失われた記憶が甦る! 認知症の音楽療法とは 感情記憶を刺激して記憶の低下が回復

失われた記憶が甦る! 認知症の音楽療法とは 感情記憶を刺激して記憶の低下が回復

音楽療法士飯塚さんと患者さん

 刺激のない巣ごもり生活のストレスから、認知症の患者が増加傾向にあるという。その臨床の現場では、失われた記憶を音楽によって取り戻すユニークな試みが行われていた。科学ジャーナリストの緑慎也氏が、音楽療法に秘められた不思議な力を密着レポートする。(「週刊新潮」2020年10月22日号掲載の内容です)

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 自分は今、どこに向かっているのか。福井武雄さん(68)=仮名=はいつもこの不安と闘っていた。前を歩く妻の美奈子さん(66)=同=から行き先を教えられるたびに「ああ、そうか」と合点がいった。しかし、20分ほどで忘れてしまう。妻は自分をどこに連れて行こうとしているのか――何度も疑問がわいた。

 武雄さんが若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けたのは3年前。異変を感じたきっかけは、趣味のカラオケだ。モニターに表示される歌詞を追えなくなったのだ。症状は次第に悪化し、会社重役の地位からも身をひいた。

 この日、たどり着いたのは、大病院の一室とは思えない一風変わった場所だった。中央にグランドピアノ、その周囲にはタンバリン、カスタネット、ハンドベル、ギター、マンドリン、ボンゴ、三味線など、種々様々な楽器も置かれる。さながら学校の音楽室である。

 この部屋の入り口で、武雄さんはようやく、ホッと胸をなで下ろした。京都市の自宅からわざわざ電車を乗り継ぎ、1時間半もかけて国立病院機構京都医療センター(伏見区)にやってきた目的を理解したからだ。今から自分は音楽療法士、飯塚三枝子さんのピアノに合わせて歌うのだ。

 鍵盤の前に二人並んで座ると、挨拶もそこそこに飯塚さんが耳になじみのある童謡「海」の演奏を始める。武雄さんも調子を合わせて、う〜みは、ひろいーなー、おおきいなー♪

 歌い出しも、音程も、テンポも完璧だ。

「海」の1番を歌うと次の曲に移った。飯塚さんは、武雄さんと合唱することもあれば、武雄さんの表情を見ながら、スムーズに歌えるように、歌詞を先読みすることもある。2曲目の「われは海の子」では飯塚さんが節を付けずに「我がなつかしき」と先読みして、武雄さんの歌唱を助けた。

 3曲目は舟木一夫のデビュー曲「高校三年生」。得意曲なのか、武雄さんの声が一際大きく、伸びやかに部屋に響く。昭和歌謡「丘を越えて」「上を向いて歩こう」と次々と歌い、短い休憩を取った後、加山雄三のヒット曲「君といつまでも」から再開。ここからは歌詞を見ながら歌う。

 間奏に差しかかると、飯塚さんから「今日も言っていただけますか」と促され、武雄さんがあの有名な「幸せだなァ……」からはじまるセリフを口にした。しかし途中にアレンジが加えられていた。「僕は死ぬまで君を離さないぞ」の「君」を妻の名前「美奈子」に変えたのだ。二人の後ろに一歩下がったあたりで座っている美奈子さんが顔をほころばせる。「愛の告白ができましたね」と飯塚さんに声をかけられ、武雄さんはキッパリ言った。「それだけは頭から離れない」。

 この後も数曲歌って、この日の「治療」は終わった。

 行先がわからず不安を覚えていた時とはまるで別人のような晴れ晴れとした表情で、

「すっきりしました」

 と武雄さんはいう。


■歌ってから帰ると元気に


 考えてみれば、歌うという行為はなかなか複雑だ。歌詞を間違えずに口に出すのはもちろん、メロディやテンポにも合わせなければならない。20分前の記憶を失ってしまう武雄さんには難しい作業にも思えるが、歌っている間は、言葉がスムーズに出てくるのだろうか?

