避難訓練の思い出

小学校避難訓練の苦い思い出

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小学生の頃、防災訓練がある日は、朝からそわそわして落ち着かず、授業に身が入らない者が多かった。
何しろ防災訓練の時は、何時間目に避難を促す放送が入るのかは、事前には何も知らされていないのだ。
突然、なんの前触れもなく、けたたましく鳴り出すサイレンは、心臓に悪いことこの上ない・・・・・・。


このため教室では登校直後から、何時間目に避難放送が入るかについて、様々な予想がされていた。
予想はまず、「ありそうな時間」ではなく、「なさそうな時間」を潰して行くことから始まる。


多くの者が最初に思うのは、「1時間目はいくらなんでもないだろう」ということだった。
朝はまだ、誰しもがエンジンがかかっておらず、素早い避難など出来ようはずがない。
そしてそれは先生たちも同じはずだ。


次に5時間目、6時間目もないだろう。
なぜなら1年生は5時間目が終われば、もう下校の時間だ。


そんな帰り間際の時間に避難訓練を行うなんて、はっきり言ってただの嫌がらせである。
6時間目に至っては、もう1年生は帰った後で、1年生不在の状況で訓練をやったって、なんの意味もないだろう。


となると、避難放送が入るのは、「2時間目から4時間目のどこか」ということになるだろう。
ここで多くの人が思うのは、「4時間目は頼むからやめて欲しい」ということだ。
訓練が予定通りに終わればいいが、もし長引いてしまったら、給食の時間が遅れるばかりか、昼休みも短縮されてしまうことになるだろう。


そんな訳で、我々の希望的観測としては、満場一致で2時間目か3時間目ということになった。
あとは自分の嫌いな教科の時間にサイレンが鳴り出してくれるのを祈るのみである・・・・・・。


2時間目の授業が始まると、先走って、いつも尻に敷いている防災頭巾を、早々に頭に被って授業にのぞむ者が現れた。
さすがにそれは担任に「フライングだ」と注意され、防災頭巾は尻の下に戻されることになる。


しかし、けたたましいサイレンと共に、「訓練、訓練、地震発生!」の放送が入ったのは、その直後のことだった。
「防災頭巾を被って、机の下で安全確保!」という担任の指示を待たずに、みんな机の下へさっさと潜り込んで行く。


担任はその間、棒のようにつっ立ったまま、訓練のタイムスケジュールに目を通しながら、次の放送の指示を待っている。
一応、出席簿を頭に乗せて、頭部を守っているようだったが、そんなものは何の役にも立たないことは子供だって分かる。
思わず、「教卓の下に入って安全を確保しなくちゃダメだろ!」とつっこんでやりたくなる・・・・・・。


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そして、「揺れが治まったので、各クラスは避難を開始して下さい」という放送が入る。
いよいよ校庭への避難が始まるのだ。


避難は階段から遠いクラスから順番に行われる。
担任は入り口のドアを開け、避難の進み具合を確認している。


廊下側の窓からは、防災頭巾を被った子供の行列が、ぞろぞろと廊下を行進して行く様子が見て取れる。
なんだか資料映像でよく見る、防空壕へ避難しに行く、戦時中の子供たちのようである。
その光景はなんとも非日常的で、ちょっと異様な光景にも見えたものである・・・・・・。


そして担任は隣のクラスの列が、避難を始めたのを確認すると、「よ〜し、そろそろ行くぞ〜!」と自分のクラスの生徒に声を掛ける。
「避難をする時は整列して」と指示されていた訳ではなかったが、不思議なものでいつの間にか、自然と男女1列ずつになっていた。
習慣というのは恐ろしいものである。


避難をする時は、「私語は慎め」、「走るな」が基本であったが、もし本当に大地震があったら、みんなパニックになって、そんなことは絶対に無理であろう。
そして、「階段から遠いクラスから順番に避難」という決まりも、はたして守れるのだろうか。


今にも余震が来るかもしれないという状況で、廊下の奥のクラスが、自分のクラスの前を通過して行っているのを、指をくわえて、馬鹿みたいに、「ボケ〜」と眺めていることなど出来ないのではないか。
極端な話、一刻も早く外へ避難しなければ、校舎が崩壊して生き埋めになる可能性だってあるのである・・・・・・。


そして1階まで避難したところで、普段なら下駄箱で靴に履き替えるところだが、避難訓練の時には、なんと上履きのまま校庭へ直行する。
これにはちょっと抵抗があったが、命を最優先するなら当然の行動といえよう。


普段、友達とふざけ合っている時には、上履きで平気で外へ出て行こうとするのに、そういうやつに限って、いつもの習慣で律儀に靴に履き替えようとして、先生に注意されていて笑ってしまう。


しかし、訓練終了後は、そのままスタスタと校舎の中へ入って行ける訳ではなく、入り口で各自ぞうきんで、上履きの底を丁寧に拭かなければならず、面倒くさいことこの上ない。


しかもどんなに丁寧に靴底を拭いても、泥汚れというのは、そう簡単に取れるものではなく、訓練から1週間程度は床の汚れが酷くて、掃除当番がえらく大変になるのだった・・・・・・。


そして上履きのまま外へ飛び出すと、校舎の入り口付近や校庭の各所に、避難誘導の先生が立っていて、「ダラダラするな、急げ!」などと、ハッパをかけて来るのだ。


そして校庭の所定の場所へ、全学年、全クラスが整列したところで、避難訓練は一応は終了ということになる。
ところがこの後、防災担当の教師から、今回の訓練についてのダメ出しが始まるのだ。


今でもはっきりと覚えているが、冒頭のセリフは毎年決まって、「お前ら、こんなことしてたら死んじまうぞ?」だった。
そしてここから、「こんなこと」についての詳細が、延々と20〜30分語られて行くことになるのである・・・・・・。

(画像上、花期が長いハギの花があちこちで咲いている。画像下、クルマバッタモドキの緑色型がひょっこり姿を現した・・・・・・)