ドラマのように描かれる、「朝日新聞政治部」の内実とは。

 朝日新聞が猛烈なバッシングを浴びたのは、2014年夏のことだった。福島第一原発事故にかかわる「吉田調書」問題、慰安婦にかかわる「吉田証言」記事取り消し、そして「池上コラム掲載拒否」が3点セットとして浮上。創業以来、最大の危機を迎えたが、リスク管理に失敗したため、社会的評価は失墜し、以後部数は低迷したままだ。本書『朝日新聞政治部』(講談社)は、当時特別報道部デスクとして「吉田調書」報道にかかわった鮫島浩さんが、すべて実名(一部イニシャル)で書いた内部告発ノンフィクションである。

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??朝日は政治部が仕切っている

 タイトルが「朝日新聞政治部」とあるのは、鮫島さんが朝日の政治部記者だったこともあるが、こうした事態になったのは政治部出身の経営陣の責任が大きいと考えるためだ。それまで同社の社長は政治部と経済部の出身に限られ、当時は政治部出身者が続いていた。また、筆政をつかさどる編集担当役員(編担)や実務の最高責任者である東京本社編集局長も政治部出身であることが多かった。ひとことで言えば、朝日は政治部が仕切っている会社なのである。

 本書の読みどころは3つある。1つは、2014年3点セット危機の真相、2つ目は著者も所属した政治部エリートの激しい競争の実態、3つ目は責任を取らされ、その後退社した著者の考えるメディア像である。

 本書の構成は以下の通り。

 第1章 新聞記者とは?
 第2章 政治部で見た権力の裏側
 第3章 調査報道への挑戦
 第4章 政権交代と東日本大震災
 第5章 躍進する特別報道部
 第6章 「吉田調書」で間違えたこと
 第7章 終わりの始まり

??「サツ回り」からスタートしなかった新人記者

 構成にしたがい、著者が朝日に入ったところから紹介しよう。鮫島さんは1971年生まれ。京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。初任地は茨城県のつくば支局だった。これは異例のスタートである。全国紙の場合、新人記者はほぼ全員、地方の県庁所在地の支局から始まる。県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。

 つくば市は大学と研究機関の街だ。支局記者の多くは科学部から派遣されている。鮫島さんは県警本部での「サツ回り」競争から免除され、自由に街ネタを取材する自由な日々を謳歌した。この野放図な新人時代がその後の記者生活に大きな影響を与えた、と振り返っている。

 「このままでは鮫島はだめになる」と水戸支局長は考え、1年後に鮫島さんを水戸支局に引き上げ、いきなり県警キャップを命じた。他社に抜かれる日々が続き憔悴した。そこで一計を案じた。「県警本部長宅には夜回りしない」という不文律を破り、本部長が好きな刑事ドラマのビデオを手に通った。やがて親密になり、特ダネを連発し、「県警本部内を肩で風を切って歩くようになった」。

 次に埼玉県の浦和支局(現・さいたま総局)に異動。政治部出身の支局長の薫陶を受ける。自民党の宏池会を担当する名物特ダネ記者だった支局長のエピソードを書いている。自民党の加藤紘一幹事長が極秘で来県すると知り、待ち構えていた。加藤幹事長とSPに続いて黒塗りの車から降りてきたのは、くだんの支局長だった。

 政治部に異動し、最初に政治部長から聞いた言葉に衝撃を受けた。

 「せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」

 「権力って、誰ですか」と尋ねると、「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカと中国だよ」という答えが返ってきた。経世会とは田中派の系譜である。

 小渕恵三首相の「総理番」からスタート、民主党政権下での菅直人首相の「総理番」などを経験。要職にいた政治家との関係を深める。そして、39歳で政治部デスクに抜擢される。野党になった自民党取材に調査報道を取り入れるなど、新機軸を打ち出すが、福島原発事故で政治部の限界を知る。

 ちょうど新しい政治部長とぎくしゃくしていたこともあり、特別報道部のデスクとなり、本格的に調査報道に乗り出す。福島原発の復旧現場での被曝隠しや「手抜き除染」をスクープし、後者は2013年度日本新聞協会賞を受賞するなど、特別報道部は勢いづいた。

 取材テーマは記者が自主的に決め、記事を出すデスクも記者が自由に選ぶという「革命的」な改革を進めた。新人の頃の自由な取材が鮫島さんの頭の中にあったかもしれない。

??「吉田調書」問題で味わう蹉跌

 しかし、「好事魔多し」。福島第一原発の事故直後に最前線で危機対応にあたった吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた公文書、いわゆる「吉田調書」問題で蹉跌を味わう。経済部記者が独自に「吉田調書」を入手、特別報道部に異動したため、鮫島さんがデスクを務め、数人で記事化した。5月20日、「所長命令に反し、所員の9割が撤退したと」と1面で特報した。

 だが、現場離脱を「命令違反」と断じて「撤退」と表現したことが後に問題になる。あの混乱の中で、命令は所員に伝わっていたのか、その判断は難しい。誤った事実を伝えた「誤報」ではない、と鮫島さんは今でも考えているが、そうはならなかった。

 記事の軌道修正を図ろうと鮫島さんは対応したが、当時の木村伊量社長が新聞協会賞モノの大スクープと評価したため、実現しなかった。

 折あしく、慰安婦にかかわる「吉田証言」記事取り消し、それを批判した「池上コラム掲載拒否」と抱き合わせで3点セットとなったのが致命傷となった。「吉田証言」記事取り消しは「吉田調書」問題とは何の関係もない。1980年代の慰安婦報道の誤りを20〜30年かけて訂正したが、謝罪の言葉がなかったことに批判が殺到したのだ。

 安倍政権はここぞとばかりに朝日批判の流れをつくった。

 「私たちが第一報の『小さなほころび』を放置している間に、安倍政権とマスコミ各社による『朝日包囲網』は着実に構築されていたのである」

 9月11日の会見で木村社長は、「吉田調書」の記事全体を誤報と認め、取り消した。とうてい鮫島さんらが認めることは出来なかった。だが、12月5日、鮫島さんらは懲戒処分を受け、鮫島さんは記者職を解かれた。木村社長も同日辞任した。

??つるべ落としの朝日新聞部数

 後任は大阪本社社会部出身の渡辺雅隆取締役管理・労務担当。社会部出身の初めての社長で周囲を社会部で固めた。経営感覚の不足を補うためコンサルタントを導入し、多角化を進めようとした。しかし、就任当時700万部だった部数は6年の在任中に200万部減らし、ついに500万部を割り込んだ。21年3月期連結決算で442億円の赤字に転落。渡辺社長は引責辞任に追い込まれた。後任には政治部出身者が指名された。

 2021年5月31日、鮫島さんは朝日新聞を退社してWebメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊し、連日記事を無料公開している。自分と朝日新聞に突き付けられた「傲慢罪」を反省し、読者一人ひとりと向き合うことを大切にしようと決意したメディアである。

 朝日新聞に長く在職した評者でもうかがい知ることがなかった政治部の内実がドラマのように描かれている。鮫島さんの小さなメディアの今後の活躍を期待したい。

 ちなみにBOOKウォッチでは、今年に入り朝日新聞記者やOBの本を何冊も取り上げている。多彩な関心と言論・表現がそこにはある。本書のように、朝日のみんながみんな社内・部内の出世競争に明け暮れているわけでないことを付言しておきたい。

(BOOKウォッチ編集部)

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