墨田区菊川の下町のパチンコ店が映画館に生まれ変わった! 映画好きの男の思いとは?

映画好きの父親の影響で自身も映画好きに、やがて映画関連の仕事をするようになった岡村忠征さん。一時はグラフィックデザイナーとなり、独立も果たしたものの、映画の世界にカムバック。ミニシアターのオーナーにまでなった映画への情熱と、そこに至るまでの経緯を聞いた。

「Stranger(ストレンジャー)」オーナー・岡村忠征さん|1976年広島県生まれ。父親の影響で映画好きになり、学生時代から数多くの映画を鑑賞。20歳で上京後は映画関連の仕事を渡り歩くが、グラフィックデザイナーに転身。2020年の新型コロナの影響で再び映画を鑑賞するようになり、2022年に墨田区菊川にミニシアター『Stranger』をオープンする

『気狂いピエロ』を観て、自分の映画だと思った。

2022年9月、都営新宿線菊川駅から徒歩1分の地にオープンしたミニシアター『Stranger』。館名より大きな「THANK YOU FOR YOUR STRANGE LOVE」の文字に近隣や映画好きたちのへの愛と仲間意識がにじみます

「もうちょっとデニムの色が残っていればな」とか。「シートがオリジナルなら買ったのに」とか。服でもバイクでも、好きな人ほど細部にまでこだわるものだ。

岡村忠征さんのそれは映画だった。父の影響で小学校の頃からむさぼるように観てきた。ただ周囲が絶賛した『バックドラフト』も『心の旅』も「ツメが甘い」「深みに欠ける」とうるさく評した。

「映画はとにかく好きなんだけれど、いつも作品のどこかに必ず少しの不満があったんですよね」

ただ18歳で観たその1本は違った。地元・広島のミニシアターでのリバイバル上映。極彩色のパーティから始まり、残酷でいて詩的なラストまで疾走する。1965年公開のフランス映画だった。

「ゴダールの『気狂いピエロ』でした。不満は皆無。『俺のために作られた映画だ!』とさえ思った」

それから30年が経った今、自分がゴダールを観せる側に立つ。墨田区菊川『ストレンジャー』。東京の東に初めてできたミニシアターのオーナーになったからだ。

「3年前まで考えてもなかった」

70年間続いた「菊川会館」という名のパチンコ店をリノベーション。シアターとほぼ同じサイズのカフェが一体となったユニークな空間にした。「映画を観た後、いや、その場でゆっくり観なくても語り合える場にしたかった」 シアターは49席とコンパクト。全国のミニシアターの中でも最も小さいサイズのひとつだ

広島の古着店にあった音楽、映画、文化の香り。

映画監督になる。中学の頃から夢はそれだった。そこで高校卒業後は、広島駅近くの古着店でバイトしはじめた。あきらめた、わけじゃない。

「古着店って洋服好きだけじゃなくてカルチャー好きが集まって、いろんな話をしあうじゃないですか。特に地方都市だと同じ人間が同じ古着店やクラブやミニシアターをぐるぐる回っていたしね」

実際、そのころの岡村さんは「染み込みプリントのTシャツの味」と同じ熱量で「ガス・ヴァン・サントの唯一無二の作家性」を日々、語っていた。

「すると、なお『東京に行かなきゃダメだ』と思い始めた。話題に出るカネフスキーの特集上映とかジャン・ルノワールの回顧上映とかって、必ず渋谷や銀座辺りでしか観れませんでしたから」

そこで1996年、20歳でアテもないまま東京へ向かった。

「ココで働かせてください!」

渋谷のカプセルホテルに荷物を置くや、ミニシアターに片っ端から飛び込んだ。「募集してない」「ムリ」。門前払いの中、渋谷パルコの裏にあった『シネマライズ』だけが、首をタテに振ってくれた。

