上皇陛下の教育係・倉橋惣三の「信じて待つ」子育て理念とは

 倉橋惣三は、「日本のフレーベル」「近代幼児教育の父」と呼ばれる、大正期から昭和にかけて活躍した教育者だ。昭和3年から6年間にわたり、昭和天皇皇后両陛下にご進講を行い、その後、皇太子殿下(現在の上皇陛下)の教育係として2年間出仕した。『倉橋惣三物語 上皇さまの教育係』(講談社)は、そんな惣三の生涯を描いた伝記小説だ。 惣三は運動が苦手で不器用だった。虫が苦手で、補助付き自転車もうまく乗れず、投げた毬はあらぬ方向へ飛んでいく。そんな惣三に白羽の矢が立ったわけとは。それは、彼の教育理念にあった。

 惣三の教育理念。それは、「子供は自ら育つ」ということだった。 大切なのは、子供の中に眠る可能性を信じ、寄り添い、待つこと。先回りして「ああしなさい、こうしなさい」と大人の理想を押しつけることを、よしとしなかった。

 幼児教育とは、人間の根っこを育てること。しっかりした根っこが育っていなければ、きれいな花は咲くはずもない。

 このような惣三の考え方を、皇室は評価したのだ。加えて惣三は、皇太子殿下だからといって特別扱いはしない、と強く心に決めてお相手をした。

??「人間愛」を教えてくれる、倉橋惣三の生涯

 惣三は、不器用なせいで「カメ」「カエル」とからかわれる、引っ込み思案な少年だった。静岡に生まれた彼は、小学生のときに上京し、浅草で年下の子供たちに出会う。下町の人懐っこい子供たちとの触れ合いを通して、教育の道に興味を抱いていった。東京帝国大学卒業後、嘱託講師や教師を経て、お茶の水幼稚園主事(園長)に就任。保育や幼児教育を改革していった。

子供たちと触れ合う倉橋惣三。写真/お茶の水女子大学所蔵

子供たちと触れ合う倉橋惣三。写真/お茶の水女子大学所蔵

 子供たちだけでなく、子育ての悩みを抱える母親たちにも寄り添った。母親は「導く前に労わるべき人」であり、一方的に教育方法を説くのではなく、まず母親たちの悩みを聞くことが大事だと考えたのだ。請われればどんな僻地にも足を運び、講演会を開いた。 決して順風満帆な教育者だったわけではない。実生活では、心を開いてくれない長男との関係に悩む、一人の親だった。その葛藤が、惣三の教育や人間観を深めたのだ。 惣三は常に子供の「友達」であろうとした。彼の言葉や行動は、教育という分野にとどまらない「人間愛」にあふれている。大人の私たちは、子供を思い通りにさせようと、手や口を出してしまってはいないだろうか? いつの時代も変わらない「子育て」のヒントが、この本に詰まっている。 筆まめだった惣三の日記や書簡などをもとに、小説家・倉橋燿子さんとその娘・麻生さんが3年をかけて書き下ろした『倉橋惣三物語』。惣三の人生に触れれば、何か大事なものが見つかるはずだ。

■倉橋惣三(くらはし・そうぞう)明治15年生まれ。昭和30年没。日本幼児教育の先駆けとなった東京女子高等師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学付属幼稚園)で主事を務める。『婦人と子ども』(のちの『幼児と教育』フレーベル館)3代目編集責任者、『コドモノクニ』編集顧問を務め、昭和23年には日本保育学会初代会長となる。

■倉橋燿子(くらはし・ようこ)さん広島県生まれ。上智大学文学部卒業。出版社勤務、フリー編集者、コピーライターを経て、作家デビュー。講談社X文庫『風を道しるべに......』等で大人気を博した。その後、児童読みものに重心を移す。主な作品に、『いちご』(全5巻)、『青い天使』(全9巻)、『ドリームファーム物語 ペガサスの翼』(全3巻)、『月が眠る家』(全5巻)、『パセリ伝説』(全12巻)、『パセリ伝説外伝 守り石の予言』、「ラ・メール星物語」シリーズ、「魔女の診療所」シリーズ、「ドジ魔女ヒアリ」シリーズ、「ポレポレ日記」シリーズ、「夜カフェ」シリーズ、『生きているだけでいい!〜馬がおしえてくれたこと〜』(以上、すべて青い鳥文庫/講談社)、『風の天使』(ポプラ社)などがある。

■倉橋麻生(くらはし・まお)さん東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、上智大学博士前期課程修了。卒業後、宮内庁に勤務。事務官として皇室業務にあたる。現在は企業のESG/SDGs調査の仕事に携わっている。倉橋燿子の長女であり、惣三のひ孫に当たる。

※画像提供:講談社

(BOOKウォッチ編集部)

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