「どちらかといえば無意識ですね。頭で考えたらもうダメで、(伴奏から)遅れていきます」

 武雄さんは診断を受けてまもなく、認知症の当事者やその家族が気軽に交流できる認知症カフェのスタッフを介して飯塚さんを知り、京都医療センターが実施する治療研究「認知症に対する音楽療法」に参加。週1回、マンツーマンの音楽療法を神経内科の診察料数百円のみで3カ月受けた。その後も希望して、飯塚さんの元に通い続けている。今のペースは月2回、脳神経内科の外来で医師の指導の下で音楽療法を受けている。自由診療のため、1回3千円かかる。

「はじめの頃は、めちゃくちゃだったんですよ。歌にならなかった。でも、1年くらい経ったときから、合ってくるんです。合わせてもらっているというほうが正しいと思うんですけどね。飯塚先生の仕草にいろんなヒントが散らばっているので」(武雄さん)

 美奈子さんによれば、普段、自宅で武雄さんと会話を交わすことはほとんどないという。武雄さんが流暢に語るのを聞いた直後だけに意外だ。

「調子の悪いときといいときの波がありますね。『ティッシュ取って』とお願いしてもなかなか取ってくれない。見ると、ティッシュペーパーの箱の横から抜こうとしてました。ちゃんと箱の上に1枚出ていて、そのティッシュに触ってるのにですよ。ティッシュが分からなくなっていたようです。でも、スッと取ってくれるときもある。不思議な病気ですよ。ここに来て歌ってから帰ると元気になって、しばらくシャキッとしています。本当は毎日来たいくらいだけど、保険診療じゃないからね」(美奈子さん)

 音楽療法士としての活動を20年近く続けてきた飯塚さんは、生粋の音楽家だ。京都市立芸術大学を卒業後、ヴィオラ奏者として東京フィルハーモニー交響楽団に入団。6年在籍の後に夫とウィーンに1年留学し、帰国後はフリーの立場で演奏活動をする傍ら、老人ホームや障害者施設でボランティア演奏も行った。

 本格的に音楽療法に目覚めるのは、英ウェールズ地方の首都カーディフへの演奏旅行で、地元の大学で音楽療法を学ぶ学生の話を聞いたときだ。キリスト教音楽の和声法などを取り入れたヨーロッパの音楽療法の細やかな方法論に感心するとともに、日本人には日本人に合った音楽療法が必要だとも思ったという。

 帰国後は東京に住んで、演奏活動を続けながら音楽療法の研鑽を積んだ。一人娘に手もかからなくなってきた頃で、新たな一歩を踏みだしたい思いも重なった。そして2003年、横浜市の老人保健施設のリハビリテーション科に音楽療法士として入社する。

 40〜50人を一堂に集めて音楽療法を行っていたとき、壁にぶつかったという。

「高齢者の中には軍歌を聞きたくない方も、思いを込めて歌いたい方もいる。童謡は稚拙だから嫌という方も、『大好き』と歌いたい方もいる。たくさん人を集めて、さあ音楽してと言われて、とても困ったんです」(飯塚さん)

 そこで思い出したのが、オーケストラの一員としてヴィオラを弾いていた頃のことだった。

「東フィルは年間130回くらい本番があるすごく忙しいオケです。でも、その分、ステージから客席を観察する機会もたくさんありました。クラシックファンの方たちには、低音が好きでいつもその近くに座る人もいれば、ヴァイオリンの近くに座る人もいます。ヴィオラの近くにいれば、メロディよりもヴィオラの音がよく聞こえます。そういう聴き方をしたくて座席を選んでいる方が多いんです。そこで、あるときふと気づきました。同じ曲でも、聴き方は千差万別ってことに。当たり前のことだけど、曲の受け止め方は一人一人違うんですよね」(同)


■劇的な変化


 それならばと考案したのが「フラッシュソングセラピー」だ。一曲を最初から最後まで演奏するのではなく、多数の曲をフラッシュで、つまり光が短い時間で明滅をくり返すようにメドレー形式で演奏し、前奏から記憶を喚起し、心地よいテンポで次々と歌えるプログラムである。

「1回のセッションで30〜40曲ほどメドレー的に提供するスタイルにしてみました。参加形式も、みんなが集まってからはじめるのではなく、いつ参加して、いつ帰ってもかまわないようにしたところ、みなさん帰らずに最後までいてくれるようになりました。いろいろな曲が流れると、いつ自分の好きな曲が出てくるかと思ってワクワクされてるんですね」(同)

 しかし、大人数に対する一斉の音楽療法に限界も感じた。特に認知症の当事者たちを大勢集めて音楽療法をしても反応してくれるのはいつも決まった人ばかりで満足のいく効果は得られなかった。中には首を下に傾けたままで何ら反応しない人もいた。そこで試みに4、5人に絞って、丸テーブルを囲んで音楽療法を施すと、劇的な変化が見られた。大人数の時はうつむいていた人が顔を上げ、積極的に声を出し、表情も豊かになったのだ。