「そこで一緒に映画を撮る仲間を見つけようと、バイトに入るや声をかけまくったんです。ただ意外にも映画好きがさほどいなくて」

ならば……と次に飛び込んだのは東京国際映画祭の事務局員だった。そして打ち上げに忍び込む。

「世界中から集まった映画関係者に声をかけまくったんですよ」

そろそろ、お気づきだろう。岡村さんは行動力が普通じゃないのだ。打ち上げでは、映画祭の委員長として来日していたイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督にインタビュー。「この間、ゴダールに会ったよ」「どんな人でした?」「そうな……」とカタコトの英語でぐいぐい聞き出した。

またそのやりとりを見ていた配給会社の社長が声がけ。「君、面白いね!」とその場で採用される。

「そして配給会社にいながら映画美学校で制作を学び始めました。その学校の縁で黒沢清監督の現場で制作進行として働くように」

上京2年目の1997年。岡村青年は映画監督への階段をすばやく登り始めた。そう思っていた。

『ストレンジャー』の記念すべきオープン最初の公開作は、敬愛するゴダールの特集上映に。ゴダール自身が「第2のデビュー作」と明言した『勝手に逃げろ/人生』(1980年)や、『JLG/自画像』(1995年)など日本上映権切れの作品6本をとりあげた。(2022 年 9 月16 日〜10 月6 日)

映画制作の現場から、企業ブランディングへ。

「戦場のようだった」と岡村さんは振り返る。制作進行の仕事はロケ先の撮影交渉や食事や車両の手配など撮影以外のすべてを任された。言い方を変えるとすべてのクレームが集まる仕事だった。そのうえ睡眠時間は2時間だけ。早朝から深夜まで働きづくめだった。

「肉体的にも精神的にも追い詰められましたね。5年くらいはいたけど、潮時かなと辞めました」

路線変更して入ったのがグラフィックデザインの世界だった。友人に「一緒に映画の雑誌をつくらないか?」と誘われたからだ。

「考えてみたら、ゴダールも『カイエ・デュ・シネマ』って映画雑誌の編集者から監督になった。こっち側から登ってみようかと」

ただ気がつけば、違う山を登り始めていた。「まずは経験」と転職したデザイン事務所ですこぶる高い評価を得た。映画雑誌の話は流れ、その道を走り始めたのだ。

「思いのほかクライアントの意図を汲み、形にするのが得意で」

映画制作の現場で手に入れた無理難題を調整する胆力も役だったに違いない。2011年、たどり着いた山頂は社員数十数名のブランドデザイン会社社長だった。多くのクライアントを持ち、売上利益も十分。ただ、そこから岡村さんはまた違う山を目指し始める。

きっかけは新型コロナウイルスの流行だった。あらためて仕事や人生を見つめ直すと、今いる場所は違うな、と感じた。

「クライアントから依頼を受けてする仕事に飽きていた面もあった。そろそろ自分自身のブランドを立ち上げるときじゃないかと」

いつものクライアントワークよろしく棚卸しからはじめた。何が好きで得意か? 自分をひもとけばホコリを被っていた映画への情熱が、大きなまま残っていた。

「コロナ禍になり映画熱がぶりかえし、観まくっていたんですよ」

そうして映画館を思いつく。ただのミニシアターじゃない。映画を通して映画館とお客さんがつながり、話が弾む場にしたかった。

「なぜか? 不満があったから」

かつての古着店や中古レコード店には店と客とのコミュニケーションがあった。そんなカルチャーを通した交流こそに心が踊った。映画館にはそれがなかった。

「そこで小さな映画館だけど同じくらいのカフェを併設したミニシアターを着想した。映画好きのスタッフを配し、たっぷり鑑賞後に話し込んでもらう。そんな映画館ならまず僕が行ってみたい。もう何本観られるかもわからないし」

