『鬼滅の刃』から読み解く、「病気と理不尽」への立ち向い方

『鬼滅の刃』から読み解く、「病気と理不尽」への立ち向い方

?Photo: Takaaki Iwabu/Bloomberg via Getty Images

 『鬼滅の刃』のマンガの累計発行部数は1億2000万部、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』は興行収入371億円を超え、今や日本でその名を知らない人はほとんどいない、かつてない社会現象を巻き起こしたコンテンツとなった。

 改めて本作を結末まで読むと、今のコロナ禍に生きる人こそ希望をもらえる、素晴らしく尊いメッセージが訴えかけられていることに、感涙しきりだった。その理由をたっぷりと記していこう。

※以下では、マンガ『鬼滅の刃』の最終23巻の内容を含むネタバレに大いに触れている。読了後に読むことをおすすめする。

◆病気を連想させる鬼たち

 『鬼滅の刃』の物語の大筋は、家族を惨殺された主人公の竈門炭治郎が、「鬼」と化してしまった妹の禰豆子を人間に戻すために奔走し、この世に鬼を蔓延らせ人を殺し続ける元凶である巨悪・鬼舞辻無惨を打ち倒そうとする、というものだ。

 この鬼という概念そのものが病気と言える上に、敵となる鬼には名前や状況からして病気を連想させる者がいる。例えば、終盤で戦うことになる黒死牟(こくしぼう)は「黒死病(ペスト)」を連想させる。遊郭で戦うことになる鬼の堕姫(だき)は、人間だった頃の名前が「梅」であり、遊女が実際に恐れていた「梅毒」を思わせる。全ての元凶である無惨は、驚異的な再生能力を持ち細胞を分化させ生き延びようとすることから「がん細胞」、または人類史上初めて根絶に成功した「天然痘」であるという解釈もできるだろう。

◆ワクチンとなる禰豆子

 その無惨を倒すことができたのは、弱点である太陽の光、その場で(これまでも)戦い続けた者たちの必死の奮闘、そして医師である珠世が短期間で開発した4種の薬のおかげでもあった。そして、無惨の死後に鬼になってしまった炭治郎が人間に戻れたのは、最後に残していた薬と、「炭治郎が最初に噛んだ禰豆子が一度鬼になって人間に戻っているため抗体を持っていた(無惨の細胞に対して免疫があった)」おかげであると、劇中で明言されている。

 もはや説明が不要なほど、禰豆子は「ワクチン」または「免疫」そのものだ。鬼を討伐する鬼殺隊は医療従事者で、その中でも強大な力を持つ柱はあらゆる病気に立ち向かう医師とも取れるし、珠世や胡蝶しのぶといったそのままで薬を開発する研究者もいる。

 さらに、物語の舞台である大正時代は、現実でスペイン風邪が世界中で猛威を振っていた頃とも重なっている。この『鬼滅の刃』の物語そのものが、多くの人々の命を奪った恐るべき病気に対しての「戦歴」そのものとも言えるだろう。

◆理不尽そのものを体現した無惨

 物語の全ての元凶である無惨は、人(鬼)を人とも思わない、ただ多くの命を奪い続け、不幸を撒き散らしていた、理不尽(な病気)そのものを体現したような存在だ。

 そんな無惨は、終盤で家族を惨殺された炭治郎に向かって「しつこい」「身内が殺されたから何だと言うのか」「天変地異に復讐しようという者はいない」「異常者の相手は疲れた」などと言い放つ。そこで、(時には鬼に激昂することがあるも)慈悲のある行動をし続け、澄み切った心を持っていたはずの炭治郎でさえも、「無惨、お前は存在してはいけない生き物だ」と無表情で口にするのである。

 この無惨の言い分は醜悪そのものだが、世の中にある病気も、多くの人々を長い年月に渡って死に追いやり、それ以外の者も苦しめ続けるという「結果」だけ見れば、無惨と大差はない。もちろん、現実の病気は言葉を発することもなければ、意思を持ち行動するわけでもないが、その悪意すら見られないこと、つまりは怒りのやり場もなくしてしまうということも、病気に苦しめられる人々の共通認識としてあるだろう。

 この『鬼滅の刃』では、そのような理不尽そのものを体現する無惨から、悪びれもしない醜悪な言動をされて、それに対しての静かだが徹底的に沸き起こる怒りを吐き出す。いわば、最悪の病気に対しての積み重なる憤りを、炭治郎は代弁してくれているのだろう。

 そして、無惨のように人々を苦しめ続け、それでいて悪びれもしない、それこそ「存在してはいけない生き物」とまで思ってしまう最悪の人間は現実にも存在していて、法律で納得できる形で裁かれないこともある。病気でなくとも、そのような人間がこの世にいる限り、無惨は決して極端なだけではない、むしろリアリティのある悪として捉えられるだろう。

