病気の子どもを励ます“ファシリティドッグ”、2歳で亡くなったゆづ君と結んだ強い絆

アニーと森田さん

 神奈川県横浜市南区にある神奈川県立こども医療センター。ここは、小児病棟、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設の3つの施設からなる医療機関である。

 ある平日の午後、病院の廊下を大きな薄茶のゴールデンレトリバーと青いポロシャツ姿の女性が歩いていた。

 病院に犬? 盲導犬ではない。

■ 犬の名前はアニー。3歳になるこのメス犬は、ファシリティドッグと呼ばれる使役犬である。そしてリードを握った女性は、アニーと行動をともにする“ハンドラー”と呼ばれる「犬をコントロールする人」である。

 “ファシリティ”には、施設という意味があり、1つの施設に職員の一員として勤務する犬のことを、ファシリティドッグと呼んでいる。いったいアニーは、この病院でどんな役目をしているのか。

 ハンドラーの森田優子さんに聞いた。

■“頑張ろうとする力”を引き出せるように

■「子どもたちとの触れ合いはもちろん、採血や点滴、検査や処置をするときや、手術室までの付き添い、リハビリの応援など多岐にわたっています。この病院には、半年や1年以上と長い入院生活をしている子どもたちもいます。子どもたちがつらい治療に対して“自分から頑張ろうとする力”を引き出せるよう、お手伝いをしています」

 病室にアニーが入って行くと、付き添いの親御さんがベッドの子どもに声をかける。

「ほら、アニーが来てくれたよ」

 子どもたちは顔を輝かせ、ベッドにアニーを迎え入れ、頭をなで始めた。

■「アニー、いい子だった? 私は今日ちゃんと採血できたよ。午後もリハビリ頑張るよ」

 アニーと森田さんは、認定特定非営利活動法人『シャイン・オン!キッズ』から派遣されている。この法人は、2010年に小児がんの子どもたちとその家族の支援を目的として、日本初となるファシリティドッグを静岡県立こども病院に導入。犬は、ベイリーという名のレトリバーで、日本初のハンドラーは森田さんだった。

「ベイリーは引退して、もうすぐ12歳。2歳のときからファシリティドッグとして9年間、活躍しました。

'12年に神奈川の導入が決まったことで、私とベイリーがこちらに来て、静岡には新しい犬とハンドラーが行っています。だからアニーは2代目なんですね」

 ファシリティドッグはどのようにして誕生したのか。

 公のデータはないものの、欧米で2000年ごろより台頭し始め、盲導犬以外の補助犬育成で世界最大の団体『ケーナイン・コンパニオンズ・フォー・インデペンデンス』では2015年に全育成数309チームの14%にあたる43チームが、ファシリティドッグとして育成されている。チームと呼ばれるのは、ハンドラーなくしては、ファシリティドッグのパフォーマンスを活かすことはできないからだ。森田さんが言う。

「■犬種は、ゴールデンかラブラドールのレトリバーにほぼ決まっています。さらにその中から『人が好き』『人と一緒に仕事をすることが大好き』『性格が穏やかで優しい』という犬を選びます。まず素質のある犬を選ぶというのが重要なんです。生まれ持った気質というのは変わらないものですから。だから、アニーたちは、50代くらい前まで遡れるくらいいい血統を持った使役犬の家系からきてるんです」

■ハンドラーに求められる資質とは

森田さんとアニーが常勤している神奈川県立こども医療センター

 そういった犬の中から、さらに候補犬が厳しく選抜され、約1〜2年に及ぶ専門的トレーニングが行われる。トレーニングは、早ければ生後8週目から開始され、それとともに犬が人間社会に適応するためのたくさんの訓練が公共施設などで行われる。一方のハンドラーも、誰でもなれるわけではない。

■ 森田さんの所属する団体では、5年以上の臨床経験のある医療従事者(看護師・臨床心理士など)であることが条件。また「ファシリティドッグと対象者(子ども、家族、医療・病院スタッフ)間で円滑なコミュニケーションが図れるように、犬との適切な触れ合い方法を指導できる資質があるか」といった独自の基準により審査される。

「私は、看護大学の卒業論文で、犬と患者の関係についての研究をテーマにしていました。それを職業にするという選択肢はその当時なかったので、普通に看護師をやっていたんですね」

