ふつうにみえるけれど"病んでいる"。令和の人々が心に抱える「偽者感」

 精神科医で詩人の尾久守侑(おぎゅう・かみゆ)さんは、新宿を歩きながら考える。なにか生活に不自由しているわけではない。仕事も人間関係も問題ない。しかし、どうも自分の中に真っ暗な虚無が広がっているように思う。

 おそらくその虚無は、ほんとうは「偽者」なのではないかという、根底にある自分に対する疑念からきている。なにかが偶然うまくいく、褒められる、本物っぽい雰囲気が出る。だからなんとなく本物っぽい雰囲気が出る。だからなんとなく本物風に振る舞う。だけどその外面的なものと、私の実感には乖離がある。

 健康だけど"病んでいる"。そんな自身や、似た特徴をもつ周囲の人たちのパーソナリティを、尾久さんは分析し、こう名づけた――「偽者クラスタ」。

〈「偽者クラスタ」の特徴〉(1)世間体・対人への過敏性(2)正確すぎる周波数合わせ(3)心の距離の調節障害(4)健常への擬態(5)虚無と諦念

 空気を読みすぎる。「ふつう」そうに振る舞える。「ふつう」そうに振る舞っていることを見破られるのが怖い。こう表現すると、心当たりのある方もいるかもしれない。 尾久さんは、「偽者クラスタ」に関する考察を『偽者論』(金原出版)として一冊にまとめた。尾久さんが新宿の街を歩き回りながら考え事をしているという構成で、医学書ともエッセイとも小説ともつかない、新しい読書体験をもたらしてくれる本だ。

 「偽者クラスタ」の人たちの特徴の一つは、「健常への擬態」だ。彼らは、素の自分では社会とどうしても折り合いがつかないと感じている。だから、社会に適合しうる「健常スタイル」に自らを変形させて生きている。 尾久さんが分析するに、彼らの「擬態」は例えば以下のような方法でおこなわれている。「沈黙は金」 公共の場で、本当は意見があっても、目立ったり攻撃を受けたりすることを避けるために黙って大多数に雰囲気を合わせる。「あえての自己開示」 「本心ではないな」と思われないために、実際に感じていることのなかで自己開示しても大丈夫なことは、相手が信用するまで開示する。たとえば、内心はAという人を殺してやりたいくらい憎んでいて、他人には「実は言いにくいんだけど、Aのことがちょっと苦手なんだよね」というくらいに伝える。自分のいちばん見ないでほしいところには突っ込まれなくて済む。「雑談上手・聞き上手」 相手の話題を拡大・展開したり、相手に質問を投げかけて気持ちよく語らせることで、自分のことを語らなくて済むように誘導する。「隠れ代償行為」 隠し続けている本心の非健常性が、種々の代償行為として表れる。マイルドなものなら、趣味に没頭する、"推し"にのめり込む、筋トレやダイエットにこだわるなど。もう少し進むと、飲酒や賭博、性的逸脱行動に走るなど「依存症」と思われる行動を呈すことがある。「人間関係リセット症候群」 本心の傷つきが正体を現し、健常擬態が保てなくなると、突然連絡先を変えたり、友人の連絡先を次々とブロックしたりして、世間を切り離す。社会からみると褒められたことではないが、必ずしも悪というわけではなく、自分の心を守るには重要な技法で、尾久さんは人間関係から逃げられない規範的なうつ病患者にこのような世間の切り離しを勧めるそうだ。 「私もこれ、やってる......」あるいは「もしかしたらあの人って......」と思った方もいるのではないだろうか。 このような「偽者クラスタ」のパーソナリティは、精神医学的に見ると、あるパーソナリティ障害の特徴と似ているのだという。医学的な詳しい解説は、ぜひ本書で。 このほか、「マッチングアプリ」や「パパ活」なども、「偽者クラスタ」の特徴から分析されている。「ふつうにみえるけど、自分を偽者と思っている」令和の日本人の心の闇を、ときに専門的に、ときに詩的に探る一冊。

■尾久守侑(おぎゅう・かみゆ)さん1989年東京生まれ。精神科医、詩人。横浜市立大学医学部卒業。現在は慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室に所属。詩集に『国境とJK』『ASAPさみしくないよ』『悪意Q47』(思潮社)。医書に『器質か心因か』(中外医学社)、『サイカイアトリー・コンプレックス 実学としての臨床』(金芳堂)など。『群像』2022年7月号(講談社)に初小説『天気予報士エミリ』を発表。第9回エルスール財団新人賞〈現代詩部門〉受賞。

※画像提供:金原出版

(BOOKウォッチ編集部)

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