「妖しいにおい」こそ最大の魅力。チーズは栄養満点の食品

世界と日本のありとあらゆる奇食珍食を食べつくしてきた小泉武夫教授。自らを“発酵仮面”と称するほど、発酵食品の個性的な「におい」にも惹かれている。日本では乳製品の歴史が浅いためにあまり種類が豊富ではないが、最近では日本でも好きな人が増えている「チーズ」。世界中の発酵食品に詳しい小泉武夫教授に、記憶に残る「チーズ」について語ってもらった。

※本記事は、小泉武夫:著『くさい食べもの大全』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■食べる前、においを嗅ぐのは本能的な行動

くさいものを知ることは、人間力を身につけるうえでも非常に重要でもある。そのことを思い知ったのは、十数年前、NHKの『課外授業 ようこそ先輩』という番組で、郷里の福島県小野町の母校を訪ね、小学生に“くさい体験授業”を行ったときだった。その日、私が持参したのは教科書ではなく、シュール・ストレミングと腐ったサバ(鯖)である。

腐ったサバが猛烈にくさいのは想像がつくだろう。しかし、シュール・ストレミングのにおいも負けていない。シュール・ストレミングは、スウェーデン特産の塩漬けしたニシンの缶詰で、 強烈な発酵臭がする。くさいという点ではどちらも同じだ。

シュール・ストレミング イメージ:PIXTA

しかし、決定的に異なっているのは、腐ったサバは、私たちの生命を脅かす危険な食べものであるのに対し、発酵食品のシュール・ストレミングは安全な食べものだということである。

子どもたちに、それぞれの食品のにおいを嗅がせたところ、いずれも、「くさい、くさい」と大騒ぎになったが、「どちらかを必ず食べなければいけないとしたら、どっちを選ぶ?」という究極の問いかけに、全員がシュール・ストレミングを選んだのである。

つまり、人間は生まれながら、自分にとって不要なにおいと必要なにおいを嗅ぎ分ける力をもっている。どのような人でも、初めて口にするものは必ずにおいを嗅ぐが、これは本能的な行動にほかならない。くさいものを知ることは、人としてたくましく生きるために欠かせない教養なのだ。

■砂漠で生まれたチーズ

?チーズには、くさいものがいっぱいある。妖艶なにおいのチーズも多く、どれも私の大好物である。このすばらしい食品は、次のような偶然から生まれたと伝えられている。

古代アラビアの商人たちがラクダに乗って暑い砂漠の中を旅していたとき、のどを潤おそうと手づくりの水筒を取り出した。

この水筒はヒツジの胃袋を乾燥させたもので、出発前、そこにヤギの乳を入れてきたのだが、いざヤギの乳を飲もうとすると、乳ではなく、白い塊と透明な液体が出てきた。アラビア商人たちは驚いたが、なめてみたらとてもおいしくて、ここからチーズづくりが始まったといわれている。

なぜ、水筒に入れたヤギの乳がチーズに変化したかというと、ラクダの上で水筒がガチャガチャと揺らされるうちに、乳の中のたんぱく質と脂肪が水分と分離し、そこにヒツジの胃袋に残っていた、たんぱく質を固める酵素〔レンネット〕と乳酸菌が作用して、ヤギの乳の発酵が促されるとともに、そのたんぱく質が固まって、白い塊〔ナチュラルチーズ〕と、透明な液体〔ホエイ〕が得られたのである。

▲砂漠で生まれたチーズ イメージ:PIXTA

現在のチーズも同じ過程でつくられる。最終的にホエイをきれいに取り除き、塩を加えて熟成させればナチュラルチーズのできあがりである。このナチュラルチーズに熱を加えて発酵を止めたものがプロセスチーズである。

