億万長者の性犯罪者。彼を追い込んだ女性記者の戦い。

 億万長者の慈善家という顔の裏で、100人を超える未成年の少女を性的に虐待していたことで逮捕されたジェフリー・エプスタインの名前を覚えている人もいるだろう。1か月後、獄中死を遂げ、真相は闇に消えた。本書『ジェフリー・エプスタイン 億万長者の顔をした怪物』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は、一度はつぶれかけた事件を追い続け、前代未聞のセックス・スキャンダルを暴いたアメリカの地方紙マイアミ・ヘラルドの女性記者による衝撃のルポルタージュである。アメリカでベストセラーになった。

 500ページを超える大著だが、2つの興味からまったく飽きさせない。1つは、トランプ、クリントン、ビル・ゲイツ、英王子、MIT、ハーバードなど錚々たるビッグネームが次々と登場するからだ。

 「エプスタインが少女を性的に虐待し搾取していたことが明らかになったあとも、彼の友人や仕事上の知り合い、彼の小切手帳に魅入られた者はつき合いをやめなかった」と書いている。

 大学を中退し、名門高校の数学教師になった男がいかにして財を築き、上流層に食い込み、異様な「帝国」を作ったのか。金融バブルに沸いたアメリカが、この怪物を大きく育てたことは疑いようがない。そのプロセスをじっくり知ることが出来る。

 もう1つは著者のジェリー・K・ブラウンが描くアメリカの新聞記者の姿だ。フィラデルフィアの地方紙で働いていた彼女はマイアミに移る。

 「そのときの私は、同時にやってはいけないとされることを同時にやった。離婚して、新しい街に引っ越して、新しい仕事を始めたのだ――小学生の子どもをふたり抱えて」

 日本以上のネット社会であるアメリカでは新聞の衰退が著しい。彼女もこのままではレイオフ(解雇)が避けられないと思い、転職したのだった。そして、いかにしてこの事件を掘り起こし、事態を大きく動かし、米国ペンクラブ賞を受賞するまでに至ったか。アメリカの新聞業界の今を知る上で、参考になる1冊だ。

 本書の叙述にしたがって、ざっと振り返ると、こうなる。著者がフロリダ州の刑務所にいる無数の女性を取材するうち、性売買がまん延していて、フロリダ州は、とくにラテンアメリカから犠牲者を補充してくる性売買業者の中心地であることを知った。

 ネットで「性売買」「フロリダ」を検索すると、「ジェフリー・エプスタイン」という個人名が何度もヒットした。政治的な強いコネをもつスーパーリッチな資産運用家が何十人もの少女を虐待し、レイプし、性的に搾取したにもかかわらず、連邦政府から訴追免除されたことは知っていた。

 2017年にトランプ大統領はアレックス・アコスタを労働長官に指名した。2008年にジェフリー・エプスタインとのあいだで疑問の残る司法取引をまとめたのが、当時マイアミの連邦検事だったアコスタだった。

 被害者の女性たちは「アコスタが人身売買や児童労働に関する法も監督する巨大な政府機関のトップになる事実に言いたいことがあるのではないか」。そう思った著者は取材に乗り出す。

??古い捜査報告書から被害者を割り出す

 まず、古い捜査報告書を読み出した。被害者の少女と証人の名前はすべて黒く塗りつぶされていた。だが、生年月日や名字、住所の一部、家族の名前などが少しずつわかってきた。うっかり塗りつぶされなかった箇所もあり、少しずつ被害者のリストが増えていった。また、刑事事件としては終わっていたが、多くの民事訴訟は継続中だった。

 事件を担当した刑事と元警察署長に接触した記者は過去にもいたが、著者のような熱意を持った記者はいなかった。民事訴訟の裁判記録を読み込み、彼らの信頼を得ていった。

 被害者のリストから、1戸ずつ訪ねた。空振りに終わることが多く、手紙作戦に切り替えた。しだいに口を開く被害者が現れてきた。アメリカで映画プロデューサーの性犯罪が明るみに出て「#MeToo運動」が広がったことも手伝ったようだ。

 被害者の証言を集めるとともに、疑問の残る司法取引の実態が明らかになった。2018年11月28日午前8時、オンライン版記事が公開された。

 「トランプ政権の閣僚、常習的性犯罪者に一生の自由を与えた過去」のタイトルで、3部に分かれた記事が、大きな写真、すべてのドキュメンタリー動画、年表などとともに公開された。つなげれば何メートルにもなるような長い記事だった。すぐに数千件のアクセスがあり、ツイッターのフォローは数千人に増えていた。

 ネットに載ってから3日後、記事が載った新聞が配達された。今やアメリカではほとんどの新聞記事は紙で売られる前にインターネットで公開されるのだ。

 著者の調査報道をきっかけに、FBIが再捜査に乗り出しエプスタインは逮捕され、アコスタは辞任に追い込まれた。エプスタインは1か月後に獄中で自殺したとされるが、著者は納得していない。

 最後に、元新聞記者として評者が面白いと思った箇所を2つ引用したい。

 「ジャーナリストの群れを見たら、反対側へ行け」

 著者がキャリアの最初に教わった教訓である。

 「ジャーナリストにとってニューヨークタイムズに足を踏み入れるときの畏怖の念は、聖職者が初めてバチカンに足を踏み入れたときの感じと例えればいいだろうか」

 過去に採用面接のため訪れたときの印象だそうだ。本件のあと、タイムズに招待された。みなが著者の記事について質問を始め、「まだ探索していない切り口があるのではないか」と誘導尋問を仕掛け、うっかりいくつかしゃべってしまった、と書いている。

 ちなみに、ニューヨークタイムズはネットの有料読者を増やし、生き残りに成功した、数少ない新聞社である。

(BOOKウォッチ編集部)

関連記事(外部サイト)