「ロンギヌスの槍」って本当にあったんだ!? 呪術で読み解く世界史

人気漫画『呪術廻戦』でも描かれている呪術。漫画の中身はフィクションですが、呪術自体は陰陽道として日本の歴史の重要なファクターとして登場します。そして、それはなにも日本に限った話ではありません。海外でも陰陽師に近い人たちは存在するのです。モンゴルでのシャーマン、キリスト教世界では高位の聖職者と呼ばれた人たちの存在を通して見ると、世界史もまた新たな視点で見えてくると歴史作家の島崎晋氏は話します。

※本記事は、島崎晋:著『鎌倉殿と呪術 -怨霊と怪異の幕府成立史-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■“シャーマン”と“聖職者”は日本における陰陽師

平安時代の末期、日本が治承・寿永の乱から承久の乱という歴史の大きな過渡期を体験していた頃、世界ではモンゴル帝国と十字軍運動が猛威を振るっていました。どちらにも陰陽師に近い存在がいて、モンゴルではシャーマン、キリスト教世界では高位の聖職者がそれにあたりました。

▲第1回十字軍のエルサレム攻撃  出典:ウィキメディア・コモンズ

シャーマンの名は、ツングース語で「呪術師」を意味する言葉に由来し、巫女や霊媒まで含むこともあります。超自然的な存在からのメッセージを人間に伝える仲介役ですが、預言者や医師をも兼ね、発展途上国の辺地では、現在でも医療に関わる事例が多く報告されています。

モンゴルは版図(はんと)を拡大させていくなかで、ネストリウス派キリスト教・マニ教・イスラム教・道教・チベット仏教などにも接しますが、シャーマンへの信頼が揺ぐことはありませんでした。5代目のクビライのときに、チベット仏教の受け入れが始まりますが、それも支配層の一部にとどまります。

モンゴル全体にチベット仏教が普及するのは16世紀末以降のことで、活仏(かつぶつ)への崇敬はチベット人のそれに劣らなくなりますが、シャーマンへの崇敬が消え去ったわけではなく、現在でもその残滓(ざんし)を随所に見ることができます。

一方、キリスト教のなかでもカトリックでは、エクソシト(悪魔祓い)の儀式が現在も受け継がれ、教皇庁公認の大学では専門の講座も設けられています。講師を務めるのは現役のエクソシストと神学者で、最終試験に合格すれば終了資格がもらえますが、正規のエクソシストになれるのは専門のカトリック神父に限られます。

中世カトリック世界では、徳と品性を備え、先例をよく知り、世俗の為政者から許可を得た司教以上の高位聖職者であれば、誰でもエクソシストの儀式を行えたそうですが、悪魔の憑依(ひょうい)などそうそうあるものではなく、一般信者にとって一番身近な脅威は病気や怪我で、不治の病に侵されるか五体満足でなくなった者たちが切実に求めたのは、『新約聖書』のなかでイエスや愛弟子たちが現したような治癒の奇跡でした。

やがて、カトリック世界では治癒の奇跡が期待できる事物を聖遺物と称するようになりますが、西洋美術史を専門とする秋山聰氏の著『聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形』(講談社選書メチエ)では、聖遺物を次の3つに分類しています。

聖なる人の遺体、遺骨、遺灰等 聖なる人が生前に身にまとったり、触れた事物 【1】ないし【2】の聖遺物に触れた事物

ここで言う「聖なる人」には、イエスと弟子たちに加え、聖母マリア、マリアの母アンナ、洗礼者ヨハネ、ヨハネの母エリザベト(マリアの従姉妹)、東方の三博士、マグダラのマリア、使徒パウロ、ローマ帝国による迫害下の殉教者、伝道の功労者まで含まれます。

■聖遺物の入手する3つの方法とは!?