■世界には「ヤバイ」チーズがたくさんある

世界には、ナチュラルチーズとプロセスチーズを合わせて数百種類のチーズが存在するといわれている。確かにいまやどこの国を旅しても、地酒とチーズはだいたい手に入る。

“発酵仮面”の私は、当然ながらどこの国でも地酒とチーズを堪能する。チーズは奥の深いコクと酸味、そしてぬめりとした食感が嬉しく、見た目が怪しくて、はっとさせるようなくさみがあるなど、魅力がいっぱいである。

トルコやブルガリア、ユーゴスラビアあたりの田舎のチーズ屋へ行くと、「これは本当に食べても大丈夫か」と心配になるほど、見た目が怪しいものが売られている。

▲世界には「ヤバイ」チーズがたくさんある イメージ:PIXTA

たとえば、チーズ全体が赤や黒、黄、青、灰色などのカビで覆われていて、手にとってふっと息を吹きかけるとカビの胞子がファーと舞い上がり、くしゃみが止まらなくなったこともあった。

あるいは、表面のカビを飛ばしたら、穴がブツブツと開いていて、そこから蛆虫(うじむし)がぞろぞろ出てきたこともある。今風にいうなら「ヤバイ」といった感じのチーズが、今もって世界にはたくさん存在するのである。

そして、きわどいほどのあのにおい。好事家たちは「妖しいにおい」という表現を好んで使うが、あのにおいこそ、チーズの最大の特徴なのだ。

しかし日本では乳製品の食用の歴史が浅いため、チーズの味はもとより、においが苦手という人もいる。一方、西欧人にとってチーズは、日本人にとっての漬物みたいなもので、朝食やディナー、酒の肴に欠かせない一品である。

チーズのにおいの本体は、プロピオン酸、酪酸、吉草酸、カプロン酸といった揮発性の有機酸とヘプタノンやノナノンといった特殊な乳発酵成分である。

そこにバターフレーバーまたはミルクフレーバーと呼ばれるケトン体化合物がわずかに相乗して、特有のにおいが生み出される。このとき、原料の乳や、発酵微生物の種類、製造方法などの違いによって、さまざまな個性的くさみをもつチーズが生まれるのである。

■トルコで出会った170年前のチーズ

以前、トルコのクルド族の村を訪ねたとき、170年ごとに改修工事を行うという小さな祠(ほこら)があって、その日たまたま改修工事が行われていたので見に行ったら、祠の中からチーズが出てきたことがあった。

丸くてちょうど硬式野球ボールぐらいの大きさのヤギのチーズがごろごろ出てきたの
である。それは170年前の改修のときに納められたものだという。煤(すす)けて真っ黒になっていたが、私は村長に新しいチーズを用意するためのお金をお布施として渡し、その170年前のチーズを数個譲っていただいた。

そのあと、かじって食べようとしたが、硬くてとうてい歯が立たない。仕方ないので、石で思いきり叩き割ったところ、なかはやや灰色がかった黄色をしていた。おそるおそる食べてみると、これが驚くことに、口のなかで溶けてくると、まったく今のチーズと変わらない味がしたのである。とても感動したのを覚えている。

チーズは乳酸菌が乳酸をつくって腐敗菌の侵入を抑えるため、何年経っても腐らない。おかげで、日本から遠く離れた異国の地で170年間ずっと祠の中に入れられていたチーズの味にふれることができた。まったく貴重な体験であった。

チーズは栄養満点の食品でもある。乳由来の栄養に加え、乳が発酵・熟成する過程で増えたり生まれたりする有効成分がたっぷり含まれている。

まず動物性たんぱく質と脂肪が豊富で、手軽にカロリー補給できる滋養食品としてすぐれている。また、ビタミンAや B2 、カルシウムなど、各種ビタミン・ミネラルの宝庫でもある。

さらに、健康の維持・増進に役立つペプチド〔たんぱく質の分解物〕のほか、ナチュラルチーズには腸内細菌〔腸に棲みついている細菌〕のバランスをよくして、病気に対する抵抗性〔免疫力〕を高めてくれる乳酸菌も豊富に含まれているからである。

関連記事(外部サイト)