祖母から母へ。母から娘へ。女たちの「鎖」。

 「八月は母の匂いがする。八月は、血の匂いがする。」

 早見和真(はやみ かずまさ)さんの『八月の母』(株式会社KADOKAWA)は、愛媛県伊予市を舞台に、母性とは何か、親子愛、家族愛、人間の業を描いた長編小説。

 「彼女たちは、蟻地獄の中で必死にもがいていた」――。祖母から母へ、母から娘へ連綿と続く、女たちの「鎖」の物語。

 早見さんは3年もの間、もがき苦しみながら全身全霊をかけて本作を執筆したそうだ。なるほど、読みながらひしひしと、作品にこもる半端ではない熱量が伝わってくる。

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 本書は「プロローグ」「第一部 伊予市にて(1977年、1988年、1992年、2000年)」「第二部 団地にて(2012年、2013年)」「エピローグ」の構成。

 「第一部」は越智(おち)家の女たちに、「第二部」は2013年8月にある事件が起こる過程にスポットを当てている。

 愛媛県伊予市。越智エリカは海に面したこの街から「いつか必ず出ていきたい」と願っていた。しかしその機会が訪れようとするたび、スナックを経営する母・美智子が目の前に立ち塞がった。そして、自らも予期せず最愛の娘を授かるが――。 うだるような暑さだった八月。あの日、あの団地の一室で何が起きたのか。執着、嫉妬、怒り、焦り......。人間の内に秘められた負の感情が一気にむき出しになっていく。

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◼️母から連なる物語

 5年前の8月、私は男の子を出産した。かすかな血の匂いに、猛烈な嫌悪感が胸を駆け巡った。分娩室の窓から、真夏の陽が差していた。

 ずっと記憶から消そうと思って生きてきたのに。母が忽然と消えた日の記憶が、目を逸らし続けた過去が、よみがえった。

 「母から連なる物語が、自分という人間を経由し、赤ちゃんを通じて未来へとつながってしまったという実感があった」

 私はもう家族と縁を切っている。結婚したことも、子どもが生まれたことも、母には伝えていない。実家を避ける理由も、夫に話していない。

 じつは読者にも、私が母に拒絶反応を示す理由、もっと言うと、そもそも「私」が誰なのか、しばらく知らされない。私は誰で、母との間にいったい何が......と思っていると、「母に"犯罪者"の烙印が押されたあの日。私がそれまで立っていた不安定な地面は音も立てずに崩れ落ちた。」という一節が。

 「でも、そこからが本当の人生の始まりだった。家族というシステムから解放され、ほんのわずかに自分の世界が広がっただけで、見える景色は一変した。あの街を一日も早く出ていきたいという思いがますます募った」

◼️何なんやろうね。母と娘って

 越智美智子は、父を早くに亡くし、母と、その恋人と暮らした。暴言、暴力、性的虐待、家出、妊娠、中絶、母の裏切り......。愛媛を出て東京に行くはずが、そのまま地元でスナックのママになった。

 美智子は子どもなんていらないと思っていた。また中絶するつもりだった。それがほんの気まぐれから、子どもを持とうと思った。そして1977年8月、エリカが生まれた。

 「私は早く大人になって、この街を出ていきたいです」――。これが小学5年生になったエリカの将来の夢だった。中学時代にはいわゆる不良になり、20代には地元でホステスをしていた。まさに歴史は繰り返す。娘は母の人生をなぞるように生きていた。

 エリカにとって美智子こそが、「この街を離れたかった一番の理由」であり、「ここから離れられなかった理由」でもあった。エリカはある人に、こんなことを言っている。

 「何度も出ていこうとしたんやけどね。本当に何度も、何度も。でも、そのたびにあの女が私の人生に現れて、『あんたまで私を見捨てるのか』って、『せっかく産んでやったのに』って言ってくるんよ。(中略)あれって何なんやろうね。親と子って......、というか母と娘って、業なのかな」

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 本書の特設サイトでは、試し読みや対談などのコンテンツを楽しめる。

 およそ50年にわたる母娘の螺旋階段は、どこかで断ち切れるのか。「強烈な愛と憎しみで結ばれた母と娘の長く狂おしい物語」はつらいのに、読みたい気持ちを刺激される。

■早見和真さんプロフィール 1977年神奈川県生まれ。愛媛県在住。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。15年『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)、『ザ・ロイヤルファミリー』で2019年度JRA賞馬事文化賞と第33回山本周五郎賞を受賞。『店長がバカすぎて』で2020年本屋大賞9位。『あの夏の正解』で「2021年Yahoo!ニュース│本屋大賞ノンフィクション本大賞」ノミネート。他の著書に『スリーピング・ブッダ』『95(キュウゴー) 』『ぼくたちの家族』『笑うマトリョーシカ』『かなしきデブ猫ちゃん』(かのうかりんとの共著)など。

※画像提供:株式会社KADOKAWA

(BOOKウォッチ編集部 Yukako)

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