空を泳ぐ魚。建築家ピーター・ズントーの出世作

こんにちは、建築漫画家の芦藻彬と申します。

この世は無数の名建築であふれています。「ただ街を歩く」、これだけでもう立派な娯楽になってしまうくらいです。建築はさまざまな要求や制約が複雑に織り重なってできており、形や仕上げはその建築の成り立ちや用途、さらには街の歴史といった事柄を実に雄弁に語ります。

なかには一見目立たず、それと知らなければ通り過ぎてしまうような慎ましさを持ちつつも、どこか普通と違う雰囲気をまとった建築があります。注意深く観察し、その空間で過ごすことで、濃い魅力が自分の中に入ってくる。

そういったものに出会えた、理解できた瞬間というのは、実に格別です。

ここでは、建築家が何かの境地に至ってしまったかのような「覚醒」したデザインの建築を取り上げ、その謎とデザインの妙を紐解いていきます。

■建築見学は道中からすでに始まっている

突然ですが、こちらはスイスの高山鉄道。車窓からの景色がそれはもう素晴らしく、これだけでも記事を一本書けちゃうくらいの魅力を持っていますが……今回は建築の話を。

▲車窓から見えるスイスの美しすぎる山々

チューリッヒから列車に3時間ほど揺られ、Sumvitg Cumpadialsという駅まで向かいます。今回ご案内する建築は、スイスの山間の村にひっそりと佇む小さな礼拝堂「聖ベネディクト教会」です。

設計者のピーター・ズントー※1は、建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞したスイスの高名な建築家です。今回紹介する聖ベネディクト教会は彼の出世作の一つで、1989年に建てられました。

ようやく無人の駅にたどり着くと、すでに標高約1,000m。列車は山と山の間を走っているので、ここからが大変です。礼拝堂にたどり着くまで、軽い(?)登山が始まります。

▲無人駅を降りると目の前に広がる絶景

絶景かな!!!

なんてことを言っていられるのは最初だけ。砂利の悪路をスーツケース引いてひたすら登るのは、実際かなりこたえるものがあります。おまけにこの時は、漫画の機材(トレース台・画材etc.)も肩からかけていました。当然、駅に荷物を預けられるロッカーなんてものはなく……一歩一歩、着実に上へ進んで行くしかないのです……。

ひたすら登り続けること1時間。どうしてこんな場所に作ったんだ……とごちる私の前に、ふいに石積みの小さな遺跡が現れました。

その奥にはチラホラと家があり、RPGで見たことのあるような小さな村が。なんとなく緊張しながら家々の間を歩いていくと、あるじゃないですか!!

▲可愛い動物のオブジェがお出迎え

地元の秘境レストランが……。

登山の疲れもあって、今にも吸い込まれそうでしたが、泣きながら通り過ぎます。太陽は待ってくれません。日の光によって建築の見え方は大きく変わるのです。そのために苦労して登ってきたんですから(絶対帰り道でビール飲みにくるからな)。

数々の関門を超えようやくたどり着いた礼拝堂は、一見すると地味な、スイスの土着建築を思い起こさせる木造の建築でした。

■凛と建つレムニスケートの幾何学

▲聖ベネディクト教会

しかし、この斜面に凛と建つ姿のなんと美しいことか!

エッジの効いたファサード※2が醸し出す、静謐(せいひつ)とした雰囲気に心が踊ります。

▲聖ベネディクト教会

まず階段がかっこいい!! 重々しく塗り固められたコンクリートの階段に、取り付けられた華奢(きゃしゃ)な手すり。縦に細かく線の入った木製の扉が、外壁の横方向のラインに対し軽やかなアクセントになっています。

そして、やはり建築家の妙技は、斜めにカットされたドア周りの壁ではないでしょうか。必ずしも機能に関わらない小さな操作が、絶大な影響力をもってその空間を唯一無二のものにするのです。我々はこういったあらゆる情報から、建築、ひいてはその空間と対話することができます。それを促すのが建築家の一つの職能といっても良いでしょう。

入り口は、おそらく最初に人が建物と対話することになる特別な空間ですが、この建築のそれは素晴らしいです。内部への期待を高め、ドアノブに手をかけます。(このドアノブもいちいちカッコいい)

