日本のヒップホップの“未来"をつくった男が語る「目標実現のための発想法」

読むのに1分もかからないシンプルな「一文」が、人生を変えてくれるかも。何かに悩んでいる時に、答えに導いてくれるのは「本」かもしれない。日本一書評を書いている印南敦史さんだからこそみつけられた、奇跡のような一文を紹介します。

■人生を変える一文 −『 ステージ以外にも手段はいくらでもある 』−

▲スカイ・イズ・ザ・リミット/市村康朗+公文貴廣:著(DU BOOKS:刊)

Zeebraをはじめ、今のヒップホップシーンにかかせないスターを擁した、日本初の専門レーベル「フューチャー・ショック」オーナーの自伝的小説。ラッパーでもDJでもなかった著者が、ヒップホップ業界において自らのアイデンティティを確立するまでの苦悩が描かれている。“ヒップホップ黄金時代"(90年代)を、その重要拠点であったブルックリンで過ごした著者だからこそのリアルエピソードや、人気ラッパーたちの知られざる一面も必読。

■ヤバくて知的な男“ブルヤス”くんとの出会い

僕は1994年から音楽ライターになり、90年代後半までは、おもにヒップホップ/R&Bのフィールドに焦点を当てて取材や執筆を続けていました。

ニューヨークのヒップホップが盛り上がっていた時代です。しかし国内も同じで、アンダーグラウンドの現場では、多くのラッパーやDJが強い向上心を持って切磋琢磨していました。

その姿に共感できたこともあり、クラブにも頻繁に足を運び、ラッパーやDJとも親しくなっていくことに。彼らとの交流は、とても有意義なのものでした。

ところで同じ頃、東京のシーンに、なぜか非常に目立つ男が現れました。どういうわけか、ことあるごとに彼の名を聞くようになったのです。

それがブルックリン・ヤス、通称ブルヤスくん。

日本のヒップホップ・シーンには、DJ YASという伝説的なDJがいるので「ブルックリンに住んでたヤスだから“ブルックリン・ヤス”って呼ばれてるんですよ」と、誰かに教えてもらった記憶があります。

いずれにしてもブルヤスくんには、国内ヒップホップ・シーンの内側からじわじわと、しかし確実に存在感を大きくしていったような印象があったのです。しかも「何をやっている人なのか」がよくわからなかったので、なおさら気になる存在だったのでした。

渋谷・宇田川町の居酒屋で顔を突き合わせて飲んだのは、たしか1986年くらいだったんじゃないかな? 25年くらい前のことですから記憶も曖昧ですが、目の前にいた彼の印象だけは強烈に記憶に残っています。

じっとこちらを見る視線は鋭く、けれど威圧的ではなく、明らかにヤバい匂いを放っているのに、知的な印象もある――相反する要素が共存しているような、不思議な男だったのです。

だから経歴を聞いたとき「ああ、そういうことか」と妙に納得しました。

カリフォルニアの小学校を出て、中学を日本で卒業したあと、アメリカ東海岸の高校・大学に進学。僕がライターになったころには、ヒップホップの重要拠点であったブルックリンに暮らしていたようです。だから「ブルックリン・ヤス」ってわけね。

「ジュニア・M.A.F.I.A.に追っかけられて」なんて話を普通にするので「こいつはガチだ」と感じずにはいられませんでした。ちなみにザ・ノトーリアスB.I.G.という有名ラッパーの弟分にあたるジュニア・M.A.F.I.A.は、シングル・ヒットも持つヒップホップ・グループですが、もともとはストリート・ギャング。

そんな“リアルな”人たちに追っかけられるような日常を送っていれば、そりゃ度胸もつきますわな。

さて、やがて国内シーンでのコネクションを着実に固めていった彼は「Future Shock」という日本初のメジャー・ヒップホップ・レーベルを立ち上げ、Zeebraなどのアーティストを成功させました。結果、彼は大きなプロップス(評価)を得ることになったわけです。

■目標にアプローチする手段はいくらでもある

ところが、気がつけばいつしか「Future Shock」は、その活動を終えており、中心にいたブルヤスくんのこともあまり聞かなくなっていきました。

フェイスブックのメッセンジャーで久しぶりに話したのは、たしか2010年代半ば。まだ社会全体に、東日本大震災の余波が残っていた頃だったと思います。

どんなやりとりをしたのかも明確に記憶してはいませんが、ひとつ印象的だったのは、ベトナムを拠点としてアジアのストリート・カルチャーを支援するような仕事をしている、と聞いたこと。

初めて姿を現した時のことも「Future Shock」を成功させたことも、彼のやることはすべて予測不能だったわけですが、その話もまた予想外でした。

しかも、ここにきてまたしても予想の上を行く展開が。

なんと、今度は自伝的な本を出版したというのです。『スカイ・イズ・ザ・リミット ラッパーでもDJでもダンサーでもない僕の生きたヒップホップ』(市村康朗+公文貴廣:著)がそれ。

ドキュメンタリーと寓話が抱き合わせになったような、ちょっと変わった構成なのですが、読んでみたら彼がこれまでにやってきたことの意味、あるいは知りたかったことの真相などが、よくわかった気がしています。

ニューヨークで暮らしていた時期、彼は「アフロアメリカンじゃない自分も、このヒップホップ文化の一部として生きていきたい」と感じ、進むべき道を模索していたようです。

ラッパーでもDJでもダンサーでもなく、ましてや日本人なのに、何ができるのかと。しかし、ニューヨークでアーティストたちを筆頭とする、さまざまな人たちと交流した結果、ひとつの答えに行き着きます。

今回は、それを「神フレーズ」にしたいと思います。

「そうか、ステージに立つ以外にも、この業界にアプローチする手段はいくらでもあるんだな」それからの僕は、表舞台に立つラッパーやDJだけでなく、レーベルオーナーやプロデューサーといった、ヒップホップ業界の「裏方」に関する情報収集にも重きを置くようになっていった。
(22ページより)

それが、ブルヤスとしての活動につながっていくわけです。

でも「この人だけのことでしょ」などとは思ってほしくないと思います。なぜならこれは、あらゆる目標を目指す、すべての人が応用できる発想だから。

「○○をやってる人と自分とは、住む世界が違うから」という理由で気になっていることを諦めてしまうとしたら、それはまったく意味のないこと。大切なのは「では、○○をやってる人とは違う自分には、何ができるだろう」と考えることであり、おそらくそれが、目標を実現するために大切なことなのです。

つまりブルヤスくんは、この本を通して、そんな考え方や行動の大切さを実感させてくれたのです。

〈印南 敦史〉

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