信長でも家康でもなく「秀吉」こそ令和日本が求めるリーダーだ!

■秀吉を肯定的に描くことが許されない時代に

信長・秀吉・家康への評価や人気は時代ごとに変化します。長い間、太閤秀吉が一番人気でした。

江戸時代ですら「絵本太閤記」という読本や「絵本太功記」という歌舞伎などを通じてヒーローでした。

ところが、現代では古い社会を「ぶっ壊した」改革者として信長が人気で、日本的経営者として家康への評価も高くなっています。昭和のベストセラーだった山岡荘八さんの『徳川家康』は、韓国でも『大望』というタイトルで翻訳され、獄中での朴槿恵前大統領の心の支えになっているそうです。

反対に、秀吉は信長や家康より独創性に乏しいと見られたり、朝鮮出兵が影を落として、肯定的に描くことが許されない空気があります。

しかし、冷静に世界史的な視点から評価したら、秀吉こそナポレオンと同じく近代国家の礎をつくった功労者です。

ナポレオンの業績も、まったく独自と言えるものは少ないのです。ルイ王朝や革命家ロベスピエールの試みを引き継いだものがほとんどです。それでもナポレオンは、近代国家をトータルに設計し制度化したから偉大だと言われます。

▲ナポレオン像 出典:PIXTA

今年の5月5日は、ナポレオンがセントヘレナ島で亡くなって200年目でしたが、フランスのマクロン大統領は「ナポレオンの残した戦略、法律や建築物は、今も受け継がれている。ナポレオンは今も私たちの一部だ」と誉めた称えました。

ナポレオン戦争にはふれませんでしたし、(一部地域での)奴隷制復活を人権思想への「裏切り」としつつも「現在の考えに添わないからといって、過去を抹殺しようとする動きには屈しない」と釘も刺しました。

秀吉の成し遂げた仕事は驚くほどナポレオンに似ています。「中世には地に墜ちていた朝廷の権威の回復」「東京や大阪を日本の中心的な都市として選び、京都や博多を大改造し各地の城下町を建設」「兵農分離と軍備の近代化」などを実現しました。

経済でも「度量衡の統一」「大判小判など通貨制度の確立」「太閤検地による税制改革」「商工業の振興」「鉱山開発」「貿易の拡大」など、めざましい成果をおさめました。さらには、絢爛豪華な桃山文化の大輪の花も咲かせたのです。

「鎖国をしていなかったら、18世紀に日本とイギリスはベンガル湾で雌雄を決していた」とおっしゃったのは、壮大な文明論を描いた民族学者の梅棹忠夫さんです。

秀吉が長生きするか、関ケ原で西軍が勝って豊臣の天下が続いたら、日本は明治を待たずに世界の大国となったでしょうし、西洋人による植民地支配も、かなり様子が違うものになったでしょう。

もともと狩猟民族の満州族が中国を支配し、海洋民族のはずの日本人が鎖国してしまったので、世界の海は西洋人が支配することになったのです。

たしかに、家康も秀吉のつくった近世国家を大枠としては引き継ぎました。秀吉の時代に実現された技術発展や社会の近代化の成果が、東海地方出身の大名たちが全国の殿様となって各地に広まりました。あまり知られていないのですが、全国の殿様の三分の二は東海地方出身です。

ただ、家康は秀吉の改革を引き継いだもののブレーキをかけました。東海道などわざと橋を架けず、関所も復活し、大きな船は建造を禁止し、後継者たちは鎖国までしました。

少し似ているのは、始皇帝の仕事を漢の劉邦がマイルドにして継続したことですが、劉邦の後継者たちは、時間をかけて大名たちを整理して始皇帝の改革路線に戻り、現代中国人に大人気の武帝(六代目)が、シルクロードを開いて大帝国を築いたところが違います。

平成年間の日本は、GDPの成長率が世界最低クラスでした。1990年には中国の8倍もあったのに、今は三分の一以下という体たらくで、その差はコロナ禍への対応でまた拡大しました。