■浮遊する床と隙間の宇宙

思いのほか分厚いドアを開けて中に入ると、木の表情が前面に出ていた外観とは打って変わって、神秘的な雰囲気に包まれていました。

壁の上部をぐるっと取り囲むように開けられた開口から降り注ぐ光が、銀色に塗装された内壁に反射し、鈍い光を放っています。細い部材を組み合わせてデザインされた家具には隙間が多く、明るい木が使われることで軽やかな印象を与えています。

▲聖ベネディクト教会 内観図 イラスト:芦藻彬

なにより美しいのは、密度高く空間を取り囲む華奢な構造体です。秩序だった柱と、内壁の間にあるスキマがもうたまりません!!(ここに宇宙がある…)

そして床の周りはわざと一段低くなっており、そこに柱が吸い込まれるように落ちているのです。これらのきめ細かい心配りにより、床・壁・柱がそれぞれ独立して存在感を放ち、どこか不思議な“浮遊感”とも呼べる雰囲気を内部に生んでいます。

決して広くなく、天井もさほど高くないにも関わらず、ある種のダイナミックさを演出する空間が実現している。これこそ、制約の中で何倍もの価値を生み出すという、建築家のクリエイティビティが遺憾なく発揮された快作と言えるのではないでしょうか。

しかし、見所は構成だけではありません。細部に見惚れてスケッチをする私は、上部をぐるっと取り囲む開口と銀色の壁の演出に、私はまだ気が付いていませんでした。

■空を泳ぐ魚-環境と結ばれ、建築は覚醒する-

「バタタッバタタタタ」

突然、何かを打ち鳴らすような音が周囲を包みました。そう、山の天気は変わりやすいのです。先ほどまでは雲を通った柔らかな光に満ちていた室内が、突然の豪雨で暗く沈み込みました。

周囲の変化で、ここまで内部空間が劇的に変わるものかと、その演出に驚きました。あとで断面図を見て気付いたのですが、屋根も壁も非常に薄く作られており、打ち付ける雨音が心地よく室内に響きます。

屋根の音を聞きながら天井を見上げると、またも美しい梁(はり)が目に入りました。葉っぱを模した形とも言われますが、ここでふと構造体が別のものに見えてきました。

▲聖ベネディクト教会 平面図 イラスト:芦藻彬

魚を開いたときの骨、に見えませんか?

我々を包む、この美しい華奢な柱はさながら肋骨。まるで生き物の体内にいるかのようです。

平面図を書き起こしてみると、なんと! 斜めの入口をヒレに見立てれば、この建築は山の上を泳ぐ“1匹の魚”でした。

▲鱗のような外壁

山の上を泳ぐ魚の体内で、海の音を聞く。美しく調整された彫刻作品のように見えていた建築が、急に生命が宿ったかのように生き生きとし、とても愛おしく思えてくるのです。

同時に、山の上にこのような礼拝堂を建てた、ピーター・ズントーの意図が感じられたような気がしました。この小さな建築は、周りの環境を映す鏡のようで、ちっぽけな人間が雄大な自然と対話するための仕掛けに満ちています。中にいる人にとっては、外環境の知覚を助ける皮膚のようなものかもしれません。日の光が外の緑色に反射し、緑銀色にきらめく神秘的な室内で、そんなことを感じました。

▲聖ベネディクト教会 イラスト:芦藻彬

宣言してしまったので、ちょっとオマケを。

先程見つけた秘境レストランに寄らない手はないでしょう。聖ベネディクト教会を見学したあと、満を持して徒歩5分に位置する “Restaurant Ustria Miraval” のドアを開きました。

▲レストランからの眺め

これがレストランのテラスから一望できる景色だなんて……!

正直、その場に座っていても、どこか現実味がないくらいでした。アルプスの雄大な自然とスイスの家庭料理!!

