『キングダム』からみる呪術。秦の始皇帝が5回も天下巡幸した理由

数多くの漫画に登場する「呪術」は、日本に限らず世界各国で歴史の重要な場面に登場します。中国・戦国時代の末期を舞台にした人気漫画『キングダム』にも、呪術に近いものが登場しますが、現実でも、中国の歴史に呪術は大きく関わっているそう。歴史作家の島崎晋氏が解説します。

※本記事は、島崎晋:著『鎌倉殿と呪術 -怨霊と怪異の幕府成立史-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■現代にも名残がある死者を蘇生させる禁術

原泰久の人気漫画『キングダム』には「蚩()尤(しゆう)()」という影に生きる一族が登場します。独特の呼吸法で神業に近い剣技を操るのですが、彼らには死者を蘇生させる禁術が語り伝えられていました。

施術者の命を分け与えることにより、冥府に赴()く途中の魂を呼び戻す術ですので、心肺停止から時間が経過するほど成功率は低くなる、との設定です。

単行本58巻では「禁術」という普通名詞で語られますが、61巻では「呼び戻しの術」という固有名詞が明記されています。陰陽道にも招魂祭という儀式がありますが、これは除病や息災のために行われるので、少し毛色が異なります。むしろ道教の摂()魂(せっこん)に近いと言えます。

摂魂の「摂」には「引き寄せる」という意味があり、生者や死者の霊魂を呼び寄せる摂魂は招魂、返魂とも呼ばれます。ここでいう「生者の霊魂を呼び寄せる」とは、気絶や昏睡などで一時的に肉体から遊離した霊魂を戻すことをいいます。

東()晋(とうしん)()の葛()洪(かっこう)()が著した『抱()朴()子(ほうぼくし)()』は、呼吸法や護符、避邪、鬼神の使役、仙人になる方法など、さまざまな秘術の概要を伝えていますが、儒学の経典の一つ『儀()礼(ぎらい))』が伝える内容といっしょで、死者の名前を連呼するのが基本です。

『キングダム』の単行本58巻でも、施術者の羌()?(きょうかい))は費信隊の将兵たちに、「変化があったら、皆で(隊長の)信の名を呼んで」と言い残し、自分も天地の狭間に入っていきます。

つまり、虫の息の人を前に、家族や友人が必死に声をかけるのは気休めなどではなく、歴史と伝統ある儀式の名残りなのです。『儀礼』には、家族が屋根の上から死者の衣服を振りかざし、死者の名前を叫びながら、帰還を呼びかける儀式も載せていますが、これは死者の魂が天に昇るとの考えに拠るもので、冥府が地下にあると考える地域では、井戸の底に向かって叫ぶのが慣わしだったそうです。

羌?による禁術は「心の目は内に、心の手は汝()の中心に、納むるは白金の瀬、定むるは泰山の礎」という呪文に始まりますが、本文にも記したように、古代中国では泰山は冥府そのものか、冥府への入り口があると考えられていました。呪文は冥府へ通じる道を開くためのものなのでしょう。

■秦の始皇帝が目にした「不老不死の仙人が住む島」

『キングダム』の舞台は、中国・戦国時代の末期で、主人公は秦王政に仕えた将軍の李信ですが、東方の六国を滅ぼし、中華の統一を成し遂げた政は、新たに皇帝の称号を設け、みずから始皇帝と名乗ります。

偉業を成し遂げた始皇帝は、戦国七雄のあいだでバラバラだった通貨・度量衡・文字の書体・車両の幅などを統一したのをはじめ、北方民族の侵攻に備えた万里の長城の建設、直道と称される軍用道路の建設、大富豪の強制移住、法治の徹底などを推し進めますが、それらと並行して5回も天下巡幸を実行しました。

六国の残党が各地に潜伏して、いつどこで襲撃されてもおかしくない状況でしたが、中華の全域に新時代の到来を実感させるためにも、天下巡幸は繰り返し敢行する必要があったのです。

