新宿2丁目「ゲイバー店主」はLGBT問題をどうみているか

Illustration ニャロメロン

「じつはこれは失礼な行為である」

「厳密にはこれも失礼に当たる」

 当失礼研究所は、そんなふうに重箱の隅をつついて「失礼」を作り出すために、研究を重ねているわけではありません。

 基本の失礼は押さえつつも、自分と周囲が日々を平和に穏やかに過ごすために、失礼とどう付き合っていけばいいかを考えていく所存です。

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「ポリコレ意識が高まるのはけっこうなことなんだけど、ゲイバーとしてはやりづらいよね」

 前回は「LGBT」の人たちへの失礼について考えていたら、頭がこんがらがってきました。今回は、当事者の意見を聞いてみましょう。『新宿二丁目』(新潮新書)などゲイに関する著書も多い作家・伏見憲明さんを訪ねて、新宿2丁目の伏見さんのバー「A Day In The Life」へ。

 冒頭の伏見さんの嘆きに出てくる「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)」とは、直訳すると「政治的正しさ」。誰かを傷つけるような差別的な表現や用語を使わないようにすることです。

「2丁目では、女性のお客さんが入ってくると『あーら、ブス、いらっしゃい』と迎えるのがかつては“お約束”だったけど、最近はそう言われて怒る女性もいるよね」

 この場合の「ブス」は、説明するのも野暮ですが、ケナシ言葉ではありません。女性と同じ土俵に乗ってはいないゲイが、複雑な前提を踏まえつつ、非日常の世界への歓迎の意味を込めて言っています。

「ウチは『環境型セクハラの店ですけど、いいですか』って最初に確認するの。おかまの自虐ネタも引かれちゃったりとか、何かとやりづらくはなったわね。でも、2丁目ですらポリコレ意識と無縁でいられなくなるのは、ゲイが市民社会に受け入れられていくことと、引き換えみたいなところがあるのかもしれない」

 1990年代から伏見さんらが情報発信をしてきたことで、2丁目はゲイ以外でも気軽に“観光気分”で行ける街になりました。同時にゲイの社会も、大きく変化しています。

「昔の2丁目には、差別される同士としての『ホモの平等』があったんだけど、ゲイが少しずつ市民権を得てくると、一般的な階層社会の価値観が2丁目にも入り込んできたの」

 社会的地位や収入は、かつては何の意味も持ちませんでしたが、今では一目置かれる要素になりました。差別が薄まることで新しい差別が生まれる──。何とも厄介です。


■それぞれのカミングアウト経験


 店で働く20代のイケメンゲイふたりにも、あれこれ尋ねました。カミングアウトをめぐる状況は、大きく変わっているようです。

「友達に『僕、ゲイなんだ』と言うことに、あまり抵抗感はないですね。誰にでも言えることではありませんけど。カミングアウトしたときに、否定的な反応をされたことは一度もありません。『話してくれてありがとう』って感じですね」

 とA君。当事者以外の「カミングアウトを受ける心構え」も、少なくとも若い世代では、しっかりできている人が多いようです。仮に否定的な反応をしたら、ほかの友達に眉をひそめられるでしょう。

 ただ、A君は10年ほど前、あるテレビ局の中のレストランでバイトしていたとき、悔しい思いをしました。ひょんないきさつで店長にゲイであることが伝わると、店長から「エイズ検査を受けて来い。そうしないとクビだ」と言われます。

「仕方なく受けて診断書をもらいました。でも、お医者さんの字が汚くて、店長に『お前が書いたんだろ』って決めつけられたんです。そのあとも働いてたんですけど、店長はずっと意地悪な態度でしたね」

 店長がやったことは、失礼どころか、何重もの意味で最悪です。当時でも大問題ですが、今ならきっと店長のクビぐらいでは済みません。

 いっぽうで、親へのカミングアウトは、引き続き大きな悩みです。

「ウチの場合は、わりとあっさりでした。『ああ、そうなの』って」

 というB君のようなケースも増えてはいるようですが、A君は「親にはまだ言えないでいます」とのこと。親との関係についての質問は、ひじょうにデリケート。大きな傷や重荷になっているケースは少なくありません。取材とはいえ、ぶしつけに聞いてしまってごめんなさい。

「自分がゲイであるということに関する話題で嫌なのは、ゲイに生まれてかわいそうだねとか不運だったねと同情されることです。ゲイだから出会えた友達もたくさんいるし、僕は僕なりに楽しく過ごしているのになって思いますね」(B君)

 同情は無意識の失礼の典型。する方はいい気持ちですが、されて嬉しいケースはまずありません。

LGBTの聖地は、いつ、なぜ、どのようにして、生まれたのか。決定的かつ魅惑の街場論。 『新宿二丁目』伏見憲明[著]

■時には傷つけ合う


 昨今は「LGBTの解放」を目指して、さまざまな意見が飛び交い、たくさんの人が活動しています。ふたたび伏見さんに聞きました。

「社会運動って、すぐ仲間割れしてケンカが始まっちゃう。戦うべき相手は、意見が違う別のグループじゃないのに。私も『表現規制はしなくていい』『アウティング条例はいらない』なんて言ってるから、アウティングを法的に規制したい方面からは、敵だと認定されてるみたい」

 目指す方向は同じなのに……。しかし、長年にわたる地道な訴えの甲斐あって、最近は企業での「LGBT研修」も増えてきました。

「理解を広めるのは大事だけど、研修とかしたせいで、みんなが構えちゃってカミングアウトしづらくなったって話も聞くわね。『これは言っちゃいけない』『こういう対処はよくない』と、互いの正直で率直な意見を交わさないままに禁止項目を並べる研修だと、むしろLGBTに壁を作る効果しかないかも」

 LGBT問題に限らずあらゆることに言えますが、失礼がないようにと神経質になることが、失礼をなくす近道とは限りません。

「人と人とのコミュニケーションには、勘違いやすれ違いは付きもの。多少の失礼は許し合って、時には傷つけ合う構えで接しないと、何も語れなくなるし、お互いに何も知りえなくなっちゃうんじゃないかな」

 まさに“失礼の神髄”を突いたお言葉! 最初から相手を傷つけようとするのは論外ですけど、「傷つけない」「傷つかない」を最重要視するのは、むしろ危険です。

「この頃、LGBTが『腫れ物』になっちゃってるところはある。ヘタにふれちゃいけないみたいな。当事者以外の人にとっては、それってストレスよね。なんで自分たちが、そんなコストを払わなきゃいけないんだって気になってくる。『LGBT差別はやめよう』って叫ぶことで、表面上の平等には近づくかもしれないけど、もしかしたら本当の差別が始まるのはこれからかもしれない」

 昨今の「LGBTブーム」は、間違いなく世の中をいいほうに変えています。いっぽうで裏側に潜んでいる「本当の差別」の芽を摘むには、どうすればいいのか。かなりの難問です。某人生相談風に言えば、まずは「2丁目へ行け!」でしょうか。

石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。「失礼とは何か」を追究する失礼研究所所長。コラムニスト。大人力研究の第一人者でもある。『大人力検定』など著書多数。

ニャロメロン
1988年大分県生まれ。大分大学漫画研究部在席時より、サイト「週刊メロンコリニスタ」を立ち上げ、ツイッター等でも漫画を発表。『凝縮メロンコリニスタ』『ベルリンは鐘』『バンバンドリドリ』『マウントセレブ金田さん』等、著書多数。

「週刊新潮」2022年7月21日号 掲載

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