【本棚を探索】第25回『格差という虚構』小坂井 敏晶 著/濱口 桂一郎

【本棚を探索】第25回『格差という虚構』小坂井 敏晶 著/濱口 桂一郎

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■あってもなくても不満に

 前回(労働新聞令和4年6月13日第3356号7面)は『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を取り上げたが、そのメリトクラシー批判をさらに極限まで突き詰めると本書に行き着く。タイトルだけ見ると「格差なんて虚構だ」というネオリベ全開の本と思うかもしれないが、むしろ格差を非難し、少しでも減らすようにとの善意に満ちた考え方の虚構を暴き立てる本である。彼に言わせれば、近代の平等主義とは、現実に存在する格差を正当な格差と不当な格差に振り分け、階層構造の欺瞞から目を逸らせるための囮に過ぎない。

 メリトクラシーを論ずる第1章は、前回の議論と響き合い、そのもたらす残酷な帰結をこう突きつける。「現実には環境と遺伝という外因により学力の差が必ず出る。ところが、それが才能や努力の成果だと誤解される。各人の自己責任を持ち出せば、平等原則と不平等な現実との矛盾が消える。学校制度はメリトクラシーを普及し格差を正当化する」と。

 第2〜3章では、遺伝・環境論争を、両者とも外因に過ぎないと斬り捨て、行動遺伝学の欺瞞を暴く。遺伝も環境も本人にとっては外因であり、能力の因果とは無縁であるにもかかわらず、まるで遺伝が内因であるかのように議論が進む。遺伝率という概念のおかしさを指摘する著者の眼は鋭い。

 第4〜7章までは、応報正義の根拠とされる主体の虚構性とパラレルに、分配正義の根拠である能力の虚構性を論じていく。最も抽象的な哲学論が、最もアクチュアルな現実の政策論と接するあたりを駆け抜けていく感覚がぞくぞくする。格差が縮小すれば人は幸せになるのではない。逆に微小な格差に執着し、不満が増幅するのだ。「人は常に他人と比べる。そして比較は優劣を必ず導く。近代社会では人間に本質的な違いがないとされる。だからこそ人は互いに比べ合い、小さな差に悩む。自らの劣勢を否認するために社会の不公平を糾弾する。私は劣っていない。社会の評価が間違っているのだと」。

 ここまで読むと、出口のない絶望感に打ちひしがれる。ではどうしたら良いのか? 著者が示す救いの道は意外なものだ。それは偶然である。今までの正義論は偶然による不幸を中和し補償することを模索する。それが思い違いなのだ。偶然は欠陥でもなければ邪魔者でもない。偶然の積極的意義を掘り起こし、開かれた未来を見付け出そうと呼び掛ける。とはいえ、こんな処方箋で現実の労働現場で悩む人々が救われるかといえば、その可能性は乏しいだろう。全ては外因だからといって、みんな平等にしましょうで済むわけではない。「こんなに違うのになぜ同じなのだ?」との声が噴き出す。大きな格差も小さな格差も格差なしも、どれもが不満をもたらす。

 ちなみに、著者は30年近くフランスの大学で教えているが、それが本書の考え方に大きな影響を与えているのではないか。フランスは自由、平等という正義を高らかに掲げるが、階層の固定性は高く、エリートとノンエリートの格差が著しい。著者のいる普通の大学は、トップエリートの集うグランゼコールと違い、先の見えた中くらいの準エリートを養成する機関なのだ。そう思って読み返すと、いろいろ腑に落ちてくる。

(小坂井 敏晶 著、ちくま新書刊、1210円税込)

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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