学研の科学と学習 @

学研の科学の付録「豆」の謎

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私が小学生の頃、「まだかな、まだかな〜、学研の〜おばちゃんまだかな〜、学研の〜おばちゃん ♪」という、一度聴いたら忘れようのない、印象的な歌が流れるCMがよく放映されていた。


CMはいくつかのバリエーションがあったように記憶しているが、いずれのバリエーションのものも、遊んでいる小学生の元に、「学研のおばちゃん」が、学研の「科学」と「学習」を届けにやって来るというベタな内容だった。


「科学」と「学習」というのは、当時、学習教育出版社から出版されていた小学生向けの学習雑誌で、「科学」は理科、「学習」は国語や社会を取り扱った内容になっていた・・・・・・。


ちなみにこの「科学」と「学習」は、1946(昭和21)年に創刊されて、当初は学校で教師から配布される仕組みになっていたらしい。


それが1972(昭和47)年より、「学研コンパニオン」の制度が導入され、いわゆる「学研のおばちゃん」が自宅まで届けてくれるようになったのだそう。


CMでも「コンパニオンがお伺いします」とか、「学研のおばちゃんがお届けします」とか、「教育コンパニオンがお届けします」などのナレーションが入っていて、「自宅まで届けてくれる」ことが、この雑誌の売りの1つになっていたことは間違いないようだ・・・・・・。


ちなみに「科学」と「学習」は、学年別の雑誌になっていて、「〇年の科学〇月号」、「〇年の学習〇月号」と、学年が上がると、その教科書の内容に沿った内容のものが、毎月届けられる仕組みになっていた。


また、「科学」と「学習」は、両方購読することも、どちらか一方だけを購読することも出来た。
当時人気があったのは、「科学」の方で、私の周りでは「科学」だけを購読している者が多かったように思う。


ちなみに学研のおばちゃんは、自転車で雑誌を届けに来てくれていたのだが、自転車のかごの中を覗くと、やはり「学習」よりも「科学」の方が、たくさん入っていた記憶がある。


当時、学研の「科学」と「学習」が人気だったのは、魅力的な付録が毎月必ず付いて来るからだった。
「科学」の内容は理科だったので、主に生物と化学に関する付録が多かったように思う。


私は子供の頃から、生き物や植物が大好きだったので、生物系の付録が付いて来る月は特に楽しみで、学研のおばちゃんがピンポンを鳴らすのを、玄関で今か今かと待ち構えていたものである・・・・・・。


小学校低学年の頃というのは、学校の理科の授業では、毎年なにかしらの種を蒔いて観察をしていたものだが、「科学」の付録でも植物の種子は定番だった。


1年生の時に付いて来た朝顔の種は、発芽したものを鉢に移植したところ、なぜか学校で育てているものとは、比べ物にならないくらいでかくなった。
その様子はとても同じ種類のアサガオとは思えないほどだった。


そして朝顔はいつの間にか蔓がすだれを這い上がり、縁側のひさしまで到達し、まるでグリーンカーテンのごとく繁りまくり、室内を夕方のように薄暗くしていた。


縁側の朝顔はなぜか秋になっても枯れることはなく、季節外れの時期に、びっくりするほどたくさんの花を咲かせて、うちの家族を驚かせていたのを覚えている・・・・・・。


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3年生の時に付録として付いて来たエンドウ豆は、発芽して蔓が伸びて来ると、鉢では収拾がつかなくなり、仕方なく庭の物干しの横に場所を作って地植えにした。


すると蔓の勢いはさらに増し、あっという間に物干し竿まで到達した。
その後、2本並んでいた物干し竿の1本を、あっという間に横断して端まで行き着くと、今度は庭のサザンカの木をよじ登って繁って行った。


結局、物干し竿の1本は使えなくなったのだが、エンドウ豆の蔓は切られずにそのままにしてもらっていた。


なぜかというと、エンドウ豆は大きく生長してからは、毎日大きなザルに山盛り一杯の豆を収穫出来たからで、家庭菜園をはるかに超える収穫量に、母は台所で一人ほくそ笑んでいたものである・・・・・・。


ちなみにこの科学の付録のエンドウ豆、私より年齢が5〜6歳下の人に話を聞くと、なんと「ツタンカーメンの紫エンドウだった」というではないか。


しかも、ピラミッドの形をした容器まで付いて来たというから驚きである。
私の時は緑色の普通のエンドウ豆だった記憶しかないのだが、いつの間にそんなミステリアスな豆に変更になっていたのだろう。


ところで「ツタンカーメンの紫エンドウ」とはそもそもなんなのか。


これについては、「古代エジプトのツタンカーメン王の墓からエンドウ豆が出土。そして三千年以上の時を経て発芽し現代によみがえった」というエピソードが、いつの頃からか日本各地に広まって、次第にそう呼ばれるようになって行ったものらしい。


当時はそのエピソードを信じている人が多かったようだが、実際のところは、日本から桜を贈った返礼品として、1956(昭和31)年にアメリカから伝わった豆だったようだ。


そして日本全国に広まって行ったのは、1983(昭和58)〜1986(昭和61)年頃と言われている。


で、ちょうどこの頃に、なぜかマスコミが「ツタンカーメンのエンドウ、古代のロマンの輪を広げよう」という特集記事を書いたりして、噂が一気に広まり人気となったらしい。


当時マスコミは、紫エンドウの出所を知っていたはずなのに、なぜそんな記事を書いたりしたのか、全くもって謎としか言いようがない・・・・・・。


ちなみに紫エンドウというのは、鞘の色が紫色をしているエンドウ豆のことで、鞘の色以外は普通のエンドウ豆となんら変わらない。


だから鞘を割って中を見ると、緑色の豆がコロコロと出て来る。
いわゆるグリーンピースである。


ところが不思議なのは、この緑色の豆をお米といっしょに炊いて、グリーンピースご飯にすると、炊き立ては普通のグリーンピースご飯なのだが、しばらく保温の状態で置いておくと、まるで赤飯のような見た目に変化して行くのだ。


私にはツタンカーメンと紫エンドウが結びついたのは、この不思議な現象も一役買っていたように思えてならない・・・・・・。


(画像上、里山の林床で咲くエビネの花。画像下、ケヤキに守られるようにして花を咲かせるカントウタンポポ・・・・・・)