「ポークサンド&フレンチフライ」は上映前の腹ごなしやランチタイムの人気メニュー。特にたっぷりのディルとレモンが、ポークと合う合う。1180円 シーフードやオクラが入ったアメリカ中西部ではおなじみのソウルフード。菊川で食せるとは……。ビールとの相性も抜群。550円 カモミールの甘い風味に爽やかなスパイスを足した「自家製スパイシーレモネード」。こだわりの味がこだわりの特集上映とマッチ。600円

風変わりな場所にできた愛し、愛される映画館。

場所は最初、中目黒や代官山あたりで探した。ところが意外なハードルが、街にあった。

「興行場法という法律があり、映画館は商業地域や工業地域など以外に建てちゃダメって規制がある。代官山や中目黒は住宅地域で映画館やパチンコ店、ボウリング場なんかを作れないんですよ」

じゃあどこに? 浮かんだのが東京の東側。個性的なコーヒーショップやパン屋さんなどが多くできはじめた清澄白河だった。

前橋の「SHIKISHIMA COFFEE FACTORY」の豆を本格的なエスプレッソマシーンで淹れるコーヒーは必ず頼みたい。「僕をふくめたスタッフ全員が数十時間のバリスタ講習を受けています。映画の話とともにコーヒーについてもいろいろ聞いてください」 SHIKISHIMA COFFEE FACTORYの豆をオリジナルブレンド。南には清澄白河 エリアがありますが、某あの店に全然負けない本格派。500円

「清澄あたりは準工業地域。だから元工場や元倉庫といった天井が高い物件が多い。それをカフェなどにリノベーションして、雰囲気のある街になっていたんです」

そして三ツ目通りを北上して探すうち、今のこの場所、菊川駅から徒歩1分の物件を見つけた。約150平米、ガラスの大きな入り口と高い天井を持つ建物。1年前まで『菊川会館』の看板があった。

「元パチンコ店でした」

2022年9月、ここをミニシアター『ストレンジャー』にした。館名は『荒野のストレンジャー』や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』からインスパイアされた。

「僕自身がストレンジャーですからね。広島から東京に出てきて、映画業界だって繋がりが強いわかじゃない“よそもの”だから」

最初の上映作品はゴダールと決めていた。しかも’80〜’90年代の作品に特化した特集上映だ。

「小さな映画館は個性で勝負するしかない。そこでゴダールでも上映権が切れ、配信もない’80〜’90年代ものを選んだ。風変わり(ストレンジ)がうちらしいだろうと」

奇妙(ストレンジ)なことも起きる。オープンの3日前、ゴダールが急逝。偶然にも世界で最も早い、追悼上映となったのだ。

「だから初日から本当に大勢の方に来ていただけた。オペレーションがあやふやだったから、僕ふくめスタッフは大変でしたけど」

今はオペレーションは完ぺきだ。何せもう1周年。クローネンバーグ親子、ジョン・カサヴェテスと通をうならせる特集上映を心待ちにするファンがちゃんといる。鑑賞後、カフェのカウンターで「やっぱ『クラッシュ』いいわ」「やっと『ハズバンズ』の長尺版を観れました」なんてスタッフと話し込む姿だって、日々みられる。

「お客さんは顔見知りも増えて友達というか仲間みたいなものだと思っています。“よそもの”を受け入れてくれた大切な仲間です」

そう。観客側もかつて岡村さんが『気狂いピエロ』に感じたのと似た思いを抱いている。「俺のために作られた映画館だ!」って。

シアターを出るとあるカウンター。「鑑賞後感想を言い合える止まり木のような場が欲しくて」 店先にあるオブジェのような階段。実は避難用だ。「消防法で出口が2つ必ず必要なので。映画館はレギュレーションが厳しいんです」 1周年記念限定T シャツ。『気狂いピエロ』にも出演していたサミュエル・フラー監督の言葉と彼の代表作、そして1周年をあわせたプリントが入った一枚。4800円 『Stranger Magazine』は特集上映にあわせて毎回発行。パンフ代わり、というには段違いの完成度。1500円〜

※情報は取材当時のものです。

(出典/「Lightning2023年11月号 Vol.355」)

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