日本の躍進が止まったのが1970年代あたりからで、それは秀吉の人気が低下した時期と重なります。

このままだと日本は江戸時代の二の舞です。清国も終わりごろは明治の日本に比べてダメでしたが、前半は徳川日本の停滞を尻目に大躍進していたのです(拙著『日本人のための日中韓興亡史(さくら舎)』で詳しく書きました)。

食料事情も、ジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシ・トマト・ピーナッツなどが本格導入されたので、飢饉は1860年代の太平天国の乱までほとんどなく、人口は康熙帝の末年からの100年だけでも4倍になりました。

日本は天下泰平の時代ですが、人口はほぼ停滞し、頻繁に飢饉があり餓死者が続出しました。米のモノカルチャーを進めた江戸幕府の失政です。飢饉があったので人口が調整できたという人もいますが、薩長土肥など人口急増地域で経済と社会の近代化が進んで発展し、人口減の地域では停滞したのですからおかしな話です。

▲豊臣秀吉の像 出典:PIXTA

■本物の政治家としての秀吉を知ってほしい

今、日本は世界でもっとも停滞した国ですが、日本を近代化した秀吉の仕事が軽く見られていることと、この低迷は無関係ではありません。

しかも近年、信長や家康については、いい伝記も文学作品も出ていますが、秀吉についてはあまりありません。

今の日本が求めているのは、気に食わないものを「毀(こわ)す」とか、じり貧の安定を図る「守成」でもないはずです。その意味でも、前向きに新しい日本を創っていく「創世」を実現した、本物の政治家としての秀吉の「等身大の姿」をもっと知って欲しいと思っていました。

もうひとつ、最近の歴史学者などの仕事で気に入らないのは、歴史上の人物の虚像を剥がすといって、悪い面ばかりを意地悪く描写することです。

秀吉についても「明るいとか人たらしなんて嘘だ」「残忍だ」「薄情だ」など言いたい放題ですが、それならどうして、異例の出世して天下まで取れたのかを説明できないのでないでしょうか。

政治家でも軍人でも経営者でも、成功した人はそれなりに魅力的だし、そうでなければ出世などできませんからおかしいと思いますし、仕事や人生の参考にもならならないと思うのです。

そこで、新しく始める連載では一工夫して、秀吉夫人の「北政所寧々の回想」というかたちで、秀吉の生涯とその時代を描いてみようと思います。戦国という時代を思う存分に夢を見ながら生きた夫婦と、それをとりまく人たちを等身大で描く物語にしたいと思います。

小説ではありません。フィクションなしの、歴史をいわば「私の履歴書」のように楽しんでもらおうという新しい試みです。

また、女性の眼から見るということなので、わたしたち夫婦の共同執筆にしました。これまでも、浅井三姉妹・井伊直虎・篤姫という女性を主人公にした本で、同様のかたちで仕事をしていますので、お楽しみに。

▲『絹本着色高台院像』(高台寺所蔵) 出典:ウィキメディア・コモンズ

<著者紹介>
八幡和郎
1951年滋賀県大津市生まれ。東京大学法学部から通商産業省。フランス国立行政学院(ENA)留学、パリJETRO産業調査員、通商産業省北西アジア課長、情報管理課長、国土庁官房参事官など。徳島文理大学教授・国士舘大学大学院客員教授。歴史家・評論家。『令和日本史記 - 126代の天皇と日本人の歩み』『日本人がコロナ戦争の勝者となる条件』など歴史や政治を中心に著書多数。

八幡衣代
1961年生まれ。東京都出身。日本女子大卒業後、東京大学大学院修士修了(建築学)。東京都庁勤務ののち渡仏。建築・歴史・女性問題などの著作あり。和郎・衣代共著に『「篤姫」と島津・徳川の五百年』『浅井三姉妹の戦国日記』『井伊直虎と謎の超名門「井伊家」』。

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