鉄道マニアの一つ「地図鉄」。その世界に触れてみよう。

 鉄道マニアにはいろいろあるが、地図を見ながら鉄道のあれこれを想像するのが「地図鉄」だ。地図鉄の代表とも言われる今尾恵介さんの近刊が『地図鉄のすすめ』(昭文社)である。過去の鉄道とその背景にある日本の姿と変貌が伝わってくる。

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 今尾さんは地図研究家。著書に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(ともに監修、新潮社)、『地形図でたどる日本の風景』(日本加除出版)『地図で楽しむ日本の鉄道』(洋泉社) などがある。

 第1部は「地形で線路を楽しむ」。鉄道トンネルが川の下を走る「扇状地と天井川」では、日本で最初の鉄道トンネルが明治7年(1874)、大阪~神戸間に作られたことから書き出している。これらは芦屋川、住吉川、石屋川のいずれも川底をくぐるもので、長さは短いながら記念すべき第1号(から第3号)となった。

 鉄橋ではなくトンネルになったのは、川が周囲の土地よりも高いところを流れているためである。六甲山地から流れ出た土が堆積し、いわゆる「天井川」になっていた。ちなみに日本初の鉄道トンネル3カ所のうち、石屋川は高架化のため解消、残り2つも跨線橋のような構造物となり、一般的な「トンネル」ではなくなっているそうだ。

 このほか、海成段丘をたどる三陸鉄道リアス線やJR五能線、断崖絶壁を走ったJR北陸本線(現・えちごトキめき鉄道)の親不知付近を取り上げている。親不知付近の地図を時代ごとに掲載、戦後山側に長い複線トンネルを掘ったことや北陸新幹線はさらに長いトンネルで通過していることが分かる。

◼️複雑怪奇な新潟周辺の鉄道の歴史

 第2部は「地図でたどる鉄道路線の激変地区」。路線や駅の移転は珍しくないが、何度も延伸と移転を繰り返した新潟駅周辺の変遷がすさまじく、なんとも興味深い。その原因は信濃川にある。

 新潟は長岡藩の外港として繁栄、江戸後期には幕府領となり、日米修好通商条約で約束した5つの開港場のひとつに指定された。その対岸の沼垂(ぬったり)は新発田藩の港町で、新潟とは長らくライバル関係にあった。両者が合併したのは大正初めのことである。

 明治30年(1897)に私鉄の北越鉄道が沼垂まで延びる。本来は新潟の市街地を目指すべきなのだが、北越鉄道には資金がなく、信濃川への架橋は難しかった。まずは沼垂に駅を設けることにしたのである。これに納得しなかったのが新潟の住民である。開業を阻止するため、一部の住民が沼垂駅を爆破した。開業は4日遅れ、首謀者16人は逮捕され、裁判で最高15年の判決が下った。その後、1.9キロ延伸し、新潟駅が開業したが、「新潟」を名乗りながら停車場は信濃川右岸の沼垂町内にあった。

 左岸の新潟側には大正元年(1912)に越後平野の西側と結ぶ越後鉄道(現JR越後線)の白山駅が開業した。越後線が川を渡り、新潟駅と結ばれたのは太平洋戦争中の昭和18年(1943)で、当初は信越本線の貨物線としての開通だった。さらに旅客列車が新潟駅に直通するようになったのは昭和26年(1951)のことである。

 戦後は高度経済成長に伴って新潟駅が手狭となり、少し南へセットバックして現在の駅が昭和33年(1958)に完成した。その際に沼垂駅を経由する信越本線はショートカットされて沼垂駅は貨物駅となった。

 この複雑な経緯を地形図5枚と概念図8枚を使い、説明している。現在、新潟駅は高架工事の完成が近づき、政令指定都市の玄関口の表情は一変する。明治以来変貌を遂げてきた新潟の鉄道はようやくゴールを迎えようとしている。

 このほか、国鉄千葉駅と京成千葉駅が移転した千葉付近、3代に及ぶ横浜駅移転、奈良線と近鉄との複雑な関係がある大津~京都付近、別々のターミナルをひとつに統合した九州の唐津付近などを紹介している。

 第3部は「地図で見る幻の鉄道路線」。ウソの路線が描かれていたというから驚きだ。その中にはフライングで開業したことになっているところもある。北陸本線の小松駅から延びていた北陸鉄道小松線は、かつて白山電気鉄道という社名で、その名の通り将来的には白山の麓の白峰までの路線を敷設する計画だった。

 昭和8年(1933)の地図を見ると、終点の鵜川遊泉寺から2駅先の河田まで延伸しているが、実は経営状態が悪く、路盤は完成しながら開業を断念していた。今尾さんは「当時の地形図は測量や修正から刊行までの期間が数年にわたったため、おそらく刊行の際には開通しているはずと判断して製図してしまったのだろう」と推測している。

 本体の小松~鵜川遊泉寺間が昭和61年(1986)に廃止されため、この歴史的フライングは確定してしまった、と書いている。

 明治32年(1869)の地図を見ると、えちごトキめき鉄道に移管された旧信越本線の関山~新井間は、実際の経由地よりも4キロもずれているそうだ。この頃はいわゆる「伊能図」を骨格に、さまざまな地図情報を加えて作製されたため、座標や地形的精度はかなり低いという。それでも隣の谷を通っているのは「大胆不敵」とあきれている。

 戦時中には軍の関連施設、民間の重要工場、発電所などは偽装して描かれていたそうだ。軍需工場が多かった東京北部の例を紹介している。今尾さんは「おおっぴらに『不要不急の趣味』が楽しめることこそ良い時代である」と「はじめに」で述べている。

 偵察衛星が飛び交う現代。軍事と紙の地図の関係は薄れた。だが、ロシアのウクライナ侵攻の陰で地図情報はさらに高度化され、利用されているはずだ。本書を読みながら、そんなことを考えた。

 BOOKウォッチでは、今尾さんの『地形図でたどる日本の風景』『地図で楽しむ日本の鉄道』のほか、『妙な線路大研究 東京篇』(実業之日本社)、『廃線探訪入門』(天夢人 発行、山と渓谷社 発売)などを紹介済みだ。

(BOOKウォッチ編集部)

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