「認知症の症状が進んでいるからといって歌えないわけじゃない。こちらが歌えるように曲を提供していなかっただけなんです」(同)

 大人数より少人数がいいのなら、少人数より1人がいい。夫の転勤に伴い、東京から移住した京都で、飯塚さんがマンツーマンの音楽療法に行き着いたのは自然の成り行きだった。

 京都医療センターの塚原徹也医師(現・副院長)から招かれ、音楽療法士として働きはじめたのが2008年。その翌年には、同神経内科の中村道三医師との共同研究「認知症に対する音楽療法」をスタートさせた。冒頭の武雄さんが参加したのも、このプロジェクトである。現在は十川純平医師が引き継いで、非薬物療法としての音楽療法の効果を検証中である。

「私たちの音楽療法の効果として多かったのは睡眠の改善です。ぐっすり眠れることはご本人にはもちろん、ご家族にもメリットが大きいですね。それから“穏やかになった”、“表情が明るくなった”“意欲が出てきた”という声もよく聞かれます」(同)

 普段は首を下に曲げて座ったままほとんど反応を見せない女性(65)が、ある曲を聴くと突如、立ち上がり、笑顔でリズムを取ったこともあった。

「ご主人に『ハワイに行ったことがありますか』と聞いたら『ある』というので、試しにアロハ・オエ(ハワイ民謡)を演奏してみたんです。そしたら大きく反応されて驚きました。こんなに大切な曲だったんだって。新婚旅行先がハワイで、出発前から歌っていたとご主人が話していらっしゃいました」(同)


■「感情記憶に刺激を与える」


 認知症とは病状が異なるが、特定の曲がいかに記憶と強く結びついているかを示すこんな事例がある。

 1980年、福岡県志摩町(現・糸島市)の海岸線を、一人の青年が大雨の中ずぶ濡れになりながら裸足で歩いていた。保護された青年は、自分の名前も住所もなぜここにいるのかも思い出せないという。いわゆる記憶喪失だ。県内の病院に入院後、忘れたいという願望により自分の過去を本当に忘れてしまう「限局性健忘症」と診断されたものの、一向に記憶が戻る気配はない。ところが、約1カ月後、病院の同室者のラジオから甲斐バンドの「翼あるもの」が流れ出すと、青年は突然頭を抱えて震え出した。そして病室に飛んで来た医師にすらすらと自分の名前や住所を話し始めたのだ。青年は無事記憶を取り戻し、東京から駆け付けた両親と1カ月ぶりの対面を果たした。

 当時の報道によれば、青年は大学生で、アルバイトや卒論の準備などでストレスがたまっていたからではないかと、自身の記憶喪失の理由を推測している。

 卑近な例を出すと、筆者は、globeの「DEPARTURES」を聴くと、なぜか学生時代のアパートの光景がありありと目に浮かぶ。はじめての一人暮らしの不安と相まって当時流行していた旅立ちを意味するこの曲が強く記憶に刻まれているのだろう。しかし、今はそのCDを持っていないし、特にglobeのファンだったわけでもない。仮に私が認知症になって記憶を失ったら、家族はこの曲にたどり着かないかもしれない。先の記憶喪失の青年の例でも、同室者のラジオから「翼あるもの」が偶然流れてこなかったら、記憶を取り戻せていなかったかもしれない。

「どんな音楽がお好きですか、どんなCDをお持ちですかとまずご家族に聞きますが、そういう情報が得られなくても、年代、性別を手がかりに絞りこんでいきます。年代から、その人が子どもの頃、学生の頃、就職した頃、結婚した頃などに流行った曲を試して、チョイスします。軍歌、懐メロ、演歌、オールディーズ、グループサウンズ、フォーク、シャンソン、時間の許す限り、どんなジャンルでもとにかく練習です。最近の曲は追いつきませんが、アンテナは高くして勉強するようにしています」(同)

 音楽のジャンルは多岐にわたり、人の好みもばらばらだ。個人にカスタマイズされた曲を提供する音楽療法士には豊富な音楽の知識が必要になるわけだ。

 一方、私たちも思い出の曲をリストにして残しておけば、いつの日か役立つときが来るだろう。

 なぜ音楽を聴くことで、記憶は甦るのか。飯塚さんが京都医療センターとかけ持ちで音楽療法士を務める京都認知症総合センタークリニック支援研究所所長の秋口一郎さんが語る。

