「関羽ほどには孔明を信頼していなかった?」劉備の遺言を読み解く

「関羽ほどには孔明を信頼していなかった?」劉備の遺言を読み解く

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もしかしたら中国人よりも馴染みが深い「三国志」。120以上の論文を書き上げた三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏は、主役級の人物の一人である劉備が遺した遺言に、納得がいかない箇所があったという――。その理由とは何か。

※本記事は、渡邉義浩:著『三国志?-研究家の知られざる狂熱 -』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■劉備の遺言に感じた違和感

わたしは、劉備が諸葛亮に次のように遺言していることに、疑問を抱きました。

君才十倍曹丕必能安國終定大事若嗣子可輔輔之如其不才君可自取

これが原文です。本当は日本で使っている常用漢字ではなく、正字〔旧漢字〕で書かれています。ここでは、國(国)だけ正字にしてみました。これに、句読点をうち、送り仮名・返り点をつけて訓読し、書き下し文にします。

もちろん、古典といっても中国語ですから、中国語で発音して意味を考えてもよいのですが、現在の中国語の発音と三国時代の発音は大きく異なっています。

また、日本人は古来、古典中国語を漢文訓読という独自の翻訳方法で読んできた伝統を持ちます。とくに、江戸時代の昌平坂学問所からの流れを継承する高等師範学校〔のちの筑波大学〕では、漢文訓読を重視していました。

それを継承して、わたしは、古典中国語を書き下し文にします。また『全訳後漢書』全十九巻[渡邉義浩(主編) 汲古書院 二〇〇一〜一六年]では、二度手間と思われるかもしれませんが、書き下し文をさらに現代語に訳しています。

学術論文では、わたしは書き下し文と句読点をつけた原文を示すだけで、現代語には訳しません。わたし個人は、現代語訳よりも書き下し文のほうが、原文のニュアンスが残る、よい日本語訳であると考えているからです。

ここでは、書き下し文で掲げましょう。

君の才は曹丕に十倍す。

必ずや能(よ)く國を安んじ、終(つい)には大事を定めん。

若(も)し嗣(し)子(し)輔(たす)く可(べ)くんば、之(これ)を輔けよ。

如(も)し其(そ)れ不才なれば、君 自ら取る可し。

私が違和感を覚えるのは、四文目です。

もし才能が無ければ、君が自ら(君主の地位を)取るべきである、という劉備の言葉の条件となっている、「もし才能が無ければ」について、嗣子の劉禅に才能がないことを、劉備もわかっていたはずだと思うからです。

したがって、これは諸葛亮に即位を命じていることになり、事実この言葉を聞いていた李厳は、のち諸葛亮に「九錫(きゅうせき)」を受ける〔天子と同じ九つの儀礼を許されること。即位の前提〕ことを勧めています。

もちろん、諸葛亮は断りますが、その答えは歯切れの悪いものでした。それは、この文章が遺詔(いしょう)であるからです。詔のなかでも、天子の遺言である遺詔は、強い拘束力を持ちます。

その遺詔が、劉禅に才能がなければ、諸葛亮が即位せよ、と命じているのです。

劉禅の不才が誰の目にも明らかな以上、諸葛亮が即位しなければ、命令違反になります。だから李厳の勧めを笑ってごまかすしかなかったのです。

そもそも諸葛亮の志は、「聖漢(せいかん)の大一統(だいいっとう)」〔神聖なる漢帝国による中国統一〕の実現でした。「天下三分」などではありません。三国が鼎立(ていりつ)しても、戦いを止めなかったように、諸葛亮にとって、「天下三分」は手段であって、目的はあくまで「聖漢の大一統」なのです。

■諸葛亮ができるはずもない命令を遺した

たとえ曹丕を破り、孫権を降して中国を統一しても、自分が即位すれば、「聖漢」による中国統一ではなくなります。しかも、劉禅は諸葛亮を全面的に信頼して全権を委ね、「相父(しょうほ)」〔丞相を務めるおとうさん〕と呼んで、諸葛亮を慕っています。

劉禅を殺して帝位に即くことなど、諸葛亮ができるはずもない命令でした。

こうした実行できない君主の命令のことを「乱命」と言います。

乱命は、それを出した君主が間違っているので、従う必要はありません。諸葛亮は、粛々と劉禅を即位させ、死ぬまで劉禅を支えて、曹魏と戦っていきます。

ところが陳寿は、口を極めて劉備の遺言を褒め、劉禅を託した信頼関係を称えます。

こののち、これは「遺孤(いこ)〔残された子〕を託す」と言われ、君主と臣下の絶大な信頼の証とされていくのですが、わたしには、劉備が諸葛亮を信頼していないように思えたのです。

大学院に入って読書の範囲が広がると、明末の王夫之(おうふうし)〈王船山〉が、わたしと同じ疑問を抱いていることを知りました。

王夫之は、「劉備は関羽に対してであれば、このような遺詔を残すことはなかった。諸葛亮は関羽のようには、劉備に信頼されていないことがわかる」と言っています。

わたしも、劉備が諸葛亮と対立していたとか、信頼関係がなかったと考えていたわけではありません。

そこで、両者のぶつかり合いを「せめぎあい」という言葉で表現したのですが、王夫之のように関羽とくらべるとわかりやすいなと気づき、中国学の奥深さに、やがて感心することになったのです。

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