舛添要一は元東京都知事。辞任の理由や国際政治学者としての現状。

舛添要一は元東京都知事。辞任の理由や国際政治学者としての現状。

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舛添要一は、1948年11月29日福岡県北九州市に生まれます。高校までは地元の学校に進学しますが、大学は東京大学法学部に進学します。東大卒の政治家は多数いますが、舛添要一は彼らとは少し違う経歴の持ち主です。私生活では結婚3回を数えていることも特徴的です。舛添要一とはいったいどんな人物なのでしょうか。

舛添要一は子供の頃、家が全焼したり、中学の時に父親を亡くしたりと、若い頃お金に苦労した生活を送っていました。奨学金を受けて高校を卒業し、大学入学を果たした苦学生でした。私生活も順風満帆とは言えなかったようです。現在の妻は3人目の結婚相手であり、2人の子どもがいます。最初の結婚相手はフランス人女性、2回目の結婚相手は現在衆議院議員を務める片山さつきでした。また、愛人遍歴もあり、愛人との間にも何人かの子どもをもうけたとも言われています。

舛添要一は、東大法学部卒業後、助手として学部に残り研究者を目指します。奨学金返済が免除されるというのがその理由のようです。大学院を経ず、学士のまま助手になれる人はエリート中のエリートです。その後、パリ大学やジュネーブ国際研究大学院の客員研究員を歴任し、若手政治学者として「朝まで生テレビ」「サンデープロジェクト」「ビートたけしのTVタックル」などの討論番組に出演します。東大退官後は、舛添政治経済研究所を設立して独立し、バラエティ番組などにも出演するようになりました。

1990年代は舛添要一は文化人タレントとして、テレビで知名度をアップさせた時期でした。その後、2001年7月には参議院議員選挙に自民党候補として比例区から立候補し、当選します。東大で政治学を学んだ背景から、国会議員という政治の世界においても実行力を発揮します。第1次安倍改造内閣のときには厚生労働大臣になり、年金記録や薬害肝炎、医師不足の問題などに取り組みます。時には厚生労働省の官僚や業界の反発に合いながらも、国家の課題に真剣に取り組む姿勢は印象的でした。

その後、自民党の野党転落などを受けて2010年に自民党を離党し、「新党改革」の代表に就任します。しかし、2013年7月の任期満了をもって参議院議員を辞め、国政を離れます。2014年には東京都知事選挙に無所属で出馬しました。東京オリンピックへの対応や脱原発問題が争点となる中、元総理大臣の細川護煕氏や元日弁連の会長宇都宮健児氏を押さえ、見事当選します。この頃の舛添要一は、国際政治学者らしく、政策通で頼れる政治家という印象でした。

課題山積みの都政の運営が舛添要一に期待されていましたが、週刊文春が舛添知事の政治資金の不正使用や海外出張問題を取り上げ、舛添要一は批判を受けることになります。毎日メディアで取り上げられる中、舛添要一は身の潔白を明らかにすることはできませんでした。都議会で都知事不信任案の可決が確実視されたのを受けて、舛添要一は東京都知事を辞職します。前猪瀬都知事に次いで、お金の問題をめぐって辞職することになり、多くの都民からため息が漏れたのでした。

都知事選で舛添要一は、「オリンピックで東京の魅力を発信」「大災害に打ち勝つ都市」「安心、希望、安定の社会保障」「世界をリードする産業・人材都市」「人材育成と骨太の教育改革」をスローガンに掲げました。「安心、希望、安定の社会保障」では、「待機児童ゼロ」や高齢者施設の空きを待つ「待機高齢者」の削減を掲げ、未利用の都有地に介護施設や保育所を造るアイデアを披露しました。また、国際政治学者らしく都市外交の重要性についても主張していましたが、後にこの外交に関わる費用が問題となるのです。