「アルツハイマー病で失われやすいのは、現在と未来の出来事や予定に関する記憶です。一方、喜怒哀楽に関わる感情記憶などは残りやすい。そこが音楽療法の攻め口なんです。音楽療法で感情記憶に刺激を与えることで、出来事の記憶の低下が回復することがあります」

 同センターのグループホームに入所している70代の認知症の女性は、普段は伏し目がちで、ほとんど話すこともないが、盆踊りの曲が聞こえると、目を光らせ、歌詞を口ずさむのだという。曲がトリガーとなって、楽しさや高揚感が甦るのだ。彼女はこのとき過去に盆踊りをしたという出来事も頭に思い浮かべているかもしれない。

 ただし、音楽療法によって、たとえば薬の投与量が減るといった確固たるエビデンスは、これまでのところ得られていないという。

「音楽療法を実施すると、認知症のさまざまな指標を改善させる場合があると報告されています。ところが、しばらくすると元に戻ってしまうんです。音楽療法が保険診療として認可されるための客観的なデータはまだ十分得られていません」(同)

 とはいえ、私はこの療法の現場を見て、時限的という前提を踏まえてもその劇的な効果に驚嘆した。

 飯塚さんの音楽療法を受ける武雄さんと美奈子さんは、音楽療法が全国にもっと広がってほしいと願っている。武雄さんは「私にも役に立っていますけど、みなさんの役にも立ってくれたら」と取材を引き受けた動機を語ってくれた。普及のためには保険適用が欠かせない。そしてそのために客観的な効果を示すデータが必要だ。

 だが、音楽療法に客観的なデータを求めるのは野暮かもしれないとも思う。


■病室からハミング


 武雄さんが歌いやすいように演奏を合わせているのかと訊ねると、飯塚さんからこんな答えが返ってきた。

「私も伴奏しますが、セッションが進むにつれて武雄さんも私の音楽に合わせてくれます。息がピタッと合うのは、嬉しい瞬間です。芸術の世界ですよ。特に最後の曲では美奈子さんに聞かせる音楽を二人で作ろうっていう目的を一つにしているんです。そこに病気は存在しません」

 武雄さんは「すごいことをおっしゃいますね」と目を丸くした。筆者はどうやら音楽療法の現場を見に来たつもりが、単に音楽を体験していたらしい。力強く、美しく、一度きりの感動的な音楽を。

 飯塚さんは、プロの音楽家に、もっと音楽療法の世界に飛び込んでほしいと考えている。病院、福祉施設で活動する音楽家が身につけておくべき医療、介護の知識を提供する団体として「臨床音楽協会」を東京女子医科大学名誉教授の岩田誠氏らと共同で2017年に設立した。「臨床音楽士」の資格制度も作った。

「緊急事態宣言下で、病院への家族の見舞いまで制限されたとき、京都医療センターの病棟のデイルームや廊下で、私がヴァイオリン、この病院のもう一人の谷口奈緒美・音楽療法士がキーボードを演奏しました。事前に看護師さんに患者さんからリクエストを集めてもらって。姿は見えませんが、どこかの病室からハミングや歌声が聞こえてきて嬉しかったですね。コロナ禍で演奏の機会がなく、苦労している音楽家はたくさんいると思います。病院に勤務する私たちには演奏で音楽を届けることができた。ぜひ病院に一人、音楽療法士、臨床音楽士を!って心から叫びたいです」

 入院患者だけでなく、人間的な交流が分断されたコロナ禍の巣ごもり生活で、高齢者の認知症が発症したり、進行するケースが増えているとも聞く。

 家族との面会もままならない不自由な生活を強いられる中、患者たちは贈り物のように届けられた好きな曲の生演奏に、どれほど癒やされたことだろう。武雄さんと美奈子さんに話を戻せば、物がわからなくなることさえある夫から、替え歌で自分への変わらぬ愛を伝えられる時間が、どれほど心の支えとなることだろう。こうした体験が、治療効果という枠組みだけで判断されるのはあまりにも惜しい。

 音楽には、病気も治療も超越した世界を作り出す力がたしかにある。筆者はその不思議な力を目の当たりにした。そういう視点で音楽療法を捉えられるかが今問われていると思う。

緑 慎也(みどりしんや)
科学ジャーナリスト。1976年大阪府生まれ。出版社勤務後フリーとなり、科学技術等をテーマに取材・執筆活動を続けている。著書に『消えた伝説のサル ベンツ』(ポプラ社)、『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社・山中氏との共著)などがある。

2021年1月5日 掲載

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