【本棚を探索】第5回『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』ニコラス・レマン 著/濱口 桂一郎

【本棚を探索】第5回『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』ニコラス・レマン 著/濱口 桂一郎

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■米国経済の百年を描く

 なんだかよく分からないタイトルだけど、過去100年のアメリカの経済社会を、ハイレベルな思想と末端の現実の両方から描き出した、思想史とルポルタージュがまだら模様になった奇妙な味わいの本だ。経済思想史のキーマンはアドルフ・バーリ、マイケル・ジェンセン、リード・ホフマンの3人だが、この3人をいずれもよく知っているという人は少ないだろう。

 バーリは、バーリ&ミーンズの『近代株式会社と私有財産』のあのバーリだ。『経営者革命』のジェームズ・バーナムと並ぶ20世紀型大企業資本主義の唱道者だが、本書では彼がルーズベルト大統領のブレーンとして活躍した姿を描く。その章のタイトルは「組織人間」で、ウィリアム・ホワイトの名著『組織の中の人間』を思い出させるが、同書の舞台となったシカゴの街の自動車ディーラーが序章に出てきて、後のストーリーの伏線になる。そう、本書は思想史と現場ルポが絡み合っているのだ。「組織の時代」と題された第2章では、バーリの後継者としてピーター・ドラッカーが描かれると同時に、GMなど自動車メーカーが全国にディーラー網を張り巡らせ、ローカルな貯蓄貸付組合が彼ら20世紀型中産階級に住宅ローンを貸し付ける牧歌的な時代が描かれる。これも後への伏線だ。

 やがて時代は暗転(立場が違えば明転)する。新自由主義の旗手として有名なのはフリードリヒ・ハイエクなどだが、本書が狂言回しとして登場させるのは、日本ではあまり知名度の高くないジェンセンという経済学者だ。なぜか、単に市場原理を唱道するのみならず、企業とは株主がご主人(プリンシパル)であり、経営者はその利益を実現すべく奉仕する下僕(エージェント)だと主張するエージェンシー理論を唱え、バーリ流の組織資本主義をひっくり返す思想的原動力となったからだ。

 彼を描いた第3章のタイトルは「取引人間」で、本書の原題でもある。株主価値最大化とかM&Aといった80〜00年代にかけて猛威を振るった金融資本主義の時代は、貯蓄貸付組合の子孫のサブプライムローンに端を発するリーマン・ショックとそれに続く世界金融危機でその欠陥を露呈する。平和な生活を送っていたシカゴの自動車ディーラーのニック・ダンドレアが、破産したGMからディーラー契約の解除を通知されたのはこの時だ。人種問題も絡むシカゴの荒廃した映像がそこに重ね焼きされる。

 「組織人間」「取引人間」の次にやってきたのは「ネットワーク人間」で、狂言回しはリンクトインのホフマンで、有名なスティーブ・ジョブズでもイーロン・マスクでもないのはやや違和感がある。情報通信技術の急速な発展でかつてロナルド・コースが企業の存在理由とした取引費用が劇的に縮小したことによるが、かつて組織の時代をもたらした「規模の経済」が、「ネットワークの経済」として復活し、いわゆるGAFAの時代を生み出した。ホフマンはウーバーノード(優れた結節点)たらんとしたそうだが、この「ウーバー」を名乗るプラットフォーム企業が、世界中で不安定低報酬の偽装請負就業を生み出していると批判の的になっているのも、めぐる因果の糸車なのかもしれない。

(ニコラス・レマン著、日経BP刊、税込3080円)

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

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