【本棚を探索】第21回『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル・サンデル著/濱口 桂一郎

【本棚を探索】第21回『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル・サンデル著/濱口 桂一郎

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■功績重視に疑問呈す

 2019年度の東大入学式の祝辞で、上野千鶴子は2つのことを語った。前半では「大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています」と、将来待ち受けるであろう女性差別への闘いを呼びかけ、後半では「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」と受験優等生たちのエリート意識を戒めた。

 後者の理路をフルに展開したのが本書だ。刊行1年で100万部を突破したベストセラーだから、既読の方も多いだろう。だから中身の紹介はしない。ただ、巻末解説で本田由紀が注意喚起しているにもかかわらず、多くの読者が見過ごしているようにみえる重要な点を指摘しておく。

 本訳書の副題の「能力主義」は誤訳である。サンデルが言っているのはメリトクラシーだ。原題「The Tyrany of Merit」のメリットであり、本訳書でも時には「功績」と訳されている。それを「能力主義」と訳してはいけないのか?いけない。なぜなら、日本型雇用システムではそれは全く異なる概念になってしまうからだ。拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』で述べたように、日本では「能力」は具体的なジョブのスキルとは切り離された不可視の概念である。しかし、本書では「能力に基づいて人を雇うのは悪いことではない。それどころか、正しい行為であるのが普通だ」とか、「人種的・宗教的・性差別的偏見から、その仕事にもっともふさわしい応募者を差別し、ふさわしくない人物を代わりに雇うのは間違いだ」(50頁)とある。メリットとは属性にかかわらず具体的な仕事に最もふさわしい人物であることを客観的に証明する資格を意味し、学歴がその最大の徴表とされる。

 本書はそういう「正しさ」に疑問を呈する本であり、それゆえにバラク・オバマ(エリート黒人)やヒラリー・クリントン(エリート女性)の「正しさ」がもたらすトランプ現象、つまり低学歴でメリットが乏しいとみなされた白人男性の不平不満を問題提起する。「正しい」メリトクラシーを掲げたリベラル左派政党が労働者階級の支持を失うパラドックスをより詳細に論じたのは、トマ・ピケティの近著『資本とイデオロギー』(みすず書房近刊)だ。

 ところが日本では文脈ががらりと変わる。山口一男が『働き方の男女不平等』(日経新聞社)で繰り返し指摘するように、日本企業では高卒男性の方が大卒女性よりも出世して高給なのが当たり前であり、メリットよりも属性が重視されるからだ。そういうメンバーシップ型日本社会への怒りをぶちまけたのが、冒頭の上野千鶴子の祝辞の前半なのだから話は複雑になる。エリート女性がノンエリート男性よりも下に蔑まれる不条理への怒りと、(男も女も)エリートだと思って威張るんじゃないという訓戒では全くベクトルの向きが逆なのだが、それがごっちゃに語られ、ごっちゃに受け取られるのが日本だ。この気の遠くなるような落差をきちんと認識した本書の書評を、私は見つけることができなかった。

(マイケル・サンデル著、早川書房刊、2420円税込)

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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