税金を納めることは国民の義務であり、政治家が適切に税金を扱う必要があるのは当然です。しかし、舛添要一にはその意識が欠如していたと言わざるを得ません。では、舛添要一が都知事を辞職することとなった政治資金関連の問題とは、一体どういうものだったのでしょうか。

一つ目は高額の出張費です。舛添都知事は2020年東京五輪・パラリンピック開催に向け「都市外交」に力を入れる方針でした。しかし、その「都市外交」に掛かった費用があまりに高額だったのです。2015年の10〜11月に舛添都知事がロンドン・パリ訪問に係る海外出張費は、計20人分で総額5,000万円以上掛かっていたのです。出張人数の多さもさることながら、ファーストクラスへの搭乗やホテルのスイートルーム宿泊が要因でした。この「豪華海外出張」については、他の知事からも批判や驚きの声が相次ぎました。

二つ目は、美術品を政治資金から「資料代」として支出していたことです。政治活動を行う上で、公金を使って必要な資料を購入することはあってもよいのですが、美術品が政治活動に本当に必要でしょうか。もともと舛添都知事は美術品コレクターとして知られていたため、趣味のためではないかとの疑惑が噴出します。美術品のほかにも書道用品やシルク製の男性用チャイナ服、クレヨンしんちゃんのマンガなども政治資金で購入しており、その数は150点以上にのぼりました。これにより舛添都知事を見る都民の目が一気に変わりました。

三つ目は、公用車の私的利用です。舛添都知事は、ほぼ毎週末、神奈川県湯河原町の別荘へ公用車を利用していることが報道されたのです。記者会見では「ルールに従ってやっている。全く問題ない」と説明しており、都の監査委員に監査請求が提訴されるものの、必ずしも違法・不当ではないとして棄却されます。しかし、その後、コンサートや野球観戦のため家族同伴で公用車を使用したことも判明し、こちらについては違法・不当と判断され、経費の返還をすることになったのです。

極めつけは、舛添都知事の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」が支出した、千葉県内のホテルの「会議費」の実態が「家族旅行だった」というものです。これについて、舛添都知事は家族宿泊はあったが、事務所関係者等が部屋に来て会議をしており、政治活動であると釈明しました。この件は東京地検に告訴され、政治資金収支報告書の虚偽記載が認定されましたが、少額のため最終的には不起訴処分とされました。

舛添要一の都知事の辞任の仕方も決して往生際の良いものではありませんでした。タイミングも遅く、また会見で説明もせず、職員に見送られることなくひっそりと都庁を去ったのでした。退職の理由が理由だけに、このまま隠遁生活かと思われましたが、現在の舛添要一はどうしているのでしょうか。

都知事の職を退いた後、しばらくはさしたる活動はせずひっそりと生活をしていたようです。現在は国政に進出する前と同じく国際政治学者という立場で政治評論に携わる生活を送っています。舛添要一の公式サイトでは、ブログやツイートで情報発信をしていたり、雑誌の記事の執筆や講演活動などを精力的に行っています。テーマも日韓情勢や東京オリンピック、天皇制など幅広い分野にわたっており、優れた才能は健在であることが実感されます。

舛添要一は、都知事辞任後の2017年5月には著書「都知事失格」を刊行しました。また同年8月には、TBS「有吉ジャポン」に辞任後初のバラエティー出演を行いました。しかし、都知事時代の失態の影響が大きく、以前に比べてマスメディアへの出演は決して多くありません。また「都知事失格」についても、「反省の弁が見られない」「見苦しい」などの厳しい評価もあり、都知事退任後の船出は決して順調であるとは言い難いでしょう。

舛添要一は優秀な政治家として都民から期待されていたにも関わらず、都民の税金を私用に使い、失脚しました。いくら優秀であっても、権力や地位を得てしまうと欲に目が眩んでしまうのかもしれません。今後も舛添要一だけでなく、国政を担う政治家を注意深く観察していく必要があると言えるでしょう。