聖遺物に何ゆえ治癒効果など期待できるのかといえば、カトリックの正統教義では、聖人を天上の神からくる力を人間世界に働きかける媒体と説明します。キリスト教は一神教ですから、聖人自身に神の力を認めるわけにはいかず、神のパワーやエネルギーを仲介する存在とすることで、齟齬(そご)が生じるのを避けたのでした。

神に由来する力は、聖人の体に生前から宿り、死後も遺体に残存し続けるうえ、伝染するとも考えられました。そのため時代が下ると、聖人の遺体をくるんだ布や棺、遺品を収めた容器までが聖遺物とされるようになったのです。

あくまで伝承ですが、キリスト教を公認したことで知られるローマ皇帝コンスタンティヌス一世の母ヘレナは、巡礼のためエルサレムを訪れた際、イエスが架けられた十字架を発見したと言われています。

このような聖遺物を所持することは大変名誉なことであり、現世利益も期待できます。聖俗を問わず、カトリック世界の権力者は誰もが欲しがったものですが、いったいどうすれば手に入れることができたのか。秋山聰氏の前掲書では、入手方法を以下の3つに集約しています。

新たに発見する 購入する 盗む

聖遺物を「盗む」とは穏やかでないですが、事実、イタリア・ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂に眠る福音書記者マルコの遺体は、828年にエジプトのアレクサンドリアから盗まれてきたものです。

十字軍運動が本格化してからは、聖遺物が強奪される例も増え、行き先をビザンツ帝国の都コンスタンティノポリスに変更した第4回十字軍などは、占領者として帝都入城したのをよいことに、聖遺物に限らず、あるだけの金銀財宝を奪い取りました。

「新たに発見」されたものの例としては、イエスの腹に突き刺された槍(ロンギヌスの槍)やイエスの遺体をくるんだ聖骸布なども有名ですが、人々の関心をひくという点では、十二使徒の一人聖ヤコブの墓が抜きん出ているかもしれません。

イベリア半島のガリシア地方で、星の導きにより、それが発見されたのは8世紀のことで、9世紀には墓を覆う形で教会が建てられました。現在、カトリック三大聖地の一つに数えられるサンティゴ・デ・コンポステラがそれです。

▲サンティゴ・デ・コンポステラ 出典:zenpaku / PIXTA

■インディ・ジョーンズとロンギヌスの槍

聖遺物といえば、架空の考古学者を主人公にした『インディ・ジョーンズ』のシリーズにも数多く登場します。映画版の第1作『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』は、『旧約聖書』の「モーセの十戒」を収めた櫃が争奪の対象でしたが、3作目の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では聖杯の争奪が争点でした。

聖杯に関しては、最後の晩餐でイエスが口をつけたとも、十字架上のイエスから流れ落ちる血を受けたとも言われますが、神の子イエスに直接関わるものだけに、そこに宿るパワーは計り知れませんでした。

映画版では、どちらにもナチス・ドイツが登場しますが、この設定はアドルフ・ヒトラーがオカルト信奉者であったという伝説に由来します。

実際のところ、オカルト信奉者はヒトラーではなく、SS(ナチス親衛隊)隊長のハインリヒ・ヒムラーでした。キリスト教以前の社会と文化こそゲルマン人のあるべき姿としただけあって、ヒムラーはSS管下にアーネンエルベ(先史遺産)というドイツ先史時代の精神史研究を目的とする機関を設けています。

▲保安警察長官のラインハルト・ハイドリヒ(右)とハインリヒ・ヒムラー 出典:ウィキメディア・コモンズ

「先史」と揚げながら、未知のパワーが宿るといわれる、聖遺物だけは例外とされました。聖杯の探索は、イギリスの妨害により計画倒れに終わりましたが、「ロンギヌスの槍」のニュルンベルクへの帰還にはヒムラーの強い関与があったと思われます。

おかしなことに、ロンギヌスの槍と呼ばれる聖槍は複数現存します。ヒムラーが本物と断じたのは東フランク王ハインリヒ一世が926年に入手したもので、ヒムラーは自身をハインリヒ一世の生まれ変わりと妄信していただけに、疑う気など毛頭なかったのでしょう。

▲キリストの脇腹を槍で刺すロンギヌス。15世紀のフレスコ画  出典:ウィキメディア・コモンズ

ハインリヒ一世が入手して以来、ロンギヌスの槍はニュルンベルクに保管されていましたが、19世紀初頭、ナポレオンに奪われる恐れがあるというので、ウィーンのホーフブルク宮殿に移されました。これをおそらくヒムラーが主導して、ナチスの聖地と化したニュルンベルクに戻したわけですが、結果としてこの聖遺物は、いかなるパワーを発揮することもありませんでした。

長らく所有していたハプスブルク家にしても、ナポレオンとの戦いに敗れたことで神聖ローマ帝国としての命脈を断たれ、皇女まで差し出せねばならなかったのですから、聖遺物としての効果はとうに消え失せ、むしろ呪物と化していたのかもしれません。

関連記事(外部サイト)