 『シャイン・オン!キッズ』は、日本の小児がんや重い病気を患っている子どもたちとその家族の生活を支援するために特定非営利活動法人『タイラー基金』として2006年7月に発足。その後、団体名称を変更した。

 '08年、団体はファシリティドッグを日本にも導入しようと考え、日本の医療界で動物を取り入れた治療について研究していた大学の先生にコンタクトをとった。

「ものすごい偶然なんですが、その先生が私の卒論を指導してくださっていたんです。誰か小児科経験のある看護師でハンドラーになれそうな人はいないか、ということで私に白羽の矢が立ったわけなんです」

 '09年の6月で看護師を辞職し、秋から森田さんは、ハワイにあるファシリティドッグとハンドラーの育成施設で研修を受け、そして'10年1月から静岡県立こども病院で業務に取り組むようになった。

 自分の足で歩いて手術室まで行けなかった子が、犬のリードを持って手術室まで笑顔で犬と歩いて行き、パニックも起こさなかったということもよくあるらしい。

「■ただ犬がいればいいというわけではなくて、常に同じ犬だから、信頼関係ができている。“あ、ワンちゃんがいる!”と何も知らない子は言うんだけど、なじみの子たちは“ワンちゃんじゃないよ、アニーだよ”と。その変化が大事なんじゃないかなと思うんですよね。いつも来てくれるお友達にアニーがいるから、怖い処置のときも一緒にいてくれたら頑張れる気持ちになれるのかなと思います」

■子どもたちの心の支えとしての存在

 森田さんとベイリーが静岡県立こども病院にいたころのことだ。そこに、ゆづ君という、脳のがん患者の子がいた。泣くと呼吸が止まってしまうという日本でもほとんど症例のない珍しい症状のため、集中治療室を出ることのできない子だった。

 そこで、ベイリーが集中治療室に入り、ゆづ君と触れ合ったのだ。

「その後、残された時間を自宅で過ごすことになり、退院後も時間の許す限り、自宅を訪問しました。■まったく動けないようになっても、ベイリーが行くとゆづ君はうれしくて起き上がったんですよ。残念ながらゆづ君は2歳10か月の短い生涯を終えました」と森田さんは声を詰まらせる。

ベイリーが引退するとき、ゆづ君の母親は「いまだにつらいけど、ベイリーと一緒の楽しそうな写真だけは唯一見ることができます」と、手紙でつづった

 こんなに子どもたちに愛されるファシリティドッグだが、現在、静岡と神奈川、そして今年8月から東京都立小児総合医療センターの3か所で導入されているだけだ。

 普及が進まない理由はなんだろうか。

「■感染症などへの不安から理解が進まないと言われることもありますが、今はだいたい感染症の先生が『大丈夫』と言ってくれるんですね。犬と人間の感染症は違いますから。問題は、現実的に導入するとなると、金銭的なことが大きい。そこがネックなんですね」

 1頭のファシリティドッグとハンドラーを導入するとなると、年間900万円のランニングコストがかかる。

「毎年同じ金額がかかるのを覚悟してもらえるかどうか。ボランティアを1人入れるというのではなくて、“1職種”増やすというイメージなんです。だからいろんな体制も整えていかなければならないし、どうサポートしていくか、どのチームに入れていくのかとか、決めていかなければいけない。

 ■初年度だけなら無償提供はできるかもしれないけど、永遠にそういうわけにはいかない。病院全体としての動きにならないと、導入には結びつかないんですね」

 現在、『シャイン・オン!キッズ』では東京の病院に常勤するファシリティドッグの2年目の活動資金のためのクラウドファンディングを実施中である。森田さんは、アニー、そして引退したベイリーとともに暮らし、アニーと毎朝、出勤する。子どもたちから森田さんは、“アニーママ”と呼ばれる。

「アニーもまさにそう思っているでしょうね。ほかの犬に触れたりすると、グイッと邪魔しにくるんですよ。それも可愛いんだけど(笑)」

《INFORMATION》
ファシリティドッグの支援のためのクラウドファンディングはhttps://readyfor.jp/projects/facilitydog
詳細は『シャイン・オン!キッズ』HP http://sokids.org/ja/で

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