しかし、目的はそれだけに限られず、各地の神々への報告と挨拶も兼ねていました。なぜかと言えば、祭祀の主宰者が交代したことを伝えておかねば、誤解が生じて、祟りを招く恐れがあったからです。

春秋時代が始まった頃、中華には大小あわせて300近い諸侯が割拠していました。戦国時代には、それが7つにまで淘()汰()されたのですが、強国が弱国を、大国が小国を併合する場合でも、土地神と祖霊への祭祀は勝者に受け継がれるのが倣いでした。

数が少ないうちは個別の名のまま、個別の祭祀が行われましたが、数が増えていくとそうはいかず、個々の名は消し去られ、できるだけまとめて行われるようになります。

▲秦の始皇帝兵馬俑 出典:PIXTA

始皇帝の天下巡幸は、そのための準備作業も兼ねていたわけですが、内陸育ち斉の始皇帝は斉国の旧領、現在の山東省の海岸部で思わぬ体験をします。

どこまでも果てのない大海を幾度となく望むなか、始皇帝は蜃気楼を目にしたはずなのです。遠く東の海上に3つの島の姿を。

天候などの条件が合えば、現在でも目にできるそうですが、始皇帝はそれを不老不死の仙人が住む島と信じ込みました。斉国は方術のメッカでしたから、始皇帝に取り入ろうとした方士たちが吹き込んだものと思われます。

以来、始皇帝は不老不死の仙薬を求め、正気とは思えない行動に走るのですが、その点についてはテーマとはずれるので割愛します。

▲だるま太陽と蜃気楼により空中に浮かぶ島 イメージ:PIXTA

■古代中国にもゲン担ぎのような呪いがあった

古代中国の呪術について知る手掛かりは、歴史書の記述だけに限られません。近年は竹()簡()(ちくかん)・木簡(もっかん)など考古学史料の研究も進み、当時の息吹をより生々しく感じられるようになりました。

古代の占い書は「日()書(にちしょ)」と称されます。この分野の研究は、工藤元男氏の『占いと中国古代の社会発掘された古文献が語る』(東方選書)に詳しく、同書によれば、戦国時代・秦の版図内のものでは、現在の湖北省雲()夢(うんぼう)県睡()虎()地(すいこち)、同じく江陵県王()家()台(おうかだい)、同じく江陵県九()店(きゅうてん)()、甘()粛省麦()積区放()馬()灘(かんしゅくしょうばくせきくほうばたん)()の4遺跡、中華統一後の秦代のものでは、湖北省沙市清河村周家台と湖北省江陵県岳山から、まとまった量が発見されています。

睡虎地遺跡からは、悪夢をみた場合、それを祓()除(ふつじょ)()するために唱える祝()辞(じゅもん))などを記した占()夢(せんぼう:夢占い)の日書が多く見つかっています。たとえば、以下のようなものです。

甲乙の日の夢で、自分が黒色の毛皮の服を着て、黒い帽子を被っているのを夢見たら、それは喜事の兆しであり、水中および山間の渓流のなかで得られる。

庚辛の日の夢で、青色と黒色のものを夢見たら、それは喜事の兆しであり、木の方角と見ずの方角で得られる。

また、放馬灘遺跡からは出行(遠出)に関する日書が多く見つかっています。

一例を挙げましょう。

行きて邦門の困に到れば、禹()歩(うほ)すること三度、壱歩を勉(すす)むごとに「ああ、あえて告ぐ」と叫び、曰く、「某の行に災いなかれ、先に禹のために道を除(はら)()わん」と。すなわち地を五画し、その画せる中央の土を拾いてこれを懐(はら)()む。

ここにある「邦門の困」とは、城門や村落の出入り口のこと。「禹歩」は、陰陽道の反()閇(へんばい)の前身といえる特殊な足の運び方を指します。境である門杭(敷居)まで来たら、禹歩をするのが道中の安全を祈る呪いだったのです。

▲秦の始皇帝と方士の徐福(著者撮影)?

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