あなたの写真も「証拠」に使われているかも? ニュースのど素人が国際調査報道集団になれたワケ

 今後の報道の方法が根本的に変わるかもしれないことを実感させられる一冊である。なにしろ、筆者は自宅のキッチンテーブルでゲームやSNS、ブログ発信にのめりこんでいた「オタク」のような英国人素人だ。日本でいえば「コタツライター」が、あれよあれよという間に、世界に名だたる報道機関や国際機関が協力を申し出るような国際報道調査ユニットをつくりあげてしまった一部始終を赤裸々に描いた著作なのだ。

 『べリングキャット』は、その創設者エリオット・ヒギンズが2021年に出版。英国でベストセラーとなり、日本では2022年3月に筑摩書房から翻訳出版された。調査紹介される調査と取材の対象は、「標的」と表現するほうがふさわしいが、その大半がロシアによる諜報活動や要人暗殺である。出版直前のウクライナ戦争の勃発もあって、6月には重版となり、日本での関心も高い。

◼️公開情報を使って「猫に鈴をつける」

 べリングキャットの名前を聞いたことのある人は、まだ日本では少ないかもしれない。その名前の意味は「bellingcat」、つまり「猫に鈴をつけるネズミ」だ。サブタイトルの「デジタルハンター、国家の嘘を暴く」になぞらえれば、猫は国家であり、鈴をつけるネズミがデジタルハンターということになる。

 「インターネット探偵」ともいわれるエリオットらの手法は、「オープンソース調査」、専門的には「OSINT」(オシント)とも呼ばれる。Open Source Intelligenceの略で、一般的に公開されている情報にもとづく国家の諜報活動の一種でもある。

 と聞くと、なにやらスパイ活動めくが、要は新聞・雑誌・書籍やテレビなどの誰もが入手可能な情報を収集、分析することで調査対象の正体を突き止めていくことだ。すでにお気づきのように、その公開されている「情報」の大半は今、インターネット上にあふれている。べリングキャットは、デジタル情報の大海から、重大事件で知られていない事実を「特定」し、「検証」し、「拡散」する。その始まりは、エリオットら取材のど素人による無報酬の同好会の集まりだった。

 だが、その「成果」は、世界的な大手報道機関を驚かせた。2014年にウクライナ上空でマレーシア航空17便が撃墜された事件や、シリア内戦で化学兵器が使用された事件などでは、断片的な情報と各国の相互非難が入り乱れ、有力メディアも真相を追い切れないでいた。

 そこに、ベリングキャットは、twitterやFacebook、YouTubeなど公開されたSNS上にある画像や交信記録、そしてGoogle Mapなどをひとつひとつネット上で照合しながら、ついに事件の当事者を割り出してしまうのである。無報酬のアマチュアが、だ。

◼️膨大なスクショからジグソーパズルを解く

 インターネットを駆使しているとはいえ、その作業は地味そのものだ。地形や建物の写真が入手できると、それがどこにあるのかをあらゆる公開情報から絞り込み、特定する手法は、膨大なスクリーンショットを使ってジグソーパズルを解くようなものだ。本書の最後には18ページにのぼる「原註」があるが、その大半が「www.」などで始まるネット上のURLであることがそれを物語っている。その手法は一から克明に説明され、実際の写真や手書きのメモもある。

 もちろん、暴かれた側も反撃を始める。脅迫のようなメールや、罠のような偽情報が意図的に流されたりする。まさに諜報戦の当事者にベリングキャットはなりつつあるともいえる。そうしたなかで、ベリングキャットには、専門分野の分析のプロや、調査対象の内部協力者もつながるようになっていく。

 一方、既存のメディアや調査機関との連携・協力も積極的に行う。これは、既存メディアが企業として、他メディアと競争する宿命を帯びているのと対照的だ。べリングキャットは、基本的に当事者から情報を確認することはないか、確認するとしても自分たちの調査の最後に接触する。当事者からの情報には何らかのバイアスがあるからだ。当事者情報も必要だが、そこに依存する報道は真相からずれる。いまの日本の記者クラブ取材や捜査機関依存報道をみても、メディアごとに報道の方向や事件の評価にバイアスが漂っていることは周知の事実だ。

 べリングキャットは、そうしたバイアスを排除し、人々がプライベートに、あるいは娯楽としてSNS上にアップする画像や文章、音声などを根こそぎ掘り出し、公開されているデータベース、専門家の意見を踏まえて、推測ではなく検証し、確定し、他の報道機関とも連携していく。こうしたことが主流になれば、冒頭に記したように、今後の報道手法は変わっていくだろう。

◼️OSINTとAIの戦い

 考えさせられる課題もある。現代のオープンソースの素材は、私たちのSNSやメールだったり、公的な記録だったりする。国によって、それらの公開度は違うが、ベリングキャットはときに、プライバシーの網をかいくぐって、これらに潜り込むこともある。現在は、報道の目的である公共性の前に「正当化」されているが、自分のアップした写真が、犯罪の証拠の一部につながっていて、その調査に利用されることをどう考えるかだ。

 日本でも、町中にある防犯カメラが犯罪捜査で強力な効果を上げていることは、テレビ報道でその一端が放送されることで身近になっている。こうしたことが、私たちのSNSを使って行われつつあるということだ。

 もうひとつは、AI(人工知能)の威力だ。とくに、AIによる「ディープフェイク」と呼ばれる偽造動画は、人間の目には本物かどうか区別がつかない。べリングキャットが得意とするOSINTは、多くの画像からファクトをあぶりだす手法が、巧妙な偽の情報が紛れ込むことで危うくなりはしないか、という問題だ。

 エリオットはこの問題には、楽観的なようで、ディープフェイクを見抜くAI技術なども駆使することを示唆している。実際、シリアに関するデジタル画像は350万本保存されているが、本書執筆時点で99%以上が検証されていない。AIによる検証が現実的なことは言うまでもないが、結局は、今後の調査報道は「AI対AI」になっていくのかという気にもなる。

 今後の国際紛争や戦争の報道ではベリングキャットのような手法がひとつの主流になっていくだろう。ジャーナリストが危険を顧みず、戦争報道に従事すること自体がもはや過去のものなっていくかもしれない。それは記者が目の前で血を流す人を目撃しなくなるということでもある。

 ウクライナとロシアの戦争をめぐる報道をあげるまでもなく、戦争の「残酷さ」を報じることの意味を考えさせる一冊だ。

(BOOKウォッチ編集部)

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