◆憎むべきなのは「病気にかかった者」ではない

 ここまで『鬼滅の刃』における鬼=病気と書いてきたが、この解釈には少し危うさもある。と言うのも、鬼は元々は人間だったのだが、劇中では彼らはほぼほぼ殺される対象であり、「治す」という選択ができたのはほぼほぼ禰豆子と炭治郎だけだったのだから。

 現実で病気にかかった者は、治療や隔離といった範疇を超えて、周りから差別され疎まれてしまうということも、人類の歴史上では多くあった。このことを踏まえても、悲しい過去を持つことも多かった鬼に対しての第一の手段が殺害ということに、違和感を覚えてしまう方も多いのではないか。

 だが、劇中ではこの問題に対しても切り込んでいる。鬼になった禰豆子を殺害すべきだと主張する柱たちに対して、炭治郎は必死で禰豆子が人間を食べないことを主張し、書面でもその事実の重要性が訴えられ、認められたのだから。文字通りに鬼を殺し続けてきた鬼殺隊の価値観が絶対ではないと、明確に示されているのである。

 言うまでもないが、憎むべき、根絶されるべきなのは「病気そのもの」であり、「病気にかかった者」ではない。杞憂だとは思うが、『鬼滅の刃』を読んだ方が、現実にいる病気にかかった者や、理不尽を体現したような人間を、現実に存在しない鬼に見立てて、ただ攻撃されるべき・滅ぼされるべき存在と考えてしまいすぎないことを、願いたい。

◆平和な世の中への希望

 禰豆子は、鬼になり自らを噛んだ炭治郎に向けてこう言う。「どうしていつもお兄ちゃんばっかり苦しいめにあうのかなあ。どうして一生懸命生きている優しい人たちが、いつもいつも踏み付けにされるのかなあ」と。これは、病気に限らず様々な理不尽に苦しめられていた人たちの、普遍的な悲しみを背負った言葉だ。

 そして、全ての戦いが決着した後に、こう綴られる。「光り輝く未来の夢を見る。大切な人が笑顔で、天寿を真っ当するその日まで、幸せに暮らせるよう、決してその命が理不尽に脅かされることがないよう、願う」と。そして、最終話では現代の東京の、輪廻転生をした者や子孫たちによる、平和な世の中の日常が描かれる。

 この『鬼滅の刃』にあるのは、明確に「病気や理不尽に優しい人たちが苦しめられることがありませんように」という願いだ。そして、劇中で鬼に立ち向かい、総力を結集して無惨を倒すまでの登場人物の戦いは、およそ100年後の幸せな日々にも繋がっているのだ、と。

 今の新型コロナウイルスとの戦いに身を投じている医療従事者や研究者も、「いつか、きっと」とこの先の平和な世の中への希望を得られるのではないだろうか。もちろん、そうではない、ただ一生懸命に生きている、全ての優しい人たちにとっても。

◆あなたは大切な人です

 先日、新型コロナウイルスに感染した30代の女性が、「自分のせいで周りに迷惑をかけてしまった」などの理由で、自ら命を絶ってしまうという、痛ましいという言葉では足りないニュースが報道されていた。

 新型コロナウイルスをはじめ、病気にかかった人は、そんなことは思わなくていい。『鬼滅の刃』でも、戦いを終え鬼と化した時の後遺症が残っている炭治郎が「傷が残るだろうなあ……みんなにも申し訳ないよ」と言うと、禰豆子が「そんなこと気にする人いると思う?もう謝るのはなし。次謝ったらおでこはじくからね」と珍しく怒るシーンがある。病気にかかっても、後遺症が残っても、そこに罪悪感を持つ必要なんてない。

 そして、最終巻の23巻の、単行本の書き下ろしのメッセージは、こう締め括られている。「生きていることはそれだけで奇跡、あなたは尊い人です。大切な人です。精一杯生きてください。最愛の仲間たちよ」と。

 読者を(劇中の登場人物と同じく)「最愛の仲間」であり「大切な人」だと言ってくれる吾峠呼世晴先生の言葉の、なんと優しいことだろうか。物語上ではたくさんの命が奪われてしまう『鬼滅の刃』だが、だからこそ1人の命がいかに尊いものかということも、今一度教えてくれるようでもあった。

 この『鬼滅の刃』のメッセージが届けば、少しでも新型コロナウイルスの影響で、自ら命を絶とうするまでに追い詰められている人を救えるのではないか。筆者もまた、少しでも理不尽に苦しめられる人がいなくなるように、願っている。

<文/ヒナタカ>

【ヒナタカ】

雑食系映画ライター。「ねとらぼ」や「cinemas PLUS」などで執筆中。「天気の子」や「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめ。ブログ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」 Twitter:@HinatakaJeF

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