NHK『プロフェッショナル』で話題! 焼肉の名店スタミナ宛の伝説と繁盛哲学
2022年10月03日 17時00分WANI BOOKS NewsCrunch
足立区鹿浜。「陸の孤島」とも揶揄される、へんぴな場所にもかかわらず、行列が絶えない焼き肉の名店・スタミナ苑。「総理大臣も並んだ」「開店2時間前から行列ができる」という名店はいかにして生まれたのか。
右手に障害を抱えながらも、圧倒的なうまさのホルモンを武器に、スタミナ苑を一流店に育てた店主・豊島雅信が口にする言葉はどれもが力強く、印象的だった。
※本記事は、豊島雅信:著『行列日本一スタミナ苑の繁盛哲学 -うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
■恨み言ばかり言ってても仕方ない
15歳からスタミナ苑で働き始めた。実家が肉屋で、おふくろと兄貴がこの焼き肉屋もやっていたから、そこに転がり込む形で働き始めたんだ。本当はもっと派手でオシャレな仕事に就きたかったけど、他に働き口がなくて仕方なくといったところだね。
僕はさ、右手にハンデを背負っている。2歳の頃、実家にあった精肉機に、興味半分で手を突っ込んで、指を2本失ってしまった。その時の記憶は全くないけど、泣き叫ぶ僕の声を聞いた親が、慌てて手を引っこ抜いて病院に連れていってくれたって聞いた。

▲小学校入学前。右手には包帯が見える(本人提供)
この右手のおかげで随分つらい思いもした。今振り返ると僕の人生は苦労の連続だったよ。小さいうちはからかわれたり、就職試験に落とされたりもした。やさぐれた時期もあった。
でも僕は「なにくそ! 負けてたまるか!」って思ったね。
なんで俺ばかりこんな不幸な目にあうんだって神様を恨んだ。でも、恨み言ばかり言ってても仕方ないだろ。神様に感謝するとしたら、この前向きな性格をもらったことかな。どうせ生きていくなら徹底的に楽しんでやろうって思ったんだ。
もともとは右利きだったのかな。その時の自分のことなんて覚えてない。今はほとんどの作業を左手でやってる。
右手が不自由だから、上から吊られた肉が切れなかった。その時にまた、自分はこの世界でもみんなと同じことができないんだって気がついた。人と同じやり方ではできない、それは大きな壁だったね。

▲修業時代の一枚(本人提供)
普通の店は肉がブロックの状態で来ることが多い。それだったら毎日練習すれば、いつかは切れるようになるだろう。でも、うちみたいな肉屋は大きな枝肉が届く。それを腕と手で押さえて切る必要があるから、技術がいるし、難しいんだ。正肉は失敗すると高いから、あまり練習もできなかった。
自然と内臓(ホルモン)の担当になったという感じだね。
レバーの皮が剥けるようになるまでも大変だったよ。フジテレビの『ザ・ノンフィクション』って番組でも、そのシーンを撮影して放送していたようだけど、簡単そうにやっているように見えるらしいんだ。でも、これは両手があっても難しい作業だって言っておく。きれいに皮が剥けるようになるまでは、両手が使えるやつだって数年かかる。それを片手でやるんだから、その大変さがわかるだろ。
■片手でできなきゃ口を使う「なにくそ根性」

▲レバーを丁寧にトリミングする(撮影:キンマサタカ)
僕は包丁を定期的に研ぐ。ホルモンは大きい包丁を使って、その重さで切るんだ。レバーの仕上げはスッと引いて切る。
切り口が味を左右するから、包丁の切れ味は大事だ。特に僕の場合は、切れ味がちょっとでも悪くなると、そのぶん負担がかかるから、包丁の刃には常に気を配ってきた。
だから包丁はどんどん短くなっていく。今はちょっと短いかな。調子がいいのは買ってから2〜3年くらい。研げば研ぐほど短くなる。包丁なんて、高いの買っても毎日使うから安いもんだと思うよ。

▲少しでも切れ味が鈍ると包丁を研ぐ(撮影:キンマサタカ)
修行を始めた頃は、包丁も研げなかった。片手が悪いから、うまく押さえることもできなかったんだ。
それに、ホルモンを入れてある大きなビニール袋を開けるのもできなかった。固く結ばれたビニール袋って開けるのに難儀するだろう。最初はどうやって開けたらいいか途方にくれたもんだ。
でもさ、すぐに口を使って開ける方法にたどり着いた。見た目は少々悪いけど、手と歯を使えば一人でも開けられる。こうやって工夫してきたんだ。
もちろん何をするにも、慣れるまでに時間がかかるよ。でも、できるようになると面白くなってくる。やればできるってことに、だんだん気づいていくんだよね。苦労してでも、自分一人でできるようになる、それだけでうれしいんだ。
だから、僕はいろんな人に言うようにしている。「できないんじゃない、それはやらないだけ。とにかくやりなさい」って。
自分はできる、乗り越えられる、常にそう思ってなさいって人には伝えている。やってできないことはないんだから。
僕がこんなハンディキャップを背負ってるって知らない人も多い。まぁわざわざ自分から言うことじゃないしね。僕の働く姿がテレビで放映されたときは、「僕のおかげでやる気になった」って障害者の方もいたんだって、そんなうれしい話を聞いたよ。
この前は、富山からわざわざ僕に会いに来た人がいたね。一緒に写真を撮って、「感動した」って言ってくれた。「まだまだ自分なんて努力が足りない」って思ったって。本当にありがたい話だよね。
僕はね、「ハンディキャップがあるからできない」とは絶対に思わない。できないことなんてないと思うんだよ。どんなことでも、やる気があるかないか。最初から諦めているようではダメだよ。チャレンジしないと。
でも、僕がそんな心境に達するまでは、長い長い時間がかかったからね。「なんで僕だけ右手が」ってクヨクヨ思ってたこともあった。
他人と比べて、恵まれていたことがあるとしたらこの性格かな。いつも陽気な性格だって言われるよ。嫌なことも寝たら忘れちゃう。こればかりは努力でどうなるもんでもないからさ。
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