ・ソレ・ミオ』の冒頭の「オー」を長く伸ばす歌唱方法は、この三大テノールコンサートから生まれたというエピソードも明かされる。

◆音楽とスポーツは国境を越える

 物語の終盤では「3人は商業主義の巨人」「オペラを俗物化した最悪のイベント」「世間は話題性にしか関心がない」と三大テノールに批判的な声も紹介される。というのも、1994年のロスアンゼルス公演からはプロデューサーが交代し、以後のコンサートは全てやり手興行家のティボール・ルーダスがすべてを取り仕切るようになった。それに伴って当初の「3人の友情のイベント」「チャリティーイベント」の色彩は薄くなってしまったのだ。「ルーダスは3人から搾り取れるだけ搾り取った」と評するシーンもある。事実、オペラにさほど関心が高いとは言えない日本においても、1996年6月29日に東京の国立霞ヶ丘競技場で行われた「日本初三大テノール」は7万5000円のチケット6万枚が即座に売り切れたとか。

 しかし、三大テノールの歌声が素晴らしかったことに変わりはない。商業イベントだからといって、音楽とスポーツの幸福なマリアージュから始まった三大テノールの価値は毀損されるものではないだろう。

 白血病を克服し、1990年のカラカラ浴場での「三大テノール」での復活を遂げたカレーラスは「マラドーナがペナルティーキックを蹴る時は歌手がハイCを出す時に似ている。あれほど緊張することはない」と語る。その緊張感を目の当たりにした観客も高揚感を味わえる。それがライブイベントの醍醐味なのだ。

 物語の終盤、パヴァロッティはこの世を去るが、残りの二人は新たなメンバーを入れて三大テノールを続ける提案を拒否する。これで三大テノールは永遠のものとなった。

パヴァロッティの妻は「音楽とスポーツは人間同士に橋を掲げてコミュニティを作ることができる。それは国境も宗教も関係ない」との生前のパヴァロッティの言葉を語った。その一体感は画面を通して伝わって来る。

 そして劇中のラストで流れる『誰も寝てはならぬ』。誰もが一度は耳にしたことのあるオペラの名曲だ。

夜よ消え去れ 星よ沈め

星よ沈め

私は夜明けに 勝利するだろう

私は勝利するだろう

私は勝利する

 友情とチャリティーのイベントが商業イベントになった経緯も紹介される本作。しかし、最終的に勝利したのは「芸術と友情」、そしてそれを支えた「観客」だったのではないかと思わせてくれるラストだった。コロナ禍が続くが、本作で一時でも現実を忘れ、オペラの余韻に浸りつつ1年のスタートを切ることもおススメである。

<文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。

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