歴史を変えた“戦国めし”を再現「信長は“湯漬け”をかっこんで桶狭間へ」

織田信長

 少し前に、自衛隊や米軍、韓国軍など世界の軍隊食を「ミリめし」(ミリタリー=軍隊めし)と称して、食するブームがあった。戦場での携帯性と保存性の高い非常食が、コロナ禍の現在、再び注目されている。歴史家の河合敦氏、戦国芸人・桐畑トール氏とともに元祖ミリめしとも言える戦国時代の食について探ってみよう。

「戦国時代の戦場(いくさば)での携帯・保存食の代表は、『兵糧丸(ひょうろうがん)』。瞬時に栄養を補給して、一日から数日を動けるようなスグレモノで、他に『芋茎縄(いもがらなわ)』『味噌玉(みそだま)』『干飯(ほしいい)』など、戦時のサバイバル携帯食がくふうされていました」

 歴史家の河合敦氏によれば、武将ごとに独自のくふうがあったようで、

「戦国時代の武士の食を研究されている永山久夫先生によれば、この兵糧丸の作り方は大名家によって、その材料や製法も違っていた。徳川家康は黒ごま、黒大豆、片栗粉に砂糖を加えて作り、上杉謙信は麻の実、黒大豆とそばを粉にして酒に浸して丸薬にしたと、『上杉家兵法書』にあります。謙信の好敵手だった武田家では、『甲州流秘書』に、寒晒(かんざらし)の米粉、そば粉、梅干の果肉、カツオ節、鰻の白干しなどをやはり酒で練り固めたとあります。秀吉の天才軍師の一人、竹中半兵衛は、松の甘皮と朝鮮人参と米を主な原料としていたとか、さまざまな作り方があったようです」

 松の甘皮は、城に立てこもっての籠城戦の非常食となるので城内に植えられ、一説には江戸城(皇居)の松などもそういう目的で植えられたともいわれる。

 戦国時代に詳しい芸人の桐畑トール氏はその味について、

「テレビで再現しているのを見たことがありますが、ボソボソしておいしそうには見えなかったです。35年くらい前に初めて食べたカロリーメイトを思い出しました。今はおいしくなりましたが、当時は栄養はあってもおいしくはなかった」

「芋茎縄」は、里芋の茎を味噌で煮て乾燥させ縄状にしたもの。腰などに巻いて携帯し、時には縄として使い、腹が減った時にはそのままかじったり、陣笠を逆さまにして水を入れて温めるとインスタント味噌汁ができたという。

 このほか、戦国時代以前には、「屯食(とんじき)」と呼ばれた握り飯も戦陣食としてあった。

 本能寺の変で信長の死後、秀吉と柴田勝家が対決した「賤ケ岳の戦い」の際に、秀吉は大垣から近江までの50キロ余りをわずか5時間で移動したといわれるが、この時には、移動の途中にある村の庄屋や大百姓に使者を送り、通過する秀吉軍の兵に倉の米を炊いて屯食を提供するように手配していた。そのおかげで食事休憩を取ることなく移動することができたという。現在でも忙しい外回りの営業マンや屋外が現場の仕事人にとっては、場所を選ばず素早く食べられる握り飯はなにかと重宝される。日本が誇る携帯食と言えるだろう。

「味噌玉」は、味噌の中に生姜や山椒などを練り込んで丸め、焼いて玉にして携帯したようだ。

「兵隊たちは大変な労働を強いられて大量の汗をかくので、塩分やミネラルの補給に味噌は必需品でした。各地を転戦していた武田信玄の軍団では、くず米や糠に塩、麹を加えて布袋に包んで腰にぶら下げておくと、行軍の揺れも手伝って数日のうちに即席の味噌が出来上がったという『陣立て味噌』なる、即席味噌づくりも行われていました」(河合氏)

 戦場食とも言える「干し飯」は、一度蒸した米を天日で干して乾燥させたもの。その食べ方について、河合氏が続ける。

「蒸したもち米を水で洗って干したあと、杵でついてザラメのような細かい粒にして、食べる時には再び水で戻したようです」

 足軽たちは2〜3日の戦については、自前でこれらの保存食や屯食を用意していくのが普通で、それ以上の行軍となる場合には、1日5合程度の米が支給されたという。

 1日5合のご飯は、今からみると多い気がするが、かの宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」では「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とあるから、昔から日本人のエネルギーの源はガッツリ食した米であったということだ。

 ところが、

「雑兵たちの中には、腰にぶら下げて発酵させ、ほとんど酒にして飲んじゃうヤカラがいたから、4日目にならないと米は支給しなかったんですね」(桐畑氏)

 織田信長は今川義元との桶狭間の戦いに際し、玄米に湯を注いだだけの「湯漬け」を立ったまま食べて出陣したという逸話がある。

「メシに時間をかけないという、せっかちな信長の性格がよく出ていますね」と桐畑氏は分析するが、返す刀で河合氏は、

「そんなイメージが強いんですが、あらためて『信長公記』を読むと、ここではただ『立ちながら食事をとられる』としか書いてない。『湯漬け』を食べたというのは、のちの創作と考えられますね」

 では、ここぞという戦の前に、武将たちは何を食べたのだろうか。

「当時の出陣式のしきたりが記録に残っていますが、軍師が準備をした出陣式で大将は、『勝栗(かちぐり)・打鮑(うちあわび)・昆布』を『三献(さんこん)』として、これらを1つずつ食べ、盃の酒を3度に分けて飲む儀式を行いました。つまり『敵に打ち勝ち、よろこんぶ』という語呂合わせで縁起を担いだ。栗は米とほぼ同じくらいのカロリーがあり、ミネラルが豊富でビタミンA、B、Cも多く含まれる。風邪の予防にも効果があるし、鮑は高血圧、肥満の予防にいい。アルギニン、タウリンなどを含んで肝機能や視力に効果があり、現代の栄養ドリンクにもこれらの成分が配合されています。いざ出陣という時にエネルギーをチャージするという、理にかなったものだったと言えます」(河合氏)

 栗、鮑、昆布の3つは、単なる語呂合わせではなく、必要不可欠な栄養素の補給でもあったのだ。

河合敦(かわい・あつし)1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。歴史作家・歴史研究家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。主な著書:『早わかり日本史』(日本実業出版社)、『大久保利通』(小社)、『繰り返す日本史 二千年を貫く五つの法則』(青春新書)など。

桐畑トール(きりはた・とーる)1972年、滋賀県生まれ。滋賀県立伊香高校卒業後、上京しお笑い芸人に。2005年、オフィス北野に移籍し、相方の無法松とお笑いコンビ「ほたるゲンジ」を結成。戦国マニアの芸人による戦国ライブなどを行う。「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)のリポーターとしてレギュラー出演中。現在、TAP(元オフィス北野)を退社しフリー。

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