没後一周年、女優・伊藤清美が語る松田政男の肖像

没後一周年、女優・伊藤清美が語る松田政男の肖像

没後一周年、女優・伊藤清美が語る松田政男の肖像の画像

◆松田政男と埴谷雄高

 昨年3月17日、映画評論家として知られる松田政男が死去した。第二次『映画批評』誌の創刊や、日活が鈴木清順監督を解雇したことによる「鈴木清順問題共闘会議」の結成といった活動のほか、管理社会やネオリベラリズムに対する批判としての射程を持つ「風景論」を著書『風景の死滅』などで展開した論客としても知られている。

 また、1950年代に日本共産党の活動家として出発し、のち馘首され、アナキズムに接近。東京行動戦線を結成したり、『世界革命運動情報』を創刊したりし、自身を「失業革命家」と規定していた。彼に影響を与えた人物として、『死霊』などで知られる作家・埴谷雄高がいるが、今回語るのはその一場面だ。

 語るのは女優・伊藤清美。彼女、松田、埴谷らが織りなす光景を、今振り返る。

◆松田政男との出会い

 伊藤と松田が出会ったのは1984年のこと。きっかけを伊藤はこのように語る。

「麿赤兒(まろあかじ)さんが監督をした映画『性獣のいけにえ』の現場で一緒になって。それ以前に(演劇集団の)『発見の会』で会った時も見たことはあるし、存在は当然知っていたけど、移動の車のなかで、隣同士になったときに話をしたのが最初。

 『松田さんですよね』と声をかけたら、『最近映画に出てる伊藤清美ちゃんだよね』と言われて会話をして。当時のわたしは、“何も考えてない女の子”という感じだったんだけど、『(思想家の)吉本(隆明)さんにあったりすることはあるんですか?』と松田さんに尋ねたら、『会わないわけでもないよ』と言われて。そんな会話をきっかけに、それ以降、映画や芝居を観に行くというような形で関わりが実体化して」

◆埴谷邸という「充実」した空間

 松田と知り合った伊藤は、1988年には埴谷とも知己を得る。伊藤は、松田やその他さまざまな人びとが訪れる埴谷邸に「充実」の空間を見出した。たくさんの言葉が行き交う、心地よい空間だった。

「埴谷さんのおうちに伺ったことで、わたしにとって重要なことといえば、具体的に『充実』した空間を見せてくれたということ。いろんな人が来ていて、一昨年亡くなった高取英さんが一緒だったりとかもあった。約束をして会う、というのじゃなくて、“近くに来たんです”と言って、気楽に顔を出すことができる、“誰が来てもどうぞ”という感じだった。

 埴谷さんもラフで、寝間着で出てくる。たとえば、わたしが埴谷さんの家にいるときに(映画監督の大島渚が)電話をしてきて、『タクシーの帰り道だから』と、なんとなく急にやって来たことがあった。埴谷邸に集まるというより、交差点というような。身体と言葉が同時にあるから、交差の瞬間には言葉も充ち満ちる感じで、穏やかとか白熱とは関係ない、緊張感があって、それがむしろ心地良かったかな」

◆永久革命と存在論

 松田は自らの考え方の根底に「永久革命」と「存在論」があると語っていた。抽象的な話だが、前者は“全宇宙史の中では革命が永久的であり、人為的に押しとどめることはできない”というものだ。

 後者は「人間とは何か」を考えるだけにに止まらず、人間を考えるとはなにか、ということからどんどん思考を連鎖させていく行為、とでもとらえられるだろうか。松田がこのふたつの視点を持つに至ったのには、埴谷が大きな影響を与えている。

「松田さんは、『存在論』という視点から、埴谷さんを信頼していたように思う。自分はまだそこに至っていないけど、でも埴谷さんは『悟っている、わかっている』みたいな言い方をしたこともあった。

 わたしに対しても、松田さんが、「『存在論』自体として存在している少女だから、いいなあ」って言ったことがあった。愉悦とか理想郷とか。“でも、それはそう言うことじゃないのではないですか?”とも思うわけだけど、松田さんが、ふとそういうことを言ったときの、なんていうか、その感じを覚えてる」

 存在をめぐる抽象性の高い議論。この思考や感覚が、埴谷から松田、松田から伊藤へと連鎖していく。埴谷が松田にとって「教師」として大きい存在であったのと同じように、伊藤にとってもまた、松田が「導き手」であった。伊藤は語る。

「自分では移動してるつもりなのに、いつも松田さんがいて、それが松田さんらしい。わたしがやっていた、左翼出版社、アングラ芝居、ピンク映画……。今考えれば、出版もお芝居も映画も、どれも「表現活動」みたいなものだから、松田さんの仕事の範疇を考えると、出会うのは当たり前のことなんだけど。

 でも、当時は自分は違う場所に移動しているつもりなのに、移動するとそこにいつでも松田さんがいる、という感じだった。わたしには知識や言葉を拒絶しながら、実体としてのなにかを求めるとか、実態や実感がどれほどの正しさがあるのか、試してみたいと考えていた時期があって、だから裸になったりもして。いったん言葉を捨てようとして、また言葉に戻ってくるというか、なにかの概念にたどり着き直そうとしていたというか。そういう流れのなかで、松田さんは一人の導き手だった。

 松田さんは埴谷さんを先達として信頼していたように、わたしにとって松田さんは尊敬する先達でした」

(文中敬称略)

<取材・文/福田慶太>

【福田慶太】

フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。

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