苦労して登山したかいもあって、最高に素敵な食事を頂くことができました。

▲Restaurant Ustria Miravalでの素敵な時間

ピーター・ズントー設計の聖ベネディクト教会。小さな建築と侮るなかれ、これだけを目的に1日かける価値のある建築です。建築体験は1時間の登山から、山という自然との対話まで含め、私たちに至福の時間を与えてくれます。きっと一生忘れられない1日になるでしょう。

▲お店の記念ノートへの描き込み イラスト:芦藻彬

―――オマケその2―――

ピーター・ズントーの著作に、礼拝堂の不思議な形についての言及があったので紹介します。

I wanted to find a soft, maternal form for my vessel. Even as a young boy I had had my problems with the authoritarian, indoctrinating church; so a predominating, geometrical form such as a square, a circle, or a rectangle was out of the question for me. Our engineer Jürg Conzett took my original freehand sketch and defined it geometrically as half of a lemniscate.

….

But Sogn Benedetg, unlike the white Baroque chapels of the region, is made of wood. Its structure ages beautifully with the weather; it has become dark and darker on the south side,and silvery on the north.

Perhaps the chapel is a little wooden boat after all, built for an uncertain journey by local people born into the heritage of building with wood.(注1)

私は自分の器(建築)に、柔らかく母性のある形を求めていました。幼い頃から、権威主義的で思想を押し付けるような教会が苦手でした。正方形・円・長方形などの幾何学的な形は、私の求める形ではなかったのです。私たちの構造エンジニアであるユルグ・コンゼットは、私のフリーハンドのスケッチを手に取り、そこから「半分のレムニスケート(注2)」という幾何学を見出しました。

(中略)

しかし、この地域の白いバロック様式の礼拝堂とは異なり、聖ベネディクト教会は木でできています。その構造は風雨によって美しく年を重ね、南側はどんどん暗くなり、北側は銀色になっていきます。おそらくこの礼拝堂は、木の建築の伝統を受け継いだ地元の人々の旅路を支える、小さな木の船なのです。(筆者訳)

注1:Thomas Durish『Peter Zumthor 1985-2013: Building and Projects』
2014年5月15日発行/Scheidegger & Spiess; Slp edition発行

注2:レムニスケート(英: lemniscate)は極座標の方程式
r^2=2a^2cos2θ で表される曲線であり、連珠形(れんじゅけい)とも呼ばれる。ベルヌーイ兄弟によって発見された。[Wikipediaより]

【建築コラム用語解説】

※1ピーター・ズントー(ペーター・ツムトア)
スイスを代表する建築家の一人。1943年、バーゼルの家具職人の家に生まれる。幼い頃から木工仕事に親しみ、バーゼルでデザイン・室内建築を、ニューヨークでインダストリアル・デザインを学んだ後、スイスの歴史的建造物の修復の仕事にも携わっている。代表作に、スイス山中の温泉施設である「テルメ・ヴァルス(1996)」、本記事で紹介した「聖ベネディクト教会(1989)」、ドイツの「ブラザー・クラウス野外礼拝堂(2007)」などがある。2009年には建築界のノーベル賞と謳われるプリツカー賞を受賞した。

素材選びの巧みさに定評があり、一朝一夕の検討では辿り着けない洗練された美しい造形が特徴。彼はインタビューの中でこう述べている。

「建物を最後のねじの一本まで考え出すのが楽しい。小規模な建築に限らず、大きなものでもいい」(ピーター・ズントー)

しかし、彼の建築には決して主張しすぎない奥ゆかしさも携わっている。それこそが彼の建築に、唯一無二の美しさをもたらしているのかもしれない。

「作者がたえず、自分がいかにすごいかを見せびらかしているように感じられる映画や本が時々ある。それは私のやり方ではない。私は背景に溶け込み、時が経つにつれて愛されるようになる建物を建てたい」(ピーター・ズントー)


※2ファサード
主に建築物の正面のデザインを指す言葉。フランス語のfaçadeが語源。建物の顔であり、その建築物の性格や格式を表す。装飾が施されるなど外観上大きなインパクトがある場合は、側面や背面もファサードと称されることがある。

参考文献:swissinfo.ch「この仕事に失敗はつきものだということを学ばなければならなかった」[https://www.swissinfo.ch/jpn]

〈芦藻 彬〉

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